終節 帰ってきた

 導かれるようにこの場所に来て、流されるようにこのスーツに身を包んだ…正直な話そこまでいい気分でもない。結局父親は帰ってこないし、敵は増えることが決まっている。思いのほかヒーローとしての初陣は絶望的なようで、さっき食べたサンドウィッチが心なしかキツくなってきた。地下室から戻ると外は日が傾きかけていて西日がオレンジと藍色で端正なグラデーションを描いていた。オジさんは店をもう閉めていて、幸い誰からもこの姿は発見されなかった。オジさんはスーツを見るなりどこか感慨深そうに舐めまわすように見てきた。そんなに見るものじゃない気もするが。「だいぶあいつに似てるな…似合ってるよ」

「オジさん…それだけ眺めて出た感想がそれかよ…もっとこうなんかあるだろ…」

「なんだと」

などと談笑していると鈍い音とともに空間が振動する。駅の方から悲鳴が聞こえ始める。敵はどうやら談笑する時間すらくれないそうで。急がなければならない。


「行ってきます」

「無事で帰ってこい」


 夕焼けのグラデーションに影を落とす。帰るカラスと反対へ急ぐ。響くのは怒号、悲鳴、サイレン。あの日と違うのは空の色だけだった。だからこれから変えに行くんだ。今度は私が誰かを守る番だと。


 駅の前、最終決戦跡地にそれはあった。空間にできたヒビからそいつらが出てくる。逃げ遅れた人々が固まって動けないでいる。私も怖い。どうしようもなく足がいうことを聞きそうにない。だが私はあの時の私とは違う。何もできず助けられる側だった私とは。違う。


 上空より奴らの前に立ちはだかる。あの時父親でありヒーローだったあの男がしたように。だれかを守るために、腰を落とす。相手に視線を合わせ。構える。心臓の鼓動がうるさい。血管をめぐる血液がうるさい今にも逃げ出したいほどに怖い。恐ろしい


 その場は静まり返っていた。かつて町を襲った怪人が再び襲来した事実に恐怖してか…否、それだけではない。かつて消えたと思っていたヒーローが目の前に帰ってきたからである。人々は口々に言う「帰ってきた」「帰ってきたぞ」「俺たちのヒーローが」「かえってきた」と。


 期待が重くのしかかる。しかしそんなものを気にする余裕などなく、目の前に相対している敵に意識を集中させるのがやっとである。互いに間合いを図る。ジリッ!という足をする音がこだまする。刹那、眼前の敵はヒビの中に引いていった。が悪夢が現実にやってきたのではないかと思うほど恐ろしくなった。行方不明だった本物のヒーローが殺気を放ちやってきたのだ。


 見覚えのあるスーツに一瞬安堵してしまった、それが自分の命を脅かすとも知らずに。次の瞬間には懐に踏み込まれていた。いや視線は宙を舞っていた。脳は理解を拒み、鋭い痛みが後から走る。急いで体勢を立て直し、ガードに切り替える。重心を落とし相手を眼前に据える。間合いに入った瞬間互いに拳が振るわれる。がしかし経験の差だろうか僅か遅れた私の拳は図らずも相手の拳の機動をずらしたのみとなった。しかし彼の姿をしたそれは私の腕をつかみ一回転させた。背中に鋭い痛みが走り呼吸が困難になる。休む暇などない。力を振り絞り起きる反動で相手に飛びつく。それは一瞬よろけて後退した。その隙を逃さず拳を振るう。それの頭部に確実に拳が入った、しかし攻撃が通った瞬間奴の右足が私の脇腹をえぐった。横数メートル吹き飛ばされる。「ぐあぁッ!」鈍い声が漏れた。勇気を振り絞らんと決意し固く閉じていた口が開かれた。一瞬奴の動きが止まった気がした。が思考を巡らせるほどの猶予はない。立ち上がりまた腰を落とす。絶対に奴を倒すという覚悟をもって立っている。最初の震えていた自分はもういない。今ここにいるのは誰かを守らんとするヒーローなのだと、自分に言い聞かせる。互いに踏み込み、拳を交わす。スーツが擦れ火花が散る。互いのマスクにヒビが入る。周囲は依然として静かだ。炎の臭い、人々の視線、瓦礫の山。まるで最終決戦である。再度互いに踏み込む。拳を交わし火花を散らす。空いたボディに蹴りを入れ、互いの体力を削ってゆく。ただただ悲惨だった。なぜヒーロー同士で争っているのか、誰もがこの戦いの行く末を注目していた。拳をひねり、相手を見据える。これで終わらせる。踏み込み、振るう。互いに踏み込み、振るう。


マスクが割れた。


 その顔は写真で見た父親そのものだった。目に生気が宿っていないこと以外は。それいや、彼はその場に膝をついた。私も限界だった。互いに膝をついた。その時耳元で彼はささやいた。


「お・・・おき・・く・・なっ・・・た・・・な」


初めて父親の声を聴いた。涙があふれた。年甲斐もなく子供のように泣いた。


もう会うことはないだろうと思っていた父親に初めて会ったのだ。初めて声を聴いた


初めての父親とのコミュニケーションが殴り合いなのもいかがなものかとは思うが。


それでも泣いた。


しかし奴らは別れの時間すら待ってはくれなかった。


 哀しみは怒りに、怒りは虚しさに、虚しさは復讐心になった。奴らに八つ当たりをしたところで、父親は戻ってこない。しかし、この気持ちをどう晴らせばいいのだろう。ヒーローだから抱えて生きろなどとは言われまい。涙を流し悔しさに嘆き、敵にぶつかっていった、より悲惨だった。勇気などなく、意思もない。虚しい戦いだった。気づくと周りには何もいなくて、朝日が昇り始めていた。初めて会った父親はすでに冷たくなっていて、もはやどうもできなかった。やはり無力なのだと痛感した。自分では何もできなかったと。かつての恩人一人救えなかったと。慟哭した。気づくと母とオジさんが傍にいた。かつてのヒーローは帰ってきた。家族のもとに帰ってきたのだ。


 しかし、まだ戦いは終わらない。奴らが侵攻をあきらめない限り、奴らを根絶やしにしない限り、この戦いに終止符は打てない。かつてヒーローは言った。「未来は自分の手で切り開くものだ」と。彼らの未来は一体どうなるのだろうか。確定した未来を排除することでしか新たな未来は得られないのだろうか。彼らの戦いはいつ終わりを迎えるのだろうか。彼らの正義は、勇気は、未来は。いったいどうなるのだろうか。



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ヒーローのいた町 Nit4H0sH1 @Nitahoshi

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