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第1話 隣の席の花紙さん

隣の席の花紙さん。読み方は花紙(はなし)。

初対面の人には大抵、「へぇ~、珍しい名前ですねぇ」と言われている。

もしくは「えっ、名前ですか?名字ですか?」と聞かれている。

「名字です。」毎回そう答えて、隣の私に「また聞かれちゃった~」そう言う。

私も「珍しい名前ですもんね」毎回そう言う。

そしてお互いそっと仕事に戻る。



花紙さんは名前のとおり、話し好きだ。

「きっと私は口から産まれてきたのよ~」本人がそう言うのだから、きっとそうなのだろう。

「この間さ、駅前にできたパン屋さん行ってみたんだけど、すごい行列で。一番人気のパンなんて」

私と話している最中でも他の人が視界に入ると

「あ、今日のネクタイ素敵ですね!奥様からのプレゼントですか?」

急にその人に話しかける。

「そうなんだよ。誕生日にもらったんだけど、していかないから妻が機嫌を損ねちゃって」

「お似合いですよ!」

「それでね、一番人気のパン売り切れてて」

そしてまた急に戻ってくる。



花紙さんは噂好きだ。

「部長、最近お弁当持ってきてないじゃない。奥さんと喧嘩したみたい」

「えー、本当ですか?部長っていつも家族の話してるじゃないですか。この間も家族で行った焼き肉が美味しかったって」

「それはお詫びの焼き肉!奥さんの誕生日忘れてたんだって!」

話し相手は入社3年目の女子社員。

彼女と花紙さんはいつも女子トイレで密会を重ねている。

「誕生日忘れたくらいでお弁当1週間も作らないとかあり得ます?焼き肉食べてるのに」

「だから、それくらいショックだったってことでしょ?部長のお弁当見たことある?品数多すぎて料亭みたいなんだから」

「えーすごい!仲直りしたらお弁当見せてもらおう。あー、お腹空いちゃった。」

「早くお昼にならないかな~。そろそろ戻ろっか」

花紙さんは、コーヒーと簡単につまめるお菓子を持ってデスクに戻ってくる。

「はい、お裾分け」

「ありがとうございます」私も隠してあるお菓子ボックスからチョコを取り出して渡す。

「ありがとう。部長もお菓子いかがですか?」

「いや、今日は遠慮しておくよ。妻が張り切ってお弁当作ってたから残さず食べたいしね」

「え~、奥様優しい~。私ちょっとお手洗い行ってきます」

密会に出掛けた。



花紙さんはグルメだ。

お昼は大抵ランチに出掛ける。

12時のチャイムが鳴ると同時に財布を取りに行く。靴はデスクの下で履き替え済みだ。

「花紙さん、行きましょう」

今日は若手社員3人組が迎えにきた。

いつもは外回りに出掛けているメンバーなので3人揃うのは珍しい。

「あそこのハンバーグ、食べてみたかったんだよね」

「グラタンも美味しいらしいよ」

「グラタンはお昼休憩では間に合わないんじゃない?」

「そっかー、予約しておけば良かったね」

「お待たせ!」花紙さんが合流して4人は出掛けていった。

私は持ってきたおにぎりとサラダを取り出した。

午後からの資料に目を通しておかなければいけない。



「間に合った~」

13時ギリギリに花紙さんが戻ってきた。

「セーフでしたね」私はまだ戻ってない部長の席を指差す。

花紙さんは目でなにやら合図を送ってきた。



こういう風に生きられたら楽なのかな、と時々思う。

私はキーボードを打つ手を止めて小さく伸びをした。

伸びたって何の息抜きにもならない、ただ数秒パソコンを見なくていい、それだけ。

隣で熱心にカタカタしている花紙さんを見た。一瞬、横目でチラッと。

その瞬間、花紙さんが私の方を向いた。

私はドキッとして目を大きく見開いてしまった。

花紙さんは私にしか聞こえないくらい小さな声で「明日のランチ、グラタンなんだけど一緒にどう?」

と言い、パソコンを指差した。

熱心にデータ入力していると思っていた画面は、あの若手社員3人と行ったランチの予約画面だった。

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