◆確定された未来の話
先を知って、見守ることを選んだ人。
諦めずに、先を変えるために足掻こうとする人。
そのどちらも、間違ってるとは思わない、けど。
* * *
「で? 俺のやさしーいココロヅカイを無にしやがった件について何か弁解はあるかこの馬鹿が」
宮内が所有する邸の一つに足を踏み入れて、真っ先にかけられたのはそんな言葉だった。
……予想はしてた。予想はしてたけど……なんていうか、予想通りなのがものすごく残念な感じだ。色々な意味で。
ノンブレスでその言葉を放った当人は、不気味なくらいキラキラしい笑顔を浮かべている。
……正直気持ち悪い。
そう感じるのは、私が彼の実態を知っているからだろうけど。
今私の目の前で仁王立ちになって笑顔を浮かべている人物――宮内夕という人は、伶とはまた違った、でも人を惹きつけるのには変わりない、整った顔立ちをしている。
伶が『綺麗』なら、夕さんは『格好いい』だろうか。
年の差もあるんだろうけど、夕さんは伶に比べて大人の男の人っぽい魅力がある……と思う。
色気がある、と言ってしまえば一言だけど。
とにかく、外見だけなら文句のつけようがない人だ。
……外見だけなら。
「…何度も言ってますけど、私のことは、放っておいてくれませんか」
「あぁ?」
飽きるくらい繰り返した台詞を口にしたら、まるでどこかのヤクザみたいな、ドスのきいた声を返された。
笑顔も凄みが増して、迫力満点だ。
美形はどんな顔をしても様になるけど、これはちょっとどうかと思う。
「別に、何が変わるわけでもないでしょう? 絶対必要っていうならともかく、そうじゃないなら放っておいてくれた方が嬉しいです」
正直な気持ちを言ってみる。
だけど、これもまた何度も繰り返した通り、夕さんに鼻で笑われたあげくに却下された。
「ハッ、馬鹿が。寝言は寝て言え」
……馬鹿は、夕さんの方だと思う。
自分に直接関わるんじゃない問題に、わざわざ時間割いてるあたりとか。
別に放っておいても、夕さんに問題はないのに、どうしてか夕さんはそうしてくれない。
伶を使ってまで呼ぶような重要性は、ないと思うんだけど。
「……とりあえず、上がったら……?」
私と夕さんのやりとりを黙って見ていた伶が、ぽつりと言う。
……うん、この上なく正論だ。
確かにこのまま玄関先で続けるのはどうかと思うので、場所を移動することにした。
というか、ここに来させられる原因になったことを済ませることが先だ。ここまで来たなら、抵抗する方が馬鹿らしい。
「夕さん」
呼びかけると、言わずとも察してくれたらしい夕さんが、部屋へと案内してくれた。
連れて行かれたのは、奥まったところにある、この邸にしては小さい座敷だ。
夕さんは大抵はここを選ぶから、結構見慣れた場所でもある。
伶は途中で別れたからいない。
多分、別の部屋に荷物でも置きに行ったんだろう。
用意されていた座布団に腰を下ろして、夕さんと向かい合う。
夕さんはいつも通り、不機嫌そうな無表情。
……だから、苛立つのわかってて、どうして続けようとするんだろう。
私の言い分を無視してまで、どうして。
私には、夕さんの考えがわからない。理解できない。
そしてきっと、夕さんも私の考えがわからないんだろう。
何を考えているか知ってはいるけど、でもわからない。理解できない。
どうして、何故、と聞かれて、私は答えたけど。
それは夕さんには納得しかねる理由だったみたいだから。
私の選択を、夕さんはずっと不満に思ってる。
ずっとずっと、相容れないまま。
私と夕さんは、平行線のままなんだろう。
私は必要ないと言って、夕さんは必要だと言い張って。
邸に寄り付かない私を、夕さんが無理矢理にでも来させようとする。
……不毛な関係だと、しみじみ思う。
目を閉じる。
静かに深呼吸をして、『それ』を待つ。
額に、少し体温の低い手が触れた。
伶も夕さんも、宮内の人の特徴なのか、同じような手をしてる。
すらりとして綺麗な、少しひんやりとした手。
夕さんが触れているところから、体の隅々にまで『何か』が広がる。
温かいような、冷たいようなそれが、私の体を満たしていく。
いつの間にか慣れたその感覚に、複雑な気持ちになって、心の中で溜息をついた。
これが、夕さんが私に定期的に宮内の邸に顔を出すように言う一番の理由。
私にとっては大した意味を感じられない行為だけど、夕さんはそう思っていない。
本当はもっと頻繁に、ちゃんとやりたいみたいだけど、私が拒否した。
……その必要性を、感じなかったから。
長いような短いような時間が過ぎて、『何か』がすうっとひき始めた。
時間を巻き戻すみたいに夕さんの掌が触れている部分に集まって、吸い込まれるように(というか多分、実際吸い込まれてるんだろう)消えていく。
少しの清涼感だけを残して、全ては終わった。
額から手が離れていく。
目を開ければ、難しい顔をした夕さんが見えた。
……何もかも、いつも通り。
きっと、告げられる言葉もまた、変わらないんだろう。
夕さんが深く息を吐いて、そうして口を開く。
「……変化無しだ」
――…ほら、変わらない。
「そうですか」
小さく相槌を打っただけの私に何を思ったのか、ほんの一瞬、夕さんはその整った顔を歪めた。
何か痛みを堪えるような、苦しそうな、そんな表情だった。
それに、ぼんやりと申し訳ない気持ちになる。
私のことで、誰かがそんな顔をするのは見たくない。
でも、どんな反応をすれば良かったのかわからない。
だって、夕さんに何を言っても仕方がないから。
事実を確認しただけの作業に、一体何を思えばいいんだろう。
この夕さんの行為は、言ってみれば『検査』だ。
『診察』と言い換えても良いかもしれない。
病気ではない、だけど私の中に確かにあるという『異常』を診るためのもの。
その『異常』は、宮内の特異性に関わるもので、当事者であるはずの私にはよくわからない。
でも、特にそれで困ったことはない。
だって、最初からそうだったから。
『異常』の存在を教えてくれたのも、それがどういうものか説明してくれたのも、宮内の人達だった。
今でも私は、その『異常』を感じとれない。
病気みたいに、わかりやすい兆候はないから。
だから、夕さんに告げられる結果が全て。
『異常』についてよくわからないままでも、説明はされたから、夕さんの言葉の意味はわかる。理解している。
『変化なし』という結果が――
私の命の期限が、変わっていないということ。
冬が過ぎて、春が来る、それくらいまでしか生きられないということを示すくらいは。
「……終わった?」
伶が襖を開けてひょっこりと顔を出す。
「ンなの見りゃあわかるだろうが」
それに対する夕さんの返答はにべもない。
……まあ、夕さんは大体いつもこんな感じなんだけど。
でも、『あれ』の後は少し、何かをごまかすみたいに荒れた口調で話すから。
……やっぱり、私のせい、なんだろう。
私の命のリミットを知って、一番過剰な反応をしたのは、夕さんだった。
二度と戻らないと公言していた家に戻ってまで、『それ』をどうにかしようとしてくれていることには、きっと感謝しなきゃいけないんだと、思う。
それがたとえ、私の意思を無視したものであったとしても。
いつか夕さんが自分で言ったように、エゴ以外の何物でもなかったとしても。
……それでもきっと、本当は、感謝すべきなんだろう。
だって、そんなことを考える人は、夕さん以外にいないんだから。
「…………よね」
「……え?」
気づいたら伶が目の前で、ちょっと首を傾げて私を見ていた。
何か聞かれたんだろうってことはわかるけど、耳を素通りしてたみたいで内容がわからない。
「聞いてなかった?」
「う、うん……。ごめん」
「今日、泊まってくよね、って、聞いた」
当然のように、伶が言う。
私が頷くことに、何の疑問も持ってないような目をして。
『泊まる』って言ったら、もちろんこの邸にってこと……だよね。
本邸に泊まるよりは、まあハードルは低いけど…できれば遠慮したい。
一時期、宮内の家にお世話になったからわかるけど、私みたいな一般人には分不相応な場所だと思う。
それに、本邸じゃなくても、やっぱりここは『宮内』だから。
……『もしかしたら』を考えるのは、もう止めにしたいから。
「泊まっていけ。……一晩泊まったくらいで、何が変わるわけでもない」
私の思考を断ち切るみたいに響いた声は夕さんのもので。
戸口に手をかけて、背を向けたまま、夕さんは続ける。
「それにどうせ、もう準備は整ってるんだろうが。そこのウスラボケの根回しで」
……ウスラボケって……。
一応血の繋がった弟に、それはどうなんだろう。
まあ、夕さんには今更だけど。悪態をつくのがアイデンティティみたいな人だから。
……って、根回し?
「……伶?」
嫌な予感がする。
……ああ、そうだ。忘れてた。
宮内の邸に行くなら、一番最初に釘を刺さなきゃいけなかったのに――。
「ご飯の用意も、部屋の用意も、出来てるって」
伶の言葉に、もう手遅れだということを悟る。
着いてから頼んだにしては手際が良すぎる。宮内の使用人さんは優秀だから、不可能ではないだろうけど……。
だから、きっと夕さんに連れて来るように言われた後にでも手配していたんだろう。
私は、自分のために費やされた労力を無にして平気な人間じゃない。
それを知ってるからこその、回りくどくて姑息なやり方。
……それにいつも負けちゃう、私も私だけど。
高級料亭もかくや、って感じの夕食を済ませて(夕さんは別だったから伶と二人だけだったのに、ものすごく豪華だった)、与えられた部屋でのんびり宿題をしていたら、不意にノックの音がした。
「……今、いい?」
聞こえてきた伶の声に「いいよ」と返すと、扉がゆっくり開かれた。
「勉強中だった?」
「うん。宿題してた。もう終わるけど」
「なら、終わるの、待っとく」
「そう? ……じゃあ、座って待ってて」
待ってる、って言うならさっさと終わらせてしまおう。
あと1問だから、どうせそんなにはかからないし。
……それにしても、ああやって言うってことは、時間がかかる用事だったりするのかな。
いつもと同じなら、そんなに時間はかからないはずだし……何なんだろう。
そんなことを考えながら数学の応用問題を解いていく。
思ったよりスラスラ解けて、スッキリした気持ちで机の上を片付けて――
振り向いた先の光景に、一瞬固まった。
部屋に備え付けの、向かい合わせになっている一人掛けのソファの片方に、伶が座っている。
それはいい。この部屋での伶の定位置だから。
でも、ソファとソファの間にある小さいテーブル。
その上に所狭しと置かれた、お茶会でも開くのかと聞きたくなるようなお茶菓子の山は……一体何なんだろう。
というかいつの間に用意されたんだろう。
全然気付かなかった。
「伶……それ、何?」
「お菓子。……和菓子が良かった?」
……そういう問題じゃなくて。
「何でそんな大量に用意してるの」
「……久しぶりだからって、張り切りすぎた、みたい?」
「……そ、そう」
この場合の『張り切りすぎた』人は、もちろん伶じゃなくて、夕さんでもない。
この邸の使用人さん……というか料理長さんのことだ。
気の好い人で、和洋中何でもお手の物なすごい人なんだけど……時々限度を忘れるのが玉にキズ。
まあ、作り過ぎても消費できるアテはあるから、いいんだけど……。
「それで、何の用なの?」
「……結果、どうだったのかと思って」
――予想通り。でも、予想外でもある。
『いつも通り』だから、予想通りで予想外。
「夕さんに聞かなかった?」
「ゆうにい、いつもより機嫌悪そうだったから」
機嫌悪そう……って、『あれ』の後はいつもそうだけど、それ以上にってこと……?
それってやっぱり、私のせいで、だよね。
「いつもと同じ。『変化なし』だって」
「……そう」
それだけ言って、伶は黙り込んでしまった。
こういう時の伶は、何を考えてるかわからなくて、ちょっと困る。
「用って、それだけ?」
それにしては居座る気満々に見えるけど……主にお茶の用意とか。
聞くと、伶はふるふると首を振った。
「まだある。……今日のことで」
――『今日のこと』。
そう言われて思い出すのは、ただひとつ。
「……遠矢くんのこと?」
「うん」
頷いて、伶はちょっと目を伏せた。
「……りっかにとっては、余計なことだったかもしれないけど」
……流石の伶でも、それはわかったんだ。
まあ、私も結構露骨な態度とっちゃったし……。
「でも、悪いことしたとは思わない…から、謝らない」
まっすぐに私に向けられた目からは、何の感情も読み取れない。
わかるのは、『何か』を伶が考えて、それに沿って動いた……動いている、ことだけ。
その『考え』が、わからない。伶は、伶だけは、あんなことをしないと思ってたのに。
――伶らしくない。
それが少し、気にかかる。
「俺は、ゆうにいみたいに考えられないけど」
いつもよりゆっくりと、伶は言葉を紡ぐ。
何かを探すみたいに。確かめるみたいに。
「……りっかがいいならいいって、思ってたし……思ってるけど」
ただ私を映す、その瞳が――まるで鏡みたいに思えて。
「このまま終わるのは……何か違う気がして。いけないんじゃって、思って……」
ふいに迷子の子供みたいな顔をして、伶は首を傾げた。
「うまく言えない――よく、わからないけど。きっと、多分、そう……」
私は何も言えない。
できたのは、ただ、伶の瞳を見返すことだけだった。
綺麗で、純粋で、全てを映す――そして何も映さない『はずだった』目を。
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