第54話 計略・2


 それから5日はゆったりと過ごした。


 降伏を呼びかけるだけで矢を射かけず、風景をスケッチさせたり、素直に従った旗主たちと話をしながらひたすら待つ。


 その間にも領内各地から飢民や流民を率いた味方が続々と到着した。


「改めまして、セレナリア家のリシャールでございます」

「そういえば年明けの宴で見かけた覚えがないな」

「ロイク様よりガルドレードへの立ち入りを禁じられておりました」


 あー。

 ずっと放置されたままだったのか。

 代替わりした父上もその辺に関心はなさそうだ。


「ひとまずはよく働いた。遅参の罪と併せてガルドレード追放の罪も赦そう」

「……感謝いたします」

「司祭。このような戦場に聖俗の者を呼び立てて悪いな」

「私は構いませんが、民を巻き込むのは」

「これはヴェルデンと反逆者の争い。領主と民、双方の意志を示さねば」


 ちょっと不機嫌なニコラ司祭をなだめる。


 領内各地から集ってきた民は、三方の山々で所狭しと見物している。一種のお祭り状態に近い。城方からすれば相当なプレッシャーがかかるだろう。


「それに、集まれば配給の手間も省けるというものだ」


 セヴランも呼び寄せ、急に読み書き計算の能力が向上したジョスランと一緒に戸籍を作らせている。彼らによると、この場には3万人近くの民衆がいるらしい。


 噂が噂を呼んだのかな。


 俺への当たりは相変わらず強い。が、人々はニコラ司祭たちに遠慮して、大人しく配給を受け取っている。輸送が滞って怒り狂わないかが心配だ。


 6日目は開けた平地で馬上槍試合を開催した。


 その間に観客席から糞尿を集めさせて鍋で煮込み、鍋ごと壁の向こうへ投射する。これまでとは比べものにならないほどの悲鳴が轟いた。


 7日目。


 3万人のウンコに音を上げたのか、ファール城から講和交渉の使者を送る旨が伝達されてくる。しかも、こちらの陣地内で話をするという。かなりの譲歩だ。


 ちょうどいいところに神の代理人たちもいる。司祭たちに立ち会いを求め、神の名の下に和平の話し合いが始まるという情報を民衆たちにも流布させた。


 話を聞いた民たちは、歴史的瞬間を目撃しようと平地の近くへ集まってきた。近くには収まりきらず、山の上から陣を眺める者たちもいる。


「あっけない。こんなに簡単でいいものか」

「簡単ったって、あれを連日喰らうのはキツいでしょう」


 シモンたちが苦笑している。

 テント内で用意を整えて待っていると、使者たちが入ってきた。


 使者たちは俺からかなり離れた位置で立ち止まる。


「謁見の栄誉に感謝いたします。閣下」

「貴様は?」

「ダミアン・リザント。リザント家当主の弟です。こちらは亡き弟の息子のダニエル。兄と私にとっては甥にあたります」


 当主の弟と甥を差し向けてきたか。

 人選はかなり本気に思えるが、さて。


 リシャールがゆらりと近寄ってくる。

 身構えるヴァレリーたちを制して差し招くと、彼は小声で耳打ちしてきた。


「閣下。リザント家の先々代はあなたの曾祖父に負けて降参した立場。先代のほうもロイク様との折り合いが良いとはいえず、何度も背く気配を見せていた人物です。自立を宿願とする彼らが簡単に諦めるとは思えません。ご注意を」


「その言葉の担保は? というか、なぜ教える」


「リザント家の先代はガエタンめと親しい間柄。私の敵ですゆえ」


「ガエタン……ガエタン……」


「ラノア家の先々代。ガストンの祖父です」


「ほう、そう繋がってくるのか」


「あやつは人間のクズですが、のうのうと天寿をまっとうしていきました。だから私は老衰以外で死ぬわけにはいかないのです。ガエタンよりも長生きせねば……!」


 リシャールはふたりをめつけながら下がる。

 自立希望の旗主か。ひとまず留意しておこう。


 リザント家のダミアン、ダニエル両名に向き直る。緊張か、それとも豪胆なのか、微笑みを浮かべる中年と、青い顔色で立つのもやっとそうな少年のコンビだ。


「待たせたな」

「いえいえ」

「では続きを。降伏の条件だが――」

「降伏? はて、それはおかしな言葉だ」

「なんだと?」

「ああ、もしかしてヴェルデン家がリザントへ降伏する、という話でしたかな? それはいい、どんな条件が出てくるのかぜひ聞いてみたいものだ!」


 ダミアンは痛快そうに大笑いする。

 何を言っているんだ、こいつは。

 近くの騎士たちが剣を抜き、ダニエルのほうはぶるぶる震え始めた。


「ぜひ聞いてみたいものだが、それは御国での楽しみにとっておくとしよう……いや、貴様が行くのは地獄だったか」


 ダミアンは胴鎧を脱ぎ、鉄板の裏に貼りつけていたナイフを抜いた。ナイフが振りかぶられ、ジョスランとヴァレリーが俺の前に飛び出て射線を塞ぐ。


 すると、ダミアンは隣の甥に飛びかかって喉を切り裂いた。


「なんだと!?」

「乱心か!」

「ッ! しまった! そいつを生け捕りにしろッ!!」


 彼を指差すが、騎士たちが動くよりも先にテントの外へ転げ出てしまった。


「殺された! 甥がエストに殺された! 和平交渉は罠だ! リザント家は神の思し召しに従ったのに、エスト・ヴェルデンは神へ立てた誓いを裏切ったぞ!!」


「おのれ害虫! 神にまで立てつくか!」

「どこまで思い上がっているのだ、卑怯者の背教者め!」


 ダミアンの叫びに呼応して、彼の従者たちが口々に騒ぎ立てる。彼らは同時に別々の方向へ逃げ始めた。


「逃がすな! 捕らえろ!」

「殺される! 神と和平を裏切った害虫卿に殺される!」


 従者たちは叫びながら、わざと転んで敵の騎士へと飛び込む。敵の騎士たちは従者を斬り殺し、これみよがしに血まみれの剣を振り上げてアピールした。


 クソッ、狙いは民衆か!


 あいつらには騎士や紋章の見分けなんてつかない。わかるのは和平交渉に訪れた者たちが逃げようとして殺されている構図だけだ。


「決裂か! 弩兵、準備しろ!」

「待て、メディロン!」


 彼を止めようと手を伸ばす。

 しかし一歩及ばず、弩兵たちが陣から逃げる従者たちを射殺してしまった。


 マズい!

 マズい、マズい、マズい!


 どう考えても俺が射撃を指示して、メディロンが従ったようにしか見えない!


「見たか、民たちよ! エストは神との誓いを裏切り、和平の使者を殺してしまった! やつは悪魔だ! 背教者だ! だから領内に疫病が流行ったんだ!」


 追っ手をしのぐダミアンが全世界へ届きそうな音量で叫び散らす。

 観衆が動揺し、ざわめきの音が山々へこだましていく。


「こうなれば一矢報いてやる!」


 ダミアンがこちらへ反転してくる。

 騎士たちが止めに入ると、彼はいきなり倒れた。


「どうした?」

「死んでます!」

「……毒か」


 死体の唇は青紫に変色し、血と泡を吹いていた。


 彼らは自殺を避ける。遅効性の毒をあらかじめ飲ませてもらったのだろう。


「やられた」


 剣を杖にしてもたれかかる。

 そのままズルズルと膝を突く。


 惨劇を目の当たりにし、民衆の怒りがマグマのように沸騰するのを肌で感じた。


 人々は遠巻きに立ち上がり、こちらへ憎悪と軽蔑の圧力を向けてくる。その異様な雰囲気に味方の将兵も不気味さを感じて気圧される。


「ふざけんな!」


 誰かが叫んだのを皮切りに、民がその場で怒りの大声を発し始めた。それは隣へ、そのまた隣へと次々に伝搬していき、集団心理を増幅する。


 次の瞬間、角笛が鳴ってファール城の門が開いた。

 騎士たちが橋を駆け抜けてくると民衆は大歓声を送る。


「迎撃する! 槍兵は整列、弩兵は斉射を用意!」


 ユリアーナが叫ぶ。


 ジョスランは我に返って動いたが、メディロンのほうは己のやらかしを受け止めきれずに放心したまま固まっている。


 乱れた隊列。

 動きの悪い部隊。

 最前列にいる俺。


 突撃してくる騎士たち。

 応援するようにじりじり迫ってくる民。


 害虫、放火、死ね、殺せ。


 そんなワードがどこか他人事のように聞こえ、すべての光景がスローモーションに感じられる。もしかすると、俺自身も混乱しているのかもしれない。


 あー、ダルすぎる。

 頭が真っ白になる。


 こんな世界で覚醒して。

 訳の分からない状況に放り込まれて。

 他人のカルマの尻拭いをさせられて。

 ひとつひとつの選択をミスり続けて。


 この展開か。

 こんな結末か。


 マジでなんなんだよ。

 やらなきゃやらないで詰むのが確定だしよ。

 せめてチートぐらいくれてもいいだろ、神様。


 目の前の敵に勝ったところで。

 今度は民衆との争いが始まる。

 物事を、己の実力を過信していた。

 コントロールできるはずと慢心していた。


 凡人が貴族身分になっただけなのに。

 俺自身がスゴくなったわけでもないのに。


 心のどこかに油断があったんだ。

 敵をやられ役のNPCとでも思っていたのか。


「こんなことならいっそ、初手で領地を捨てて、南の島にでも逃げとけば――」


 なんて愚痴をこぼしていると。

 背中を引っ張られる感触がした。


 ヴァレリーが何かを叫んでいる。

 ユリアーナが指示を出し、ジョスランがもたつきながら部下を動かしている。


 皆、必死だった。


 他人事のように己の生を諦める者はいない。


 はあ。やらなきゃダメか。俺ひとり死ぬならともかく、こいつらを巻き込んどいて、もうや~めた!なんて投げ出すのはセコい。


 散々殴った立場だろ。たかが一発いいのをもらっただけで、何を萎えているんだ。


 選択には責任が伴う。

 その責任から逃げ出せば、軽蔑しまくっていた庶民と何も変わらない。


 しゃあねえ、現実ゲームに戻ろう。

 最もなりたくなかった自分にならないために。


 立ち上がって剣を引き抜く。それを八双に構えて迎撃を覚悟すると、ニコラ司祭が彼我の軍勢のど真ん中に飛びだしてきた。


「全員武器を捨てろぉおおおおおッッッ!」

「司祭!?」


 突然の奇行に面食らいつつも、彼を慕う聖職者たちがおっかなびっくり後に続く。


 彼らは手を繋いで人間の鎖を作る。聖職者の集団を馬蹄へかけるわけにもいかず、敵の騎士たちは馬を止めた。民衆も困惑しながら立ち止まった。


「ニコラ様だ」

「司祭様」

「なぜ?」

「どうしてあんな悪党をかばうんだよ……?」


 兜を取った男がニコラへ呼びかける。


「そこをどけ、聖俗の方! 神の敵を殺すのだ!」

「この方は神の敵ではない」

「何をおっしゃる、その男がやったことは――」

「エスト・ヴェルデンは、背教者などではないッッッ!!」


 低く、重苦しく、血を吐くような絶叫が響いた。

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