◆失いたくないのは
本当に願っていたのは、なんだっただろう。
本当に失いたくないものは、なんだっただろう。
願いは、望みは――祈りは。
* * *
『奥宮』。
それは、『玖内の次代』だけが入れる、神聖な場所。
絶対不可侵の――『かみさま』の居場所。
目を閉じる。
わからない、感じ取れないと決めつけていた、私の中の『異常』を、探す。
まどろみの気配を感じた。
私の中で、うとうととまどろむ『何か』の――『かみさま』の気配。
「お願い――私の中の『かみさま』」
願う。望む。
そこに確かに在るものへと、想いを奏上する。
「私を、伶のところに、連れて行って」
たったそれだけ。
それだけで叶うことを、私は知っていた。……たぶん、私の中に『かみさま』が宿ったときから。
私は宮内の人間じゃないけれど。
伶みたいに、『かみさま』のための『器』として、育てられたのでもないけれど。
それでも『かみさま』がそこにいるから。
本当は、そういうことができるのだって、知っていたのだ。
視界がぐにゃりと歪む。
そうして、歪みが戻ったあとに広がるのは、私の住む家の中じゃなくて。
どこまでも澄んだ空気で満たされている、広い広い空間だった。
「――『奥宮』って、地下だったんだね」
その広大な空間の中心に立つ伶に、語りかける。
珍しく目を見開いて――驚きをあらわにした伶が、くしゃりと顔を歪ませた。
「……りっか。どうして……」
ここで、どうして、と聞いてしまうのが伶だな、と思う。
私と出逢って、そうしてようやく、『個』を――自我を獲得した、まだ幼子のような伶だから。
……だから、わからないのだ。
どうして、私がここに来たのか。
どうして、伶を止めようとするのか。
『かみさま』の助力を得てまで、どうして、と。
「ねえ、伶。私ね、ずっと言えなかったけど、見ないふりを、していたけど――死にたく、ないよ」
「……それなら、待ってればいい。俺が『奇跡』を起こすのを」
「でもね、『死にたくない』気持ちの先にあるのは、『失いたくない』なの」
「……?」
「今の日常を、失いたくない。私は、一度全部失ったから――家族も、続くと思ってた日常も、ぜんぶ失ったから。全部失って、そこからまた得たものを失いたくない。……その中には、伶もいるんだよ」
「俺、も?」
思ってもみなかったことを言われたというふうに、伶が首を傾げた。
私はそれに、少しだけ微笑んだ。
「そう。伶は『玖内の次代』で、宮内の『かみさま』の『器』で……そういうふうに育てられて、そういうものになるのは、わかってる。だけど、私のせいでそれを早めてほしくない。私の命の代わりに、伶が『いなくなる』のは、いやなの」
「でも、このままだと、りっかは……」
「うん。宮内の人間じゃないから――そういうふうに育てられたんじゃないから、春には、『かみさま』に耐えられなくて死んじゃうんだよね。……『かみさま』の力を借りたから、もうちょっと短くなっちゃったかも」
「俺、は。『俺』は――……それはいやだよ、りっか」
「うん、それもわかってる」
「だったら、どうして……」
「言ったでしょう。『失いたくない』の。私の命が――生きていられる期間が延びる代わりに、伶が消えちゃうのが、いやなだけ。それくらいなら、私が今持っているもの全部持ったまま、春に死んじゃう方がいい」
平行線だってわかってる。
自分がどうなっても、私を生かしたい伶と。
それ以外のすべてが揃っていたとしても、『伶』がいない日常を……『失った』状態の日常を、生きていきたくない私と。
どこまでも、相容れない。
……それも、わかっていたから。
「ねえ、伶の中の『かみさま』」
願う。望む。奏上する。
きっと、伶がそうしてきたように。
そうやって、宮内の『かみさま』の力を借りてきたように。
「春まででいいの。そうしたら、私の中の『かみさま』が解放される――私が死んで、解放される。ねむって、自然に溶けて、消えていくはずだった『かみさま』は、私の中で少しだけ、消えるまでの時間を延ばしたから。その代価に、『伶』をちょうだい」
「りっか……!」
「まだ、『伶』という人格を、消さないで。私からとりあげないで」
宮内の『かみさま』――伶の中の『かみさま』は、ずっとずっと、祀られて、だいじにだいじに『器』に籠められて、そう『在る』ように整えられた『かみさま』だ。
『願い』に、『祈り』に応える――そういうふうにできている『かみさま』だ。
『かみさま』に祈る。
『伶』に願う。
どちらも、同じ『かみさま』の宿る私の望みを、無下にはできない――そういうものだから。
「……俺は、りっかに生きて、幸せになってほしい」
「うん」
「しあわせに、ふつうのひとみたいに生きて……イレギュラーな、『かみさま』のせいで死なないで、ほしい」
「うん。……でも、私を生かしてくれたのも、『かみさま』だから」
あの日、私が生き延びたのは、『かみさま』が私をみつけたから。
次の春に、私が死ぬのは、『かみさま』が私の中に『在る』から。
どちらも同じ軸にあるのだから、それが自然なこと。当然のこと。
それを曲げるために、『伶』が犠牲になるのは、やっぱり違うと思うのだ。
同じ『かみさま』を宿す私と出逢ったことで、『伶』という人格が生まれたのなら。
いずれ消えるさだめの『個』が、生まれてしまったというのなら。
あの日、死ぬはずだった私。『かみさま』に生かされた私。
存在しないはずだった『伶』。『かみさま』によっていずれ消えてしまう『伶』。
どちらも、もう少しだけ――最初からわかっていた期限まで、生きたって、『在った』っていいはずだから。
春まで。次の春が来るまで――卒業、まで。
どうかそれくらいの猶予はください、と『かみさま』たちに乞う。
決まっていたさだめを、覆そうとしなくても。
私はじゅうぶんに生きたし、幸せだったから。
「ああ……」
伶が、声を零す。
「……『かみさま』は、りっかの『願い』を、叶えてしまった。――あと少し、だったのに。あと少しで、りっかがずっと生きていられたのに」
「ずっとじゃなくていいんだよ、伶。私、春が来るまでだって、幸せに生きられる」
終わったはずのあの日から。
生き延びた先の日常で、得たものは確かにあったから。
ほた、ほた、と伶が涙を落とす。
私はそれを、そっと拭った。
「――ねぇ、私、伶のおかげで、ちゃんと恋ができたよ。ふつうの女の子みたいに、恋ができた」
命の終わりとともに、落ちるとしても――恋は、この心に咲いたのだ。
「ありがとう、伶」
「りっか……」
再び、私の中で『かみさま』がまどろむのを感じながら。
私は初めて、ちゃんと『かみさま』に感謝した。
どうして、と詰った時もあった。
家族と一緒に死んでしまいたかった、と思った時もあった。
それでも、与えられた命はそこに在って。
それでも、一歩ずつ、毎日を生きてきたから。
これでよかったのだと、今なら思える。
だから、だいじょうぶ。
逃避の末の受容でも、諦観の先の選択でもなくて。
私は、私の望みを選び取った。
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