第43話 深夜の呼び出し
舞踏会は盛況のうちに幕を閉じた。
魔族の首を落札したのは摂政マリエール。大陸有数の富豪にじゃれつかれた挙句、1200万クーラでどうにか競り落とした。
屋敷を退去するときの、あの涙目と呪わしげな表情。ポーカーフェイスを気取っているクール美人が口を歪ませて感情丸出しにしている姿。
まさに愉悦!
エストの本体もビンビンに喜んでいるよ!
俺は小粒な者たちからは好評を、大物たちからは敵意と怒りを受けながら、清々しい笑顔を浮かべて客人たちを見送った。
――銀座のユダヤ人と呼ばれた藤田
すなわち、ビジネスは儲けたいならお金を持っている層を相手に行うものだ。
至極単純だが忘れがちな鉄則――彼らに言わせれば公理――は、この世界でも無事に通用してくれた。
時刻は日付が替わった頃合い。
舞踏会の興奮もとうに収まり、疲れた皆が寝静まった後。テルメー城から使者が訪れた。勝者の景品を受け取りたいからぜひとも登城してもらいたいとの要請だ。
実質的には命令だろう。
外出の準備をしているとユリアーナが行く手を塞いだ。
「なりません」
思いつめた表情。
「行けば殺されます」
麗しいドレスは脱ぎ捨て、サーコート姿に着替えてある。
開会前の言葉の通り、すぐに逃亡の準備をしたのだろう。
「殺せばアルヴァラ全土からの信用を失う」
「頭に血が上った殿下はそういう計算を度外視するお方。だから恐ろしいのです」
「ならば、なおさら顔を出さないと」
「させませんよ!」
「恨まれた個人が逃げれば、その恨みは周囲全体に向かう。もし俺が殺されたら――君がまっさらなヴェルデン家を率いろ」
彼女の右肩に右手を置いて耳打ちする。
「心配無用。まだ手札はある」
肩をポンポン叩き、振り返らずに屋敷を出た。
彼女の言葉にも一理ある。ヴェルデンはどこの派閥にも与しておらず、孤立している家だ。潰して困る者は少ない。致命的な失態にもならない。摂政派に仲の悪い侯爵家がいることを考えれば、俺を殺すのは摂政の加点になっても減点にはならない。
王家が臣下を潰すのはよくあることだ。理由は後付けでどうにでもなる。公正も正当性も関係ない。三権分立など存在しない。反発はあっても、それを裁く機関は存在しない。だから皆、徒党を組んで力と現実で対抗しようとする。
封建世界で力も後ろ盾も持たないのは対策なきノーガードと同じ。俺の現状を見た貴族は100人中100人が喧嘩を売る相手を間違えたと考えるだろう。
それでも俺は、摂政よりも民衆のほうが怖い。
同じ狂気でもベースが備える理性の質が違う。
相対するなら論戦可能な側を選ぶべき。声の大きさでねじ伏せられない側を選ぶべき。どれだけ厄介でも、個と渡り合うべきだと思う。
◆
深夜の王都は趣深い。
昼間は目立たぬ流水の音に耳を傾けつつ、テルメー城の巨大な門を通る。
明媚な文様や飾りつけは月明りに照らされればことのほか美しいのだろうが、あいにく今宵の空は雲が濃かった。騎士とメイドに両脇を固められながら奥へ奥へと廊下を進む。
やがてある扉の前に立った。
「摂政殿下。エスト卿をお連れいたしました」
「入れ」
背中を小突かれ中へ入ると、扉が音を立てて閉まる。
俺は運んできた荷物を脇に置いた。
「いい夜だな、ヴェルデン家の子息よ」
「困ったなあ。これでも未婚なのですが」
「たわけ」
マリエールは髪を解いてベッドに座っている。ここは彼女の私室だろうか?
「たまにいるのだ。貴様のような、豪傑を気取る愚か者が」
「やっぱりわかってないな」
薄っすらと笑う。
「命は惜しい。が、あんたはそれほど恐ろしい相手じゃない」
「強がりを」
「強がりなものか。未来の妻を恐れる者がどこにいる?」
「なんだと?」
俺は反応させない速度でサクッと彼女の隣に座り、腰を抱き寄せた。
「プロキュル殿。私はあなたの最も熱烈な求愛者であることを告白いたします」
もちろん嘘だが彼女は反応が遅れた。
その隙を衝いて唇を奪うフリをするも、さすがにガードされる。
「離れよ、無礼者」
「無礼者に命令?」
「……貴様のことは調べさせてある。アルヴァラ王家の摂政を、どこぞの女騎士風情のように甘く見ないことだ」
首にちくりとした感触。
音もなく抜かれたナイフが当てられていた。
「フラれてしまった」
「たとえ冗談でも、軽々しく求婚などするな」
彼女の腰から手を放す。
こういうムーブもやれなくはない。
普段はやらないだけで。
むろん、やってて楽しいわけではない。
今のは事前に計算済みの行動だ。
告白自体は正直どちらに転んでもいい。王家の摂政を同盟相手にできるなら数年間は領内で強い立場を得られる。先王亡き後の政治的混乱を制した彼女の手腕は折り紙付きだし、義務を分かち合う戦略的パートナーとしてはとても魅力的だ。
命の危険もひとつ減るし。
とはいえ、受け入れる可能性はまずないと思っていた。俺は今のやりとりを通して確かめたかったことがあるのだ。舞踏会のときにも疑惑は感じたのだが……。
この女、人妻だな。
男との近距離交流に慣れすぎている。
愛人か。はたまた秘密の関係か。
いずれにせよ、処女を保った未婚のレディが見せる反応ではない。
……ブラフを仕掛けてみるか。
「かの女騎士との間には何もない。あんたと違ってな」
「――貴様」
マリエールの顔にさっと殺気が覗く。
「秘密はいずれ漏れるもの。だから俺を呼んだものと思ったんだが?」
「どこまで知っている?」
「逆に、どこまで隠せていると信じたいんだ?」
「ふん。はったりか」
「王城に勤める者は皆が忠実だろうとも」
部屋に沈黙が下りる。
この女は、今まさに混乱しながら己を落ち着かせている最中だろう。いいぞ、そのまま動揺しろ。お前の秘密は握ってるけど黙っててやるからお互いノーカンにしようぜムーブを繰り出して手打ちだ。
「……てっきり、貴様は我が娘を狙っているものだと」
え!? む、娘?
隠し子がいんの!?
思ったよりヤバいのが出てきたな~~~。
何も聞かなかったことにして帰りたい。
「娘って?」
「とぼけるな。マリアを見初めたのだろう?」
あ。
い。
う……。
え?
えええええええええええええええええええええええええええゑゑゑえええええええええええええええええええヱヱヱえええ!?!?!?
おおおおおおおわぁぁーーーーーーー!
そそそそそ、それはまずいですよ!?
ヤバいっす! 安易な気持ちでこの国の超ド級の闇に触れちまったっす!
妹じゃなくて娘っすか!
命が100個あっても足りないやつだこれ!
こわい! 王都こわすぎぃいいいい!
だ、だってよぉ!
公式発表で先王の娘+実際はマリエールの娘ってことは。エルマリアはマリエールの隠し子か、先王とマリエールの間に儲けた子ってことだろ!?
少なくとも、2番目の王妃の子ではない。
そっかー。そっかそっか。
だから君、嫁いでないんだね。
加えてマリエールの母、第2王妃はエルマリアが生まれてすぐに病死している。
もしかして、その裏側は……。
どのルートでも失脚レベルの大スキャンダルじゃん!
これはダメだ。
これはダメです。
殺されます。
和解できなければ何が何でも殺されます。
だって殺らなきゃ向こうが死ぬから。
「何とか言ったらどうなのだ」
「殿下は魅力的な子だが、妻には望んでない」
言葉を咀嚼したマリエール。
彼女は固まった。
いや、震えている……?
やがて悪鬼のようなオーラが振りまかれた。
「何ゆえだ。何ゆえ。あの子はダメなのか? あの子じゃダメなのか!? あの子の何がダメなのだ!!」
彼女は俺を押し倒し、喉にナイフを食い込ませる。な、なんて力だ……!
「貴様もか! 貴様もあの子を嘲笑うのか!? 野心のために父を誘惑して母を蹴落とした罰だと、神から愛されなかった子だと、マリアを否定するのかァアアアアッッッ!!」
やめて!
自分から答えを開陳しないで!
それ以上は聞きたくないですぅううう!
「マリアは良い子だ。あの悪魔のような母とは違う。侮る者はひとり残らず殺してやる! さあ、祈れ。役立たずの神に。貴様も死者の列に加えてやるぞ……!」
ヤバい!
死ぬ!
頭が真っ白で考えが浮かばない。
情緒さん、どこぉ……。
何か、何か手は……?
必死に視線をさまよわせる。
部屋の隅に、金継ぎもどきのコップが飾ってあるのが見えた。
そうだ!
取り繕う必要なんてない!
ここへ呼ばれた名目を思い出し、俺は挑発的に笑った。
「なにがおかしい!」
「役立たずの神? それは聞き捨てならんな。あんた、やっぱり何もわかってない」
「先に舌を切り取ってやる!」
「あんたはエルマリアを愛していないッ!!」
ひゅっと彼女の喉が鳴った。
瞳孔を開いた彼女はナイフを全力で振り上げる。
俺は振り下ろされる手首をつかみ、体を入れ替えて全身で押し倒す。奪ったナイフをすぐにベッドの外へ投げ捨てた。
奇しくも真正面から抱き合う形。
互いの唇が触れそうな距離で睨み合う。
「離せ、離さぬか!」
「よく聞け、愚かなマリエール。今から俺の意見を述べる。気に入らなければ、斬首でも火あぶりでも好きなようにしろ」
「うるさい! 殺してやる!」
「舞踏会でも言ったろ。エルマリアは決して欠陥品などではない。俺に言わせればあの子は神に愛された完成品だ」
マリエールは虚をつかれたように固まった。
「完成……品……」
「そうとも。障害者ではない」
「口から出まかせを。誰もが表向きはそう言う」
「俺とあんたには、障害という言葉の意味に認識の違いがあるようだ」
「認識の違い?」
「障害とは出来ないことではなく、出来るはずなのにしくじっていることを指す」
「同じではないか」
「天と地ほど違う」
彼女の瞳に興味の色が宿った。
「鳥は飛べるが人は飛べない。これを障害と呼ぶか?」
「……呼ばない」
「魚は卵を産むが、人は赤子を生む。これを障害と呼ぶか?」
「いいや」
「当たり前だよな。もともと神がそのように造りたもうたのだから。もしも人間には翼がないから劣っていると笑う者がいれば、そいつは頭の障害だな」
「いるにはいるが」
いるのかよ!
そういや有翼人って種族もいるんだったな。
「人はなんとなく普通の人間像を共有しているものだが、これに当てはまらないのが障害とは思わない。たとえば生まれつき足のない男……事故で足を失った者でもいい、そういう人間がいるとする。彼は走れないが、これは障害なのか? 俺の答えは違う。彼はそういうカタログスペックの人間だ」
「かたろぐ、すぺっく?」
「あーっと、神がそういう仕様・性能として造ったり、調整を加えた者という意味だ」
「仕様。仕様だと」
「その通り。だから走れなくてもおかしい部分はない。そういう種類の神の人形なのだから。他もそうさ、全盲者、聾唖者、第2王子のように知的障害とみなされる者も同じ。そういう仕様なのだから、そういう風に生きることは何らおかしくも恥ずかしくもない。すべて神の意に適っており、神がそれを認めている。嘲笑う者は神に逆らう背教者ゆえ、いずれ地獄に落ちる」
「――ッ!」
「人間は製材所の板材じゃないんだぞ? 道具のようにすべてが同じである必要などない。この話について語るとき、顕れるのはただただ評する側の人間性のみ」
マリエールはクワッと蒼眼を見開いた。
「邪険に扱うのは人の怠惰がため。すなわち大罪だ。揶揄するほうに罪があるのだ。エルマリアは決して悪魔の子なんかじゃない。なのにどうして、あんたはそのままのあの子を否定している? 保身だろ。自分が不出来だと笑われたくない、自分が自分が自分が……だから怒る」
彼女の目尻に、涙がにじみ始めた。
「世に障害と侮られる者は、実のところ完璧だ。与えられた己の肉体、己の仕様に課せられた使命を完全無欠に果たしながら生きている。神に愛されないわけがない。ひるがえって、我ら普通と呼ばれる者たちはどうだ? 己の肉体、己の頭脳、それが果たせる限りのこと……ちゃんとこなせているか? そんなやつは2割もいないだろ」
前世を思い出す。
「この世には、並の脳を与えられながらも、理非を解さず、義務を果たさず、与えられた命を燃やすような努力もせず、ただひたすらに遊び呆けながら面倒ごとを他人へ押し付ける者が大勢いる」
爽やかなタカり乞食たちを。
傲慢な被害者たちを。
素晴らしき公害たちを思い出す。
「他人の労や誠意を貪り、振りまく害を自覚せず、ひたすら横柄で、そのくせ被害者を気取っている者たちもだ。この者たちは恵まれた仕様を、機能を、性質を……まったく役に立てられないまま腐らせている……。これが健常な姿なのか? 俺に言わせれば、ゆとりある仕様をろくに使いこなせていない――障害者の群れだ!」
お互いの時間が止まる。
俺は嘘偽りのない意見を吐き出しきった。
「このように、健常と障害の定義には矛盾を感じる。だから俺は声を大にして言うのだ。エルマリア殿下は障害者などではない、と。彼女は役に立っているからな」
マリエールの目元を濡らす涙を拭い、体を起こす。
彼女は嗚咽交じりの声で尋ねてきた。
「役に。あの子が、役に立った?」
「そうとも。俺はエルマリア殿下から、素晴らしい贈り物を受け取った」
「贈り物とは?」
「あの太陽のような笑顔」
俺は我が首から薄く流れる血を指で掬った。
ベッドから立ち、あえて敬語で話す。
「ご存じの通り、私はこの手を血で穢している人間です。私がいると皆が震える。誰もがうつむき、暗い気持ちになる。威厳は必要ですが、少々もどかしさも覚えます」
目の下に血で涙を描く。
「あの日。突然の訪問に慌てて帰った日。私はあの子の力を目の当たりにしました。エルマリア様はほんの一時、ガルドレードの館を明るくしてくれた。純真に絵画を楽しむ彼女を囲み、父や芸術家たちは意気揚々としていて……。ケアナの白鷲の珍しい顔も見られました。殿下は、私には決してできないことをしてくれた」
感謝します、と頭を下げる。
摂政は目元をこすってベッドの端に腰かけなおし、凛と背筋を伸ばした。
「ヴェルデン家はアルヴァラの高貴なる一族。乞食ではありません。ですから摂政殿下、私はあの笑顔の代価として、300万クーラをお支払いしましょう」
「見え透いた媚を、売るものだな……」
「そちらの支出は差し引きで900万クーラ。これでよろしいですね?」
セルフ意訳。ごめんなさい、このお金あげるから勘弁してください……もともと君のだけど。
彼女は強く涙を拭いた。
「いいだろう。魔族の首にも使い道はある。ヴェルデンの子よ……命拾いしたな」
「同衾でも良かったのですが」
「気が変わらぬうちに去れ」
両手を上げてから踵を返し、思い出して止まる。
「ところで我々からも贈り物が」
「なんだ」
「我が父、ヴェルデン伯爵の作品です」
脇に置いた荷物を椅子に立てかけ、布を取り払う。
――エルマリアを中心に描いた絵画だ。
芸術家たちに囲まれて弾けるような笑顔の彼女は、絵画越しでも活き活きとした魅力を放っている。やっぱり嫌いだわー。
「う、うう」
マリエールは両手で口を押さえた。
そうだろうとも。
父上の作だ。地味にレベルが高い。
俺が抱えていた奥の手。
それはこの絵画である。
最初はエルマリアへ求婚を申し出るための材料にする予定だった。
そう、摂政の嗅覚はとても鋭い。
ヴェルデンのお隣、フォルクラージュ侯爵家は隠れなき摂政派。摂政の母はルンペット家の一族で、そのまた母、つまり祖母がフォルクラージュから嫁いできた間柄。
両家は近しい縁戚関係にあるのだ。
つまり、フォルクラージュとヴェルデンがひとつの色に染まれば、東部国境付近の諸侯はまとめて摂政派に取り込まれるしかなくなる。
複雑怪奇な中部への抑えとなり、それはそのまま西部で活動する摂政への圧力減少をもたらす。ドミノ効果が発生するわけ。
むろん、王家の子女は婚姻に関して通常の貴族とは異なる予定があるものだ。特に王女が家臣と結婚なんてのは基本ない。家と家を繋げるよりも、国と国を繋げたほうが圧倒的にリターンが大きいからだ。
よって、求婚が通る目はない。だが、各種の政治的利益も考慮し、関係構築を模索する端緒にはなるとは思っていた。要は本題を出すためのきっかけ作りだな。
そこから1ヶ月分の資金援助を引き出し、不足分は来月にまた対処しよう、と。
蓋を開ければすべてが計算違いだ。
魔族の首を売ることになるとは思わなかった。
竜素材があの値段で売れるとは思わなかった。
……こんな超ヤバい秘密を知るなんて思わなかった。
でもまあ、必要なお金は手に入れたし、この場を生きて切り抜けられるし、ひとまずは結果オーライかな? 過程は微妙だけど。
ならばこれ以上の問答は無粋。
俺は高貴なる母親の泣き声を聞き流しつつ、静かに廊下を歩き去る。
そして密かにガッツポーズをした。
の、乗り切った~~~~~!!
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