第40話 王都ルミスメリー
ガタン。馬車が急に止まる。
「なにごとだ!?」
「司祭様です」
「またか」
俺たちは馬車の外にでた。
ニコラ司祭が路傍の貧民に施しをしている。
「司祭。信仰の体現はご立派だが、このままでは年が暮れても王都に着かんぞ」
「ですがこの者たちは困窮に苦しんでおります」
「ことを仕損じればヴェルデン20万人が苦しむ」
「数の大小ではこざいません。我ら祈る者たちが目の前の迷える子羊を見捨てたら、彼らは誰にすがれば良いのです」
「自分の足で立てばいい」
「失礼ですが、若く富貴な方にはわかりませんよ」
司祭はぼろきれのような装束をまとい、痩せこけた頬をしている。にもかかわらず、貧民にパンを分け与えていた。
このまま長説教でも始められたらたまらない。
俺は毛皮のコートを脱いで貧民に投げ渡した。
「それを売って元手を作り、人生をやり直せ。これまで運がなかったのは神の思し召し。次にしくじったならそれは人の責任」
「いずこかの若様、感謝いたします」
「感謝は司祭にしろ」
皆が珍獣と出会ったような目をしている。
「暑かっただけだ。とっとと進むぞ」
ニコラ司祭はこちらをじっと見つめていた。
はよ自分の馬車に乗ってくれ。
◆
王都はアルヴァラ王国の西部に位置する。
いくつかの貴族に使者を送って通行料を払い、車列をひた走らせること7日。
馬車の遅さを嫌というほど痛感し、潤沢な資金で整備された広い街道の偉大さもお尻で学び、とうとうたどり着いた。
関所を越えて下り坂に差し掛かる。
昇りかけの赤い太陽が照らす薄い朝
祝福されしルミスメリー。
清浄さと活気の共存する巨大な街。
2つの大河の合流地点に建設されたアルヴァラ王国の都は、それそのものが神の披露した御業であると言われても説得力を感じるほどに雄渾だ。
金、かかってんなあ。
「あれがルミスメリー……」
「おっきいです」
ガルドレードなどとは比べるべくもない。
アメリーとヴァレリーは口を開いて呆け、顔を見合わせ、もう一度ルミスメリーの壮観に見入った。この街を初めて見た者は全員がそうなるのだろう。ニコラとセヴランも優しい顔でおのぼりさんを見守っている。
「閣下は驚かれないのですね」
「これから喰らわねばならない相手だ。呑まれていてどうする」
「大した胆力で。私など、初めて訪れた際は日暮れまで見入っていたものです」
セヴランが感心するが、俺もこの世界しか知らなければ呼吸を止めて見入っていただろう。実際、こんなときでなければじっくり観察したい気持ちはあった。
「ここが正念場だ」
都へ入るとまっすぐに王城区へ向かう。
テルメー城は大河から引いた分厚い水掘、その上を渡す長い石橋、段々畑のように貴族の屋敷と壁が立ち並ぶ小山のような丘を越えた先にそびえている。
なるほど、この地域から見下ろす大河の合流地点はちょっとした内海と見紛うほどの規模感だ。陸ノ海城のあだ名はこれが由来なのか。
地球なら審議なしで世界遺産認定されるであろう巨城を見上げつつ、貴族街を練り歩いて妹が住まう屋敷を探す。
リザベットの住まいは貴族街にある他の大邸宅に比べるとこじんまりしていた。
「お兄様!」
飛びだしてきた妹が駆け寄ってくる。
ずいぶんとおしゃれさんな服装だ。
「リーザ。こっちの暮らしには慣れたか?」
「まだ引っ越して20日ぐらいだよ? 慣れるわけないじゃん!」
「すまない。どうやら仕送りはまったく足りていないようだ」
「いいのいいの! 自分で何でもできるのって、意外と楽しいんだよ? それにリアナもお祝いをくれたからあんまり不自由してないんだ。さ、入って入って!」
手を引かれて中へ入る。
小ホール……まあガルドレードなら客室程度の広さの玄関に、左右から降りる螺旋階段。手狭ながら最低限の調度品はそろっている。
「兜だけ? 鎧はないのか?」
「それはエルカちゃん」
「エルカちゃん?」
「もらい物。私もよくわかんない」
なぜかアメリーが遠い目をしている。
食堂へ通された俺は凍りついた。
「ここが、こうなって。あら? どういうことでしょう。計算をやり直さないと」
なんか知らない人いるーーーー!
いや、知ってる人だけどさ。なぜここに。
お誕生日席ではユリアーナが書類とにらめっこしていた。
「お嬢様!」
「アメリー!? どうしてここに――あ、エスト殿……」
「お、おう。ユリアーナ。その節は申し訳ないことを……慈悲を乞わせてくれ」
開口一番、ひざまずいて頭を下げる。
あの王女を押しつけたのはシャレでは済まない話。
「あっ、いえ。こちらも子供のような癇癪を……とりあえず頭を上げてください」
まさかこの屋敷にいるとは。
じっくり観光の旅でもしていると思っていた。
お互いに言葉が途切れる。
気まずい空気が流れた。
「あー、なんだ。リーザのこと、何から何まで感謝する」
「え、ええ。私も私で助かっていますから」
「王都に留まっていたんだな。やはり母上の手が伸びたか?」
「いえ、摂政殿下に引き留められまして」
「殿下が!」
「リーザを言い訳に使えなければ、テルメー城に部屋を用意されるところでした」
「エルマリア係?」
「ううっ」
苦々しげな声音。
彼女は疲労の色濃い紫眼をこすると、不意に複雑そうな視線を投げかけてきた。
「エスト殿。王都ではあなたに関する噂がたくさん流れています。話だけで考えると私ですら人物像がわからないほどに」
「例えば?」
「その、麦畑を焼き払って民を深く嘆かせた、とか」
真偽確認の意を帯びる表情。
「事実だよ」
「あなたは民を保護すると。だからその手を取ったのです」
「誓って言うが、必要なことだった。王都へやってきた理由にも関係がある」
「それは私から説明いたしましょう」
ニコラ司祭はユリアーナに狂笑の実の話をして写本を見せた。
「狂笑の実。なんと恐ろしい……」
「事後承諾になるが、ケアナ城の周辺も焼かせてもらった。貴公の封土で勝手な振る舞いをしたことをお詫びする」
「アメリーは承諾したのですね?」
「したぞ」
「ならば構いません。彼女の判断は私の判断ですから」
「お嬢様……っ!」
ケアナ城の主は城代に微笑みかける。
城代は頬を赤く染めて口を押さえた。
あのー、なんかこの部屋、おフローラルな香りがしてません?
咳払いして話を続ける。
「そんなわけだから、速やかに大金を用意する必要ができたわけだ」
「どのぐらい必要になるのです?」
「ひとまずは750万クーラ」
ユリアーナの手からはらりと書類が落っこちた。
うつむき、もじもじと懊悩し、やがて決意した様子で顔を上げる。
「――――うちには185万クーラ残っています。これで民の食べ物を」
「全財産じゃないですか!」
「それで救える者たちがいるならやるべきです。たとえ力及ばずとも」
「お嬢様の生活はどうするのです!」
「節約すれば今ある食料で冬は越せます。来年は……私も畑を耕しますよ」
「そんなのダメですよ!」
俺は主従の口論を止めた。
「気持ちはありがたいが、それには及ばない。今回は当てがあるんだ。ほぼ確実な当てが。しかしコネがない。仕掛けのためになるべく大勢の貴人を集めたいのだが」
やりとりを見ていたリザベットが手を挙げた。
「コネ? だったら何とかなるかもよ?」
「ほんとか!? 王都にきてから20日ばかりなのに、もうそんなに友達が……!」
「私じゃなくてお兄様だよ」
「俺の? あいにく領外の知人は多くないが」
「リアナ。あれ、使えるんじゃない?」
水を向けられたユリアーナはとても嫌そうな顔になった。
話をはぐらかそうとする彼女を妹がせっつき、しぶしぶお出しされたのは捺印された手紙や贈答品の山。どれも差出人は貴族や街の有力者だという。
「これは?」
「なんでもありません」
「お兄様への挨拶や面会を求める人たちからの贈り物」
「こんなに? うちは評判悪いのに」
「お兄様は噂だけじゃどんな人かよくわからない。害虫って呼ばれてたり、竜や魔族を倒したりさ。皆、会って確かめたいんじゃない?」
「そんなもんか」
「私たちも最初は大変だったんだから」
それで?
なぜユリアーナは無駄な抵抗を図ったのか。
答えは封を開けて中身を読んだらわかった。
手紙のうち半分は、自家の立場や噂話を
特にエルマリアの言動を揶揄し、王女が障害者では……と侮蔑するものが多い。
なんというか、想像していたよりも庇護者たる摂政への反感は大きそうだな。
この状況なら、少なくとも指先パッチンで即死とはならないのがわかった。
残りの半分ぐらいには、ぜひ家族ぐるみでの交流会をーとか、年頃ですねーどのようなレディを理想だと思いますかーとか、婚約破棄ってどしたん話聞こかー?とか、この機会に乗じて上昇婚を狙いたい感マンマンの文章が躍っている。
ユリアーナは庶子で旗主格だから、取次役だと思われたんだろうな。
俺からの求婚が有効だと考えているのに、遠回しに娘を結婚相手に紹介させてくれという要望を伝言されまくったと。立場的に勝てそうもない相手から。
で、精神的ダメージを受けたわけだ。
これは早いうちに誤解を解かないとだな。
「ユリ……」
言いかけて止まる。
先ほど彼女が放った言葉が脳内でリフレインした。
『――――うちには185万クーラ残っています』
『185万クーラ残っています』
『185万クーラ』
い、いかん……!
いかんいかん!
まだ他の旗主たちを屈服させていない段階だ。
爆弾に触れるのは危険すぎる!
これで離反されたら目も当てられねえ!
時期尚早。少なくとも今じゃない。
俺は伝統奥義・先送りの術を発動した。
心を静めて手紙の送り主たちを確認する。
「聞いたことのある大きな家もちらほらある。こいつは使えそうだ」
「やった!」
「効果を高めるために一手打ちたい。ワイバーン素材の買い手探しに専念するぞ」
「閣下、そのことなのですが」
フェルタンが一歩前に出た。
珍しいな? 彼が進言なんて。
「買い手は誰でも良いのですか?」
「ザルデーレ王国の貴族でなければ」
「それ以外なら外国人でも良いと」
「もちろん。元を辿ればうちもよそ者だ」
彼は思案げになり、遠慮がちに言った。
「紹介できそうな方がおります。いささか忍耐が必要になりますが」
ん? 忍耐?
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