32話 一条呉久はTSを許さない その3

 リハビリを終え無事退院した俺は愛しの我が家へと舞い戻った。

 1ヶ月ぶりに帰った俺の部屋は、クラシカルな模様替えを施され、クローゼットからはきれいさっぱり男物が消え失せていた。

 無論ベッドについても天蓋付きの、瀟洒しょうしゃなお姫様仕様に取り替えられていたのだが、猥褻図書館の蔵書に被害は1つもなく、心無しか整頓されている気さえした。

 改装責任者を務めたであろう詩織姉さんが気づかなかっただけなのか、はたまた気づきながら手心を加えていたのか……前者であることを切に願う。


 さて、すっかり様変わりした自室に戻ってきた俺が何をしているかと言うと。


「……ホント、女の子になってんなー……」


 邪な探求心の爆発。乙女の神秘を追求すべく勢いよく服を脱ぎ放ったまま、姿見の前に立っていた──!


 女子諸君、白い目でみるな。男子諸君、女体化したらやるだろ普通!? 

 だって……つい先月までオトコノコだったんだぞ!! そんでいま、俺、オンナノコなんだぞッ!?!? 

 これは可及的速やかに解明すべき現状確認と、熱き(元)童貞のジャーナリズムである──!

 

 姿見に写る女の子──今は自分自身の全身を、改めてまじまじと確認する。


「ほう、これは……」


 ……目線が低くなっているな。15センチも縮んだんだったか。

 白くすらっと伸びる手足にふっくらと張りのあるおっぱいとお尻の曲線美……男時代に部活で鍛えた筋肉の面影はそこに無く、すっかり女の子の体躯へと変貌を遂げている。

 お腹に視線を落とせば、シックスパックに割れていた腹筋も今ではきゅっとクビレたぷにぷに仕様となっており、また、それらをつまむ摘む指すらも細い……という、なんとも頼りないフォームチェンジを実感する。


 さて……と。(元)思春期男子的?な知的好奇心による当然の帰結として、俺は自身の膨らんでしまった胸元まで手が伸びてしまうわけで……


 目を落として、探索の手を我が丘陵へ……

 …………

 ……


「……へくちっ!」  


 ──うん、全裸は寒い。

 自分のおっぱいを揉みしだいたところで……まぁ、たしかに柔らかいのだが……所詮は脂肪の塊である……


「まあ胸は……な」


 猥褻文書で形成した桃源郷を現実という鋭い刃に一閃され、ことごとく打ちひしがれていた俺だったが、それでもなんとか自分を取り戻し、更なる神秘へと、手を伸ばした時だった。

 

「──お嬢様~? 下着の付け方をー……って……あらあら」


 タイミング悪く現れた詩織姉さんの呆れた視線が、俺の無防備な上半身へ刺さる。


「し、詩織姉さん!? あ、えとっ、こ、ここれはぁ……」

 

 詩織姉さんの目に映る人物は──国家の心臓とも評される豊条グループ、国内有数の富豪名家と目される一条家の血を引く──あられもない俺の上裸だ。


 戦慄。興奮に燃えていた情熱大陸は、詩織姉さんの放ったツンドラの冷笑で凍てついて……熱を持つのは羞恥に沸騰する俺の貌だけという始末。

 恥ずかしい……穴があったら入りたい!


 かくして本日の女体探訪は中止を余儀なくされた。


 ◇◇◇


 ────カポーン、と風呂桶の反響。湯煙が肌を包む。


「頭も真っ白……お風呂も真っ白……」


 ……気付くと俺は詩織姉さんに下半身まで剥かれ、一条家の浴場へ連れてこられていた。

 

「先程は大変お楽しみのところ、恐縮に存じましたが、お嬢様は一条を背負って立つご令嬢であられます。その事をもう少しご自覚頂かないと……」


 背後で俺の髪を梳いている詩織姉さん、その嘆声たんせいがやけに響く。


「はい……その通りです……もう煮るなり焼くなり……好きにしてください……ですから、もう……さっきのことは忘れて……ください……」


 先程痴態を目撃された羞恥により、俺は既に茹でたこ同然である。穴があったら入り、丸くうずくまった後、たこ焼きにされて喰われるのみである。

 これ以上の信用低下があってはいけない。たとえ現時点における俺のステータスが、煮ても焼いても食えない有様であっても。

 

「はい可愛いっと。……仰ったことは録音いたしました。“好きにしていい”との言質を頂戴いたしましたので──これからお嬢様には一条家秘伝のお嬢様矯正プログラムをみっちり受けて頂きます……。録音はそちらの品質向上に役立てさせていただきます♪」


 詩織姉さんはひまわりのように晴れやかな笑顔で、さらりと俺を脅迫してみせた。

 彼女を相手にした際、言質を取られるとはすなわち、録音という手段でデジタルデータを押収されることと同義だ。

 かくのように強引な不平等条約に慣れきっている俺とは如何に……根本的な見直しが必要だ。

 しかし、

 

「はい……仰せのままに」

 

 上機嫌な詩織姉さんを相手に、俺が拒否権を行使できた試しはないのである……

 詩織姉さんは「ぱん」と一拍して、


「よろしい♪」


 と満足そうな笑みを浮かべ、浴場内のシャワーカウンター前まで俺を促した。

 そこに据え置かれた風呂椅子へしぶしぶ腰掛けると、面前には鏡と彩り豊かなボトルが居並ぶ。


「それではまず、髪の洗い方から! 女の子にとって髪は命でございます! お嬢様の綺麗な御髪なら尚のこと!」


 詩織姉さんは、話しながらも器用にシャワーレバーを捻っている。

 とりあえず生返事に徹していた俺に、ぷしゃ、と温水シャワーが降り注いだ。


「ふぁ……」


 全身を滴る温水に声が漏れた。

 詩織姉さんの講釈が環境BGMのように聴覚器官を通過する。

 女の子って大変だなあ、と月並みな感想を抱いていたら、本格的に詩織姉さんのシャンプー兼髪のお手入れレクチャーが始まった。

 

「……髪を濡らす前に優しくブラッシングして髪の櫛通りを良くして……こちらがシャンプー、次にトリートメントでございます……今後、個人的にお嬢様の御髪を吸っても構いませんよね? ……それからシャンプーは髪が擦れないよう優しく……リンパマッサージのように頭皮を解すのでございます……トリートメントは頭皮を避け髪に塗布し数分ほどタオルパックを……」


 詩織姉さんのシャンプーは無類の心地良さがある。頭皮も喜ぶそのリラクゼーション効果は、過密な研鑽けんさんスケジュールでカチンコチンになっている俺の論理的思考力を陶然とうぜんとふやけさせること請け合いであった。

 

「……睡眠時の摩擦や静電気でもダメージになるのでございます。ですから、ルームウェアは素材に拘った逸品へ新調させていただきました。本日からはそちらをお召しになってください……そのようなお嬢様を私はお写真に収めて保管いたします……」


「……はい……はい……? わかりました……ふふ」


 ぼーっと返事をしていれば、トリートメント?まで終わったようで……俺は頭にタオルをまかれていた。


「ふぁ……はい……はい……」

 

「……女の子の体はデリケートでございますからゴシゴシと洗うのではなく優しく……と、今日は私も一緒に入りますからご安心ください」


 変わらず生返事をしていると、背後から衣擦れの音……

 

「……はい……はい……。わかりm……って、え!?!?」

 

 夢心地から醒めるように逡巡しゅんじゅん

 詩織姉さんは一緒に入ると言った。衣擦れの音もした。……詩織姉さんは衣服を脱ぎ、改めて風呂場へ突入しようとしているらしかった。

 ……色々と問題があるような気がする。考えてみれば、他にも不穏な提案を聴き流し、承諾しているかもしれない!

 一度シンキングタイムが必要である──

 

「ぁえ……ーっと、詩織姉さん? ありがとう。あとは自分でできそうだし……ぅ、ひゃあ」


 言い終わるのを待たず、ちょん、と肩に手が置かれ、思わず声を上げる。

 俺が振り返るとそこには、うるうると瞳を濡らす詩織姉さんの顔があった。


「姉妹水入らず……なんて……私、おこがましいのでございましょうか……」

 

 風呂場の蒸気で思考にモヤがかかったのやもしれん。ともかく、普段あれだけ悠然として弱みを見せない詩織姉さんが、しおらしくしている。

 毒気を抜かれ、絶賛混乱中の俺に、首を横に振ることなど出来るはずもなく……

 

「え……ーっと……だ、大丈夫! だから!」


 赤べこのような高速縦運動で首肯してしまうのだった。

 そんな俺の様子に、

 

茉莉まり様ちょろ、じゃなかった……茉莉まり様、私兼ねてより、妹が欲しかったのでございますよっ!」


 詩織姉さんは熱っぽい握りこぶしで語る。そこに先程までのしおらしさは無い。


「ん……う、うん?」


「うふふっ……私、とても嬉しゅうございます〜」


 詩織姉さんは、はつらつとした笑顔で言うと「さて」と一拍した後……


「お嬢様、お身体がまだでしたね……」


 陸へ打ち上がった魚目掛けて滑空せんとする、猛禽類もうきんるいのような、鋭い眼光を輝かせた──


「……えーっと、詩織……お姉……様……?」


「うふふ……」


 目を泳がせる俺。掴まれる肩。ボディソープが泡立つ音……


「……私が洗って差し上げます♪」


 ──しゅぽっ、と音が鳴る。見ると、俺のウエストラインには、詩織姉さんの手にしたスポンジが撫でたと思しき泡の軌跡が密着していた。


「あ……、え? ちょ──ひゃあっ!」


 先程の自分で触れたそれとは違う、乳房を走るこそばゆい感触に、思わず声が漏れた。

 詩織姉さんの変態的とも言える洗体は、こちらの動揺や抵抗などお構い無しに、首、腹部、臀部、脚……と広がっていく。


「し、詩織姉さ……っみゃうっ!」


「──ふぅ………… 妹……素敵ね……」


 詩織姉さんは恍惚な顔で瑞々しい笑みを浮かべて身を寄せ、反対に俺は恥辱でくずおれていった。


「はぁ、はぁ……」


 未知の感覚に翻弄された、理性と快楽の二項対立。物理的にも内省的にもくんずほぐれつの最中、俺は神秘を垣間見た気がした。

 そして、


「ふふ、もっと楽し──いえ、しっかり洗って差し上げなくては」


 眼前に迫り、舌舐りする詩織姉さんを捉えた時には何もかも遅く──


「──お嬢様、私が全身くまなく……綺麗にして差し上げます♪」


「え……ちょ──みゃぁあああああああっ!?」


 まるで決め台詞のような一言の後、彼女の敏捷びんしょうが俺を蹂躙した。


 


 その後、俺が辿った顛末てんまつについて……新しい扉を開いたのかそうでないのか……これは非常にプライベートな事情につき、詳らかにするのは差し控えたい。

 の繊細なハートを詮索せんとする不届き者はいずれTS病の報いを受けるに違いない、とだけ付言しておく。


 この日を境にして、詩織姉さんの姉妹サービスは偏愛の一途をたどり、彼女特性ウイスキーボンボンとお嬢様矯正プログラムにより調教された俺は、『学園の聖女様』を演じ切るまでの立派な(?)パブロフのお嬢様へと終着した。


 一条家唯一の良心としての自負を保つ──これは俺の信条であり半生の全てといっても過言ではない。

 たとえどれだけ乙女チックに着飾ろうとも、心は雄々しく在らねばならないのだ。


 ……しかし、もう手遅れなのかもしれない。


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