第2話 前進

 その予感はすぐに的中することになる。

 それは翌日の授業中のこと。窓際の一番後ろの席にいる円に、その前にいる玲斗が丸くした練り消しを投げ込まれてきた。それを手に取ると脳内に少しのメッセージが聞こえてくる。


『後ろ向いて』


 素直に振り向いた瞬間に、右頬に彼女の人差し指が当たる。それを見て円はくすくすと笑った。


『やめてよ』


 そう言葉を込めて練り消しを返すと、少し間を置いて再びそれが戻ってくる。ため息をつきながらそれを触ると。


『マジで困ったことがあるんだけど』


 それを聞いてぱっと振り返ると、同じように右頬に人差し指。またやられたことで玲斗は顔が熱くなるのを感じた。


『もう振り返らないから』


 そう伝えて、そこから何をされても後ろを見ないと覚悟を決めたものの、彼女からのちょっかいを無視し続けることは出来なかった。


 次は一週間ほどたった体育の時間。その日は雨になったことで男子の体育の授業であるサッカーの授業を室内でやることになり、奥の方を男子が使用し手前で女子がバスケをすることになった。

 そして授業が終わり騒がしくなっている中、玲斗がボールの入ったカゴを押して元の場所に片付けようとしていると、同じく片付けていた円からバスケットボールを投げられる。


『さっきの授業、部活の時とは違ってめっちゃいきいきしてたねっ。まぁ仮にもサッカー部だし、他の子よりも上手いもんねー』

『良いでしょ別に』


 言い当てられて頬に熱が集まってくるのを感じて顔を背ける。送った心の声も動揺して震えていた。


『悪いとは言ってないでしょ。それに、あたしは部活でもさっきみたく自信ありげにプレイした方がいいのになって思うし』

『絶対無理! 下手なのにそんな風にはなれないよ……』


 玲斗はおもいきり頭を左右に振って、渡すまでもなくわかるほど否定を表現。


『えー? 逆に面白いじゃん。あたしが率先していじるからさ、そうしたらすごくウケて雰囲気が良くなるかも』

『それは……』


 彼女の提案に玲斗の心は揺らいだ。しかし、それを行うのには非常に勇気が必要で、簡単に出来るものではなかった。

 その返事を最後に、バスケットボールはカゴの中に入れられてやり取りは終了。体育の道具が多く入れられたその場所にカゴを止めて、二人はその場を後にする。


「ま、考えておいてよ」


 円はそう言い残して、先に帰った集団へ小走りに追いかけて行く。残された玲斗は一人、ゆっくりと歩きながら悩み続けた。


 そして最後に葛藤するきっかけとなった昨日の放課後。その日は部活に行く前の教室で玲斗は円に呼び止められた。


「これ」


 そう言って手渡してきたのは丸いチョコレートのお菓子だった。玲斗はお礼を言って口に運ぼうとすると。


『食べたらあたしの言う事一つ聞いてもらうから』

「っ」


 ぎりぎりの所で手をストップ。そんな様子をニヤニヤと円は眺めていて、ムッとしながらチョコを返した。


『やめてよ』

「ごめん、ごめん。じゃあ次は本当にあげる」

「そ、そう? なら……」


 手のひらに乗せてもらい即座に口に入れる。口内にチョコレートの甘みが広がり、噛むとサクサクと気持の良い感触と音がした。それとほぼ同時に脳内に円のあざ笑うような声が響いた。


『やっぱり、食べたら一つ言う事聞いてもらうね』

「なぁ……ず、ずるいよ!」


 流石の玲斗でも少し大きな発生で抗議する。


「ふふっ、君って本当に面白い。いじりがいがあるよー」


 しかし、円は対照的で楽しげに微笑んだ。それを見て彼は苛立ちを感じつつも、それ以上に自分が人を楽しませているということを嬉しく思っていた。


「ど、どうして……秋野さんは僕に話しかけてくるの?」

「それはねぇ。私の言う事を聞いてくれたら教えるよ」

「な、何?」


 そう玲斗が聞くとニンマリと笑いながら円は課題を告げた。


「昼休みの時間に私に話しかけて。もちろん、コトタマの力は使わずにね」




 玲斗は今までの日々の回想を止めるとゆっくりと目を開ける。しばらく閉じていたからか、緊張が薄れて思考がクリアになっていた。


「ただ、話しかけるだけだ」


 重い一歩を踏みさらに一歩。そこから一気に一列向こうにいる彼女たちの方へ。この状況で話しかけて良いのか、迷惑にならないか、行動を阻害する考えを乗り越えてすぐそこに。

「それで眠ってたらさあいつが――」

「あ、あの……秋野さん、ちょっといい?」


 話しかけると彼女たちの会話が止まる。数秒の無言の間があると緊張の糸がぴんと張り詰める。背を向けていた円が振り返ると、その糸を緩めるような笑顔を見せた。


「うん、いいよ!」


 円が友人たちに断りを入れると、ついてくるよう言ってそのまま教室を出る。玲斗は彼女の背中を追って廊下を進んでく。


「めっちゃ頑張ったじゃん」

「そ、そうかな」


 褒められて素直に喜びを噛み締める。


「って秋野さんどこにいくの?」

「あの倉庫の裏だよ」


 階段を降り昇降口から外に出て真っ直ぐ、始まりの場所に訪れた。そこには人はおらず、古びたボールだけが転がっている。


「ここに来たのはね、告白をするためなんだ」

「こっ……」


 円はくるりとスカートを揺らして振り返り無邪気にそんな一言を発した。それによって、玲斗は殴られたような衝撃を覚えて言葉を失ってしまう。

 混乱する頭で言葉の意図を探っている姿を横目に彼女は話を進める。


「あたしが君に積極的に関わるようになった理由はね、あのボールで想いを知ったからなの」

「想いって……あの時の?」

「そう。それでやっぱり君とあたしは似てるんだなってわかった」


 あの日、コトタマに促されるまま玲斗はボールに込めて彼女にパスした。力がなくても誰かの役に立ちたいと。ただ玲斗は、自分と円が似ているとは到底思えなかった。


「あたしね、中学まで結構強いクラブチームに入っていたの」


 彼女には珍しく俯いて表情に影を落とし、とつとつと語りだす。


「自分は上手いって思っていたんだけど、そこに入って上には上がいるって思い知った。それでもチームに貢献出来るように君がやっているようなこともしながら努力したんだ。けどね、すごく調子が悪い日があって、練習で足を引っ張っちゃって言われたの。お前なんてチームにいらないって」

「秋野さん……」

「それでポッキリ心が折れて辞めた。けど、サッカー自体は好きだから今でもマネージャーをやっているんだけどね」


 玲斗は彼女が作る自嘲気味の微笑に胸が締め付けられた。同時に、自分事としても捉えられて恐ろしく感じて。


「そんな悲しい表情しないで、もう終わったことだから。それにだからこそ君の力になりたいと思ったんだしね」

「力にって……」

「君のことほっとけなかった。もしあたしと同じことになったらどうしようって。だからその前に一つの居場所になれたなって思ったの。それに、関わってみて君って反応とか面白いし、一緒にいて居心地が良かった。それで、色々やってあたしにとって君の存在自体が役に立ってるんだよって、伝えたかったというか。その、なんとなくでも感じて欲しくて」


 彼女は恥ずかしそうに頬を朱に染めた。


「そう、だったんだ」

「まぁ、今までのやり方だと駄目かなと思って、さっきみたいなことをやってもらったんだけどさ。その、やっぱり迷惑だった?」

「……」


 どう応えようか迷っていると脳内に声が響く。


『どうしますか、私の力を使いますか?』


 それに対して玲斗は首を振って一歩彼女に近づいた。


「少し……いや、まぁまぁ面倒だとは思っていたけど、嬉しいと思ってた自分も確かにいて。だからその、ありがとう秋野さん。おかげで一歩進める気がする」


 そう告げて玲斗は柔らかく表情を崩した。それに呼応するように円も安堵の感情を見せる。


「だから、その証としてもっと自信を持ってサッカーするよ。そうしたら、いじってくれるんだよね?」

「もちろんだよ!」


 その返事を聞きとどけてから玲斗は近くに転がっていたボールを手に取った。


『もう私の力は必要ないようですね』

『うん、これからは自分の力だけで頑張るよ』

『頑張ってください、玲斗』


 そのやり取りを最後にコトタマの声が聞こえることはなくなった。玲斗はボールを優しく置いてから円の元に歩き出す。その一歩一歩は力強く踏みしめられていた。

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まるメッセージまる しぐれのりゅうじ @ryuuji7236

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