第44話 閑話:ユリアーナ
ヴェルデン領、ケアナ城の近くにある花畑。ユリアーナ・ヴェルデンは物憂げな眼をしながら、コスモスの花びらをむしっていた。
「好き。嫌い。好き。嫌い。好き……はあ」
残った1枚を取らずにひょいと投げ捨てる。
ごろりと寝転んだ彼女は、我知らず深い深いため息をついた。
最近ずっとこんな感じだ。
エストが深夜に摂政から呼び出された後、王都には不審で悪意ある噂が流れた。いわく、エストとマリエールは愛人関係であり、舞踏会でのオークションは摂政がお小遣いを渡すための茶番である、というものだ。
もちろん嘘だと知っている。
どうせ敗者が腹いせに流したもの。
事実であれば、300万クーラもの大金を返還してくる意味がない。
わかってはいる。
わかってはいるが……。
「うー、モヤモヤします」
王都の道行くレディたちがキャーキャー言いながら話しているのを目にするたび、ユリアーナの心にはズキリと痛みが走っていた。
ごく短期間ではあるが、王都での生活はユリアーナに現実を突きつけたのだ。
ヴェルデン家の評判は極めて悪いものの、エスト自身は若く功績もある独身貴族。婚姻によって上昇したい家は少なくない。リザベットの屋敷には連日のように娘を連れた貴族やら、見合い話を持ち込む仲介人やらが押しかけてくる。
上昇婚狙いだけではない。
若いツバメを求める有閑な貴婦人が露骨に莫大な利を提示したり、野心家の没落令嬢が人脈を得られるサロンへの紹介をエサに、面会を取り付けようともしてきた。
ヴェルデン家の先代と現当主はそれぞれの理由から社交に無関心であり、現状のヴェルデン家は一定の力を持った無党派という位置づけだ。
知らない派閥も、公爵の腹心も、宰相の番犬も、競うように条件を提示してエストを仲間へ引き込もうと工作を展開してくる。
それら全員がユリアーナを相手にしなかった。
正妻の子のリザベットと、血の繋がらない一族の、それも庶子である自分。向けられる目も、受ける扱いもまったく違う。貴族社会だと庶子は激しく蔑まれるのが普通なのだと痛感した。
知識として知ってはいたが……。
体感するのは生まれて初めてだ。
地元でこそ尊敬のまなざしを受けるケアナの白鷲も、王都においてはヴェルデン家にぶら下がるみそっかすと蔑まれる程度の存在でしかなかった。
屈辱のあまり、夜には枕を濡らして眠れぬ朝を迎える日も。20歳にもなって何をと自嘲したが、辛いものはどうしても辛い。
己はいかに恵まれた立場だったか。
エストはいかに価値の高い存在か。
嫌というほど思い知った。
ここ最近、己がいかに不遜で思い上がった感情を抱いていたのかも。
ユリアーナは腰から取った鍵束を顔の上に掲げる。
「どうして私は庶子なのでしょう」
生まれて初めての自問。物心ついたとき、すでに両親は天へ召されており、祖母には愛され、領内で不当な扱いを受けたこともなかった。
その自問は否応なしに現実を訴えてくる。
……薄々感づいてはいるのだ。
エストからの鍵束はただの報酬だと。
アメリーを始め、忠告をしてくれる者はいた。
無視してこじつけたのは自分の過ちだ。
だともしても、エストはエストで残酷だ。
『エストはユーリのことが好きなのね!』
『まあ、よろしいように受け止めてください』
「どうして明確に否定しないのですか」
『今夜は隣についてもらうぞ』
『並びに一族のユリアーナ。本日は我々ヴェルデン一族が――』
「どうして実妹を差し置いて私をパートナーに?」
常識をわきまえようにも、希望を抱いてしまいそうな言動が多すぎる。
「直接、確認してみるべきなのでしょうね……」
しかし、脳髄がその選択を拒絶する。
いかな答えが返ってくるか、やんわりと想像がついてしまうからだ。
エストの口から明確な否定を聞いてしまえば、己の存在すべてが崩れそうで怖い。必ず覚めると理解していても、夢の世界へ浸っていたいときだってある。
今の状況を壊したくない。
だから答えを求めずに引き延ばしている。
「ダメ。こんなことでは」
頭を振って陰気な考えを振り払う。すると今度は舞踏会のことが思い出された。
正式な貴族たちの面前で一緒に踊りましょうと誘えなかった己の不甲斐なさ。庶子ごときが、という蔑みの視線が向けられるのを恐れた弱さ。
白百合の戦乙女が聞いて呆れる。
「でも……」
あの晩のエストを思い出す。
『白亜の髪に似合うドレスじゃないか』
自然と顔がニヤけてくる。
ほめられた。
近頃のエストはお世辞ぐらいでしか人の容姿を褒めないというのに。
容姿だけなら120点満点のエルマリアをすら、心なしか避けているのに。
「ぐひっ」
明確に。
関心を持った目で。
ほめてくれた。
ドレスに飾られたユリアーナを。
「はあーあああああああ~~~~」
彼女は両手で顔を覆い、足をバタバタしながら花畑を転がる。
「お嬢様がまた壊れた」
見守るアメリーが何か言っているが耳に入らない。
ユリアーナはひとしきり転がり、うつ伏せになって停止した。
『似合うドレスじゃないか』
「そちらこそ」
あの晩のエストは瀟洒な礼装がよく似合っていた。ブルネットの髪に深緑の瞳。均整の取れた肉体が見せる堂々とした姿勢は、服に着られることがない。
どこか他人事のように物事を眺めるあの表情。基本うんざりしているが、不意に口元をへにゃっと曲げてぎこちなく笑うあの拙さ。
かと思えば、いきなり感情を丸出しにして必死になったりもする。
自身も含めたすべてを突き放し、それでいて見捨てない。矛盾した態度ばかりの、そんな従弟から目を離せなくなりつつある。
今思えば。
3年前はただ婚約に憧れていただけだった。
近頃はいつもエストのことばかり考えている。
「どうしましょう。どうすればいい……?」
「らしくないですね」
アメリーが頭へ花冠を乗せてくる。
「いつも通り、当たって砕ければいいのに」
「砕けたくないんですよ……」
「世の中にはどうしようもないことが」
「それをどうにかするのが忠臣の仕事じゃないんですか? お願いです、アメリー」
「無茶言わないでください」
すげなく断った忠臣は主君の隣でしゃがんだ。
「でもまあ、何をするにしても早いほうがいいでしょうね。どうやら閣下は結婚に対して特にこだわりがない様子。急がないと、相手が決まって挑戦権すら失われます」
「そんなのヤダーーー!」
「ワガママ言わないの。相手なら他にも……」
言いかけ、アメリーはしまったと口をつぐんだ。
「いないじゃないですか」
「しまっ、あーっと、ですね」
「こんな行き遅れ気味の相手がどこに?」
「……まだ見ぬどこかには」
「私と結婚したい人なんて、この世のどこにもいないじゃないですかーーー!」
「落ち着いて」
「うわぁああん! どうせ私は独り身のまましわしわのお婆ちゃんになって朽ち果てていくんですよぉーーー!」
「そ、そのときは私も一緒です!」
「当然じゃないですかー! 私が結婚できないんだったら、アメリーにだって結婚を許さないんですからーーー!」
「ああもう、王女様が移っちゃいましたね」
花に顔をうずめてわんわん泣くユリアーナ。それを必死になだめながら、アメリーは心の中で嘆いた。
(どうして私の周りは情緒が不安定な人ばかりなの……?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます