遊歩道

Tommy

遊歩道

「こういうの、【街をくすぐる午後】、って感じだね」


 何処かで誰かが唄った言葉。

 正直に言えば、意味は分からない。分からないのだが、僕はこのフレーズをとても気に入っていた。


 しかし彼女は、


「それ、少し変じゃない?」


 と。


 え、そうなの、と僕は返したが、何故変なのか、また、何故彼女が少しむすっとした言い方をしたのかも、やはり分からなかった。


 日曜日の昼下がり。


 腹も満たされて、ゆっくりと身を包むような幸福感に口元が緩んだのも仕方がない、と自分を慰める。

だが、彼女は言葉の使用に於けるミスーー国語力というものの無さーーに一々怒るような、難儀な性格ではない、と思った。

 ということは、彼女が(恐らくだが)怒っている原因は、もっと前に起こっていたことになる。


 心当たりは、


 「やっぱり、嫌だった? 今日に家に押しかけたりして」


 これしかない。

 

 青白い空の上に薄い雲が寝転がる、4月の空。

 肌触りのいい空気を浴びながら二人で歩くのも良いものだと思って、メールも入れずに彼女の家へ向かってしまった。

 普通は、ちょっと散歩に行かない? なんていう小洒落た文句を送って、彼女の同意を頂き、やっと行くものなのに。


 ーーいや、待てよ。


 そういえば、家の呼び鈴を押した後、玄関から出てきた彼女は、怒ってはいなかったような気がする。

 呆れたような、それでいて少し恥ずかしいような顔で、今と同じように、


「いきなりどうしたの」


 と言った。


 とにかく可愛いかった。


「いや、なんていうかさ。その、君が、僕に怒ってるように見えてしまったんだ。それで、今日いきなり押しかけたことに怒ってるんじゃないかって」


 僕はおどおどしながら返した。

 だが、かなり、ストレートに返した。


 記憶を辿って、恐らくそのことで怒っている訳ではないとは感じた。

しかし、それ以外に思い当たる節がない。分からない。


 なら、聞くしかないーーそう思い、こうしてはっきり言ったのだが。


 ……やってしまった。


 こういうの、火に油を注ぐって云うんだっけか。

 怒ってる人に、なんで怒ってるの? なんて訊ねたら、より燃え上がるに決まっている。


 僕は、ずっと見つめていたアスファルトから、恐る恐る、僕を睨んでいるであろう彼女に目を移した。


 しかし、見えたのはーー。


「あはっ、あはははっ!」


 彼女の、眩しい笑顔だった。


 もちろん、困惑した。


「え、え? ど、どうしたの?」


 彼女はその細い指で瞼を擦って、


「だって、可笑しいんだもん。どうして、怒ってるって思ったの?」

 

 驚いている僕は逆に訊ねて、


「え、怒ってなかったの?」


「ううん、怒っているのは、合ってる。

 

 でもそれは、あなたよりも、自分に」

 

 彼女は小石を蹴った。


 そしてそのまま、言葉を続けた。


「ごめん、態度に出てしまってたんだね。


 ーーあなたは、私の家に押しかけてしまった、と言ったけれど、

実は、私もしようと思ってたんだ。

 

私が靴紐を結んでいた時にちょうど、あなたがドアをノックしたんだよ」


 彼女ははにかんだ。


「そうだったんだ……でもえーと、それがどうして自分に怒ることに?」


「簡単。


 私の方が、先にノックしたかったんだ。


 もっと早くに、行けばよかった」


 彼女は顔を上に向けて、しかし、目だけはじっと僕の方を見ていた。


 口元はまだ、笑っていた。


「今日はとっても、散歩するには良い日なのにね」


 歩いていた僕たちはいつの間にか、彼女が蹴った小石にまで追い付いていた。


 僕は、石をもう一度蹴り出した。


 小石は軽快に跳ねながら道路へと入っていきーートラックに潰されて、消えた。


「もう一つ、聞いてもいい?」


 「うん。何?」


「どうしてあの言葉を、変だと思ったの?」


 それを聞いて、彼女はくすっ、と声を出した。


「あぁ、それはね、【くすぐる】って言葉に、主語が無いように聞こえたからだよ。

後に続く【午後】が主語でも分からなくはないけれど、それだとどういう意味なのか、イマイチだなって」


「確かに、言われてみれば。


 …………あっ」


「どうしたの?」


「そうだあの言葉、確か『前』があったんだよ。

えーと、それも併せると、


 【赤信号と胸騒ぎが 

         街をくすぐる午後】……」


 僕たちは、驚いた顔を見合わせてーー。





 



 大通りから逸れた市役所前は静閑としている。

 

 改装中のマンションを包むビニールは立ち昇るような波を生んで、けれども音は聞こえない。

 

 ただ、新しい靴が新しいリズムで、僕らの爽やかな笑い声を飾っていた気がする。










 









 そんな4月の空は、ダイヤモンドのように、きらきら輝いていた。

 

 

 

 


 

 

 


 

 


 


 

 


  

 

 

 

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遊歩道 Tommy @20061018

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