第75話 うわ出た


 旅装を整えて玄関ホールへ向かう。

 すると、意外な人物と鉢合わせた。


 母上だ。


 背後には姉上と義兄上もいる。

 鉢合わせたというより、待ち構えていたのかな?


 ブルネットの髪に深い緑眼。凛々しさ、愛らしさ、神々しさが共存していたであろう美貌は今も余韻を残している。ただし全体的に輝きは翳り、長年の習慣で染みついた俗悪な顔つきのほうが目立っている。


 彼女の名はエリーカ。

 我が母親にして伯爵家最大のガン。

 ブフロム王国の西方、ノートガルム公国の出身だ。


「母上。お久しぶりでございます」

「……………………」


 母上はこちらを睨睨したまま、ふてくされたように黙っている。

 相手が察して配慮し、下手に出てくるのを待っているのだろう。


 付き合うだけ時間の無駄だな。


「用事がありますので、私はこれで」

「まともな挨拶もしないなんて。何様のつもり?」


 敵意丸出しの質問をシカトして歩く。


「~~~ッ! 親を無視するなッッッ!」


 何かが頭の横を通過し、壁に当たってぶち割れる。壺だ。マジよぉ、その壺いくらすると思ってんだよ? それ以前に、頭に向かって投射とか普通に殺す気だろ。


「ほんっと可愛くない。あんたはいつだってそう。人の言うことも聞かずに自分ばっかり好き勝手して! 少しは敬意を払ったらどうなの?」


「敬意とは勝ち取るもの。強要するものではありません」


「口答えするなーーーッッッ!」


 いきなり発狂かよ?

 情緒は期待してないが、せめて会話が成立する程度の理性は頼むわ。


 彼女の主張する好き勝手とは、言葉通りの意味ではない。子供らが自発的な意志を持ち、彼女の意向や命令以外の動きをすること全般を指す。


 要はおままごとの人形であれって意味だ。

 はっきり言ってしまえば奴隷&資源だな。


 エスト本体は子供の頃からこの発狂と脅迫、気分次第でコロコロ変わるマイルールに晒されていた。しかも子供だったので反論できずに委縮するばかりだった。


 不当な屈辱に抵抗する手段がなかった。


 その影響か、怒りと怯えが下腹を震わせる。

 エスト100%なら、この時点で胸が締め付けられて言葉が出てこないだろう。


 そして苦々しげにやり過ごし、外でストレス発散に勤しむと。


 ところが今は俺がいる。俺は彼とは違う。

 この震えは多少のデバフではあるけれど、言い換えればたかがその程度だ。


 いくらでも言い返せるし、ヒステリックな恫喝は通用しない。殺意に見合った力を持たない感情モンスターごとき、軽く論破する自信はある。


 ただなー、徒労なんだよな。

 この手の魔物に正対するのは実に無価値。


 なぜなら人間の言語で論を交わすつもりがないからだ。せいぜい己にとって都合の良いジャーゴンなどでレッテル貼りを乱用するだけ。鳴き声威嚇バトルをしている。


 客観的な証拠だけ作っておくか。


「そもそも、頭めがけて物を投げてくる人間が好感情を返されるとでも?」


「うるさい! 子供が親に刃向かうな!」


「当たれば死んでましたけど」


「子供に何をしようと親の勝手じゃないか! なんでうちの子は皆して私を苦しめるの!? どうして、私ばっかり辛い思いをしなきゃなんないのよ!?」


「周りに与えている害をおわかりでない?」


「~~~ッ!」


 母上はこちらへ近寄り、俺の顔めがけて手を振り抜く。


「この! この! 謝れ! 誰のおかげで生まれてこれたと思ってるのよ!」


 3回は耐え、4回目に合わせて腕で防ぐ。

 手首がぶつかると、彼女は腕を押さえて発狂した。


「叩かれたーーー! こいつに叩かれたわ!? 人でなし! 悪魔! なんて恩知らずな息子なの!? なんで私はこんな目に遭わされてばかりなのよぉーーー!」


 ヤクザまがいのチンピラかよ?

 逆に面白くなって噴き出しそうになる。


 41歳児はへたりこんでヒスった。


「もぉーーー嫌ァーーーッ!」

「母親を叩くなんて最低!」


 泣き崩れる母上へ姉上が寄り添う。

 母上はすかさずこちらを指差した。


「アビー! あいつが! あいつが!」

「母様、落ち着いて。母様は悪くないわ?」

「しょうもない芝居だな」


 おっと、つい本音が。

 姉がイラつきながら睨んでくる。


 やり過ごしたいんだから余計なことを言うな、と牽制しているのだ。


 エストの記憶では、姉は幼い頃から母を全肯定する方法で自分だけが災難を免れ、一緒になって弟や哀れな獲物たちを責め立てていた。


 悪者を作って身代わりにしていたのだ。

 そうやって集団イジメを覚えた。


「エスト。さすがに今のはどうかと思うぞ」

「本当にそう思ってます?」


 義兄上は決まりの悪そうな表情になった。

 まあな。男には立場を守るため、間違っていても動かねばならないときがある。


 くだらないが理解はできるよ。

 嫁と姑に結託された夫の悲哀ってやつ。


「姉上と義兄上がいるから気が大きくなった、そんなところですか?」


「黙れッッッ! お前なんか私の子供じゃない! 出ていけ!」


「人を殴るなら抵抗される覚悟ぐらい持つべきでしょう。今回は義兄上の顔に免じてなかったことにしますが、次は容赦しませんよ」


 割れた壺の破片を蹴って外へ出る。

 風に乗って愚痴が聞こえてきた。


 ――産まなきゃ良かった。

 ――生まれてこなければ良かったのに。


 皮肉なことに、髪の毛、目の色、最も特徴を引き継いでいる実子はエストだ。




 100人の護衛、セヴラン、リシャールたちを引き連れてクルタージ城へ向かう。

 ドン引きの現場に直面したふたりは、どう声をかけたものかって感じだ。


「そう縮こまるな。慣れている」

「はあ。しかし、その、強烈でしたな」

「夫人は相変わらずのようで」


 セヴランは母上の部下だった時期がある。

 色々と見知って体験しているのだろう。


「ああいうのは考えてもしょうがない。切り替えていこう」

「クルタージ城では何をなさるおつもりですか?」

「貯金箱を壊す」

「……?」


 リシャールが言葉を引き継ぐ。


「クルタージを預かるベーレンドルフ家は、ヴェルデン家がアルヴァラ王国へ仕える以前からの家臣でな。先代伯爵のロイク様からも特殊な役割を任されたのだ」


「特殊な役割」


「街道と周辺地域の税を集め、一部を有事への備えとして積み増し続けている」


「それで貯金箱ですか」


 ベーレンドルフ家は家柄こそ高くないものの、代々の身内のような扱いだ。


 クルタージ城はヴェルデン家の所有物なので、彼ら自身は城主でも旗主でもない。ただの代理。それは冷遇ではなく、あらゆる義務を免除された特別扱いに近かった。


 税を上納する必要がない。

 軍役や気を遣う祝賀に参加する必要もない。


 伸び伸びと自由に暮らし、お呼びがかかったら役に立てばいい。そういう関係。


 似たような立場の家として、西部の旗主でソリチュード城を守るオーリク家が存在する。だが、アルヴァラ入国後に契約を結んだあちらと違い、ベーレンドルフ家への措置は明らかに感情的な親しみが込められていた。


 300年もの君臣関係は伊達じゃない。


 俺たちは行軍で日をまたぎ、話に花を咲かせる。


「課題はやはり民間防備の強化か」


「どの地域でも一定の兵と物資の提供が期待できる仕組み、これがあれば安心かと」


「私としては各村の施設強化と避難訓練の徹底がよろしいかと思いますが」


「うーん、論理的にはセヴラン案だが、費用的にはリシャール案かなー」


「お、見えてきました」


 浅い森を抜けると、まっすぐ伸びる街道の先に広々とした川と石造りの橋がある。橋の前後と中央には、トンネルを通すような形で塔が建てられている。


 橋の出口、すなわち俺たちのいる側には厩舎、宿屋、野営地などが立ち並び、入口……川の対岸には、六角柱がちょっとおめかししたような小城がそびえていた。


 あれがクルタージ城。通称は釘打ち城。

 縦横の街道と河川の交差点を抑える拠点だ。

 トールキャッスル、いわゆる通行料を徴収する関所の役割を果たしている。


 野営地の櫓で見張りについていた衛兵が、俺の旗を見て鐘を鳴らす。奥の六角柱から騎士たちが現れ、橋を通ってこちらへ寄ってきた。


 先頭にいるのは四十路のきまじめそうな男。

 名前をオスカー・ベーレンドルフという。

 以前、王都へ向かう際に面識を得た。


「新年おめでとうございます」

「おめでとう」

「政務代行閣下。王都への出立でしょうか?」

「いいや、今日はクルタージに用があって訪れた」


 心なしかオスカーの顔がこわばる。


「用、でございますか」

「ああ。何かと出費が重なってな。非常時と判断して蔵を開けにきた」


 彼や周囲の騎士たちは固まった。

 オスカーは妙な間の後に口を開く。


「蔵を開く、とは?」

「そのままの意味だが」

「今、でございますか?」

「そうだと言っている」

「まだ機が熟していないかと」


 騎士たちは顔を見合わせている。何かを悟ったような顔でごくりと唾を飲む者も。


 え、なんだこの反応。

 ま、まさか……?


「あ、閣下!」


 俺とセヴランは同時に馬を走らせた。


「お待ちください! お待ちを!」


 静止の声を振り切って城の門をくぐる。


「金庫はどこか!」

「誰だお前は!?」

「エスト・ヴェルデンだ!」

「ご、ご子息様!? 申し訳ございません!」

「お前、金庫の場所を知ってるか?」

「はい、地下のほうに……」

「案内しろ」


 護衛たちを伴って地下へと大挙押し寄せる。いかにも厳重なセキュリティの扉へたどり着いた。ヴァレリーが斧で鍵を破壊する。


 三重の扉を蹴破って中をたいまつで照らすと。

 金庫の中には、ほとんど空っぽの世界が広がっていた。


 残るのは片手の指に収まる程度の宝箱。

 申し訳程度に銀貨を抱いているが、総額合わせて2万クーラにも届かないだろう。


 遅れて追いかけてきたオスカーは、観念したように天を仰いで瞑目した。


「オスカー・ベーレンドルフ」


 俺は剣を抜き、たいまつでよく炙る。


「言い訳を聞こうか?」

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