俺の腕はどこに?

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俺の腕はどこに?

 ここはどこかのマンションの屋上、何故ここにいるかは分からない。気ままに街を歩いていたらこんなところに着いていた気がする。

 塗装の剥げたコンクリートの地面に腰を下ろした。何も考えることなく心穏やかに過ごしたい気持ちで、一息ついたところだった。しばらく空を眺めていると、ふと左腕が妙に軽いことに気付いた。俺は右手で体を支えて座っていたから、左手がどうなっているか知らなかった。

 足の方に目を向けると、その先には俺の左腕の肘から先が地面に転がっていた。俺は思わず驚いて声を上げた。恐る恐る近づいて力の入らない自分の左腕を持ってみる。ただ力を抜いた左腕を持つのとは別の、全く新しい感触だった。

 物でもなければ生物でもない何かとしか思えない異様な物体に困惑していた。そっと地面に置きなおし考える。肘の先がない俺の腕は全く痛まないし、血も出ていなくて、落ちた腕からは鮮度を全く感じない。今まで本当に付いていたのか疑うほどだ。


 左腕とにらめっこしているうちに、俺の背後には女の人が来ていた。自分の腕をまじまじと見ていた俺はその存在に気付かずに、肩を掴まれた途端、わっと情けない声を上げてしまった。ワンピース姿のその人はにやにやと、馬鹿を見るかのように笑いながら俺の隣に座る。

「これ君の腕でしょ?」

 その人は俺の左腕に何の疑問も持っていないような顔をしていた。何の躊躇も断りもなしに人差し指をつまんで持ち上げる。ゴム手袋でも扱うかのように左右に揺らしていた。


「そうだよ。でも何でか腕から血が出てないし、少しも痛くないんだ」

「そりゃそうでしょうよ」

 その人は俺が当たり前のことを言ったことにあきれた様子で俺の目の前に寄ってくる。そして右手で持った俺の左腕を元あった場所に持ってきた。俺はその人の雑な治療を馬鹿にするつもりだった。

 取れた腕を戻すだけでくっつくわけがない。しかし、その人は慣れているかのように俺の腕をぐりぐりと押し付け、ものの数秒でくっつけてしまった。


「へ…?なんで…?」

「大事な腕なんだからちゃんと持っときなさいよ。大事な人を守るためについてんでしょ?」

 話がかみ合わない。俺は何で腕がくっついたかというよりも、俺の体がどういう仕組みになっているかが知りたかった。その人は困惑している俺をよそに、立ち上がって俺の前を陣取る。


「何で俺の腕が取れるようになってんの?何で痛くないの?どうやって戻したの?そんで誰?」

「一個一個聞きなさい。私は前島琉夏。琉夏お姉ちゃんと呼びなさい」

 琉夏は偉そうに俺の頭を無造作に撫でた。撫でたというよりも髪をぐしゃぐしゃにするように頭を触られた。俺の腕のことについて知っているらしい。


「いい?はやる気持ちは分かるけど落ち着いて聞きなさい?君はね、ろけっとぱんちが撃てるの。ロボットみたいだね」

 意味が分からなかった。琉夏があまりに真剣な目で話すものだから、俺も話を聞かない訳にはいかず、うんうんと頷く。俺の腕は俺が飛ばしたいとき飛ばすことができるらしい。飛ばすための腕だから外すことができるし、外れても血が出ないし痛くもない。俺の腕に生きている感覚がなかったのは、ロケットになっていたからだった。


「せっかくろけっとぱんち撃てるのに腐らせておくのはもったいない。それは君が使いたいときに使うの。何かを壊したいでもいいし、誰かを倒したいでもいい。だけど一つ注意点があってね」

 琉夏が今までで一番真剣な顔をした。俺は固い表情のまま琉夏の目を見る。


「飛ばしたらまず間違いなく紛失するから、一回きりだと思って使わないとだめだよ」

 俺はいきなり自分の左腕ががらくたのように感じた。一回撃ったらどっかにいってそれからは右腕だけの生活になってしまう。何故俺がそんなリスクを背負ってロケットパンチを撃たなければならないのか。せっかく腐らないロケットになったんだから、そのままパンチなんか腐らせておけばいいのに。俺はあからさまにため息をついた。


「…なんで落ち込んでんの?かっこいいじゃん!」

 琉夏は自分のものでもないのに、俺の腕に興奮している。きっと人の気も知れずに、撃ってみてよとか軽々しく言うんだろう。

「一回撃ったら右手だけになるっていうのに誰が撃つのさ」

「ロマンじゃん!必殺一撃のリスクは男のロマンじゃん!」

 まるで漫画に感化された男子小学生のように騒いでいた。琉夏は俺のあきれた様子を見て、また俺の隣に座った。


「まあまあ、使えなんて言ってないじゃん?せっかくこんな高いところにいるんだから使うところがないか探してみようよ。暇でしょ?」

 俺は琉夏に連れられて屋上の端まで来た。ここが何階建てかなんて知らなかったから、腰が抜けるかと思った。20階以上はあり、駅近のマンションというよりも市街地のビルだった。

「なあここどこなの?」

「あんたどうやってここに来たのよ」

 琉夏に呆れられてどこか悔しい思いをしていると、俺の肩を掴んでその場に座らせた。琉夏は肩に掛けたバッグから望遠鏡を二つ取り出し、一つを俺に渡す。


「さあ!これで色んなとこ見てみよう!あ、パンチしたかったらいつでもしていいからね」

「しねぇよ、だいたいパンチの方法も教えてもらってないし。ロケットランチャーみたいにスコープとか照準とかついてないわけ?」

「注文多いなあ、そんなのついてたらロマンに欠けるでしょうが。当てると本気で思ったら当たるの」

 最後は根性論で締めくくるあたり、琉夏の性格が大体分かってきた。


 俺は琉夏と指示をしあって街の色んな景色を見ていた。真向いのオフィスビルの中、車で混雑した交差点とか、流行りのお店でスイーツを買う女子高生とか。誰か困っている人がいないか探していた。

「あ、ハンバーガー屋のとこの交差点にいるサラリーマン。見える?」

「見えるよ。ハゲに怒られてる若い人でしょ」

「なんか困ってそうだねぇ。社会人は大変なのかなぁ」

「琉夏は働いてないの?」

「まあ無職みたいなもんよ、せめて琉夏ちゃんって呼びなさい」

 俺は琉夏に背中を叩かれた。冗談じゃない。こんな高いところで背中を叩くなんて気でも狂ってるんじゃないのか。


「ほら、ろけっとぱんち。撃ってあげないの?」

「撃たない。知らない人のために使いたくないし。それにハゲてない方が悪いかもしれないでしょ。仕事できなくて怒られてるなら仕方ないんじゃない?」

「厳しいなぁ、まだ小学生でしょ」

「無職が言わないでよ」


「じゃああれは?」

 琉夏は望遠鏡を外して交差点を指差した。そこには点滅している信号を渡っているお婆さんの姿があった。信号を渡り切るのに間に合わなさそうだった。もう赤に変わろうとしているのにまだ半分もある。

「あれをどうやってロケットパンチで助けるの?」

「そりゃ何かを吹っ飛ばすしかないんだから、車を蹴散らそうよ」

「お婆さんが死んでしまうわ」

 琉夏は俺の背中を叩いて大笑いしている。いい加減にしてほしい。ここから落ちたらどうしてくれるんだ。信号を渡り切れないお婆さんは見かねた男の人が助けに来た。俺がわざわざ腕を犠牲にする必要もない。


「ん~、なかなか撃たないね」

「当たり前だろ、俺の大切な腕だぞ」

 琉夏と一緒に街の色々な場所で困っている人を見て、自分の腕と照らし合わせては、撃つのを止めていた。命に関わりそうな事故の現場を目の当たりにしても、俺の腕は動かなかった。女の人が道路の端で轢かれそうになっていたのに、自分の腕を失うことを考えたらどうしても撃てなかった。

 琉夏はそんな臆病者の俺を見ても、何も言わず少しも笑わなかった。あくまで撃つかどうかは俺に決めさせようという魂胆なのか。


「ねえ、もし琉夏だったらさ、どういうときに自分の腕を撃てる?」

 琉夏は双眼鏡から視線を外し、不思議そうな顔で俺を見た。

「私は…そうだなぁ。家族のためなら撃てるかな?」

「家族って誰?お母さんとか?」

「そうだね。お母さんとかお父さんとか、じいちゃんばあちゃん、姉妹、兄弟。自分が大切だと思った人になら、腕でも足でも何でも犠牲にできる」

「俺もそうかもしれない。簡単には自分の腕は差し出せないよ」

「じゃあ私のためには撃ってくれる?」

「やだ」

「なんでよ~、こんなに親切にしてやってるのにぃ…さては照れ屋だな?」

 琉夏は俺の背中を叩いて、笑ったまま後ろに倒れこんだ。随分と楽しそうな顔をしていた。俺はちっとも楽しくない。そんな強がりじゃ誤魔化せないくらいに、俺も笑ってしまっていた。


「さっきから背中叩くなって!落ちたらどうすんのさ」

「そのときは一緒に落ちてあげるよ~、ただ落ちるだけだけど」

 琉夏は勢いよく起き上がって、また望遠鏡を覗いた。俺もそれに続いて、困っている人がいないか探していた。

「私、自分の子供のためになら何だってできると思うな」

「なんだよ急に。子供いるの?」

「まだ20歳なんですけど。将来の話だよ、将来」

「でもさ、命懸けて子供を産んで死んじゃう人もいるわけでしょ?その人は子供のために誰よりも体を張ったと思うんだけどさ、生まれた子供は何も実感ないわけじゃん。夫が再婚とかしたら産みの親の印象って薄くなっちゃうのかな~って」


「そんなことないよ」

「俺のお母さんは俺を産んでからすぐに死んじゃったけど、俺は自分のお母さんに感謝しているし、お墓参りにだってちゃんと行ってる」

 俺は写真もまともに見たことのないお母さんのことを大切に思っている。お父さんはお酒に酔ったときしかお母さんのことを話さないけど、きっと良い人だったんだと思う。


「そっか。じゃあ天国に向かって撃っちゃいなよ」

「いや、それじゃお母さんが」

 しんみりとした俺のことを茶化す琉夏。そんな琉夏に文句の一つでも言ってやろうかと思っていたら、視界の端に見知った顔が映った。

 街中を一人で歩いている。カラオケ店とカフェを通り過ぎ、路地を渡ろうとしていた。その先からは中型のトラックが迫っている。その小さい体はトラックの運転手が一瞬目を離せば、死界に入ってしまう。俺の頭の中に選択肢はなかった。


 一呼吸置く間もなく、右手で左腕を前方にかざして前触れなく発射した。俺の腕は炎が出ていると思うほどに熱く、本物のロケットランチャーのような轟音が鳴り響いた。琉夏は俺の咄嗟な行動に唖然としていたが、すぐにその視線は俺の左腕を追いかける。

「君の左腕は君が助けたいという想いによって形を変える」

 俺の左腕はその速度を保ったままどんどん形を変えて大きくなっていく。そのうち人の姿を作り出し、俺と全く同じ姿になった。俺は瞬く間にトラックの元まで行き、俺よりも少し小さい体を抱きかかえた。そのまま歩道まで跳んだが、トラックからは到底逃れられない。このままでは轢かれてしまう。


 俺は即座に右腕をトラックの方向に伸ばした。

 しかしそれよりも先に俺の右から轟音とともに何かが飛んだ。琉夏の方を見ると肘から先のない左腕をトラックに向かって伸ばしている。

「あんた両腕使おうとしたでしょ…決断するの早すぎ」

「琉夏の腕は…?」

「いいからあっちを見て」

 琉夏が指差す方を見ると、その腕は大きくなることなく、その形を保ったままトラックへと一直線に飛んでいく。それはトラックのフレームに着弾すると、車体の軌道を変えた。トラックが影になり、様子が分からない。


「なんとかなったかな…」

「大丈夫だよ、女の子を運んでトラックもずらせたなら助かってるはず」

 俺は左腕が急に軽く感じた。実際に腕を失うとちょっとショックだった。先のない肘を持って途方に暮れていた俺を見て、なぜか琉夏は少し嬉しそうだった。


「腕無くなったのショック?」

「ちょっとショック。だけど人助けに使えたからもう何でもいいや」

「そ~、あの子は誰?知ってる子?」

「同じクラスの友達」

「へ~…好きなの?」

「少し」

「はっきり言いなよ~お姉ちゃんは馬鹿にしないよ~?」

 俺のことを小馬鹿にしようとしているのはもう分かっていた。俺は話を逸らすために琉夏の腕を見る。


「それよりも腕。琉夏も飛ばせたんだ。使ってよかったの?」

「だって私が撃たないとあんた両腕使ってたじゃん。流石に私も後味悪いな~と思って。それに私は大切な人のためなら何でもできるって言ったでしょ?」

「俺が跳んで避けるだけじゃ足りなかったから…必死だったんだよ」

「なに~?その子のこと大好きじゃん」

 琉夏がしれっと俺のことを大切だと言ったのは、聞こえなかったふりをした。自分の力だけじゃ救えなかった不甲斐なさと、強がったせいで感謝の一言が言えない悔しさ。それでも琉夏は俺に何も求めなかった。

 俺と琉夏は一仕事を終えた開放感からその場に仰向けに倒れる。俺の晴れない心とは反対に、空は嫌と言うほど快晴だった。


「あ~あ、これから片手で生活だね。どうする?」

「どうするって頑張るしかないでしょ。幸いお互い右手は残ってるんだし」

「そうだねぇ」

 琉夏は体を起こし、俺の腕を引っ張って無理やり起こす。

「同じ腕を失ったら、普通に手を繋ぐことはできない。けど他に何でもできるよ。今みたいに上手くいったときにするハイタッチ。仲直りの握手。約束の指切り」

 琉夏は俺の手を使って、言ったことを全てやって見せた。小指を重ねたまま俺の目を見つめている。


「お姉ちゃんと約束して?これからもその子を助けてあげること。決して自分を曲げないこと。お姉ちゃんとの約束を忘れないこと」

「多いから覚えてられるか分かんない」

「琉威なら大丈夫だよ。そう信じてる」

 俺は思わず顔を上げて、琉夏の顔を見た。

「何その驚いた顔」

 琉夏は俺の顔を見て笑いながら、頭をぐしゃぐしゃに撫でた。


「片腕さえあれば琉威の頭もいっぱい撫でられるからね~」

「やめろ!撫でる強さじゃない!」

「やめませ~ん」

 俺はもう琉夏に頭を撫でられても全く嫌な気はしなかった。俺のために自分を削って助けてくれた恩人。そんな大事な人がどこかに行ってしまうんじゃないかと、そう感じ始めていた。


「琉威なら大丈夫!隻腕ってカッコいいから!」

「本当に根拠ないな」

「根拠がないものは決まってカッコいいんだよ」


「それじゃあね、琉威。私は見ているよ」

「なあ最後にさ、琉夏は何で俺に腕を差し出せるんだ?それだけ教えてほしい。」

 琉夏は少し悩むような素振りを見せたが、すぐに俺に向き直った。


「それはお父さんに聞いてみなよ。じゃあね」

 琉夏は最後まで笑っていた。




 お父さんが話す声が聞こえる。スピーカーの電話口からはおじいちゃんの心配そうな声が聞こえた。目を覚ますと天井は真っ白で、背中はふかふかなベッドに預けられていた。左腕には包帯が巻かれていて、予想したように軽い。

 俺が腕を見るために顔を動かすと、それに気づいたお父さんが駆け寄ってきた。


「琉威!大丈夫か!」

「うん、優奈は?」

「かすり傷くらいで済んだ。お前のおかげだな」

お父さんは俺の視線に気付くと、とても残念そうな顔をしていた。


「琉威…残念なことなんだけどな…お前はトラックとの接触を避けきれずにその衝撃で左腕は…」

「あぁ、まあ右腕あればなんとかなるよ」

「軽~~~漫画の主人公かなんかなの?」

「あ、そうだ。突然なんだけどさお母さんの旧姓って何?」

お父さんは不意を突かれたような顔をして、俺の方に向き直った。

「お母さん?前島だけど、何でそんなこと聞くんだ?」

「さあ?お母さんに聞きなよ」

「なんかいじわるだな!お前!頭でも打ったか…?」


「まあいいや。優奈ちゃんにはお前の腕のこと言ってないからな。ショック受けちゃったら困るから内緒で」

「もう遅いよ」

病室の扉が開いていた。その先には俺の腕を見つめて呆然とする優奈。


「琉威ごめん…私を助けたせいで…ごめんなさい」

今にも泣きそうな声で俯いた優奈。俺はそんな優奈に何を言うかなんてとっくのとうに決めていた。


「なんだこの腕のこと?大丈夫だよこれは…」

琉夏が笑ってくれているような気がして、思わず俺も笑ってしまう。




「ロケットパンチしたら無くしちゃったんだ」

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