第42話 サプライズ


 絢爛豪華な屋敷に移った俺は、連日のように客人を招いてもてなした。吟遊詩人、大道芸人、教会関係者、領地を持たない王都在住の弱小貴族。商会の幹部を呼べればなお良かったが、さすがに同業者を殺されている彼らはスルーを決め込んだ。


 この接待だけで2億円は投じている。

 贈答も含めると7億円。失敗はできないな。


 痛い出費だが効果は絶大で、新居への訪問を望む人間は日ごとに増え続けた。


 その全員に口コミ情報を広めてもらう。


「近々、エルマリア殿下をお招きして舞踏会を開くつもりらしい」


 もちろん向こうは承諾済みだ。

 ユリアーナを介して誘えばいとも簡単だった。


 アルヴァラ王国には複数の派閥がある。摂政の妹君がヴェルデン家と接近するとなれば、探りを入れたい者たちも現れる。思惑通り、各派閥の大物が代理としている者たちから舞踏会への問い合わせ、参加希望が殺到した。


「閣下、神への大いなる奉仕に感謝します。ところで小耳に挟んだのですが――」


 大聖堂の高官たちも釣れた。


 父上へ、舞踏会の仕切りをしたいか確認する。

 気になる美術品の長いリストが返ってきた。


「お兄様ー。返事の手紙、書けたよ」


 学院から帰宅した妹が成果を見せてくる。


「どれどれ……いい出来じゃないか」

「これでもいっぱしのレディだからね」

「今回の舞踏会は策略の一環だが、気になる相手がいたら遠慮なく言えよ?」

「お兄様こそ次を探さないの?」

「結婚へは歩け。異国の格言だ」


 焦らしに焦らして2週間後。

 ついに舞踏会の開催日がやってきた。


 可能な限り己をゴージャスで瀟洒なカリスマに見せる努力をする。


 個人的な意見としては、たかが雰囲気や頭蓋の上の模様ごときに考えを左右されるのはくだらないと思う。


 だが並の人間は内面など見ない。

 言葉の中身など気にもしない。

 肩書と見た目だけで物事を判断する。


 ならば全力で活用するのみだ。


「エスト殿、そろそろ招待客が現れる頃合いです」


 ちょうどユリアーナがやってきた。


 薄青い膝丈ワンピースの下に足元を隠す白ロングスカートの二層構造ドレスを身にまとっている。肩は露出しておらず、地味ではないが派手すぎない上品さ。


 よくできた服飾もこれはこれで芸術品だな。


「白亜の髪に似合うドレスじゃないか」

「くすっ、お褒めに与り光栄です」

「では行こうか。今夜は隣についてもらうぞ」

「リーザではなく、私が!?」

「殿下の付き人でもいいけど」


 彼女は黙ってこちらの腕を取った。


 摂政殿下どころか宮廷貴族の顔をまったく知らないのだ。彼女がいないと対応のしようがない。


「さあ皆、大芝居を打つぞ!」


 俺たちは屋敷の玄関に立った。

 一番乗りは歩く忍耐チェッカーだ。


「エストよ。さっそくの招待を嬉しく思うぞ!」

「陛下にお越しいただき、感無量でございます」

「今宵は楽しませてもらおう!」


 ブフロムの登場に家人が目を丸くしていた。


 フェルタンには悪いが、今日はこいつを誠心誠意もてなす。きっと計画に華を添えてくれるであろう、遊び人の大富豪だからな。


 それから訪れる客人ひとりひとりと挨拶する。


「あちらはレーゼマイン卿。海鳴り城の主で、メルシャリオ公爵閣下の腹心です」


「初めまして、レーゼマイン卿。ようこそお越しくださいました」


「かの首狩り……失礼。魔族殺し卿にお招きいただき光栄です」


「こちらはウトマン男爵。地位はそれなりですが、宰相閣下の番犬だとか」


「これはこれは。先代譲りの武勇とお聞きしておりますぞ」


「本日は父の代理ですが、どうかごゆるりとお過ごしください」


 ユリアーナのささやきに従って挨拶していく。今のところハズレはなし。エルマリア係をこなしつつも、情報収集は手抜かりなく進めていたようだ。


「さすがだな」

「公務とおっしゃいましたから」


 鼻高々な彼女の顔が、急激にこわばった。


「ユーリ! エスト!」


 呼ばれた先にはエルマリア。王女は大声を上げ、ぶんぶん手を振りながら近づいてきた。薄紫の髪飾りとピンク色のドレス。どちらもやたらと似合っている。


「エルマリア様。お元気でしたか?」

「エル!」

「この場では正式なレディとして扱います。殿下は半人前ではないでしょう?」

「当然よ! エルほど素敵なレディは……お姉様ぐらいしかいないもの!」


 王女は満点の笑顔で下手くそなカーテシーを披露する。


「じゃあ中で待ってるね! ユーリ! また遊ぼうね!」

「はい。機会があれば……」


 スキップしているエルマリアを見送り、ユリアーナに耳打ちする。


「どうした? 様子が妙だが」

「閣下、エルマリア様との距離にはご注意を」

「なぜ?」

「お気づきかと思いますが、彼女にはが」

「だからなんだ」

「あの子の癇癪は無邪気ものですが、摂政殿下は危険です。あの方は――」

「道を開けよ! マリエール殿下のおなりである!」


 その瞬間、辺りが一気に静粛になり、海が割れるように道が生まれた。さえぎる者なき空間を、見るからに凄然とした背の高い美女が上品に、しかし無感情に歩く。


 注視してみると背が高いのではない。

 圧倒的な存在感が実態以上に大きく映るのだ。


 亡きアルヴァラ先王の第2王女にして、現幼王の摂政。マリエール・クレマルヴィー・プロキュル・ド・プレオラージュ。27歳で未婚の女傑。


 先王の第1王女も第3王女もすでに既婚の身であり、マリエールが未婚なのは実家の失脚に巻き込まれて幽閉されていたからだとささやかれている。その状態から王都へ舞い戻り、先王急逝後の混乱を制して権力を握ったのがこの女。


 他国の使者が至宝と評した超絶の美貌は、アクセサリーで飾る必要すらなかった。


 彼女は実妹と同じきらめく桃髪を簡素にまとめて首元から流し、形が良すぎて恐怖すら覚える蒼眼をすがめながら近寄ってくる。


「白鷲よ」

「摂政殿下……」 

「こちらがそなたの申していた男?」

「はい。ヴェルデン伯爵の子息、エスト様です」


 摂政は視線だけを動かした。


「ヴェルデンの子息。噂は何かと耳にしている」

「どのような噂ですか?」

「聞いてみたいか?」

「エスト様」


 ユリアーナがにこやかに怒り、足を踏んでくる。


「マリアが世話になったそうだな。望まぬ訪問者に気分を害したかしら?」

「いえいえ。どこの天使様がおいでになられたのかと思いましたよ」


 摂政の顔から険しさが消えた。

 その目は慈母のように優しい。


「お招きいただきありがとう。興味深い夜を過ごすとしよう」

「殿下をお迎えできて光栄でございます」


 彼女が広間へ消え、周囲に喧騒が戻ってくる。手ごたえを感じていると、 ユリアーナが袖を引いてきた。なぜか冷や汗を流している。


「エスト殿、今のはまずいですよ。ええ、まずいです。とても」


「え、なんで?」


「天使様というのは王都の者たちがよく使う陰口でして……エルマリア殿下のおつむを嘲笑するためにつけたあだ名なのです」


 なんですと?


「やらかした」

「逃げましょう。今すぐに」

「そんな大げさな」


「マリエール殿下は! エルマリア殿下の気分を煩わせたり、彼女を侮る者を容赦なく処刑するのですよ! 身分階級など関係なく! 先日ヴェルデンへ同行した使用人も、私が謁見した場にいた宮廷貴族も。皆、悲惨な拷問の末に殺されました!」


「俺と同類か。なんだか話せる気がしてきた」

「ご冗談を!」


 嫌がる従姉を引っ張って広間へ向かう。


 俺たちが壇上に着くと、会場全体から注目が集まった。リザベットを手招きする。


「お集まりの皆さま。改めまして、私がヴェルデン伯爵の息子、エストです。こちらは妹のリザベット。並びに一族のユリアーナ。本日は我々ヴェルデン一族が、王都の夜に彩りを添えてみせましょう!」


 貴人や貴婦人が拍手をする。


 手を上げて合図すると音楽が鳴り始めた。皆が思い思いにパートナーを選んで踊る。会場に気を配っていると、エルマリアが堂々と近寄ってきた。


「エスト! エルと踊りましょう!」


 にわかにざわめきが生まれた。


 ちらりと周辺へ視線を送る。公爵の腹心と宰相の番犬が腰を浮かせている。摂政は……氷の笑みを張り付け、微動だにせずこちらを観察している。


 まるで一流の美術品だ。

 彼女の周りだけ絵画のように別世界。

 だが、あの何の感情も宿さない瞳。

 能面、というワードが浮かんでくる。


 ああ、なるほど。

 先ほどの優しい顔は、殺すと決めた瞬間の悟りってわけか。


 機嫌を損ねてしまったみたいだが、これからの予定を考えれば誤差の範囲だろう。あいつを釣り出すのが計画の絶対条件だ。そろそろ始めるとするか。


 混乱を、カオスを生み出してやる!


「申し訳ありませんが、それはご容赦を」

「なんでよ!」

「他に踊りたい相手がおりまして」

「踊りたい相手……? あ!」


 エルマリアはまたニヤニヤする。

 視線はユリアーナへ向けられた。


「そうよね。せっかくの舞踏会だもの。好きな子と踊りたいならしょうがないわ!」

「エスト卿の好きな相手だと?」

「クラトゥイユとの婚約は破棄したと聞くが……」


 ひそひそ話が流れてくる。

 いいアシストだぜ、王女。


 俺はこれみよがしに襟を正すと、おもむろに摂政へ歩み寄って手を差し出した。


「マリエール殿下。私にあなたと一曲踊る栄誉をお与えいただけませんか?」


 オーディエンスがどよめいた。

 マリエールは氷の微笑を浮かべたまま手を差し出す。その手を取って、ふたりで踊る。


「……何のつもりだ」

「あんたをと思ってな」

「調子に乗るなよ、小童こわっぱ。マリアを侮辱した代償は必ず支払わせる」

「侮辱? ああ、王都では天使様が侮辱語になるらしいな。さっき聞いた」

「とぼけるつもりか?」

「わかってないね。あんたは何もわかってない。エルマリアは障害者ではない」


 周りに悟られないよう、摂政を強く抱き寄せる。豊かな双丘の感触を覚えたが、それ以上に闘争心が湧き上がってきた。


「あの子を侮辱してるのはあんた自身だろ」

「訳の分からないことを」

「意味が知りたきゃこの後のゲームに勝つことだ」

「ゲーム?」


 質問には答えず、ひたすら踊り続ける。


 舞踏がひと段落すると晩餐に切り替わる。

 テーブルと椅子を運び、客人へ豪華で奢侈な食事を振る舞った。


 不快そうなニコラ司祭と会場を眺める。


「醜悪だ。この贅沢にかかる銀貨でどれだけの貧しき者を救えることか」

「今回に限っては、その贅沢こそが貧しき者を救ってくれる」

「神の御心は測りがたし」


 彼らは彼らなりに努力してこの場にいる。その価値を利用して金をせしめるなら、これぐらいのメシをおごるのは礼儀だろう。


 遠目にセヴランをうかがう。

 燕尾服を着たイケメンは深呼吸してベルを鳴らした。


「お客様がた、お食事中に失礼いたします」


 人々が手を止めた。


「主、エストの趣向により、これよりささやかなゲームを始めさせていただきます」

「ゲームだって?」

「何をするつもりだ?」

「今からさる逸品をお持ちしますので、気に入った方々で落札額を競っていただきます。最も高額を提示なされた方へ、その品をお譲りするとのこと」

「ほう!」

「オークションか!」

「面白そうだわ!」


 会場がにぎやかになる。


「ではお見せいたしましょう」


 その声に応じてフェルタンが太鼓を鳴らし、アメリーが台車を運んできた。セヴランが箱の左右に両手を添える。


「本日のために用意した飛び切りの絶品。魔族の首です!」


 彼が箱を取り払うと、ちょっとおめかしした魔族の生首が出現した。

 会場が静まり返る。

 やがてひそひそ声が聞こえ始めた。


「あれが魔族……」

「なんと禍々しい」

「本物なのか?」

「おお、神よ。御業に感謝いたします」


 教会の高官たちが祈り始めた。


「正真正銘の本物ですよ。証言者もおります」

「私はニコラ。カーヴィリエ教会堂を預かる司祭です。祈る者の矜持と神への信仰心にかけて、この神敵の首が本物であると証言しましょう」

「もしや、あの方は……」

「ニコラ?」

「ニコラウス卿?」

「パンと水だけ卿ではないか」


 パンと水だけ卿? 謎のワードが飛び交うが、とにかく信じてもらえたらしい。


「さあ、皆さま用意はよろしいですか? この魔族の首をぜひとも手に入れんと望む方は、起立して入札額を宣言してください。最低入札額は――440万クーラ!」


 ほとんどの者が息を呑む。

 それから激しく盛り上がった。


 ボフミールが立ち上がって両手を広げる。


「エストはまこと愉快なやつよ! ならば我が先陣を切ろう! 333万ドラン!」

「ブフロム王より約500万クーラが入りました! 他にはおられますか?」


 何人かが彼へ賞賛と羨望のまなざしを送り、別の何人かは射殺しそうなほどの怨念を向けた。


「く、ごっ、510万クーラ!」


 宰相の番犬が立ち上がるも失笑が流れる。

 額の上げ方があまりにもみみっちい。


「お姉様、お姉様! エル、お姉様の勝つところが見たい!」


 エルマリアに袖を引かれる摂政は……。

 ポーカーフェイスが崩れたか。

 彼女は蒼白な顔で殺意を放ってきた。


 逃げられるか? 逃げられまい。

 足元のぐらつく現状じゃ絶対に。


 王都に着いてから調べさせたところ、やはり摂政は王立学院の校長になど就任していなかった。逆説的に考えると、あの手紙を送るということは、少しでも味方を増やして大勢力に見せかけたいってことだ。


 なぜ?

 敵が多いから。

 自勢力が安泰とは言えないから。


 王国第一の実力者とはいえ、単独ですべての敵を潰せるほどではない。摂政派の他にも宰相派、公爵派、教会派、中立派、博愛派……他の王族を担ぎたいやつもいる。


 全部が敵ではない。

 他派閥と手を組むこともある。

 しかし、簡単な状況ではないのだろう。

 だから孤立気味だったうちを狙った。


 騙したところで、どうとでもなる相手だと侮ったんだろうな。


 その情報を手にした俺は、宣伝のために持ってきた魔族の首を手放すべきだと決断した。至上の名誉だろうとも、こんなもんを抱えたまま死んだのでは意味がない。


 サンキューな、セドリック。

 お前の遺言は今なお役に立っている。


 それに対して彼らはどうだ? 派閥を束ねる大物たちは? その下僕は?


 この首は決して捨てられまい。


 魔族の首を地元の大聖堂に奉納するのはとてつもない名誉だ。教会勢力と全面的にトラブったとしても、差し出すだけで破門や異端認定が撤回されるレベルの貢献だ。


 前世でいうなれば……。

 まあ、十字軍に解散命令が下るレベル。


 カノッサの屈辱が回避され、カタリ派の諸侯や、ヤン・フス、マルティン・ルターなどに特赦が下ってもおかしくない程度にはインパクトがある。


 領主は領内の全教会勢力に対して有利に立てる。奉納された教会はこの世の全教会勢力に対してデカい顔ができる。教皇庁に物申せるレベルの影響力さえ得られる。


 手にした貴族は福者への列福がほぼ確定するだろう。場合によっては列聖認定まで受けられる可能性がある品なので、敬虔な貴族も血眼になって求める。


 俺はそんなもん興味ないが、彼らのうち何人かにとっては文字通りの死活問題だ。この場には、王都で最も勢いがある大聖堂の高官たちも集まっているんだから。


 出し惜しみしたら信仰心を疑われる。

 この世界は金が最強の価値ではない。


 金の上には名誉。

 名誉の上には権威。

 権威の上には神がいる。


 メリットとリスクの両面から、皆が我が陣営に、と望むだろうな。


 所有するだけで正当性と箔がつく逸品。

 是が非でも手にしたい者は多い。


 そしてここは王都である。


 王都のオークションで王家が魔族の首を逃したら? 金を惜しんで信仰を疎かにした、などと激しい非難を受けかねないのみならず、王国中からバカにされる。


 侮りを受ければ王家の威信が揺らぐ。

 ぐらつけば押し倒したい者が現れる。


 安全保障上、決して外せないだろう。


「ふふっ」


 俺は両手で頬杖を突きながら笑う。


 さあ、争え。

 命を懸けて殺し合え。

 政治生命をかけてな。

 ここは戦場だぜ。

 気晴らしの舞踏会だとでも思ったか?


 違うね。

 足を踏み入れたが最後。大物であればあるほど逃げることが許されないリング。


 きらびやかなファッションで上辺と見栄を飾り、剣の代わりに金塊で殴り合う地獄へようこそ。俺は別に構わないよ。誰が勝とうが、誰が死のうが。


 お前らはヴェルデンの民じゃないからな。


 マリエール摂政殿下へウィンクする。

 彼女はどす黒い表情で歯を打ち鳴らし、苛立たしげにかすれた声を上げた。


「550万クーラ!」

「クハハハハ! 400万ドレンだ!」

「600万クーラが入りました!」

「おおーっ!」

「なんと剛毅な!」


 せいぜい楽しんでくれたまえ。

 今宵の宴は、人生で最も長くなるからよ。

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