閑話

30話 一条呉久はTSを許さない その1

 □■□■□■

 

 お嬢様キャラとしての立ち振る舞いを強いられる事になったり、ロールプレイングの末ファンクラブが発足していたり、学園の姫と祭りあげられ、挙句生徒会長に抜擢されてしまったり、配役を間違えたラッキースケベ展開に巻き込まれたり……

 ──そしてどういう訳か、冬司に再告白されたり。

 

 プロローグにしてはあまりにも長い、ライトノベル1冊分はあるんじゃないかと思える程の余談を終えて尚、思う。

 ……何故こうなった。

 二学期始まって以降、薔薇色に設計されていた俺の青春は調子ハズレで狂いっぱなしである。本来であれば高等部1年生の夏休みは研鑽に費やし、冬司に黒く染められた魂を清めた後、新学期からは学業に運動に恋に遊びにと奮闘し、華麗なる上方修正を遂げる……はずだったのだが……

 振り返ってみて、俺は重大な初期不良に行き着いた。

 そう、この欠陥ラブコメは夏休みに端を発する。俺の薔薇色ラブコメ設計図へ割り込み、めちゃくちゃに書き換えた忌まわしき初期不良、TS病である。

 

 それはまだ蝉の鳴き声が聞こえる夏真っ盛りの夏休み2週目。目覚ましのベルよりも早く目覚めた早朝のことだ。


 □■□■□■


 

 時計を見ればまだ朝の6時半。夏休みだと言うのに律儀に早寝早起きを守っている俺を褒め称えるものはいない。

 いつもなら目覚ましのベル音と同時に詩織姉さんが入ってきて、布団をひっぺがすのだ。

 そしてエクスカリバーがテントを張る様を見て、冷笑をお見舞いされる。男の生理現象で仕方ないというのに。

 このモーニングコールにより、義姉に頭の上がらぬ愚弟、という絶対的上下関係を確認して、俺の一日は幕を開けるのだ。

 

 ……しかし今日は何かがおかしい。

 

 モゾモゾと起き上がった俺はその違和感のわけに行き着いた。

 毎朝しつこくテントをはって自己主張していた、俺の、男根のイレクションが確認できない。

 そして……


 ──ぽにょん。

 普段はない感覚が胸に──スウェットの下から窮屈そうに押し上げる丘陵きゅうりょうが2つ……

 急いで布団を剥ぎ、下半身を確認した俺は、更に驚くことになる。


「なんじゃこれはぁああああああ──っ!?」


 寝巻きのスウェットが一面血で染っていた。シーツも汚れている。

 あと、今の声はなんだ? 風邪でもひいたか? いつもより半音高い。それに身体も重いような気がする。


「呉久様!? どうなさいましたか!?」


 息を切らして詩織姉さんが入ってきた。

 風邪……では血の説明がつかないし、誰かに襲われた訳でも無い。何かの病気? 確かに先日、世界的な流行病で寝込んだが、完治したはず……しかしほかに心当たりはない。

 はてさて、どう説明したものか。

 うーんちくしょう、頭も回らねぇ。


「──呉久様!?──呉久様!?──呉……!?──……様!?──……」


 俺を呼ぶ詩織姉さんの声が遠くなっていく。頭に響く声、どんどん──……遠く────




 次に目を覚ました時、そこは殺風景な天井が広がっており、傍らには詩織姉さんがいた。

 彼女は目覚めた俺に気づくと「良かった」と涙を拭っていた。


「……ここは?」


「条成大学病院でございます」


 なるほど、ここは病院のベッドらしい。


「……そっか。それで、俺はいつ帰れるの?」


「お医者様は経過次第、と仰っておりました。少なくとも2週間以上は安静になさって下さいとのことでございます」


「……え? 俺ちょっと身体がだるいくらいで、割と元気なんだけど? ……そんな悪いの?」


「TS病です」


「は?」


「TS病です」


 じっ、と見つめる詩織姉さんは終始俺の身を案じているようで、ふざけている様子はない。

 どうやら本当らしい。


 数年前、世界的パンデミックを引き起こした某ウイルスの猛威は誰の記憶にも新しい。

 都市のロックダウン、活動自粛による経済ショック等の厳しい数年間を切り抜け、ようやくマスクを外して過ごせる世の中になった近頃、感染者の中でまことしやかに報告されている後遺症の一つに「TS病」がある。

 まるで原初の生物が細胞をウイルスによってコードされ、突然変異から進化を促されるが如く、この現象は感染者の細胞でごく僅かな確率で発生し、変質した細胞は指数関数的速度で肉体の変化をもたらすという。

 発症者は、男であれば女へ、女であれば男へとTransSexalの文字通り、性転換するというものだ。

 そんな「TS病」は症例が少ない上にその奇天烈な内容も相まって、一般的には都市伝説扱いされているのが現状だ。

 俺はといえば、冬司から聞かされて時折話のネタにすることはあれど、本気で信じてなどいなかった。

 ……今、この時までは。


「……まじ?」


「まじでございます」


 長年連れ添った股間のジョニーからは覇気を感じないし、TS病であれば声変わり直前のように不自然な俺の声にも説明がつく。


「……戻れる?」


「……幸い、性転換後は健康なお身体で生活なさっている方が殆どということでございます。しかし、再び性転換するような前例はないと仰っておりましたので、呉久様が男性として生活を送る、という事につきましては難しいと存じます」


「うえ」

 

 戻れないらしい、と聞いた途端どっ、と心に不安が立ち込める。


「呉久様、お義父様やお義母様、お義兄様方、勿論私も、元気な呉久様を愛してございますったとえどのようなお姿であっても、呉久様は呉久様でございますっ……ですから……ッ! ですから……うっ……っう」

 

 唇を噛んで必死の訴えをする詩織姉さんに気圧され、押し寄せた不安は俺の中で行き場を失う。


「覚えておく。泣かないでくれよ……詩織姉さんに泣かれちゃあ……俺はなんも言えなくなる……」


 しとしと泣きじゃくった詩織姉さんを見送る帰り際。


「……必要なものがあれば遠慮なく仰ってください。これから大変かと存じます」


 その予告通り、俺は翌日から大変な日々を送ることになる。


 集中治療室へと移された俺は、全身の痛みで目を覚まし、痛み止めを打って再び眠りへと戻される、激痛に耐えながらモルヒネの欠かせない胡乱な日々を過ごした。

 

 そうして気づけば2週間が過ぎていて、その間おぼろげに残る記憶は集中治療室を隔てた窓から見える医師の往来と、常に明かりのある殺風景な白天井くらいのものである。


 流動食を飲めるだけの感覚が手に戻り、個室病棟に移ってからも、しばらくは屍のように横たわってテレビを眺め、同じ味の流動食を流し込んでは眠る日々を過ごした。




 そして4週間目、俺の下半身から伸びる管、尿道カテーテルを抜かれた日のこと。


 ──トイレトレーニングなるもの、詩織姉さんの興味を惹き付けんとす。

 詩織姉さんが見舞いに駆けつけた本日、ここ条成大学病院個室病棟では、俺の記念すべき女の子としての初トイレが執り行われていた!!


 ……ええっと、確か座ってするんだよな? 

 病室の個室トイレに鍵をかけ、紙パンツを下ろして便座に座る。

 これであってるよな? そんなことを頭で何度も呟きつつ体制を確認した後、意を決して全身を脱力させる。

 

 ちょろちょろちょろ……


 以前と違い、放物線を伴わず響く音。これまで射出を担ってきたハイドロポンプはそこにない。

 感慨に耽って、ぼぉ、と天井を眺め、ち○この消失をしみじみ痛感する俺だったのだが。


「あぁっ……」


 うぇっ、なにこれ!? 終盤一気に汚れた! いろいろびちゃびちゃになったぞ!?

 順調と思っていたが、勝手が違うと思い通りにいかないらしい。危うく服を汚すところだった。

 失ってわかる……ああ、ち○この射程調整、何と便利だったことか!

 

 次からは姿勢考えて臨まねば……なんて不本意にも女子的学びを得て、しみじみ感傷へ浸る俺に、詩織姉さんの声がかかる。


「お嬢様ー? もしや中でなにかトラブルが!?」


 俺が黙っていると、なにやらガチャガチャとピッキングを始めたような音が聴こえてきた。

 ああ、もうっ、俺には感傷に浸る時間もないらしいっ!


「入ってこなくて大丈夫だから……! いろいろ整理すんのに時間が必要なんだよ!」


「……これは失礼いたしました」


 どういうわけか、俺はお嬢様と呼ばれている。

 扉1枚隔てた先には看護師さんもいるから外聞をはばかってのことだろうが、その呼び方はどうもむずかゆい。


「いいですかお嬢様、終わったらちゃんと拭くんですよー?」


 ……えぇ。綺麗に拭きましたとも。

 詳細は流石に恥ずかしいので黙秘する。どうしても気になってしまう変態紳士諸君はその不届きなジャーナリズムで妄想を巡らせて補完するがよい!

 

「もう、わかってるから!」

 

 水を流し、手を洗った俺にはもう1つの試練が待ち構えていた。


「……パンツ……布じゃないか……」


 トイレに入る前、えらくゴキゲンな詩織姉さんに手渡された薄い布。

 全面にはストライプ、羽のようにあしらわれたフリルの中心にはちょこんとリボンが乗っている。


「……はぁ」

 

 これでもかと可愛らしく小洒落た代物に、ため息が漏れた。

 これを履いたらもう戻れない……

 踏ん切りがつかない俺を、外野は逃がしてはくれないようで。


「お嬢様ー? そろそろ──」


 そんな詩織姉さんの声に急かされて、俺はその布切れに脚を通す。


 ──ええい、ままよっ


 サラサラでひんやりとした布がピッタリ俺を包む。そしてすぐに人肌まで馴染んだ。

 男性向け下着と違う肌触り……そこに妙な心地よさを感じている自分を発見し、俺は新しい扉を開くと同時に、ゆっくりとトイレの扉を開けて外へ出た。

 トイレトレーニングの完了を報告する。


「……終わりました」


 待っていたのはにっこりと艶やかな微笑みを浮かべた詩織姉さん。聖女のように優しい微笑みは、とても未遂とはいえ建造物侵入罪を犯そうとした不届き者とは思えない。

 そんな彼女に、俺はしおしおと報告を続け、


「パ、パンツのほうも……その、つつがなく──わぷっ」


 言い終わるより前に、俺は詩織姉さんの偏愛溢れる抱擁に包まれた。


「はいっ! よく頑張りました〜 ですがお嬢様? 次からは音姫を使いましょうね♪」


 おとひめとはなんだろう。なにかの隠語か? 

 そんなことを考えていてふと気づく。俺の肩にくるはずの詩織姉さんの頭が俺より少し高い位置にあるのだ。鍛えていた俺の腕はすっかり細くなっている。

 

 ああ、そうさ、きっと俺が縮んだんだ。今や詩織姉さんに抱き寄せられてしまうほどに軽くなっちまった俺の図体は、もう男だった頃の面影を残していないのかもしれん。鏡を見たくねぇ。

 

 抱きつく詩織姉さんに対して少し息苦しいなと思いつつ、気恥しさも感じつつ、また、どこか安心する。

 微笑ましく見つめていた看護師さんが病室を去って、ふと涙が湧れてきた。

 ぽろぽろ泣きだす惨めな俺を、詩織姉さんが撫で付ける。

 男として終わったことの虚しさか、はたまた久しぶりに詩織姉さんを見て気が緩んだのか、俺自身何に対して泣いているのか分からないまま、この日の時間は過ぎた。

 

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