エピローグ「Beyond the BLUE」(完)

 それは、目に痛いほどに明るい光が降り注ぐ、きらめくように白く輝く、真夏の浜辺だった。

 水着姿のボクが、波打ち際近くに開かれた赤青白三色のビーチパラソルの側を、本当の何気なにげなしに通りかかった時。


 運命の合言葉あいことばは、ささやかれた。


「あなた……」

「え?」


 大きなビーチチェアに座っていた、白いワンピースの水着を着た少女に、不意に声をかけられたのだ。

 油断しきっていた。突然に背中から心臓を刺されたとさえ思った。

 その場で死んで即座そくざに生き返ってしまうかと思えるくらいの、衝撃しょうげきがあった。


「あなた……死神さんね?」


 瞬間、ボクの心の芯の、その芯の中で、何かが弾け飛んだ。

 今まで忘れていたものを、覚えていてもおおい隠されていたものを、一瞬で暴露ばくろされた。


「……なんで、わかったの?」


 目の前のすべてがはっきりと明るくなり、輪郭りんかくをくっきりと際立たせた。

 魂のきりが、晴れた――。


「あの夕焼けを眺めながら、約束したじゃない」


 見覚えのない彼女が、さえずった。


「あなたと出逢うまで、何回でも、何回でも生まれ変わるって。――約束、忘れちゃった……?」

「忘れてないよ……いや、思い出した。覚えていたことを今、思い出した」


 そうだ。


「約束、忘れてない。覚えている……キミのことを、思い出すって……」


 そうだ。

 ボクはかつて、『死神』と呼ばれていたことがあったんだ。

 はるか、遙か、遠い遠い遠い、遠い昔に。


 もうこよみが追いつかないほどの、遠い昔に。


 どれだけの時がったのかわからない。

 それまで、自分がどんな自分を繰り返してきたのかもわからない。

 ただ、わかるのは。


 ボクが、彼女と、かつて、ったということ。

 そして。

 彼女が、ボクの、めぐり逢うべき人だということ――。


「――あはは……」


 微笑ほほえんだ彼女が立ち上がり、陽光の中にその健やかな姿をさらした。

 瞳の色も、髪の色も、肌の色もあの時の彼女とは違う。

 でも、あの彼女だった。あの微笑みだった。


 まぎれもない、彼女だった。


「ああ……」


 涙が、あふれた。

 ボクの魂が流してきた数え切れない涙の中で、いちばん、熱い涙だった。


 今の今まで、当たり前のように思えていたこの景色が、奇跡の産物のように思える。

 あおい、蒼い空。美しく白い雲。白く歯を立てる波。あおく、碧い海。

 そして、天の頂点で輝く、太陽。


 全てがあの時と変わらない。変わってくれていない。

 人の心と同じように。

 ボクと彼女の心と、魂と、同じように。


「私のこと……どんな女の子だったか、覚えてる?」

「覚えてる」


 キミは……。


「海の家でたくさん食べて、ボクを破産させかけた女の子だ」

「わ。そんな風に覚えてるの?」

「あの時は本当に危なかったんだ……支払った後、財布に札が残らなかったんだから」

「途中で止めればよかったのに」

「最後の食事を幸せそうに食べている女の子を、止める勇気なんてなかったよ」

「もう。他に私で覚えていることはないの?」

「ボクの了解も取らずにキスしてきた。性犯罪だよ」

「時効でしょ?」

「そうだね……」


 ボクは踏み出した。微笑んでいる彼女との距離を、詰めた。

 彼女の目の中で、瞳が涙のスクリーンの向こうに、揺れている。

 その端から、真珠のたまがほろりとこぼれて、流れ落ちた。


「もう、時効だね」


 彼女の手を取り、彼女の肩を抱き、引き寄せて。

 可憐かれんなその唇に、そっと、キスをした。


「あ、兄ちゃんと姉ちゃんがちゅーしてるぞー」

「やめなさいよ、からかうんじゃないわよ」

「僕もちゅーする相手ほしいなー」


 ふたり、目を閉じて唇を合わせている後ろで、子どもたちの声が通り過ぎていく。

 きっと、青いサメの浮き袋とビーチボールを抱えている三人に違いない。

 あとで、混ぜてもらおう。


「あー……私、キスしていいなんて言ってないのに……」


 唇を放してから、彼女はぷうっとほおふくらませて言った。

 その表情が可愛くて、愛おしくて。

 華奢きゃしゃな彼女の体を抱き寄せ、ささやいた。


「キミを追いかけようと一歩を踏み出した時に、ちかったんだ」


 ここはあの夕焼けのあかに染められた、未来のない浜辺じゃない。

 ここには、未来しかないんだ。


「今度は、きっと、きっと、絶対に、絶対に、ボクの方からキミにキスをしようって。

 ……夢、かなった。

 大好きな女の子に、自分からキスをする夢。

 ――ずっと、したいと思っていたんだ。うれしいよ……」

「私も、自分からしたいと思ってたのに」

「前にしたじゃないか。ボクがこの夢をかなえるのに、どれだけ時間をかけたか……ご破算は勘弁だよ……」

「あはは」

「もう、放さない」


 ボクは、彼女を抱きしめた。

 メビウスの輪とメビウスの輪を、鎖としてつなげるように。

 もう、離れない。


「ここからもう、二度と放さない」

「たとえ、死がふたりを分かとうとしても……?」

「させない。もう、ボクたちは」

「……私たちは」

「いっしょ」

「おいおい、あんまり見せつけてくれるなよ」


 横からかけられた声に、見つめ合っていたボクと彼女は振り向いた。

 降り注ぐまぶしい光の中に、水着姿の青年と美女が寄り添うように立っていた。

 魅力的な肢体したいを際立たせる水着を着た美女は、口の端に火がいていないタバコをくわえている。


「声がかけにくいだろうが。ん?」

「あ…………!」


 親しげな笑いかけに、ボクの魂が激しくざわめいた。自然に笑みが弾けるのが、わかった。


「あたしのこと、覚えてるか?」

「――ボクが、心から尊敬している先輩です」


 心が感情という名の炎にあぶられ、けて弾けて――涙が、再びあふれた。


「よし、合格だ」


 美女が、にっこりと笑った。

 あの時とは似ても似つかない姿だったが、あの先輩だった。


「運命っていうのは、収束しゅうそくされるものらしいな」

「……先輩、その方は、ひょっとして」

「お前のおかげだよ。長かったけど、ようやくな……」


 青年が微笑んで、会釈えしゃくしてくれた。

 話に聞いていた通り・・・・・・・・・、優しげでおだやかな青年だった。


 よかった……。

 先輩も、先輩も……。


「せ……せ、先輩……」


 ボクたち四人は、この果てしない航海の末に、たどり着いた。

 めぐり逢った。

 めぐり、逢えたんだ――。


「ボク……ボク、言葉が見つかりません……」


 涙が、止まらない。あの時と違う味の涙が止まらない。


「先輩……知っていますか……。こんな時に、どう言えばいいのか……」

「当然だろ。あたしはお前の先輩なんだ」


 先輩が笑い、青年が微笑み、彼女も笑った。

 ここは、ここは、本当に、本当に素晴らしい世界なんだ――。


「昔からこう言うんだ。こんな時には『めでたし、めでたし』ってな」

「あはは」

「さ、積もる話もあるだろ。行っていいぞ。あたしたちも積もってるからな」

「また、逢えますね?」

「いつでもな」


 ニ、と笑って先輩は青年の手を取り、背を向けた。


「ボクたちも、行こう」

「うん。――ずっと、好きよ」

「ボクもだ」


 ボクと彼女も微笑み合い、手を繋ぎ、夏の陽光の中を潮騒しおさいの歌に包まれながら歩き出した。


 永遠の時の末に、ボクたちは再会した。

 ここから、ふたりの新しい恋が始まるんだ。

 ボクたちは、永久とわに、永遠に恋し合う。


 輪廻りんねと輪廻の輪が接した、この世界で。

 悲しみもあやまちも、嘘も真実も夢も希望も抱きしめた、ボクたちの。

 この美しいメビウスの輪で結ばれ合った、ふたりの、魂と魂の力で――。


《完》

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キミがボクを見つけた夏 -死神少年と短編彼女の恋は、20万秒プラス永遠の2乗- 更科悠乃 @yunosukesarashina

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