第57話 爆弾処理


 数日後。

 俺は執務室にて、返上された剣とマントを眺めていた。


 これはロマンを卑怯な手段で殺した代償。

 納得がいかなかった騎士の一部が忠誠を撤回したのだ。


「引き留めなくて良かったんですか?」

「まあな。彼らには彼らの時代のやり方、彼らなりの正義がある。それは慰留すれば変わるような安物ではない」


 幸いなのは、俺が叙任した中からの離脱者がいなかったことか。館を退去したのは全員が父や祖父に仕えていた騎士たちだ。


 人間はそれぞれ見てきたものが違う。経験が立場を作り、立場が信念を固める以上、どうしたって折り合えないときもある。現状に不満があるなら、自分で自意識を変えるか、より幸せになれる場所へ流れていくしかないのだ。


 その選択を妨害してはいけない。

 止めれば、蓄積した毒が致命的な場面で効く。


「閣下は強いですね」

「物事に完璧は望めないと知っているだけさ」

「否定されるのは辛くないですか?」

「いちいち折れていたら支える者たちが困るだろ。旗を掲げて人を巻き込んだ以上、どんなときでも前進は続けなければ」


 すでに引き返せない道の途上にいる。

 俺が投げ出せば、着いてきた者たちは復讐者から皆殺しにされかねない。


「そういうわけだ、メディロン」

「…………」

「戦は勝った。俺も生きてる。完璧ではないが十分な成果。あまり自分を責めるな。悔やんでいるならいずれ取り返せ」

「……はい」

「命令だ。これ以上引きずったら罰する」


 失敗が重くのしかかって精彩を欠く若者は、釈然としないながらも承服した。


 しくじったら処刑すると宣言したが。

 誰もが忘れているからノーカンでいいか。


「閣下、皆さまが集まりました」

「では行こう」


 俺たちは席を立ち、旗主たちが待つ広間の祝宴会場へ向かうのだった。




 宴を終え、館のバルコニーで景色を眺める。


「借りができてしまった」


 摂政の添え状をもてあそぶ。

 なぜ助け船など出してきたのだろうか?


 気づいて対処すればそれでよし。

 気づかずに潰れてもあちらに不利益はない。


 そんな程度のサインだが、無視できる件に遠回しな介入をしてきたのは事実だ。


 教会諸国の貴族は派閥外の存在に厳しい。グループ内で粗略な対応が起きれば抗議もするが、“オレら”以外はどう扱われようが気にしない。公正など求めていない。


 例外は敬虔な信徒ぐらいなもの。


 外部の労力は貪って当然。徹底的にしゃぶり尽くすべき――それが人の移動と侵入が激しかった土地のデフォルト。一般的な行動指針。


 配慮は屈したと受け止められ、バレレばむしろ仲間からの突き上げを喰らう。


 それだけに、摂政が無関係の俺に忠告を贈ったのは珍しい。


 フォルクラージュやルンペットの影響力が拡大しないことで得られる利益とは。


 彼女の政治に対する方針がいまいちわからない以上、何をどう考えて、いかなる結果を求めているのかが謎い。政争は強いんだろうけどゴールが分からない。


 いずれにせよ助かった。

 助けられたら見返りを求められる。


 この件を足掛かりに何を要求をされるのか、細心の注意を払わねば。


 などと考えていたら、足音がした。


「エスト殿!」


 ユリアーナだ。


 珍しく深酔いしている。

 入口では、アメリーが心配そうに待機していた。


「包囲戦のまとめ役、ご苦労だったな」


 彼女は鼻息を荒くしたまま、無言。


「どうした?」


 答えはない。

 彼女はこちらをじっと見つめたまま、あーうー言ってうじうじしている。


 やがて、意を決したように切り出してきた。


「聞きたいことがあります」


 なんだ、この真剣な顔は?

 聞きたいこと……。


 ハッ、まさか!?


 彼女もロマンの殺し方に不満があるのか?

 いや、ボルダンらの件もあるし今さらなはず。


 動揺を隠し、努めて笑顔で返す。


「何かな?」

「ジネットのこと、どう思っているのですか?」


 あ、ああー……。

 そういうお話でしたかー。


 そうだな。

 領内の脅威は排除した。

 そろそろ爆弾に触れてもいいタイミングだ。


 俺は肩の力を抜いて答えた。


「好きだよ」


 ユリアーナの顔が苦しそうに歪む。

 元のエストの記憶を探りつつ、自分の立場も加味して言葉を続けた。


「最初は変なやつだと思ったけど、どれだけイジメても決して媚びてこないところが気に入った。俺は幼いときからあの娘を親友だと思っていて、いつも会うのを楽しみにしている」


「そう、ですか」


「絶対に死ぬだろって状況で告白されたときは、正直言って驚いたけど。ジネットに対して好きとか愛とか、そういうのを考えたことはなかったから」


「……え?」


「でも、命を捨ててまで一緒に死ぬと言い切った彼女の魂を愛おしいと思った。そこまで好いてくれるなら、こちらも何かを返したい。だから嘘は言わない。今の俺は、彼女を愛人として手元に置きたい」


 裏切らない手駒を切実に望んでいる。


 個人的な信用率が6割を超える人物は今のところシモンしかおらず、4割に下げると死地へ戻ったジョスラン、プライドを折って主君に奉仕したフェルタンが入る。


 シモンは独立部隊の長。ジョスランは衛兵隊全体の管理に忙しく、フェルタンにも独自の役目を振る予定だ。手足や代理として使える人材が不足しているのだ。


 手駒の補充は容易じゃない。


 ――仙台藩祖の伊達政宗公は言った。


 仁に過ぐれば弱くなる。 

 義に過ぐれば固くなる。

 礼に過ぐればへつらいとなる。 

 智に過ぐれば嘘をつく。

 信に過ぐれば損をする。


 この5項目。1つ欠けているのは問題ないが、3つ以上そろっていると世間に賞賛される人になる。対する俺の選択は時と場合によって不名誉そのもの。世上の価値観に迎合している人へ代役や密命を託すのは危険すぎる。


 領内にこれはと思う人がいないでもない。

 すると今度は立場が問題になってくる。


 城持ち相手に重要な秘密を明かすのは不安。身分や実力が低すぎれば期待した仕事をこなせない。忠実性の根拠があるか、弱みを握っていない者らは信用に値しない。


 ジネットは優秀な騎士であり、尽くす理由が明確でほどほどに利己的。人格も立場もちょうどいい。


 道具以上の仕事を任せられる。

 ぜひとも欲しい人材だ。


 しかし下野=完全な無関係とはいえず、引き抜きは人によって核地雷になりかねない。侍になぞらえると奉公構ほうこうがまえの例もある。なるべく慎重に言葉を選んだ。


「な、なら、なら! 3年前、なぜ私に求婚してきたのですか?」

「ヴェルデン家のために」

「……ッ」

「ガストンの脅威を排除するべく同盟者を求めていた」

「ぐっ」


 彼女はよろよろと膝立ちになった。

 俺も椅子から立って謝罪する。


「ホロールの件、求婚に関する伝統のことは知らなかった。勘違いさせたなら謝る」


「聞きたくないです。そんな言葉。私が、私が聞きたいのは……!」


「ユリアーナ」


 顔を上げた彼女の肩に手を置く。


「貴族にとっての結婚は政治であり義務だ。クラトゥイユとの婚約破棄もヴェルデンのため。次の相手はヴェルデン家と領内にとって最も得になる相手を探す」


「私は選択肢ではないと?」


「そうだ」


 おもむろにうなずき、目を開いた。

 あ。マズいな。あんぐりと放心している。


 頭真っ白って感じだ。

 漫画なら口から魂が飛び出てるやつ。


 少し調整しておこう。

 でも嘘を言ってはいけない。不誠実は見抜かれる。


 エスト・ヴェルデンの感情と、俺自身の本心。加えて彼女の失った時間が報われるような言葉も伝えなければ、最悪はこの場で殺される。


 痴情のもつれはすぐに刃物が出てくるから。


「その」

「聞こえませんでした」

「…………」

「き、聞こえませんでした!」


 涙目の彼女を眺めて深呼吸。


「君のことは何とも思っていない」


 花の代わりに一輪の言葉を贈る。

 ユリアーナは二筋の涙を流した。


 こちらも膝を折って視線を合わせる。


「何とも思っていない――そう、思わなければならない」

「へ?」

「俺だって完璧じゃない。昔は結婚相手にこだわっていて、誰でもいいわけじゃなかった。結婚は恐ろしいものだから」

「恐ろしい……」

「母上を知ってるだろ?」


 彼女は、はたと納得した。


 エストの母は前世でいう悪妻毒母そのもの。

 父との関係は劣悪で、長いこと館内別居中。


 一族のユリアーナも重々承知のことだ。


「うちの母上はいつも怒っていてさ。家族が顔を合わせるたびに緊張が走っていた。常に監視され、否定され、いちいち批評されるから、自分の心を歪めてでも合わせないといけなくって。その苛立ちと毒に蝕まれた俺はどんどんおかしくなっていった」


 以前の言動と繋がる話をする。

 俺が客観的に評価しても、やはりエストの傲慢さはストレスからの逃避に思えた。


 母にすり寄った姉。

 外で暴れたエスト。

 人へ高慢に接した妹。


 反応は三者三葉だが根源は一致している。

 傷つき、損なわれたペルソナの修正だ。


「いつも心で言い聞かせていたよ、まだ鳴かないだけ、まだ飛んでないだけなんだって。押し付けられた呪いの重さに耐えられなくて、弱く踏みにじられる自分が許せなくて、民に八つ当たりもした。こんなの本当の俺じゃないと思いながら……」


「それであのような」


「他人からすれば、どんな俺だって本物なのにね」


 ユリアーナの感情は理解と納得に塗り替えられている。


「とにかく俺は学んだ。結婚相手を間違えれば、人生が台無しになる。人生が幸せで素晴らしくなる家庭を築くには、相手を選ぶ必要があるのだと」


「…………」


「君となら」


「え」


「手を携えてそういう人生を歩めるんじゃないかって。幼稚な夢を見ていた」


 彼女の紫瞳が揺れる。


「でも、派手に断られて目が覚めた」


「あっ!」


 愕然とした表情。

 己の過失に思い至ったのがわかる。


 そう、かつての求婚はユリアーナ自身が破談にしているのだ。


「もっと強くなれ。あの言葉で立場を自覚できたよ。俺は伯爵家の後継ぎだ。この双肩、選択のひとつひとつにヴェルデン20万人の命運がかかってる」


「待っ、あれは違いま」


「甘えは捨てて、強くならなければいけない。……子供のままではいられない」


「――――そんな」


「だから君にこう言おう。俺は、君のことを大切な旗主だと思っている。頼りになる一族。軍事力の要。共にヴェルデンの民を守り、未来を切り開いていく友人」


 言葉を切る。

 一瞬考え、付け加えた。


「かつて愛した人」


 真っ白に固まった彼女の肩から手を放す。


 最後のは完全にオリジナルだ。曲がりなりにも自発的に求婚したなら、どこかしらにそういう気持ちはあったはず。なかったとしても、ユリアーナの働きを考慮すればこれぐらいのリップサービスはあって然るべき。


 ただフラれるだけってのはちょっと。

 あんまりにもあんまりだ。


 手を引くのは、決してそちらが無価値だからではないと示したい。


 俺は石像になったユリアーナへ詫び、アメリーのもの言いたげな視線も受け流し、重荷を下ろした清々しい心境で館の中へと引っ込んだ。

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