第76話 不審点


 マジかー。

 去年、人は腐るとか言っていたのがフラグになってしまったかー。


 かなり忠実な家と聞いていたんだが。

 祖父の目は狂っていたんだな。残念ながら。


 心が急速に凪ぎ、自然と優しく微笑んでいた。


 俺は摂政が笑みを浮かべた理由を幻視する。

 そうか。決意の先には安息があるのか。


 ただの殺意なら感情は乱れっぱなしだが。

 殺意が確定して決意に変わると、いっそ死にゆく者への慈愛すら湧いてくる。


 オスカーは深く長く息を吐き、抑揚のない声で答えた。


「罪を認めます。すべて私がやりました」

「横領は死罪。わかっているよな?」

「はい。刑を受けます」

「素直でよろしい」


 彼はその場で膝を突くと、鎖の首当てを外し、斬首しやすいように首を垂れる。


「盗んだ金は何に使った?」

「……賭博と借金の返済、それから多少の贅沢に」

「ベーレンドルフの求めなら父上も蔵を開いただろうに」

「主君の手を煩わせるわけには」

「律儀だな。それで伯爵家の財産に手を出したら忠誠も何もないが」


 オスカーの首に刃を当て、ゆっくりと振り上げる。

 すると、


「お待ちください!」


 女騎士が割り込んできた。


「無礼者、そこをどけ!」


 ヴァレリーが斧刃の腹で彼女の顔を叩く。

 しかし、女騎士はひるまなかった。


「この件でオスカー様が処刑されるのはおかしいですよ!」

「黙れ、下がっていろ!」


 オスカーが怒鳴る。


「いいえ黙りません! だって、蔵からお金を出すように命じたのは伯爵家じゃないですか! 自分で命じておいて怒るなんて明らかに不当ですよッ!」

「ふざけるなッ!」


 オスカーは絶叫し、女騎士を突き飛ばした。


「閣下、この女は妄想と現実の区別がつかんのです。すべては私がやったこと。どうか刑を執行してください」


 そう言ってまた首を垂れる。

 うーん? どうも様子がおかしいな。

 これ自体が仕込みの芝居だったら大したもんだが……。


 セヴランが側寄ってきて小声で問う。


「私見を述べても?」

「聞かせてくれ」

「あの方は横領の実行犯だとしても、主犯ではないかもしれません」

「理由は?」

「余裕と身なりです」


 彼はオスカーの首辺りを指差した。


「私は商売をしていた関係上、金に困っている者を何人も見てきました。そういう者は焦りを募らせ、まずは細かい部分に気を遣う余裕を失います。たとえば彼の髭は丁寧に整えられており、髪の襟足は美しく切りそろってますよね?」


 言われてじっと観察する。

 オスカーの頬やもみあげ、顎からエラの外ラインには産毛も剃り残しもない。


「困窮者は真逆です。髭は細長いのが生え残り、襟足は伸び放題でぼさぼさ、服の首元も汚れていて肩にはフケが落ちています。何より、彼には生き汚さが足りません。潔く死ぬのは余裕がある人の選択です」


 絵面が如実に想像できるな。

 確かに、突然バレた横領犯にしては反応があっさり気味だ。


「金に困って横領する者は、使ってはならない金を使う性格だから苦境に陥ります。借金を返すにしても、賭博へ使うにしても、いくらかは手元に残して己のために使うと思いませんか?」


「その通りだな」


「彼は贅沢をしたと言いましたが、身なりは質素で金も最低限しかかかっていません。装飾品もない。遊び方自体を知らないように思えるのですが」


 いちいち納得してしまう。


 俺は腕組みをして考えた。


 周囲の態度からしても、蔵から金を持ち出した責任者がオスカーなのは間違いない。だが使い込みにしては不審な点が多数。


 主張が嘘なら肝心の金はどこへ消えた?

 ここで殺したら情報は引き出せなくなるか。


「ヴァレリー、城兵を全員集めろ。8ヶ所に分けて監視する」

「お任せください!」

「貴様、己の言葉に命を賭けるか?」

「ええ。命でも何でも賭けますとも!」

「ちょっとこい。詳しい話を聞かせろ」


 俺たちはひとまず金庫の外へ出た。


 オスカーを金庫へ閉じ込め、騎士や衛兵たちを分割する。

 別々の場所で事情聴取を開始した。


 確実を期すなら縛り上げるべきだが、こちらが100人に対してクルタージの兵力は130だ。ひとつ間違うと厄介な展開になる。


 よって可能な限り親しげに、ヴェルデン家とベーレンドルフ家の仲を強調しながら待機させる。特に騎士層は代々の陪臣が多いので、こちらの命には素直に従った。


 オスカーの私室へ入り、女騎士に尋ねる。


「金蔵を開いたのは伯爵家の命だと言ったな?」

「はい、間違いありません。私も出金の一部を担当していました」

「証拠はあるか?」

「もちろんです」


 女騎士は腰の剣を鞘ごと抜いてヴァレリーに渡すと、勝手知ったる様子で私室の棚を漁っていく。


「ずいぶん慣れてるな」

「オスカー様はこちらの部屋で執務を取られることが多かったので」

「ふーん?」

「この城はヴェルデン家の持ち物。城主のための執務室に入るのは気まずいと。広間でも、常に長椅子を使われます」


 どうだかな。

 弁護したくてストーリーを盛ってる可能性もある。


 セヴランが顎に手を当てた。


「騎士殿、ひとつ尋ねても?」

「構いませんよ」

「あなたとオスカー殿は深い関係なのですか?」

「…………」


 女騎士はぎこちなく固まり、それから肩を落とした。


「閣下へ嘘をつかないと宣誓しましたので、正直にお答えします。男女の仲ではありません。ですが、私はオスカー様をお慕いしております」


 ほー。セヴランはエスパーかな?

 この暴露で女騎士の言葉はますます信憑性が損なわれた。


「愛してはおりますが、叶わない夢なのです」

「それはまた。なぜですか」

「彼は独身だったと記憶しているが」

「オスカー様の心には別の女性がおられるとか」

「ほう?」


 騎士がよその婦人に敬愛を捧げるのは珍しい話ではない。いわゆる騎士道の盛り上がりポイントとして、社会が広く好む話題である。


「もちろん噂です。噂ですけど、実際、私的な時間には他の女を一切寄せ付けません。私などではとても……。こうして執務の手伝いをするのがやっとです」


 セヴランたちは興味深そうに聞いている。

 そんな頭ゆるふわスイーツ話はどうでもいいから早く証拠を出せ。


「ありました。こちらがガルドレードからの命令書になります」

「見せろ」


 書類の束を受け取って確認する。


「これは」

「閣下の名前ですね」


 間違いなく、エスト・ヴェルデンの名前で出金要請が書かれていた。紙の種類も、内容の書式も、伯爵家の正式なもので間違いない。


 ただ、ひとつおかしな点がある。


「アルノー先せ……伯爵閣下の印章です」


 こちらの世界の手紙では、朱肉で印鑑を押す代わりに手紙へ蝋を垂らし、紋章入りの指輪や印章を押しつけて身分や本人の証とするケースが多い。貴族は基本それ。


 俺も一族用の簡易な紋章が彫られた指輪を持つが、政務代行になってからはずっと専用の印章を使い続けているのだ。つまり……。


「俺が書いた手紙ではない」

「しかし印章は本物です」

「とすれば、父上が裏で出金命令を?」

「どうでしょうか……」

「ないとは言い切れないよな」


 セヴランは信じたくなさそうだった。

 だが、うちの一族はとにかく金遣いが荒い。


 成人扱いになったばかりのリザベットはともかく、他はガンガン使って、足りなかったら追加で引き出せばいいやーぐらいの感覚でいる。


 クレカを持たせたら破産するタイプばかり。

 父上も御多分に漏れず、芸術品漁りのためなら金に糸目をつけない傾向がある。


 俺がガルドレードの金蔵を絞った。ならクルタージから、と考えることは十二分にありえる。そもそも伯爵家の財産なので、何をどうしようが父上の勝手だし。


 うーむ、父上がなあ。どうなんだろ。

 人の心ばかりは簡単には読めない。


「失礼します。セレナリア公がお越しくださいとのことです」


 俺たちは兵の案内に従った。




 リシャールは地下牢にいた。


「手荒な真似を?」

「いえ。それぞれの班から対象を選び、別々の牢に入れて尋問を行いました」


 それを手荒な真似と呼ぶのでは?


「証言の信憑性を得るためです。各人に偽証の密告があったと伝え、最初に真実を語った者だけを釈放、他は死ぬまで塔の底へ押し込めると告げました」

「!」


 囚人のジレンマだ。


 全員が黙秘すれば最善の結果を得られるが、誰かが裏切れば自分が最悪のダメージを被る。人間心理を利用して自白させる、前世で有名だった手法。


 プロの警察でもないのに思いつくとか。


「それで?」


「残念ながら、伯爵家からの命令が出ていたようです。今回の訪問も、ようやく貯蓄を再開したばかりなのに追加の催促が早すぎて困惑していると」


「やはり伯爵家が。こちらも命令書を確認した」


「興味深い証言もあります」


 リシャールは声を落とす。


「オスカーはたびたび少人数で蔵を空けており、以前から不審だったという者が」

「命令書の量は膨大だ。急ぎの用に対応していたのでは?」

「少人数のときのみ、記録に残さぬよう口止めしていたようで」

「こっそり持ち出さねばならない理由があったわけだ」


 まさか。


「秋の反乱に関わっていたとか?」

「どうでしょうな。想像だけなら何でも言えますが……」


 さすがに邪推の域を超えた陰謀論か。

 真相がどうであれ事実はふたつ。


 ひとつ、クルタージ城に金はない。

 ふたつ、伯爵家からの公式な出金命令が届いている。


 ならば一度戻って調べる必要がありそうだ。


「リシャールは兵たちとここに残り、尋問を続けてくれ」

「閣下は?」

「父上と話してみる」


 事実なら案外あっさり認めそうだし。

 俺は少数の騎士を引き連れ、往路を引き返すのだった。

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