◆過ぎ行く日々


 気付いたらそれは『当たり前』になっていて。

 こんなにも簡単に、人は変化に順応してしまうのだと、どうしようもなく知った。


 止まることのない針の音に、耳を塞いで。


 ……そんなことをしたって、何も変わらないとわかっていたけど。



  * * *



 あの、決定的な変化が訪れた日から、少しずつ、私の日常は変わっていった。


 始めはやっぱり、遠矢くん関係。

 図書館で遠矢くんと会った数日後、遠矢くんは律儀にグリム童話集の1巻目を返すのを教えに来てくれた。

 わざわざ教室まで来たのにはびっくりしたけど……。

 義理堅いというか、真面目というか……ちょっと予想外だった。


 その時に何だか流れで一緒に図書館に行って、ぽつぽつ話したりして。

 それから、たまに顔を合わせては挨拶したり、ちょっと話したりもするようにもなった。

 今までが嘘みたいに、遠矢くんに接触する機会が増えたと思う。

 それは、……どこか不自然な、くらいに。



 次は、夕さん。

 言っても言っても、宮内の邸に寄り付かないことに焦れたのか、それともそれ以外の理由があるのか……。多分、両方だと思うけど。

 夕さんは、暇を見つけては私の家に来るようになった。

 その『暇』は、夕さんの立場的にはなかなか無いものだけど、少なくとも前よりは顔を合わせる頻度は高くなったと思う。



 そして、一番気になるのが、伶。

 まず、学校に出てこないことが増えた。

 元々、宮内の家の都合で休むことはあったけど……そろそろ引き継ぎとかの関係があることを考えても、多すぎる気がする。

 そして、学校で会わない代わりみたいに、夕さんの『診察』に立ち会うようになった。

 伶と夕さんの仲は、正直あんまり良いとは言えない。

 嫌い合ってるわけじゃないけど、お互いにほとんど興味がないんだと思う。

 それなのに一緒に来るのには、何か理由があるとしか思えないんだけど……聞いてもはぐらかされるばっかりで、今もわからないまま。




 そんな変化を日常に変えながら、時間は過ぎて。


 気付けば12月も半ば、期末テストも終わって、終業式を待つだけになっていた。



 昼休み。

 お昼ご飯も食べ終わって、のんびりと本でも読もうかな、と考えたところで、声をかけられた。


「如月」


 振り向けば、そこにいたのは見知った――見慣れてしまった人物で。

 ちょっと前は顔もちゃんと知らなかったのに、と思うと不思議な感じだ。


「遠矢くん。久しぶりだね」

「……そういえば、久しぶりか。テスト期間だったし」


 一瞬きょとんとした顔をした遠矢くんは、すぐに納得したように呟く。

 遠矢くんとは昼休みの図書館でよく顔を合わせてたんだけど、テスト期間に入ってからはほとんど会わなかった。

 約束して会ってたわけじゃないし、テスト勉強とかで忙しいんだろうと思ってたんだけど、その通りだったみたい。


「テスト、どうだった?」

「いくつかは返ってきたけど、まあ、それなり。……如月は?」

「数学と英語がちょっと悪かったかな。国語は我ながら結構いいところいったんだけど」


 だから帳消し、と言うと、遠矢くんは少し笑った。



 ……遠矢くんは『それなり』と言ったけど、実際は『それなり』どころか学年内でトップクラスのはずだ。

 漫画みたいに上位者を張り出すなんてことはしないけど、そういう話はどこからか流れてくる。

 一応進学校なのも関係してるのかもしれない。


 顔すらちゃんと知らなかった時とは違って、今は遠矢くんの存在も、名前もちゃんと認識してる。

 だから、今まで気にも留めなかった噂話なんかも、自然と耳に入るようになった。

 ……人の体っていうのは、本当に都合よく(……とはちょっと違うかもしれない。わかりやすく?)できてると思う。


 うちの学校には、独自の奨学金制度がある。

 噂によれば、遠矢くんはその奨学生らしい。

 ……その話を知った時、私はすとんと納得した。


 その奨学金制度の出資者は、『玖内』。

 伶はきっと、そっちのツテから遠矢くんの情報を知って、何らかの交渉をしたんだろう。

 私と名を交わす、ということと引換に、遠矢くんに何か……利益になるようなことを提示した――そう考えれば、納得がいく。

 その内容はわからないけど、多分、考えとしては間違ってないと思う。



 いくら宮内……『玖内』が社会的に非常識なくらいの影響力を持っていても、何の根回しもなしに一個人について調べるのは難しい、はず。……多分。

 だけど、最初から下地があれば、話は別。

 ある程度の情報が最初にわかっていれば、かかる手間も時間も段違いだろうから。


 ……そもそも、どうして『麗しの君=遠矢くん』だとわかったのか。

 1番の謎で、前提でもあるそれについては、さっぱりわからないけど。


 ……ううん、ひとつだけ。

 ひとつだけ、姿も顔も知らない――その『存在』だけしか知らない人でも、特定できるような力が、伶にはある。


 だけど、それを伶が使うとは思えない。

 だって、リスクが高すぎる。

 『あれ』は、そんなに軽々しく使えるものじゃない。

 たかが『麗しの君』の正体を知るためだけに使うなんて、ありえない。


 ……ありえないと、思うのに。


 完全に否定できない自分がいるのを、私は感じていた。

 あの、何かが変わってしまった伶なら。

 『ありえない』ことをも、やりかねないと……そう、思う。


 予測じゃない。

 理屈なんてない。

 直感も超えた、確信に似た何かとして。

 私はそれを、『知っていた』。




「そういえば……」


 ふと、何か思い出したみたいな仕草をして、遠矢くんは口を開く。


「?」

「冬休み、如月は何か予定あるのか?」

「冬休み?」


 言われて、考えてみる。

 冬休みの予定。

 課題の消化。宮内への新年の挨拶。

 それくらいなような気がする。

 ……ちょっと自分が悲しくなった。


「予定らしい予定は、お正月の挨拶回りくらいかな?」

「そうか。なら……」


 ちょっとだけ、躊躇うみたいな間をおいて。


「いきなりで悪いんだけど、妹に会ってもらえないか」


 …………。


「……え?」


 ほんとにいきなりなことを、遠矢くんは言った。


 遠矢くんには、7つ年下の妹さんがいる。

 会話の端々に出てきていたから、私も存在くらいは知っていた。

 そして同じように、遠矢くん経由で私の存在を知った妹さんが、私に会ってみたいと言った、らしい。

 そしてなかなかに妹に甘い遠矢くんが、私に「妹に会ってもらえないか」と言った、と。

 ……そういう経緯らしいのだけど。


「駄目か?」

「ええと……」


 別に、会えない理由があるわけじゃない。

 特に予定もないし、話を聞いてた限りだと、妹さんが付き合いづらい性格をしているようには思えなかったし。

 でも。


「理由とか、聞いてる?」

「?」

「私に会いたがってる、理由」


 そう、理由。

 たかだか兄との会話にちょっと名前が出たからって、それだけで私に会いたがるとは思えない。

 ……よっぽどインパクトのある名前の出し方だったらわからないけど、そんな珍妙エピソードがあった記憶はないし。

 だから、何か理由……『目的』があるんじゃないかと思ったんだけど。


 ちょっと考えるみたいな間を空けて、遠矢くんは答えた。


「単純に会ってみたいんだと思う。本の趣味が似てることを気にしてたし」


 ……本の趣味?確かに遠矢くんと会うのは図書館が多かったし、借りる本が把握されててもおかしくないけど……。

 本談義もしてたし、たまに貸し借りもしたし、……そういえば妹さんの話聞いたのも本絡みが多いし。


 ……そう考えれば不思議じゃない、かな?


 とりあえず納得したところで、遠矢くんが付け加えるみたいに言う。


「ああ、お礼を言いたいとも言ってた」

「お礼?」

「『本を譲ってもらったこととか、色々』……らしい」


 ……譲ったとかどうとかいうのは、遠矢くんと二回目に会った時のこと、だよね。多分。

 そっちはともかくとして、『色々』が気になる。

 お礼言われるようなこと、思い付かないんだけど……。

 まあ、会えばわかる、よね?


「とりあえず、会うのは別に構わないよ。さっきも言ったけど、休みは基本的に暇してるし」

「……そうか。ありがとう」


 遠矢くんはほっと息をついて、ちょっとはにかむみたいに笑った。

 不意打ちみたいなその表情に、一瞬息が止まる。

 思わず顔を逸らしそうになって、でもなんとか堪えた。

 ……さすがにそれは不自然だし、失礼すぎる。

 気を抜くと顔が赤くなりそうだけど、このタイミングで赤くなるのはいろんな意味で困る。

 視線を外したくてたまらない気持ちを抑えながら、どうにか無難に会話を続けて。


「それじゃ、詳しいことはまた今度」

「うん、わかった」


 そんな感じで遠矢くんと別れたときには、何だか妙に疲れてしまっていた。


 ……笑顔一つでこんなふうになるなんて、恋する女の子は大変だな、なんて。

 ――人事みたいに、そう思った。



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