第74話 胃痛だらけの財政確認


 凱旋の行進を終えて領主館に入る。


 簡単な戦勝の演説を終えると、翌朝は死者たちの棺に紋章入りの布を被せてガルドレードの野外まで運ぶ。


 通りの左右に並ぶ人々は棺が通過する瞬間、花を模した紙飾りを捧げて黙祷した。


 葬列は無言で進んでいく。

 運び手の衛兵たちは失った友を想い、俺は被った損失に辟易しながら。


 今回は伯爵家の廷臣にも戦死者が出た。


 そのため父上やリザベット、それから年明けの挨拶で訪問している姉のアルビーヌ、その夫で義兄のケヴィンも表に出てきていた。


 墓地にたどり着くと真冬の雪を掘り返す。兵士と遺族がすすり泣く中、神官たちがしめやかに祈りの言葉を唱えた。


「忠実なる神の子らの旅立ちに祈りを捧げましょう。天へ召された彼らに神の平安が訪れ、安らかな眠りであるように」

「民を守りし尊き猛者よ、胸を張って父祖の元へ逝け」


 俺がひざまずくと、こらえきれなくなった遺族の号泣が墓場にこだました。


「戦没者にはいずれアルニック・モーディエ忠勇章を追贈する。このたびの働き、決して蔑ろにはしないぞ」


 遺族や兵士が涙を拭って頭を垂れる。

 後のことはジョスランに任せ、一足先に館へ帰還した。


 父上は菩薩のような笑みをたたえている。

 アンドレ卿の災難がよほど嬉しいのか?

 それとも勲章制作でアトリエの出番になるのが快いのだろうか。


「父上、姉上、義兄上、それにリーザも。館外までへ出向いていただき感謝します」

「ううん、気にしないで」

「新年早々大変だったろう」


 いち早くこちらを労うのはケヴィン。

 繰り返しになるが姉の夫で義兄に当たる。


 彼は豊かなダークブラウンの髪に、口元から顎までを覆う整った髭の持ち主だ。なかなかの美男で、大都市モンティーユを領するレコバン伯爵家の跡取りでもある。


 海に面した王国南部には複数の大都市があり、モンティーユもそのひとつ。海岸線の中南部と西南部の境ぐらいの位置にあり、海洋貿易の恩恵に浴している。


 レコバン家は領地の範囲こそ狭いが裕福な一族だった。


「真冬の野外にレディを駆り出すなんて。私の弟には常識がないのかしら?」


 聞き心地は良いが、不満げでつまらなさそうな声を放つ美女。


 姉のアルビーヌだ。

 年齢は夫と同じく24歳。


 父譲りの金髪と母譲りの緑眼。

 いかにも清楚な深窓の佳人といった雰囲気。


 エストの記憶に残る目が覚めるような美少女令嬢は、10年の間に、儚げでどこか浮世離れした麗しき奥方へと成長していた。


 見た目と中身はだいぶ違うけどな。


「……お久しぶりです、姉上」


 エスト本体は彼女のことが好きではない。

 胸焼けするような、虫唾が走る感覚に襲われた。


「残務の処理がありますので、これで」

「あら、つれないわね。お茶でもどう?」

「母上がお待ちでしょう。これ以上の手間を取らせるわけには」


 アルビーヌの眉間にしわが寄る。10年間も里帰りを拒否っていた姉が、わざわざ顔を見せに現れたのだ。それも夫同伴で。


 絶対にろくな用件ではない。

 俺が戻るまで帰らなかった時点で、家か金に関する話なのは明らか。


 俺はケヴィンに会釈すると足早に執務室へ向かう。


「お兄様」


 角を曲がると、リザベットが後を追ってきた。

 色々と立派な侍女を引き連れている。あれが手紙にあったフラムリス家の令嬢か。


「どうした?」


 見つめ返すと妹は言葉を詰まらせる。

 しばらく逡巡し、ごまかすように首を振った。


「なんでもない。後で連れてきた騎士を紹介するね。新年おめでとう!」

「おめでとう。学院はどうだ?」

「まあまあかな。おかげさまで、なんとかやれてる」

「そうか。新学期までゆっくりしていけ」

「……そうするね。邪魔してごめん」


 リザベットは力なく垂れたケープを直して去る。

 俺も肩を回しながら執務室へ向かった。




 椅子に座って天井を眺める。

 戦わなきゃいけないか……現実と。


 今回までのおさらい。

 秋の反乱騒ぎでいっぱい財産接収しました!

 でも結果的に差し引きはゼロです!

 ぶっちゃけマイナスです!


「はあ……」


 手始めに残金を見てみよう。


 蔵の財産と貯金の合計が145万3220クーラ。これは約7億481万円。

 政務予備費の残りが1万2370クーラ。およそ5450万円。

 使途を定めないお金、41万2370クーラ。およそ2億円。


 使途を定めていたお金は、秋の兵装新調や偵察部隊にかかる雑費などで消えた。


 そんなこんなで現在、俺が自由に使える資金は2億5000万円ちょい。

 有事の際に用いるのは7億480万円ぐらい。


 去年に比べたらマシだが、出費が鬼ヤバい。


 まずは20人の追加騎士に支払う給料。これは実に8497万円である。なるべく騎士の追加雇用を絞っていた理由がこれだ。


 なんか生えてきた妹の従者は貴族の娘だという。本人にも手持ちはあるだろうが、それなりの扱いが必要だ。騎士と合わせて1億2000万円ぐらいは飛んでいく。


 次に自責点の支出。


 俺は飢えた民衆に食料支援をしているわけだが、愚かなことに食料の支援しか考慮していなかった。


 あいつら、いつまで経っても帰らねえ!


 そりゃそうだよな!

 ガルドレードに近いほうが支援を受けやすいし!


 飢民はガルドレードとホロール城の中間地点の南、線で結べばちょうど逆三角形になる地点にキャンプを構築して居座っている。


 このままだと新たな街が生まれる勢いだ。

 良くない。非常によろしくない。

 解散させたいところだが、今は厳寒の最中。


 下手に追いやって野垂れ死にされても面倒だ。

 かといって放置して凍死させるわけにもいかない。


 よって食料以外の各種支援が必要になった。


 冬を越えるには薪や生活物資、仮設住宅なども必要になってくる。セヴランの毛布配りで気づいたため発注は間に合ったが、これらに莫大な支払いが待ち受けている。


 その額、実に5億円。


 加えて略奪を受けた地域、特に南部への復興資金も出さねばならない。直轄地域に組み込んだため、面倒は旗主に丸投げなんて技は使えない状況だ。


 フロランとアンリを処刑しなかった以上、ここをケチったら地獄の門が開かれる。


 さらに兵士の補充もタダじゃないし、馬や兵装も新規に発注せねばならない。


 合わせて2億は必要だろうな。


 侯爵領――すなわち国境の守りを考えると、武具をかっぱらうわけにもいかない。捕虜はバリックの民なので身代金を取れず、侯爵に賠償金を要求しても支払うわけがなく。


 何も実入りがない……。

 ただひたすらに疲弊の文字が頭に浮かぶ。


 諸子百家も前田利家を始めとした侍もみ~んな“戦はよその領地でやれ”と力説していた。こういう理由だったんだなーと痛感する次第。



 ちなみに戦没者遺族への慰労金は出さない。

 決して無い袖は振れないってだけではない。


 彼らの働きに追加で金を払う形になるからだ。


 恥を知り、恩徳に報いる思想が上下万民を覆う東洋ならともかく。教会諸国の人間にそれをしてしまうと……力関係が逆転して面倒が起きる。


 下々に社交辞令で「お前らはよくやってくれている」と褒めると、感激などせず「そうだよな、俺たち頑張ってるよな」と不満をため込み、当然の権利だからもっと寄越せと主張して反乱や騒乱を起こすような環境なのだ。


 要求が青天井すぎる。


 あくまでも日常の負債を働きで返す、という契約の形にしておくのが吉。

 東洋的にまともな感性の持ち主がいたら、別個で賞を与えればいい。


 なんにせよ。

 今まさに有事の後なので、蔵を開くのは致し方ない。致し方ないにしても……。


 9億5480万から8億2000万を引いて、残るのは1億3480万。


 黄色信号どころか、赤信号の下に矢印が灯っている状態だ。


 これ以上の額が蔵から出ていくのは個人的にはレッドライン。

 しかし、目先の領政にもそれなりの費用はかかるわけで。


「はあ……」


 セヴランとため息のハーモニーを奏でる。


 出費が重い。重すぎる。

 こんなの無理だよー!

 やってけないよー!


 おもちゃ売り場で買って買ってと泣き叫ぶ子供のように背泳ぎをしたい気分だが、泣き叫んだところで現実が変わるわけでもない。


 よし、仕方ない。

 非常手段を解禁するか。


「出立の用意をする。セヴランもこい」

「行き先は?」

「クルタージ城へ」


 俺は拳の側面で手のひらをポンポン叩いた。


「打ち出の小槌を振りにいく」

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