第58話 穏やかな日常


 日の出が遅くなってきた。

 朝晩は冷え込むが生活様式は変わらない。


 まずは資産の管理から。


「確認が終わりました」

「ちゃんと全額あるな?」

「145万3220クーラ、ちょうどです」


 蔵の確認は怠らない。


 残金の確認は毎日させており、俺自身も週に1度は必ず立ち会っている。

 政務費用は別に保管してあり、これらはヴェルデン家の財産そのものだ。


 金は人生に必須だが人を腐敗させる。


 どれだけ立派な人間も、大金の隣で呪力に抗うのは難しい。触れているだけでも徐々に邪心が湧いてきて、いともたやすく理性が崩れてしまう。


 金庫番たちは敬して検めよ。

 “見られている”と意識させたい。


 盗まれてから間隔が空けば、気づいても手遅れになりがち。

 いつ、誰が、どの時間帯にどれだけ携わったかを把握するべし。盗まれた場合に犯人が外部の泥棒かどうかもわかって一石二鳥だ。



 それを終えると館外の訓練場へ。


「遅れているぞ! 速度を落とすな!」


 ジョスランが最後尾の尻を蹴り上げる音。

 俺はお尻を蹴られないよう、他の兵士たちにへばりつく。


 走り込みを終えるとジョスランが横に座った。

 兵士たちは仰向けに倒れて息も絶え絶えだ。


「訓練をキツくしすぎじゃないですか?」

「わかってる。だから文句を言えないように俺も参加してるだろ」

「意図はわかりますけどね」


 俺たちはいつも策を駆使して勝ってばかりいる。アンロードや魔族らと戦った者はともかく、大部分の衛兵たちはまともに強敵と戦った経験がない。


 言い換えれば、ここぞという場面で粉砕されやすい。

 そうならないように訓練強度を上げないと。


「重装歩兵隊は頑張ってるな」


 汗を拭いて遠くを見る。

 大盾の持ち手たちはまだ走り続けていた。


「閣下の信頼に応えるぞって張り切ってますからね」

「喜ばしいが……あんなに気合を入れるほどか?」

「何言ってんですか。すげえ盾を託しておいて」

「金をかけたといっても300クーラだぞ」

「いやいや、2310クーラですよね?」


 ん? どういうことだ?

 ジョスランは何かを納得して笑った。


「ははあ。なるほど。こりゃ余計なことを言っちまったかな?」

「何だよ。もったいぶるな」

「セヴランのやつ、高額な盾を値切って8分の1の価格で仕入れたんですよ。騎士のフェルタンには負けられないって」

「そんなことが」

「理由はわかりませんが、閣下には内緒にしてたんですかね」

「なるほど、魔法を弾けるわけだ」


 14万かと思ったら112万の盾だったとは。しかも己の活躍を黙っているなんて、あいつは性格までイケメンかよ!



 訓練後の水浴びを終えると館の裏庭へ。


 気候的にやりやすくなってきたドライフルーツ作りを手伝う。


「聞いたぞ。魔法盾を値切った話」

「ぬ、誰からです?」

「誰でもいいだろ」

「ジョスラン殿ですか?」

「さあな」

「ジョスラン殿ですね?」


 セヴランは手ぬぐいを取り払い、指を拭った。


「隠していたことは謝ります。ですが、たまたま上手くいった話を今後の基準点にされては、皆が困ると思いまして」

「あー、なるほどな」


 職場のスーパーマンが活躍して数字を出す。数字を見た経営陣は、これぐらいならできると判断する。翌年からの要求基準がやたら高くなって詰む。


 ありがちな話だ。原因を生んだ者は、頑張っただけなのに針のむしろ状態に。


「報告はするだけしろ。たまたまの場合はそう伝えればいいから」

「すみません。次から気を付けます」


 気にしてないと身振りで示す。


「いい機会だし、賞与をやろう」

「賞与、ですか?」

「賃金とは別に支払われる特別報酬みたいなものかな」

「そこまでの働きなど」

「俺の評価は違う。日常の役目に、魔物討伐の際に送った援軍の件、王都の調達……すべてひっくるめて、盾の正規費用と購入金額の差額、8万825クーラでどうだ」


 セヴランは硬直した。


 足りないと思ったのかな?

 おおよそ3920万円だけど。


「不服なら上乗せするか?」

「いえ、いえ、不服など。ですが、そんな大金をどう使えばよいのか」

「行商人だったんだから使い道ぐらい考えられるだろ?」

「ですが、その」

「なんだ」

「私は仕組みが面白いから商いをしていただけなのです。儲けたお金で贅沢をするのは、特段面白いとは感じないタチでして」


 なんだこいつ!?

 イケメンなうえに聖人かよ!


「では何が面白いんだ?」


「計画を立て、空白を埋めていくこと。計画が計画通りにいくこと。もしくは想定以上の成果を生み出すこと。難しい状況を工夫して解決すること。問題が解消されて、仕組みが効率的になること。効率が適切な資源の下に機能し続けること。それから、それから――」


「ああ、わかったわかった」


 急に早口になったセヴランを落ち着かせる。

 なんだかいきなり彼のことがわかってきたぞ。


 いわゆる内政大好きマンなんだな。


 工場敷設系のゲームに時間をダバダバ費やし、文明を築かせればひたすらタイルを改善し続け、つるはしを渡せば永遠に整地と機械の設置を繰り返すタイプの人間。


 なるほど、なるほどねえ。

 君には満足度の高い仕事を与えてやれそうだ。


 心の中の真っ黒な俺が、口を三日月みたいな形にして笑っている。


 とりあえずカフェインの代替品を探しておこう。


「閣下」

「んー?」

「もしよければ、その賞与とやらで用意していただきたいものが……」


 彼は二の腕をさすりながら言った。




 ジョスラン、セヴランらと一緒に飢民の配給現場へ向かう。


 あっちもこっちも大忙しって感じだが、俺たちが現れると誰かが叫んだ。


「見ろ、殿様だ!」

「エスト様!」

「政務代行様!」


 押し合いへし合いしていた全員が振り向く。

 彼らはこちらへ、自主的にひざまずいた。


 嫌々やっていた以前とはえらい違いだな。


 民衆は敬意と親愛をこれでもかというほどに示している。ジョスランや兵士たちは嬉しそうだが、この好感度ゲージは自動で減っていくから注意しろよな。


「これは閣下。いかがなされました?」


 ニコラ司祭と部下たちもやってくる。


「こちらのセヴランの提案でな、毛布を持ってきた」

「なんと!」

「これから寒くなりますからね」

「そういうことだ。俺は関係ないから、お礼はこのセヴランへ述べるように」

「感謝します、エスト卿!」


 おいニコラ。

 口の端が笑ってんぞ。


「皆、殿様にお礼を言わねえと!」

「ありがとうございます!」

「この御恩は一生忘れません!」

「ありがとう、エスト様ー!」


 人々や子供らは口々に感謝を述べた。


 一生忘れない、ねえ……。

 一週間の間違いだな。それでも長すぎか。


 妙な展開になってしまったが、起きたことはもう仕方がない。使えるうちはこの配役から利益を得ていくしかないか。


 譲れない部分を譲るつもりはないけどな。



 館に戻ると父上たちを発見した。

 芸術家たちは、廊下から外を眺めて写生に打ち込んでいる。


 最近、彼らはよく動き回るようになった。


 以前はこだわりの裏側に行き詰った人生への不安も感じたものだが、今では堂々と我が道を邁進している印象だ。世間的な価値があると自認した人は、ここまで変わるものなのか。


 現実逃避から価値観の開拓へ。

 そのうち巨匠を輩出するんだろうな。


 俺には彼らのような才能も情熱もないから、そっと眺めるだけだけど。


 ほんの少しの憧憬と寂寥感を覚えつつ、邪魔をしないようにこっそり道を変えた。




「それで、申し開きは?」

「…………! …………ッ!」

「ないようだな」


 首元で手をスイングさせる。

 殊勝にも無言を貫いた旗主一族の首が飛んだ。


 刑場に新鮮な血の支流が生まれる。


 うむ。実にスムーズだ。

 事前に喉を焼いたのは正解だった。


「次の者。申し開きは――うん、ないな。やれ」

「……! ……! ~~~~ッッッ!」


 今、俺は延び延びになっていた処刑を執行中。

 妙な幕引きのせいで、一部の捕虜を始末するのにちょっと期間を空けていた。


 幸か不幸か一時的に民衆の心は掴んでいる。今のうちにガンガン首を斬り落とし、ちゃっちゃか晒していかねばならない。


 じきに冬がくるからやる気も出るってもんよ。

 冬はいいぞ~? 首がすぐには腐らないし。


 なんたって、教会諸国の冬は氷点下がデフォルト状態の極寒だからな!


 全員の首を斬ったヴァレリーに干し肉を与え、頭をわしゃわしゃする。


「俺はまだ生きてる」

「?」

「どうにか生きて今年を乗り切れそうだ。ヴァレリーもよく働いてくれたな」

「はい! あ、いえ、とんでもないで……はむ」


 開いた口に千切った干し肉を放り込む。


「来年はどんな年になるかなー」

ひっほきっとひーほひいあいあういい年になります

「だな。とても楽しい年明けになりそうだ」


 彼女を撫でつつ、一通の手紙を懐から取り出す。


 ――バリック・フォルクラージュ、叛乱。


 あちこちへ送られた檄文と開戦の布告を読み直し、心から笑った。


 ……本当に笑える。

 なんだこの行動力は。


 これが陽キャか? 笑うしかねえよ!


 遠い目で空を見上げる。


「あれ」


 ヴァレリーも何かに気づいて空を見上げた。


「おおー!」


 初雪だ。

 血まみれの刑場に白雪が舞い降りてくる。


 俺は空へ向かって手を合わせた。


「来年も――いや、まずはこの冬を生き残れますように」


 俺たちは物言わぬ生首に囲まれながら、銀色の空をいつまでも眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る