僕と吃音症と合唱コンクール

マーシー

第1話

———— 吃音症 ————

 

「吃音(きつおん、どもり)は、話し言葉が滑らかに出ない発話障害のひとつです。単に「滑らかに話せない(非流暢:ひりゅうちょう)」と言ってもいろいろな症状がありますが,吃音に特徴的な非流暢には、以下の3つがあります。


音のくりかえし(連発)、例:「か、か、からす」

引き伸ばし(伸発)、例:「かーーらす」

ことばを出せずに間があいてしまう(難発、ブロック)、例:「・・・・からす」

上記のような、発話の流暢性(滑らかさ・リズミカルな流れ)を乱す話し方を吃音と定義しています 」

 ( ICD-10, WHO)


————————————

 


僕——望月 奏音(もちづき かなと)はいつ頃からどもり出したのか、はっきりと覚えていない。

ただ嫌な記憶として残っているのは幼稚園のお遊戯会に出た時のことだ。

自分の出番で舞台の中央まで歩いていき、カッコよくセリフを叫ぶつもりだった。

でもいざ話そうとしたら。自分の喉がどこかに飛んでいったしまったような感覚になり胸がすごく苦しくなったのを覚えている。

結局セリフをちゃんと言えたのか言えなかったのか.....定かではない。


小学生になって自分が頭の中で浮かべている言葉をそのまま出すことすら出来なくなった。

軽いあいさつでさえ「おおお、は、よぅう」「こ、ここ、こん、にち、は...」とどもるようになってしまった。 

「気のせい、気のせい... 緊張してるだけなんだ。落ち着けば大丈夫!」と言い聞かせながら一方で「いつ、治るんだこれ.... もしこのままだったら?」という得体の知れない不安が大きくなった。


子どもは無邪気で——残酷だ。

僕がどもるのを知って同じクラスの子どもは面白がって真似したり、わざと僕に話をさせてどもらせようとした。

「よう!ももも、ちづききき! あれー?おれにもおまえの変な話し方がウツっちゃったじゃん!笑」

「ねえ、今日の日直望月でしょ!起立、礼、着席を練習で言ってみてよ笑 前の時マジで何言ってるか分かんなかったからさー、授業の時間ムダになっちゃうよ?」


こんな風に日々笑いのタネにされてすっかり話す自信を無くしてしまったし、人前で話すのが怖くなった。


吃音症という言葉を知ったのは中学生になる前だ。

両親はいつまでもどもりが治らない僕を心配していた。

おそらく人見知りかあがり症によるものと思っていたんだろう。 

よく「落ち着いて話せば大丈夫だからね」「そういう話し方は相手に失礼でしょう?もっとハキハキと話そうね?」という言葉を受ける度に、「違う!そうじゃないんだ!まるで喉に誰かがイタズラして上手く話せなくしているみたいなんだよ!」と心の中で傷ついていた。


でも一向に治る様子はなく、むしろ時が経つごとに悪化していった僕を見てさすがにおかしいぞという感じで一度病院へ連れていってもらったんだ。





「吃音症ですね」

聞いたことがない単語で医者が何を言っているか理解できなかった。

ただ今まで抱えていた得体の知れない不安が突然正体を表して「やあやあ、こんにちは。気分はどうだい?」と僕に語りかけてくるようだった。


「吃音、いわゆるどもりと一般的に言われていますが、話す際に音や音節、言葉が途切れたり繰り返されたりする言語障害です。

吃音には

音や語の一部を繰り返す状態「連発」、

語の一部が伸びてしまう状態「伸発」、

言葉を発するときに詰まってしまう状態「難発」

といった3つの症状があります。

奏音くんは難発もありますが、特に連発の症状が進行していますね。」


その後も「小学生になる前に発症する場合がほとんど」や「体質的要因(遺伝的要因)の占める割合が8割程度」という話があったが、僕が気にしたのはそこじゃなかった。


「なな、治るんんです、か?」

僕の問いかけに対して医者は一瞬考え込むような素振りをした後にこう返事をした。

「吃音の治療方法は確立していません。ですが有効とされている方法はいくつか存在し、実践することで症状の緩和が可能です。効果には個人差がありますが....」


何とも煮え切らない回答だった。

そこは「はい、治りますので安心してください」と言って欲しかった。


診断を終えた後、僕と両親はお通夜のように暗い雰囲気のまま帰路についた。

母親は家の玄関を開けた時に気まずそうに呟いた。

「ごめんね、奏音.....これから治すために頑張ろうね....」


何がごめんなんだろう。

吃音症と発覚する前まで僕の話し方にイライラして叱っていたこと?

それとも僕みたいな子どもが育ってしまったこと?


その夜ベッドで布団を被りながらひたすら泣いた。

僕は.....僕はやっぱり普通の子どもじゃなかったんだ。





中学生になった僕はどもりを隠すために出来るだけしゃべらないように無口なキャラを演じた。

どうしても話さなければいけない場面では、声を小さくしてどもりが全面に出ないようにボソボソと話した。

そのせいで「あいつ何言ってるか分かんないんだけど」「無口で暗くて気味悪っっ」と周りから煙たがられてしまいクラスで自然に孤立した。


このまま僕は誰とも上手く話せないまま生きていくんだと思った。



そんな鬱屈した日々を過ごし、気づけば僕はもう中学2年生になろうとしていた。

2年生になってクラス替えしても結局何も変わらないだろ。僕はこのままなんだ。


ところが思わぬ転機が訪れた。

父親の仕事の都合で転勤することになり、それまで住んでいた東京から愛知に引越しが決まったのだ。


突然のことにビックリしたが、僕は東京には何の未練もなかった。

学校で友達はおろか、まともに話をしている人もいなかった。

僕がいなくなっったところで誰も悲しまない。


愛知に転校しても何かが変わるとは思えない。

この頃僕はあらゆるものを諦めていた。

諦めるのは楽だ。

何かに挑戦して、失敗して笑われるのが怖いからだ。

どもりと言われるのが本当に怖いんだ。

自分の思う通りに話せない苦しみは自分にしか分からないんだよ。





でも。

新しい土地で過ごしたあの秋、あの合唱コンクールで、あのわずか数分間で、

僕は人生を根底から覆された。


————あのかけがえのない瞬間を僕は一生忘れることはないだろう————



















 

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僕と吃音症と合唱コンクール マーシー @yokida

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