◆白い部屋と内緒話


 知って、しまった。

 ……知らなければ、よかった。


 『知った』ことを、嬉しく思う――それはきっと、『自然』で『当たり前』のことで。


 だからこそ、その心の動きが、こわい。

 望んだのは、こんな『恋』じゃ、なかったはずなのに。



* * *




〈明日の都合はどうですか。〉



そんな、味も素っ気もないわりに、何故か敬語口調のメッセージが遠矢くんから届いたのは、冬休みが開始してから3日目のことだった。


 ……いろいろいきなりだけど、これって妹さんと会う件だよね? 課外もない日だし、特に都合は悪くないけど……。


 念のため妹さんの件か確認してみたら――


〈その通りです。〉


 と(やっぱり何故か敬語で)返ってきた。

 都合の方は大丈夫だと返信する。


 ……うーん、なんかお互い文面がよそよそしいっていうか……事務的?

 私の方も、敬語じゃないけど絵文字とかは使わないし。


 まぁいいか、と思って送信すると、そんなに経たないうちにスマホが震えた。

 確認してみれば、予想通り遠矢くんからのメッセージだった……んだけど。


〈では、明朝11:00に迎えに行きます。〉


 …………。

 遠矢くん、私の住んでるところ、知ってたっけ……?

 大体どの辺りに住んでる、とかは世間話のついでにお互い話したけど、詳細な住所を教えた記憶はない気がする。

 うーん……でも、こう言ってきたってことは、迎えに来れるってことだよね。

 遠矢くん、そういううっかりとかしそうにないし。


 ……もしかして、伶経由で知った、とか?


 あぁ、ありそう……。

 なんとなく、だけど、そんな気がする。


 まぁ、そのあたりのことは、遠矢くん本人に機会があれば聞いてみるとして。


 ……もし遠矢くんが万が一にでも、うっかり私の住んでるところを知らなかったとしても、明日になればさすがに気づくだろうし。

 明日に備えて、今日は早めに寝ようかな。

 そう思って、今日これからやることと就寝時間の兼ね合いを考えていたら、とある問題に気づいた。


 ……あ。

 服、どうしよう。




 次の日。

 ものすごーく悩んだ挙句に、『もうなんか見苦しくなければなんでもいいんじゃない?』的な境地に達して、(ほとんど投げやりに)決めた服を着て。

 鏡と長時間にらめっこしてみだしなみのチェックを済ませて。

 『手土産くらい持っていくべき? でもそういえば遠矢くんの家族構成知らない…!』とか今更な事実に気づいたりしつつ。


 ひとまず玄関前に陣取って、私は遠矢くんを待っていた。

 時計は、約束の15分前を示している。

 ちなみに、待ち始めたのは20分前だったりする。

 もちろん、時間潰し用の本は用意してる。

 文庫サイズの短編集は、人を待つにはちょうどいいから。


 インターホンが鳴ったらすぐにドアを開けられる場所にいたほうがいいよね、って思って、ここにしたんだけど。

 よく考えたら、そんな早く開けても不気味がられる……もとい、びっくりされるかな。


 ……まぁ、いいか。

 考えるのをやめて、本の文字を再び追い始めたところで。


――…ピーン ポーン


 この家に住み始めてから、実はあんまり聞く機会のなかった電子音が、鳴った。


 時計を見れば、10時50分ジャスト。

 偶然だろうけど、なんだかすごい。


 謎の感動を覚えつつ、本を閉じる。

 用意していた荷物を手に取って、ドアを開けた先には――。


 ……何故かすごく驚いた顔をしている、遠矢くんの姿があった。

 目を見開いて、思わずって感じに不自然に動きが止まってる。


 ……こんな本格的に驚かれるのは予想外だった。

 確かにちょっと開けるの早かったかもだけど、それなりに間は空いてたと思うし。

 返事の前に開けたからかなぁ、とか考えてたら、遠矢くんはハッと我に返ったみたいな仕草をして、苦笑した。


「……今のはちょっと驚いた。すごい偶然。おはよう、如月」

「おはよう。遠矢くん」


 遠矢くんの呟いた言葉がちょっとひっかかったけど、ひとまず挨拶。

 時間的には『おはよう』って言うのは微妙な時間だけど、『こんにちは』もそれはそれで変な感じだし。


「約束してた時間より少し早いけど、準備とかは……」

「大丈夫、準備はできてるよ」

「……そうか。じゃあ、行こう」


 その言葉に頷いて、私は玄関を出る。

 オートロックの鍵が閉まったのを確認してから、少し離れたところで待っていた遠矢くんに駆け寄った。



 課外が組まれてるのに大量に出された冬休みの課題の話とか、最近読んだ本の話とか。

 そういう他愛もない話をしながら、遠矢くんの案内でたどり着いた場所は――。


「……遠矢、くん。ここって…」

「…………」


 確認するまでもないのに、口からは勝手に言葉がこぼれ落ちた。

 遠矢くんは困ったような、迷うような顔をして、結局何も言わずに、慣れた足取りでその建物の玄関に向かって歩きだす。


 ――…その場所を、知っていた。

 遠く近い記憶が蘇る。

 忘れることなんてできない記憶に、『そこ』は深く関係していたから。


 玖内の経営する、総合病院。


 そこが、今日の目的地――遠矢くんの妹さんがいる場所、だった。




 静かな病棟に、私と遠矢くんの足音が響く。


 通り過ぎる扉の向こうには確かに人がいるはずなのに、まるでそんな感じがしなくて。

 私と遠矢くん以外、誰もいないような――そんな錯覚さえ覚える。


 ……『あのとき』も。

 こんなふうに、静かで、静かすぎて、自分が世界でひとりきりのような。

 たったひとりで、世界に取り残されたような。


 そんな気がしたことを、思い出す。


 白くて無機質なこの景色が、永遠に続くんじゃないかって、理由もなくそう思って。

 今が夢なのか、現実なのか、それすら曖昧になる。


「……ここ」


 ぽつりと落とされた遠矢くんの言葉に、ハッと我に返った。


 遠矢くんが立ち止まった扉の横には、「遠矢 さくら」の表札。


 聞かなくても、それが遠矢くんの妹さんの名前なのはわかった。

 そういえば、妹さんの名前を聞いたことってなかったな、とまた今更なことを思う。

 軽くドアをノックした遠矢くんは、「入るぞ」と短く言って、扉を開いた。



「いらっしゃい!」



 続いて部屋に入れば、明るい声がして。

 名前のとおり花のような笑顔が、真っ先に目に入った。


 ――空気にとけて、消えてしまいそうだ、と。


 生きる力に溢れた、キラキラした笑顔に、正反対のことを思った。


 ……違う。

 『直感』した。

 彼女のまとう空気に、気づいてしまった。

 遠矢くんが、伶から提示されただろう、見返りが何だったか。

 ……わかって、しまった。



 『さくら』――桜。

 咲き誇る、桜の木を見上げる背中が。

 あんなにも、切なげだったのは――。



「……如月?」


 気遣うような遠矢くんの呼びかけに、何でもないと笑って、ベッドの上の妹さんに近づく。


「初めまして。如月律花っていいます。……さくらちゃんって呼んでもいい?」

「はじめまして、遠矢さくらです! 無理言って、来てもらってごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げるさくらちゃんは、聞いていた年齢よりも幼く見えるのに、気遣う姿は大人びていて。

 そのアンバランスさに……なんだか、泣きたいような気持ちに、なった。




「……あの、如月さん」

「……? どうしたの、さくらちゃん」


 読書、という共通の話題があったので、さくらちゃんと打ち解けるのにそんなに時間はかからなかった。


 遠矢くんが花の水を替えるために部屋を出ると、足音が遠ざかるのを待つようにして、さくらちゃんがどことなく改まった雰囲気で口を開いた。


「お兄ちゃんについて聞きたいんですけど……」

「遠矢くんについて?」


 学校生活のことだろうか。

 伶が引き合わせてくれるまで知り合いでもなかった、クラスも違う私に答えられるものだといいけど。


 でも、さくらちゃんの問いは、私の想像したようなものじゃなかった。


「お兄ちゃん、何か悪いことでお金を稼いでたりとかしてないですか……?」

「……」


 びっくりした。

 まさかそんな問いが出てくるとは思わなかった。

 でもさくらちゃんの顔は真剣だ。


「ええと……さくらちゃんは、どうしてそう思ったの?」

「わたし、元はこの病院の、ふつうの部屋にいたんです」


 言われて、確かにこの部屋は『普通』とは違うな、と思う。

 一人部屋で、広々としていて、妙に豪華だ。

 VIPルーム、とまではいかないかもしれないけど、特別な部屋っぽいのは間違いない。


「でも、如月さんのことが話題に出る少し前、いきなり部屋が変わって…」


 そこでぴんと来た。

 伶だ。

 ……ここは玖内の病院だ。伶が働きかけたんじゃないだろうか――遠矢くんを私と知り合わせる代わりに。


「担当のお医者さんも、なんだかえらい人に変わって。受ける治療も、お金がかかりそうなのが増えて……でもお母さんたちが払うお金は変わってないって言うんです。そんなの、おかしい」

「だから遠矢くんが別に払ってるんじゃないかと思ったの?」

「はい。でも、どう考えても高校生のバイトで払えるようなものじゃないと思うんです。だから、何か……悪いことに手を染めてるんじゃないかって……」


 さくらちゃんは思いつめた表情だ。

 きっとずっと気になっていたのだろう。

 とりあえず私は、さくらちゃんの不安を取り除くことにした。


「さくらちゃん、それはないよ」

「どうして言い切れるんですか?」

「ふつう、親が払うより高い金額を子どもが払ったら、病院の人だっておかしく思うでしょう? お母さんたちが知らないなら、本当に治療費は変わってないんだと思うよ」

「でも……」


 私は迷ったけれど、伶のことを言ってしまうことにした。


「私の幼馴染に、ここの関係者がいるんだけど、遠矢くん、その子と仲良くなったみたいなの。その子、すごく気を回す子だから、さくらちゃんのことを知って、勝手に治療を手厚くしちゃったんじゃないかな」


 嘘まみれだ。

 遠矢くんは伶と仲良くなったとは言えないだろうし、伶は『すごく気を回す子』なんかじゃない。

 でも、私がそうだろうと思ったことを伝えるには、状況がややこしすぎた。


「そう……なんですか?」

「たぶんだけどね。私も昔ここに入院してたことがあるんだけど、そのときはもっとすごい部屋に入れられたよ」


 そこでやっと、さくらちゃんの表情が少し緩んだ。


「もっとすごい部屋って、どんなのですか?」

「ここの倍くらいに無駄に広くて、テレビ以外にも暇を潰すものがたくさん置いてあって、なんかナースコールも普通じゃないの」

「ふつうじゃないって?」

「繋がってるところが、普通の人たちとは違うところみたいでね、担当の先生直通だし、押したら10人くらい人がわらわら来るの」


 言い方が面白かったのか、さくらちゃんが笑う。

 私は内心、ほっと息を吐いた。

 伶がやったことで、心労をかけさせるのは申し訳ない。


「だからね、これくらいなんともないよ。私が入院してた時なんて、そんなだったのにタダになっちゃったんだから」

「幼馴染さん効果で?」

「幼馴染効果で」

「それは……すごいですね……」


 目をぱちくりさせるさくらちゃんを見ながら、ここに入院していた時のことを、こんなに明るく話せたことに、自分でも驚く。虚実は入り混じっていたけれど。


 それからも少し、入院していたときの話をしたら、さくらちゃんは完全に納得したみたいだった。


「ありがとうございます、如月さん。ほっとしました」


 さくらちゃんがぺこりと頭を下げる。

 私は慌てて手を横に振った。


「そんな、こっちこそ、幼馴染のせいで、さくらちゃんによくない想像をさせてたみたいでごめんね」


 顔を上げて、さくらちゃんは恥ずかしそうに言う。


「あの、わたしが勘違いしてたの……お兄ちゃんには言わないでください……」

「うん、わかった。内緒だね」


 二人で微笑み合ってすぐ、コンコンとノックの音がした。

 遠矢くんが戻ってきたのだ。


 さくらちゃんが扉の向こうに声をかけるのを聞きながら、私は伶に詳しいことを聞こうと心に決めた。


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