第80話 報復
「ずるい! ずるい! ずるい!」
姉上は唇を噛んで地団太を踏む。
「お母様に逆らうだなんて! 私はずっと期待に応えてきたのに! 弟や妹だけすっきりして自由になろうだなんて、そんなの許せない!」
「ア、アビー」
「ふたりばっかり、ずるいずるいずるい……!」
物憂げで謎めいた令嬢ヅラはどこへやら。
へそを曲げた子供そのものな態度で妬んでいる。
どんな人間も、トラウマに触れると心がその時期に立ち返るという。
従順な演技のために本心を封印した姉上は、その時点で成長が鈍化したのだろう。大人っぽい振る舞いを頭で学習できても、肝心なときに本性が表へ出てくる。
……ようやく釣れたか。
こっちが針に掛からないと話が進まないからな。
俺は姉上を挑発した。
「ずる賢いのはあなたでしょう。母上の言いなりに……言い換えれば、取り入って、気に入られるように振る舞ったのは、姉上自身の選択です」
「私に選択肢なんてなかった!」
「選ばないことを選んだ。それで良い思いもしてきたはず。にもかかわらず、今さら悲劇ぶるのはおかしな話でしょう」
姉上は歯噛みして義兄上の袖を掴む。
「なあ、エスト。怒りはわかるが処刑はやりすぎなんじゃないか」
「家法は家法ですので」
「正論だが、それだけが現実じゃない」
「なら、別の現実もご覧に入れましょう」
セヴランに向かって剣先を揺する。
彼はケヴィンに封筒の束を渡した。
家探し中に入手した、姉上から母上宛ての手紙だ。引き出しの奥で大切そうに保管されていた。一部は何度も読み返した形跡がある。
「これは?」
「まずは読んでみてください」
ケヴィンは不可解な様子で、開いている封から手紙を取り出した。眼球が左右を往復し、そのたびに顔色が悪くなっていく。
「レコバン家のケヴィン卿。もうお分かりですね? あなたの妻アルビーヌは、伯爵夫人を介して莫大な資金提供を受けておりました」
「……これは真実なのか?」
「ち、違う! 嘘に決まってるじゃない」
「だが、手紙は君の筆跡だ」
姉上は口を閉じてそっぽを向いた。
苛立つケヴィンへ母上ががなる。
「待って! アビーは悪くないの! 私は嫁ぎ先でみじめな思いばかりしてきたから、せめてこの子だけは苦労しないようにと――」
「みじめな思い、してたのでしょうかね?」
母上の言葉を千切る。
「せっかくケヴィン卿もいるんです。あちらでの暮らしぶりを尋ねてみましょう」
セヴランが特別な手紙を義兄上に渡す。
「その手紙によると、姉上は義母――レコバン家の伯爵夫人から辛辣な扱いを受けているそうですね?」
「そんなことはない! 我が母は体が弱く、ここ数年は私室と庭を往復する生活だ! 誰かをイジメる元気なんてないぞ」
「自由になる財産は、母上からの仕送りだけ」
「欲しがるものは叶う範囲で与えている」
「夫は頼りにならず、いつも味方してくれない」
「……頼りには、ならないかもしれないが。私なりに尽くしているつもりだ」
ケヴィンの唇は震えている。
「つまりその手紙に大嘘が書いてあり、姉上は母上を騙していたわけですか」
チラっと背後をうかがう。
母上は呆然としていた。
「違うの! お母様、こんなやつの言葉に耳を貸しちゃダメ!」
「では手紙の内容は真実で、ケヴィン卿とレコバン家が不当な扱いを?」
「うるさい! あんたには関係ない! 私信を盗んで読み漁るなんて卑劣よ! あなた、あなたからも何か言ってよ!」
「…………それは」
「私のこと好きじゃないの?」
「愛している、愛しているとも」
「じゃあなんで信じてくれないの!?」
お、おお……。
浮気バレした女が盤面をひっくり返すときに使うセリフ暫定ナンバーワンのやつ。ケヴィンは今の言葉で事の次第を確信したようだ。
「姉上は昔っから、母上を利用して得をするのがお上手だった。従順な優等生として振る舞い、いさかいがあれば常に被害者のフリをしてきましたね」
脳裏にエストの記憶が駆け抜けていく。
「ですが、今日という今日は決着をつけましょう」
俺は剣を杖にして体重をかけた。
「ケヴィン卿。あなたの妻はヴェルデン伯爵夫人を騙し、当家の財産を巻き上げました。それを擁護するならば、すべてはご実家の意志と受け取ってよろしいか」
「レコバン家の意志ではない」
「あなたッ!」
「金は必ず返す。私の名誉と家督継承権にかけて」
「当然です。そのうえで、姉上にはご自身の罪を償ってもらいます」
顎をしゃくると、ヴァレリーが姉上を立たせた。
普段とは異なり、憎悪の感情が指先にまで漂っている。
「い、痛い痛い! 無礼者、放しなさい!」
……姉上に何か恨みでも?
「待て、待ってくれ!」
ケヴィンは冷や汗を垂らしながらヴァレリーの手を引きはがした。
「私の妻だ。手出しは認めない」
「ヴェルデン家の罪人です」
「アルビーヌ・レコバンは私の妻だ!」
「彼女はあなたを裏切りました」
「夫婦には色々あるんだ。未婚の君にはわからないかもしれないが、それでもアビーは私の愛する妻。どうしても処刑するというのなら、私の首を斬り落とせ!」
そうきたか……。
理解のある彼くんレベル100って感じだ。
彼くんの首をもらっても意味ないんだけど。
「わかりました。この場で引き合う条件を提示してください」
ケヴィンは懊悩しながら必死に思考を巡らせている。動揺する姉上を強く抱き寄せ、こちらには待ってくれと何度も手を突き出した。
母上は絶句して固まったままだ。
姉上の裏切りに衝撃を受けすぎたか。
剣の柄をキャッチボールしながら答えを待つ。部屋は重苦しい沈黙に包まれ、誰もが陰惨な展開を想像して胃を痛めていた。
いくらでも待つ。
時間はたっぷりある。
暇に任せて部屋に視線を巡らせると。
オスカーが不気味な笑顔を浮かべていた。
「そこまでだ」
突然の声に全員が入口へ注目する。
なんと父上が立っている。
父上は他のすべてを脇に置いてオスカーだけを見つめた。彼が力強くうなずくと、深いため息をついてから尋ねてくる。
「エスト、これはどういう状況だ?」
「横領を働いた関係者に処罰を下すところです」
「横領?」
「母上は命令書を偽造し、クルタージ城から金を引き出していました。操っていたのは姉上。証拠はこちらに」
書類と手紙と印章を指差すと、父上は声を立てて笑った。
「ハッハッハッ! それは勘違いだよ。クルタージから金を引き出したのは私だ」
「は? え、いや、しかし……オスカーは母上だと」
「申し訳ありません。記憶違いをしておりました」
「記憶違いで済むかッッッ!?」
思わず絶叫してしまった。
「そう責めるな。この歳になると物忘れが激しいんだ」
「で、ですが伯爵閣下。命令書にはエスト卿の名前が」
「んん? あ~。そのほうが話が早いと思って」
「叔母様は予備の印章をお持ちでした」
「それも私が渡したんだ。だよな、エリーカ」
「は? え、ええ……」
「莫大な金が! レコバン家へ流れております!」
「私が貸した!」
いや。
いやいやいやいや。
え、なんで? どう考えたって……!
そもそも母上自体が意味不明って顔だぞ!
「とにかく。出金の件はすべて私の一存だ。いいな?」
「……………………」
「文句ないな?」
こ、ここまできて……そんな結末だと?
納得いかずに抗議の視線を向けるが、父上にしては珍しく、毅然として有無を言わさぬ態度で見つめ返してきた。
「ヴェルデン家の主として命じる。この件をとやかく言うのは許さん。解散だ」
財産を盗まれた当の本人が、それも伯爵家の当主がこうまで言うのだ。ならばヴェルデン家においてはそれが公式記録であり、この話はこれで終わりになる。
不完全燃焼過ぎる。
が、剣をしまうほかなかった。
◇
姉上夫妻はその日のうちに館を出た。
父上とケヴィンの間で話し合いが行われたらしい。口出しするなと命じられれば従うしかない。俺はあくまでも政務の代行にすぎない身だ。
結局、レコバン家は借りていた金を長期返済すること、ヴェルデン領を見舞った災難への義援金として30万クーラ支払うこと、今後は最恵待遇であらゆる便宜を図ることで合意したそうだ。
補償が確約された以上、姉上の使い込みなどはレコバン家の問題になる。
母上は館を離れてひっそり療養するとか。
いきなりどうしたんだ、父上は。
バリックじゃないが、これではけじめも何もないぞ。
数日ほど眠れぬ夜を過ごしていると、私室の扉がノックされた。
「エスト、いるかい?」
「……………………何でしょう」
扉を開く。父上は旅装に着替えていた。
「出かける。同行するように」
やけに真剣な雰囲気だ。
この瞬間、俺は初めて父上に恐れを感じた。
乗馬が苦手な父上と一緒に馬車で移動する。
彼は無言に徹しており、俺も口を利く気にはなれない。静かな旅が続いた。
「ここで降りよう」
馬車を降りて徒歩で森の中へ。
歩いている最中、嫌な想像が頭をよぎった。
ひょっとして俺、殺されるのでは?
一か八かで逃げるべきか考えている間にも、父上はずんずんと進んでいく。やがて開けた空間に行き当たり、大きめの一軒家が姿を現した。
「中へ」
戸惑いながら屋内へ踏み込む。
騎士が大勢待機していて……というホラー体験はなかった。
「降りるぞ」
地下室へ招かれると、そこには宝箱と大袋がぎっしり詰め込まれていた。
「これは……!」
「80万クーラある」
3憶8800万円!
それだけあれば……!
「謝罪します。父上のことを侮っていたようで」
「いいや、これはオスカーが保管していたものだ」
「!」
なんだと?
「あの、いまいち話が……」
「エリーカがクルタージの金に手を出しているのは知っていた。他ならぬオスカーが報告してきたからね。把握したうえで応じるように命じたのは私なんだ」
父上は肩をすくめた。
「彼は一部の資金を避難させるよう願い出てきた。ヴェルデン家が困るからと。その出金を認めたから、私の一存で金を出したのも事実の一側面」
「なぜそんな回りくどいことを」
「許してくれ、とは言わないぞ」
階上に案内される。
空気は埃っぽく、生活感もない。
もう何年も使われていないのだろう。
「私には妻がいた」
「いた?」
「エリーカではない。本当の妻だ」
「愛人のことですか?」
「私にとっては、マリオンこそが愛する妻だった……」
父上はベッドを薄っすらなぞる。
「ここに倒れていた」
燭台で照らすと、ベッドには妙な模様が。
「散々に苦しめられて、恐怖と痛みにまみれた死に顔だった」
模様は血の跡らしかった。
「悲鳴を聞きつけた息子――お前の兄はそこの影ですべてを見ていたようだ。どうにか逃げ出そうとしたが……見つかり、連れ戻された」
俺たちは別の寝室へ向かう。
「幼子を拷問するのは気がとがめたらしい。あの子は心臓を一突きされて、眠るように死んでいたよ」
父上は皮肉げに苦笑し、子供用の椅子に腰を下ろす。
「ふたりは私のすべてだった。24年……この24年、忘れたことなど一度もない。ずっと仇を討ちたかった。だが! 問題は、誰が真犯人なのかだ」
一筋の蝋が燭台へ垂れていく。
「誰も尻尾を出さなかった。私は事件を握りつぶした父が犯人だと考え、オスカーはあの女が怪しいと」
「オスカーが?」
「この家の監視を任せていた。最も信頼している家臣だったから」
つまり、オスカーは最重要任務で大失敗をやらかしたわけだ。家臣の中でも自分を最も信頼してくれる主君の期待を裏切ってしまった。
彼の心を占める婦人とは、守れなかった主君の妻だったのか。
待てよ。
そのオスカーはどこに消えた?
普通なら一緒に種明かしって場面なのでは?
「エスト」
「はい」
「一生感謝する。今日、お前は私の本当の息子になった」
父上は瞳をかすかに喜ばせる。
複雑な感情に満たされすぎた、形容しがたい瞳だった。
「これから何が起きたとしても、知らぬ顔をしていなさい」
彼は先に館へ帰ると告げ、軽やかな足取りで外へ消えていく。
それからしばらくは代わり映えのない日常が続いた。雪解けが始まり、リザベットは王都へ戻り、俺も領内の復興に意識を傾けるようになった。
やがて春が近づいてきたある日。
オスカーが母上を誘拐して逃げたという噂が領内を飛び交うのだった。
俺は彼女の死を悟り、最低限の冥福を祈った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます