★ 狛守さんと鼬くん:後編

犬神の束が共にいれば、どこへでも紹は闊歩出来る。

束が一緒であれば、紹は広い束の縄張りのどこへでも行く事が出来るのだ。

しかし紹は人を見る事が出来ても、人は紹を見つけることは出来ないし、紹は人もも触られない。

世界に触れれば弾かれ、知り合いを見つけても話しかける事も出来ない。

束がともにいて歩く事が出来ようと、紹は誰にも会えないも同然なのだ。

それでは結局、誰に出会えても虚しさを感じるのだろうと、紹を泣かせたくない束はこれを教えなかった。

もう自分はこの世界にいないのだと、もう人の世界に足を踏み入れる事が出来ないと言う気持ちをの者たちは本当のところで理解はできない。同じ気持ちになれない。

何せ彼らの世界はなのだし、むしろ誰にでも見れていたら大変だろう。とくに今の世では。

人に見えなくとも話せなくとも、彼らはそれが普通だから気にもしない。紹のようにそれを実感し泣く事もなければ傷つく事もない。

年が経つにつれ、いつか紹に束と一緒であれば外に行けると教える事はあるだろう。

が、今はまだ時期尚早というそれだ。

紹の心が折れてしまう。

束は勿論、この山で紹を犬神の妻と慕う彼らにとって、今紹にこの件を教えるなんてそんな事は、すべきではない事なのだ。


「昔の世であれば、僅かばかりの人間が紹の姿を見て取れたかもしれぬが、今はもう無理であろう。人と私ら、暮らす世界が随分遠く離れおった」


懐かしそうに遠くを見つめる束の目には、森の木々の間からも見える高層マンションだ。

「この山の木々の背が低い頃は、街の建物も随分と低う、建物の材質も全くと違ごうございましたなあ」

「年寄りじみた事を」

「いやはや犬神様、実際人からすれば年寄りでございます」

「くくくく、正しくは化け物だろうて」

「これはまた。犬神様は神様、化け物はこちらでございますよ。なにぶん我々は妖と、犬神様は神様と呼ばれておりましたからな」

「さてなぁ」

腕を組む束の視界に金色の耳が見え、リンリンと鈴の音が耳に入る。

今山に響くのこの鈴は、紹が、自分にすっかり懐いてくれた鼬に贈ったものだ。

束から「ここにあるものは、紹の好きに使って構わぬ」と言われていた、衣装や本や装飾品が収められていた小部屋で、たまたま紹が見つけた可愛い鈴。

これは鼬に似合うのではないか、と紹は鼬が肩からたすき掛けにしている布飾りに縫い付けたものだ。

鼬は飛び跳ね喜び自慢して回り、最後には嬉しいと泣いて、一生肌身離さず持ってると紹に言っては驚かれ、束には「おいら、おいらお宝ができたよ!」と言って微笑まれた。

鼬は言葉通り毎日身につけ、暇があれば鈴を磨いてピカピカにしている。


「奥方様、おいら明日くるみを割る手伝いするんだ」

「へえ。お手伝いなんて、偉いね」

「えへへ。でも、狸たちが悪いんだ!あいつらどっかからこーんなに、いんや、これよりもっと毎日毎日持ってきて。持ってくるだけでなんもしねえ。早く片せって、厨がくるみで埋まるってギンが怒鳴って怖くてならねえ。おいらまで怒るんだ」

「あはははは」

「笑い事じゃねぇよぉ、ひどいんだあ。おいらは関係ないのに怒られてるんだよ?」

「俺も手伝うし、狸みんなにも力を借りて早く終わらせて、明日は川に釣りに出かけよう?」

「ほんと?ほんとにほんと?やったあ!」


鈴の音と共に会話も聞こえるようになり、黒烏は隣で腕を組んだままの束を見上げた。

束の赤い目が優しそうな雰囲気に変わり、本当に紹の事を大切にしようとしているのだと改めて黒烏の心にも届く。

この気持ちの、なんと暖かく、優しい事か。


「あ、束様」

「犬神様!奥方様とおいら、約束したんだ!明日くるみを割って、そンで釣りに行っても怒らねえですか?」


束の姿を見て声をあげた紹。それにハッとして紹と繋いでいた手を離した鼬は、転がるように走って束の前に立つと伺うように問う。

おずおずと見上げる二足歩行の鼬が可愛いと、紹はなんだか自然と笑みがこぼれる。

「釣りに行ったら、だめ?」

「ははは、構わん構わん。行って参れ。十分気をつけて行くといい」

産まれてからの年齢としては紹が腰を抜かすほどだが、ではとにかくまだ子供の鼬。実は束も彼にはどこか甘い。

「やった!」

鼬はぴょんぴょんと跳ねてはしゃぎ、喜び溢れて黒烏に飛びついた鼬は真っ黒な羽に顔を埋める。

黒と金が綺麗で紹は目を逸らせず、じっと見つめてしまう。

そうしてしばらく見ているとまるで、親に甘える子供と呆れつつも受け入れる親にも見えるその光景に、紹はますます微笑んでしまう。

「しかしキン、私の肴になるようなものをきちんと釣り上げて参れよ?」

埋めていた顔を鼬はあげると、また束の足元にまとわりつく。

「勿論です!勿論です!」

「お前の勿論は、なかなかどうして、常にあてにならぬからのう」

「犬神様、今度は本当だよ!」

「いつもそう言うであろう?」

「奥方様もいればおいら、きっとちゃんとできるさ。できるってば!」

「ははははは、“きっとちゃんと”か。これはいい」

そんな光景に紹は

(もしかして、いつかむかしはこんな風に、束様は自身の子供と話をした日があったのだろうか)

と思う。

(自分では、そもそも女でももう産めないけれど、束様は意外とだったのかもしれない)

なんて紹は心にとどめ、乱れた羽毛を嘴で整える黒烏の隣に立つとその乱れた場所をそっと指で整えた。


そんな風にいつか、定めも愛おしいと感じるように。そしてこの心に残るさまざまな気持ちが整えれる日が来る事を思いながら。

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state of grace あこ @aco826

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