第4章

 「ふうっ……」


 時は前期中間試験最終日。たった今、最後の教科が終わったところだ。

 小さく伸びをして周りを見ると、誰もが疲れた表情をしながらも、どこまでも青い空と海を背に、その目を輝かせていた。


「はーっ、やっと終わったー!」

「ねみぃ、さっさと帰って寝よう……」

「ね、このあとどっか行く?」

「おい、ついに夏休みだぞ……!」


 いつだって学生には、試験という壁が待ち受けている。その壁をどうにかして乗り越えた直後、気が緩むのは当然なのかもしれない。あまつさえ、夏休みという」希望の光をちらつかされていたのだから。

 かく言う僕は、そんな彼らを(文字通り)陰から眺めているだけだ。どこか、蔑んだ目で。

 彼らを見るたびに思う。やはり自分は異質な存在なんだと。体だけでなく、心まで「日食病」に巣食われているのだと。そんな自分を変えてくれる何かが現れることは、この先ないのだろう。いつだって僕の心には、濃く分厚い雲がかかっている。

 さっさと帰ろうと立ち上がり、教室の後ろのドアに足を向けたとき。真後ろの席の明斗は、誰かとお喋りに興じることなく机に突っ伏していた。

 ……なんとなく、声をかけてあげたほうがいい気がする。


「あの、明斗、どうしたの?」


 明斗がこんな風に、目に見えて落ち込んでいるのは珍しい。それほど試験ができなかったのか。少し心配になる。

 明斗がゆっくりと顔を上げた。その目は、悲しみというより後悔を帯びている。


「あぁ、涼太。……あの、実は俺さ」


 いつもの半分にも満たないトーンで言う。どうやら話を聞いてあげたほうがよさそうだ。


「俺……、山瀬のことが、好きなんだよ」


 前言撤回。このやり取りをなかったことにして、足早に立ち去ろうとする。

 他人の恋路に興味はない。そういった感情を誰かに向けたことも、向けられてこともないからだ。


「少し話、聞いてくれよ」


はぁ……。何やら面倒な相談がありそうだ。

でも、唯一の友人の頼みを無下にすることはできない。もし無視したら、おそらく明斗は一人で腐っていってしまうだろう。

 仕方なく、席に着く。

明斗は小さく息を吸って、吐いた。


「だから俺、山瀬のことが好きなんだよ。ずっと目で追っちまうんだ。入学した時から。そんで、最近ようやく決心がついて、昨日帰るときに告白してさ。そしたら」

「そしたら?」


適当に相槌を打つ。

そんな僕を気にせず、明斗は感情が最高潮に達したようで、両手でバッと顔を覆った。


「『ごめんだけど、だれかな?』って」

 

 それで落ち込んでいたのか。明斗にしてみれば、興味がないどころか、自分の存在を知られていなかったのだから。


「俺、そんなに地味で魅力ない!? それとも俺が嫌いで嘘ついたの!?」

 

いきなり立ち上がり、早口で言う。そんな明斗の目からは、今にも涙が溢れ出そうだ。


「落ち着いて、明斗……。別に、断られたわけじゃないんでしょ? なら、目に入るために頑張って、もう一度伝えれば」


こういう時、なんて声をかけるのが正解なのかは知らないけど、とりあえず無難だと思われる言葉を選んだ。

 しかし、明斗が気を戻すことはなく、その目には先ほどとは違って後悔が宿っていた。


「それはそうなんだよ。でも俺、そんとき言っちまったんだ。『なら、夏休みにでもどっか遊びに行かない?』って……。よく考えたら、付き合ってない男女が二人きりで出かけるとか気まずすぎて無理だろ!」


 そういうものなのだろうか。僕にはわからない。


「だからさ」


――嫌な予感がする。


「俺が山瀬と遊ぶとき、一緒に来てくれないか?」


 そんなことだろうと、思った。その頼みを受け入れることは、僕にはできない。


「いや、僕がいたら色々と迷惑だよ」


 その言葉は嘘ではないが、本心でもない。誰かと遊ぶのに「日食病」の自分がいたら、明斗に迷惑がかかるのは目に見えている。でも、その心配よりも、他人とかかわりたくないという気持ちのほうが大きい。

 僕はどんな時も一人で生きてきた。他人とかかわろうとすらせず、ただ下を向いてきた。その過程で、人との触れ合いや会話の価値を忘れてしまった――いや、そもそも知ることがなかった。


「迷惑なわけあるかよ」

「え?」


俯いた顔を戻したら、いつになく真剣な、明斗の顔があった。


「友達が一緒にいて、迷惑なわけないだろ。むしろ隣にいてくれるだけでありがたいんだよ。病気も容姿も性格も関係ない。涼太のことを迷惑がるやつがいたら、それが涼太自身でも俺が許さない」


明斗の呟きは、いつの間にか誰もいなくなっていた教室で、窓の外の喧騒にかき消されることなく僕の耳に届いた。


「……うん」


 信じられなかった。明斗は僕のことを、はっきりと友達と言った。

 その言葉の根底にあるのは、「友達」に対する無条件の信頼だ。

こんな僕を「友達」と認められるわけがないのに。


「明斗は、『日食病』の僕を認められるの?」

「当たり前だろ、友達だからな」


 柄にもなく、心を動かされてしまった。

 いつの日か見失った、凍てついた心。それが、どこかで少し溶けたような気がした。


「分かった。行くよ」

「ほんとか!?」


 明斗の顔が、パアッと明るくなっていく。

本当は、明斗に友達と認められてもなお、他人とかかわりたくないという気持ちのほうが大きかった。

 『日食病』の僕は、これからも一人で生きていくべきだ。

 迷惑をかけないことが義務なのだ。



 ――でも。変えられるのなら、変えたいと思ってしまった。後悔することもなく、希望を抱くこともない、冷めたこの人生を。

 そんな身の丈に合わない願いで、彼の頼みを受け入れてしまった。


「ありがとう、涼太! じゃあ、山瀬に伝えとくな」


 僕の手をつかんで、ぶんぶんと振ってからスマホを取り出す。


「『俺、友達一人連れてっていい?』っと。これ、涼太って名前伝えたほうがいいのか?」

 ピロン。

「うわ、もう返信きた! なになに、『私も友達連れて行っていい?』」


 明斗が僕のほうを見てくる。なぜ僕に許可を求めるのか分からない。


「いいよ」


 僕の了承を得て、すぐに返信を打つ。


「『もちろん。喜んで』っと」


 全然そんなことは言ってない。まあ、訂正するほどのことでもないか。


「涼太、ほんとありがとな。夏休みのことはまた今度連絡するから、じゃあな!」


 そう言って明斗は、教室から走って出て行った。

 一人になった教室で、ぽつりと呟く。


「友達に、夏休みか……」


 感じたことないこの気持ちの名前は、なんなんだろう。


「今年の夏は、騒がしくなりそうだなぁ」


 窓の外に目をやる。

 空が蒼く見えた。


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あの月の夜、君に逢えたから。 @KutsuzawaSota

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