第49話 誰かのことを考えていると本人が現れる現象
今日も市外で訓練を行うガルドレード衛兵隊。
早朝の部には俺もよく参加している。
個人的にも手足として使う兵の癖を掴んでおきたい。よって戦闘訓練のみならず、俺自身が命じて義務付けさせた走り込みを一緒にこなしている。
汗を拭って風に当たると、よく通る高めの声が聞こえてきた。
「射手、用意、放て!」
クロスボウの斉射が並べたカカシに刺さる。
「精度は課題、と」
「いやはやお恥ずかしい」
「次はクロスボウの角度を少し上向けてみよう。用意、放て!」
ボルトはかかしから外れて遠くの地面に刺さった。
「実戦では目の前に味方が並んでいる。射ち下ろし、水平射ち、曲射、どの角度でも戦えるよう、すべての感覚を頭と体に焼きつけるんだ」
凛々しい美少年がてきぱきと説明していた。
彼の名はメディロン。
期間限定で俺の副官を担当する。
オディロンの弟で、アサンゾード子爵の息子のひとりだと紹介された。
俺はオディロンを副官かつ人質として確保しようと考え、意図を見抜いた彼は固辞して代わりの生贄を用意したってところだ。
メディロンは鎖骨までの金髪をポニーテールにまとめており、乙女のような紅顔で声が高い。男装の麗人とか、女子高の王子様とでも言われたほうがしっくりくる。
というか、どう見ても……。
言わぬが花ってやつか。
兄に劣らず自ら前線に立つタイプらしく、兵の訓練は堂に入っていた。
「意外な掘り出しものかもな」
嫡子に比べれば格落ちだが、30万クーラは分割払いで与えることにした。
気前の良さからではない。
借金の貸主が俺になっただけ。
では何で返してもらうのか?
地政的な利益と致命的な時間だ。
ヴェルデン領境の北北東にはクラトゥイユ領があり、そこから北東辺りまでは高低差のある断崖が続く。断崖の隣には大きな湖が広がり、湖を越えるとわずかな土地の先で東の大山脈とぶつかる形だ。
崖と太湖の下辺はちょうどL字型になっている。
このL字の下部、ヴェルデン領境の東北東から大山脈の間に敷き詰められているのが、いわゆる境界諸家の一部だ。
そして領境の東から南東方面にはフォルクラージュ侯爵領がある。境界諸家の一部は、フォルクラージュ侯爵領の冠みたいなもの。
この両家の回廊部のうち、フォルクラージュとの境目をなす川の渡河地点を治めているのが、アサンゾード子爵家だ。
仮にフォルクラージュと諍いを起こしたとき、アサンゾード子爵領が踏ん張ると、背後の諸家は気安く寝転びづらくなる。短期間ながら諸家の動揺が期待できる。
このわずかな時間で回廊を制圧した側が、二正面攻撃を行って圧倒的に有利な立場になれるわけ。
金が入ってくる間、子爵家はそう簡単にこちらと敵対できない。
なにせ取り立てるのは天下の教会様。
裏切ったら裏切ったでフォルクラージュごと告発すればいい。
なかなか悪くないんじゃないか?
自国の領主とバチバチにやり合う前提だが、仲が悪い領主同士での小競り合いなどしょっちゅうだ。俺の内心はともかく、向こうの公然とした立場が敵対的である以上は備えておく必要があるだろう。
「もう一度だ! 用意、放て!」
あれなら持ち場を任せても大丈夫そうかも。
◆
秋はさらに深まり、寒さが気になってきた。
「うー、寒い」
「そうですかね?」
体のほうは平気なものの、心理的に寒く感じる。
中身が現代人だからか?
かつて中東欧の観光局サイトを閲覧した際、冬には0度前後の比較的暖かい時期が続く、という衝撃的な一文があったのを思い出す。
物理的に寒がっているのは俺ひとり。
ところが、王国の一部地域では、皆が心胆を寒からしめる事態に怯えていた。
奇病を恐れた民衆がパニックに陥り、見当違いの部分に原因を見出して暴れたり、食料を燃やしてみたり、魔女狩りを始めたり、あちこちで強盗に及んだりしている。
幸い、我が領は野盗の被害が少ない。
初期段階で出るには出たんだが。
捕虜をひとりずつ異なる方法で公開拷問し、その首を各地に設置して“賊はエストが直々に殺す”と宣伝させた。
彼らは街道や村々から姿を消した。
代わりに森の中へ逃げ込んだようだが。
賊徒の被害は抑えられたものの、市場へ食料を売りに行く者は極端に減った。
王国中東部のあちこちでも売り渋りが発生し、加速度的に飢饉の機運が高まっている。隠しているだけで、すでに発生している土地があるかもしれない。
そんなことを考えていた矢先、不幸の手紙が送られてきた。
「閣下、この手紙には貴族家の印章が」
「差出人は」
「フォルクラージュ侯爵家です」
「あ? 何の用だ」
侯爵家の一族が俺を非難する手紙を送ってきたのは記憶に新しい。
また文句でもつけてきたのかと思ったが……。
「どうなさいました?」
「丸めて言えば、助けてくれ、と書いてある」
「そりゃあ驚きですね」
「侯爵領の飢餓と疫病が深刻とは聞いていましたが」
「噂は事実だったようですな」
俺は役人へ指を鳴らす。
「最初に送ってきた手紙の写しは?」
「こちらに」
「もう一枚書いてそのまま送り返せ」
遠回しでプライドまみれな手紙は焼き捨てた。
話はそれで終わりのはずだったが……。
数日後。
「閣下! 先生! 一大事です!」
裏庭でイチゴの砂糖漬けを作っていると、使用人が走ってくる。
「どうした」
「フォルクラージュ家の使者が訪ねてきました!」
「はあっ!? 館に入れたのか!?」
父上が筆を投げ捨てて立ち上がる。
「連中と話すことなどない! 追い返せ!」
「それが、その」
「なんだ!」
「摂政殿下からの添え状を持っています!」
父上が椅子を蹴飛ばす。
俺とセヴランは顔を見合わせた。
やられた!
先に摂政と連絡を取り合っていたのか!
俺たちは大股歩きで廊下を進む。
「あの女、無理やりにでもヴェルデンとフォルクラージュを繋げようって腹か!?」
正式な添え状を無視して会わなければ?
摂政自身の名誉に唾を吐いたとみなされる。
購入した食料のうち、王都を経由して届くものは接収されるだろう。そろそろ俺が魔族の首を手放した理由に気づいている頃合いだ。
「いかがなさいます」
「王都の流通から締め出されれば食料確保の難度は上がる」
「では、協力を?」
「それはダメだ! それだけはダメだ!」
珍しく父上が吼える。
「私が幼い頃からずっと不当な侮辱を加えてきた連中だぞ! 助けるなど!」
「父上」
「ダメだぞ」
「一度は助けることになるかもしれません」
「ダメだ! 屈辱を忘れてはならない!」
「その通り。顔に唾を吐きかけられれば、拭っても乾いても、侮辱は永遠に消えません。必要なのは同程度の痛みと罰。さもなくば全方位が侮ってきます」
「そこまでわかっていてなぜ!」
「まずは公に筋を通す。私的な報復はその後です」
「報復はするのだな?」
「せねばなりますまい」
父上は不服そうだがひとまず口を閉じた。
憂鬱を振り払い、鎧を着けて広間に入る。
広間では侯爵家臣の証――槍を支えに立ち上がった竜の紋章をまとう騎士たちが、貴人の周りを固めていた。
貴人は並外れた長身で片腕がない。エストの本体も高いほうだが完全に見下ろされる形だ。
武人然とした雰囲気。油断なくこちらを観察している。政治とは縁遠い、ひたすら戦に生きる者の顔つき。こちらの騎士に取り囲まれても眉ひとつ動かさない豪傑だ。
なるほど、あれが高名なる隻腕の騎士。
味方の投げ斧で左腕を失ったにもかかわらず、罰するどころか賞した男。
東境を守る侯爵家の嫡子、“プリミエール”・バリック・フォルクラージュか。記憶が確かなら26歳。プリミエールは一流とか一人前とか、そんな感じのあだ名だ。
「歓迎の言葉を期待してはいまいな」
椅子に座した父上が吐き捨てる。
「ご機嫌麗しゅう、伯爵閣下。私は――」
「麗しいものか。貴様の顔を見ているだけで得意げなアンドレを思い出す」
「私はフォルクラージュ侯爵の息子、バリックと申します!」
「どうでもいい。添え状を」
侯爵家の騎士がこちらの騎士に手紙を渡す。
受け取った父上は中身を読み、忌々しそうに床へ叩きつけた。
拾って中身を読む。
「侯爵家に食糧を援助し、軍務の手助けをせよ?」
「ふざけるな。何が手助けだ」
「お怒りはごもっともですが――」
「やめろ。腸の腐ったアンドレの子が私に声を聴かせるな。摂政殿下に免じて会うだけは会った。後は我が息子と話せ」
それきり、父上は席を立って不快そうに退出してしまった。
おー、まったく気を遣わない。
本当に心の底から嫌いなんだな。
「息子、ということは。貴公が?」
「ヴェルデン家の政務代行、エストだ」
「ご高名はかねがね!」
「社交辞令に応じたいところだが、父と侯爵の因縁は無視できない。それに、貴公の弟妹は別の意見をお持ちのようだが?」
「その点に関しては謝罪する!」
「謝罪ねえ。誠意は言葉ではなく結果だと思わないか?」
「貴公は何を望まれる?」
彼は単刀直入に尋ねてきた。
「我々とて国境の守護者を潰したいわけではないのだ」
俺は使用人に水を運ばせると、彼の目の前でゆっくりと傾ける。すべての水を床へぶちまけ、空になった木のコップを渡した。
「この覆った水を元に戻してくれ」
覆水盆に返らず。
さあ、どう出てくるかな?
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