ボトルボイス

宵町いつか

第1話

 聞き覚えのある声が頭の中で響いて、私は目を開けた。

 思い出したように波音が聞こえて、今視界に入った状況とリンクする。そうだ、海に居たのだった。手を開くと、収まっていた何かが砂浜に落ちて、くぼみを作った。

 陽は傾きかけていて、黄昏時に今から入るかもしれないといった時間帯。水面は黒く染まり始めており、私以外に人の居ない海岸をより孤独にする。水面は死そのもののように思えて、一歩進んだ。冷たい海水が黒いスニーカーに染みこんで、より色を濃くする。入り込んだ海水はそのまま靴下の中までやってきて、靴下の色を変化させて私から体温を奪った。

 そのまま、座り込んだ。

 紺のスカートの色が冷えていく。海水が下着まで染みこんできて、お尻を濡らす。着込んだ学生服を冬の冷たい風が包み込み、針を刺すように露出していた素肌を刺激する。風は私から離れて温度を染め、何事もなかったようにその棘を仕舞った。

 十七年。それと、四ヶ月。刻んできた心拍数は六億と少し。

 私が刻んできた時間。

 私よりも長い時間生きてきた人間からすると、まだ十七年だとか、馬鹿みたいな事を言ってくると思う。でもそれって、とても無責任。

 私は、珠を携えながら生きている。他の人は数個持っているだけ。でも私はそれよりちょっと多い。みんなの前で笑えないくらいに、みんなが過ごしている生活が出来なくなるくらいに。それくらい、ちょっとだけ、差がある。珠の量も、珠の質も。でも、みんなその球のことを知っている。自分でも出来たから、自分よりも少し多いだけだから、みんなやってきたことなのだとかいうあやふやな思考で強要する。

 それならば、座りながら、今にも倒れそうな私はどうなるのだろうか。

 それならば、泣き叫んで、舌を噛み切りたい衝動に駆られている私はどうなるのだろうか。

 おしえてよ、私があなたたちみたいに生きていける方法を。

 無意識に、地面に埋まっていた貝殻を手に取る。さっき、私が手放した物。

 貝殻から海水が流れていって、空っぽになる。まるで今の私みたいに。だから、海水の抜けた貝殻の中にはたらればが詰まっている。こうしていれば、ああしていれば。耳に当てると私の声ばかりが聞こえるのだろう。それが脳髄まで響いて、私を殺すのだ。

 息を吸う。ため息を吐くためではない。もちろん、叫ぶために吸ったわけではない。無理矢理意味を見つけるのなら、霞がかった世界とか、過去とか未来とか、そういう漠然とした、茫洋としたものを綺麗にするために吸った。一言で、短くまとめるのなら生きるために息を吸った。

 そっと耳元に貝殻をあて、耳を澄ます。するとほんの少しだけ声が聞こえる。自分の声ではない。砂粒の声ではない。もちろん漣の声でもない。貝殻の声。

 その声に耳を傾ける。心臓の音が凪いでいくのが分かる。自分の荒んだ心に海水が染み渡って、痛みを感じながらも潤っていく。

 ――これでも、頑張ってきた。

 なにを、とか具体的に聞かれると困ってしまうけれど本当に頑張ってきた。あなたの見ているところで、あなたの見ていないところで、頑張ってきたのですよ、私は。

 ねえ。

 この理解されない苦しみはどうすればいいの。

 息を吸うのさえ拒否されている気がするの。

 呪われている気さえして、誰かに生きていていいよと言われるのを待っている。

 真っ白だった靴はいつの間にか汚れていて、服は綺麗なのに素肌はボロボロで内蔵もぐちゃぐちゃ。見かけだけは綺麗でそれ以外が終わっている。かろうじて私は人間の体を保っている。かろうじて人間の体を成しているただの肉塊に等しいのだ、私は。

 貝殻を耳から外す。いつの間にか貝殻から声は聞こえなくなっていた。空っぽになっていた。

 波打ち際に隠れるようにして茶色の瓶が突き刺さっていた。亀裂の入っていない瓶だ。誰かが捨てたのだろう。意図的に突き刺して、隠したのだ。

 私は立ち上がって瓶を抜く。今時珍しい、スクリュータイプの蓋だった。手でねじって開けると、瓶の中から健康的な薬品臭い香りがした。逆さまにすると少しだけ中身が入っていたらしく、琥珀に似た色の液体が落ちていった。

 黒色に溶けていった液体に少しだけ悲しくなって、また座り込んだ。ちょうど波がやってきていた時だったから私が座り込んだ瞬間に水が飛び散ってしまった。一部だけまだら模様に変化した制服はちょっとだけおしゃれに見えて、こちらのほうが良いように思えてくる。

 手の中で瓶を弄ぶ。爪が瓶の側面に当たってリンと、軽い澄んだ音が鳴り響く。

 何の気なしに、その茶色の瓶の中に声を詰めてみた。音程のとれていない、ぐちゃぐちゃな声。どうして、助けて、苦しい。暗い、昏い、声。私の心内。

 蓋を締めて、茶色の瓶を軽く揺らす。中には何も入っていないように思えるだろうけど、私の中には確かに透明な液体が詰まっていた。

「ほっ」

 意味の無い、軽いかけ声をして、瓶を思いっきり海の方へ投げ捨てた。誰かに届くように。私の声が、私の苦しみが、誰かに届いて、その誰かを殺す。そんな願いを込めて投げた。綺麗な放物線をえがいたであろうその瓶は私の手を離れた瞬間から夜空に溶けていって、ちゃぽんと音を立てた。

 着ていたブレザーを脱いで、夜空に投げ捨てる。一歩、進んで、私が放り投げた瓶がどこへ行ったのか思いを馳せる。

 腰くらいまで海水に浸かったところで、私は体の力を抜いた。そのまま夜海に溶けていく。瓶が放浪して、どこかの誰かに届くのと同じように、私も溶けて、どこかの誰かに認識されることを願った。私が苦しんでいることを。私が、生きていた、証明を。 

 海は、やけに温かかった。

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ボトルボイス 宵町いつか @itsuka6012

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