第72話 防衛戦・2


 敵勢はおよそ400。

 臨戦態勢で駆け寄ってくる。


 ヴァレリーの肩を二度叩いた。


「俺の馬に乗ってリシャールを呼び返してこい。ジョスランはそのまま追撃させろ」


 全員を戻らせたら、敵まで戻ってきてエンドになりかねない。


「私も残りたいです」

「他のやつじゃ逃げかねない。今はヴァレリーの勇気だけが頼りだ」

「!」

「待った。リシャールに伝言を。敵が――」


 耳元で作戦を告げる。


「行ってきます!」


 彼女は階段を跳ぶように駆け下り、外へ走っていった。

 俺も足を引きずって外に出る。


「全力で走るぞ! 長槍を捨てろ! 転がっている武器を拾え!」


 指示を出しつつ、旗主のひとりに近づく。


「閣下?」

「なあ、貴様」


 彼の馬をさする。


「さっき俺を見捨てようとしたよな?」

「うっ。そ、そんなことは……」

「誤解か? なら、疑いを晴らす機会をやろう」


 彼が握る手綱をポンポン叩く。

 旗主は悲痛な表情で地面へ降りた。


 俺は馬を奪うと、その場の全員へ命令した。


「味方を追うぞ、遅れるな!」


 出発の瞬間、ちょうど敵が村の入口へ迫ってくるのが見えた。




 追いかけっこの始まりだ。

 道には敵の死体と血の跡が点々と続き、それをなぞるように西へ西へとひた走る。


 こちらの戦力は重装歩兵40人、槍兵40人、旗主たちの兵が見張りと残存兵を合わせて80人。160人の部隊。それに民兵が40人で村人が70人ほどだ。


 村人は足が遅い。

 分離させないと全滅だな。


 劉備よろしく盾にする手もあるが、あまり死なれると村の復興が遅れて生産能力が落ちる。ひいては税収に影響が及ぶ。


 ……仕方ない。

 民兵部隊の指揮官に声をかける。


「そこの騎士!」

「はい!」

「村人を連れて北西へ向かえ!」

「それは……」

「我らが敵を引きつける。民を逃がしたら戦場へ戻ってこい!」


 手の動作でシッシッと追い払う。

 彼は何度か振り返り、意を決したように人々を導いた。


「敵をおびき寄せるぞ! 一定の間隔で金目のものを捨てろ!」


 銀貨や宝石、装飾品などを放り捨てながら走ると、敵の歩兵は面白いようにこちらへ食いついてきた。奪い合いが発生して地味に足が遅れている。


 30分ほど走っていると、互いにペースが落ちてきた。


「おお!」

「あれは!」


 左右の小さい丘に旗の影が見える。

 敵は伏兵を警戒して足を止めた。


 起伏の中央を通過すると、味方はおらず、ただ旗が立っているだけだった。部隊の者たちが露骨に落胆する。足を止めずに一定距離まで進むと、騙されたと気づいた敵が急いで追跡を再開した。


「そのまま帰れば良かったものを」


 そろそろ敵味方ともに体力の限界だ。

 皆、あえぎながら肩で息をしている。


 さらに進むとヴァレリーが待ち受けていた。


「状況は?」

「ご命令通りに進んでいます」

「リシャールは」

「右の丘裏です」


 俺は周囲の地形を確認する。


 でこぼこな平地になだらかな丘。今は雪が積もっているが、夏季には放牧地として素晴らしい役割を果たすだろう。つまり伏兵に最適だ。


 頃合いを見てリシャールが挟撃する。

 が、それだけでは足りないな。


「槍兵隊長、モンデール、こちらへ」


 モンデールは馬を奪われた旗主だ。

 他の旗主をまとめる立場らしい。


 ふたりと肩を組み、ヴァレリーも招く。

 俺は彼らに顔を寄せた。


「一時的にヴァレリーを槍隊の指揮官にする」

「はい!」

「いいか? お前たちは戦いの最中に恐慌を装って逃げ出せ」

「我らに逃げよと!?」


 槍兵隊長が驚く。


「もちろん見せかけだ。左の丘を越えたら密かに隊列を整え直し、リシャールの動きに合わせて横から攻撃を加えろ」

「そういうことでしたか」

「モンデール」

「は、はい」


 旗主は気をつけの姿勢になった。


「次はちゃんとやれよ?」

「もちろんでございます! 私は伯爵家の忠実な旗主です!」

「行動と結果で示せ」


 散会させてヴァレリーに耳打ちする。


「そのまま逃げようとしたら殺すように」

「……お任せください!」

「よし! 隊列を整えろ! 槍隊とモンデール隊は前、重装歩兵は2列目、他の歩兵は3列目だ!」


 全軍が慌ただしく整列する。

 俺は重装歩兵隊長の隣に立った。


「悪いが、命を捨ててもらう」

「勝つためでしょう?」


 周りの重装歩兵は低い声で笑った。

 主君というより仲間に向ける笑いだ。


「中央は押されているように見せかけ、ゆっくりと、半円形になるよう下がれ。味方が横から挟み撃つ。何があっても動揺するな。後ろの連中はカカシだと思え」


「盾と名誉にかけて、閣下のお役に立ちます」

「期待している」


 追いついた敵も密集隊形で並んだ。

 160対400。お互いに疲労困憊。


 対面の敵は勝利を確信しており、疲れていてもどこか余裕の漂う雰囲気だ。部隊の後方から騎乗した若者が進み出てきた。


「我はフォルクラージュ家のアンリ! 害虫エスト・ヴェルデンよ、勇気があるなら前に出てこい!」


 赤髪、赤眉、シュッとした肉体。

 いかにも優等生っぽい顔つき。

 へえ。あれがバリックの弟ねえ。


 秀才好きな大人や老人からは猫可愛がりされそうなオーラを感じる。


 こちらも騎乗し、アンリのほうへと近づいた。


「魔族殺しに勇気を語るとは笑わせてくれる。侯爵家の出来損ない風情が」

「さえずるな。優位なのはこちらだ。俺が話す」

「優位なのはこちら?」


 わざとらしく声を立てて笑う。


「率いる将が貴様では10万の軍も紙屑同然」

「強がりを」

「では聞こう。今までに倒した敵将の名は?」

「こちらが話すと言っている!」


「見ろ! フォルクラージュ兵よ。お前らの主君は反論できないから逃げたぞ!」


「ふざけるな! この詐術師め!」


「まあ戦は起きるも起きないも時の運だ。わかるよ。じゃあ討伐した魔物の名前でもいいぞ? フォルクラージュ侯爵家の一族だ、さぞ驚くような功績をお持ちのはず」


「それは支配者のやるべきことではない。騎士や兵士の仕事だ」


 彼の意見は至極もっとも。

 だがレッテル貼りには最高の言葉だ。


「つまり臆病者ってわけだ。えらっそうにあれこれ他人を非難しておいてそれか? 館に隠れて震えている雑魚がどのツラ下げて説教を垂れた。魔族や竜を殺した俺と、口先だけで何もできない卿。貴族失格なのはどちらだろうな?」


 両手を大きく広げて呆れてみせる。

 背後の兵たちがわざとらしく爆笑した。


「ふん。せいぜい吼えておくがいいさ」

「その余裕はいつまで続くかな? 連れてこい!」


 命令に応じ、兵士たちがクラリスを連行してきた。彼女を俺の馬に乗せる。


「なっ!? クラリスッ!」

「むー! むーーーッ!」

「妹を放せ、卑劣な恥知らずが!」

「恥知らずは人質を解放などしないのでは?」

「く、くそっ!」


 彼女の喉元にナイフを当てる。


 連名で手紙を出すあたり仲は良いのだろう。

 アンリは妹の窮地に激しく狼狽した。


 まあ、フリだけなんだけど。

 このクラスの貴族を殺すと後々が面倒すぎる。


「妹は関係ない!」


「大ありだろ。貴様の手紙に署名した当事者で、ヴェルデンの領地を不当に侵害する罪人の一族だ。代償を命で支払う覚悟はできているはず」


「貴族なら荒事にレディを巻き込むような真似はやめろ!」


「レディ? どこにいる?」


 こちらの兵がどっと笑う。

 アンリはわかりやすく歯ぎしりした。


「さあ選べ、採点係のアンリ。撤退するか、妹を見殺しにするかを。他人を弾劾する高潔な貴公は何点の判断を下す?」


 アンリは苦悩の色を浮かべて押し黙る。


 向こうはめちゃくちゃ嫌ってくるけど、個人的にバリックよりも親しみが持てる。この若者からはどことなく人間臭さを感じるからだ。


 バリックなら秒で決断するだろう。

 アンリのように迷ったりはしない。


 理想とする自己イメージと、割り切れない本音とのバランスの悪さに安心する。


 沈黙のまま時間が流れた。

 そろそろ兵の息も整った頃合い。


 後は手元のこの女を返品して正当性を示し、作戦通りに戦うのみ。それから――。


「クラリス」

「む?」

「……すまない。大義のためだ」

「えっ」


 アンリが腕を上げると、あちらの射手が弓をつがえた。


 そんな、嘘だろ!?


「うおあぁぁぁーーー!」


 彼女の腹を抱き、馬から横っ飛びに飛ぶ。心臓を縮ませる音を立てて矢が耳元を横切った。馬がハリネズミのようになって倒れる。


「バカ野郎、0点だ!」


 100点です! 見直したよ!


 クラリスを立たせ、足を引きずって走る。

 ずっこけた頭の上を矢が追い越していく。


 隊列から飛び出た重装歩兵たちが、俺を起こしながら盾を構えた。乾いた音を立てて矢が弾かれる。


「むぐっ!?」


 目の前でクラリスの左肩に矢が生えた。

 倒れてくるのを抱きとめ、盾の内側に入れて撤退する。


「侯爵家次期当主のアンリが命じる! 害虫卿とその手先に正義の鉄槌を下せ!」

「オオオォォォ!」


 厄介な形で戦端が開かれてしまった。

 俺たちは味方サイドに戻り、3列目から指揮を執る。


「ここが正念場だ! 犠牲者の仇を取るぞ!」


 兵たちが身構える。

 敵が押し寄せるわずかな合間、クラリスの猿ぐつわを外し、声をかけた。


「悪いな。交渉のつもりが、まさかお前を見殺しにするとは」

「……覚えていろ」

「生きてたら」


 前を向こうとすると足を掴まれる。


「害虫卿」

「なんだ」

「盾にせず助けてくれたこと、感謝する」

「……痛いだろうが矢は抜くな。抜くと失血で死ぬ」


 この娘も複雑だな。

 今度こそ前を向く。


 敵は岩のようにまとまり、方陣を敷いて整然と歩いてくる。むむむ……金品の奪い合いから練度は低めだと思っていたが、予測が外れたようだ。


 それにしても、なぜ部隊を分けて包囲を狙わない?


 彼は噂通りの戦下手なのだろうか。

 両軍の前列が接敵する。


 しばらく激しい攻防を続けていると、槍兵改め軽装歩兵隊とモンデール家の兵が逃走を始めた。


「う、うわー。もうダメだー」


 棒読みぃ~~~。

 今後ヴァレリーに芝居を任せるのはやめよう。


 周りの旗主や兵たちがざわつき、敵軍もにわかに勢いづく。どうにか騙されてくれたな。アンリのほうは――――あれ。


 笑っていない。

 喜色ひとつ浮かべないまま、冷然とこちらを観察している。


 もしかしてバレてる?

 それとも油断しない性格なのか?


「うろたえるな! 足手まといが消えただけだ!」


 兵たちを鼓舞しながら、3列目の後ろを歩き回る。真後ろで声を発するたび、心の天秤を揺すっているであろう者たちがビクつきながら大声を上げた。2列目の重装歩兵はさすがに良く粘っている。敵軍は隙間のない盾の壁に苦戦していた。


 それでも総数90対400だ。

 数の差と圧力はいかんともしがたく、予定を大幅に越えてじりじり下がっていく。


「後列、左右の側面を支援しろ!」


 回り込もうとした敵を抑えるため、旗主たちの兵を対処に当てる。接敵面積は同じぐらいになったが、櫛の歯が抜け落ちるように、ひとり、またひとりと兵がポロポロ倒れていく。


 完全に力負けしている……!


 ヤバいヤバい!

 リシャール、早くきてくれーーー!


 そんな願いが通じて、右奥の丘からリシャールの部隊が姿を現した。200人はいる! 素晴らしい! 彼らが喚声を上げると敵軍は目に見えて混乱していく。


 さらに軽装歩兵も左から戻ってきた。旗主たちの兵もいるな。彼らは突撃するというより、最後尾のヴァレリーから逃げている。


 振り向いたアンリがあっけにとられ、それから舌打ちしていた。

 よしよし、気づいてなかったか!


「隊を分けて応戦する! モイーズとジュリアンは左側、マチューは右の弱兵だ!」


 敵軍が3つに分かれ、150ほどがリシャール隊、80前後がヴァレリー隊への対処に向かう。決断力すごない!? この状況でスムーズに分割とか、練度たっか!


 指示も対応もよどみない!

 明らかに驚いてたのに立ち直り早すぎだろ!


 誰だよ、こいつを無能扱いしてたのは!?


 中央の敵軍も傷ついているが、依然としてこちらを上回る数が戦意を保っている。対するこちらはすでに重装歩兵が20人は死んでおり、旗主の部隊は完全に浮足立っていた。


 ズルズルとした後退が止まらない。

 味方の空気が弱気と怯懦に満ちている。


「見ろ! 新手だ!」


 誰かの声で敵の背後へ目を向ける。

 あれは……村を守っていた騎士と民兵たち!


「味方だ、味方の援軍だぞ!」


 兵たちが生気を取り戻す。

 アンリは後方を確認し、落ち着き払って命を下した。


「装備を見ろ、たかが下民だ。ザール、一隊を率いて足止めしろ。20人でいい」


 見抜かれてるーーー!


 勢い込んで走っていた民兵たちは、半分の数で恐れることなく突っ込んでくる敵に怯えて速度を落とす。何人かは逆に逃げてしまう。


 希望を背負った援軍があっという間に無力化し、味方の心が折れる音がした。


 旗主の兵が悲鳴を上げて逃走し、振り返った兵が次々に離脱する。2、3人を斬っても流れは止まらず、敵軍から勝ち鬨の声が上がり始めた。


「これまでか」


 おしまいだな。

 ならばやることはただひとつ!


 その辺の旗主へ監督責任アタックを決めて地面へ落とすと、空馬へ飛び乗った。


「待ってくれ!」

「おい!?」


 なぜかクラリスも前に乗ってくる。

 論争している暇もなく、後方へ全力疾走した。


「撤退だッ! 全軍、逃げ延びろーーーッ!」


 俺の声を皮切りに、リシャールが引き揚げ、遅れてヴァレリーも離脱にかかる。


 フォルクラージュ兵の蛮声と哄笑が戦場へ響く。


 彼らは一心不乱に俺を追いかけてきた。

 あっ!? おいやめろ馬鹿、そこの歩兵!

 こんなときまで律儀に旗を掲げるんじゃねえ!


「エストを追え! 断じて逃がすな!」


 アンリから発される殺意MAXの怒声。


「待て、害虫! 貴様だけは必ず我が手で殺す!」

「待てと言われて待つアホがいるか!」


 アンリと数人の騎士が追ってくる。

 俺は必死で馬を走らせ、地獄の鬼ごっこレースに身を投じる。


 クソッ、クソッ、どうにかしてジョスラン隊の下へ逃げねば!


 しかしこちらは2人乗り。もともと追跡行で疲弊していた馬は徐々にバテてしまい、彼我の距離はあっという間に詰まってきた。


 仕方ない、こうなれば……!

 たてがみにしがみつくクラリスが、こちらの意図を察して激しく首を振った。


「害虫卿、私を捨てないでくれ!」

「なんでだよ! 腐っても実の兄貴だろ!?」

「アンリは自分の失敗を認めない! つじつま合わせのために必ず私を殺す!」

「お前の兄には極端なのしかいないのか!?」

「神様、どうかお救いください……!」


 彼女は神へ祈る。

 神様……。神様……!?


 背中に冷や汗が流れた。


 仮に俺が死ぬとしても、完全勝利を与えたら他の皆が地獄を味わう。地獄を味わったやつが呪いをかけて、また訳の分からない環境に転生などしたら最悪だ。


 この女を捨てるか、捨てざるか。


 どうする俺?

 どうすればいい?


「うわっ!?」


 不意に俺たちの体が宙を舞う。

 馬が足を引っかけて転んだらしい。


 何度も転がって半身を起こすと、視界に馬脚が映り込んだ。


「エスト・ヴェルデン。やりたい放題の悪党め。神の意志により貴様を断罪する!」


 嬉しそうなアンリが剣を天へ掲げたその瞬間。


「なんだ……!?」

「角笛の音……!?」

「この角笛は!」


 雷鳴のような音が鳴り響き、大量の馬蹄音が聞こえてきた。


 ぼけっとしている暇はない。

 俺は片膝を立ててアンリの馬の前足を斬る。


「ぐはっ! ……おのれぇぇぇ!」


 投げ出されたアンリが我を忘れて斬りかかってくる。殺したい相手に剣が届く距離まできて、頭に血が上ってしまったのか? 足を怪我している俺は完全に不利だが、心の奥底ではすでに余裕を感じている。


 視界の奥、アンリの後ろ側では。


「閣下を救え! 敵を捕らえよ!」


 騎兵隊を率いたアメリーが、一直線にこちらへ向かっていた。

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