第39話 やるべき仕事


 旗主たちへ手紙を書く。

 さすがに根比べとか言っていられる事態ではない。


 狂笑の実のあらましと、封土を確認して麦畑を焼くようにとの命令書を送った。


 入れ替わりで使用人がやってくる。


「坊ちゃま、お手紙が届いております」

「旗主……ではないな。送り主は?」

「フォルクラージュ侯爵の一族から、次男と次女の連名です」

「侯爵家から? どれどれ」


 内容は俺の蛮行を激しく弾劾するものだった。

 貴族を名乗る資格なし、とまで書いてある。


 ヴェルデンとフォルクラージュ、民間経済はそこそこ密だが肝心の領主同士は仲が悪い。周辺貴族の中でも特に我が一族をボロクソに非難している連中だ。


 ここぞとばかりに口撃を仕掛けてきたか。あちこちに同じものを送りつけているのだろう。俺は手紙を複写させると、すぐさま鼻紙にして捨てた。


「時間の無駄だ。読んで損した。セヴランを呼んでこい」

「かしこまりました」


 セヴランを呼ばせる間に資金の計算を行う。


 まず、魔族討伐前の資金が1300万。

 ウィスカンド冒険者ギルドからの報酬が3334万。

 クラトゥイユ男爵かららの礼金が2000万。


 しめて6634万円。


 ここから支出を引いていく。

 領政の立て直しにかける追加費用、1025万。

 教会関係者に渡した資金、2600万。

 リザベットが王都の暮らしへ送る費用、1000万。


 仕送りは地味に痛い金額だが、あまりみすぼらしい生活をさせるとヴェルデン伯爵家自身が侮られる。社交を肩代わりしてもらっていると思えば割り切れる額だ。


 それから武具の発注に900万。


 飢饉・武装蜂起ルートも考慮すると武力は決して手放せない。領主一族の権限でタダにもできるが、鍛冶屋ギルドが破綻すると道具が不足して己の首を絞める。


 ここまでで残るのは1109万。

 ワイバーンの素材を売りに王都へ行くにも金がかかる。


 伯爵家クラスの貴族は外出にも格式に見合う準備が必要だ。王都なら1000万はかかる。ケチればやはり周囲からナメられ、削った費用以上の損失を出しかねない。


 残金たった109万円の命。

 本当にギリギリの状態だ。


「何が急場はしのいだ、だよ」


 完全なる油断だ。

 まだ根本的な問題が解決していないのに、来月まで余裕があると思っていた。


 ……蔵を開くか?

 いや、それは究極の最終手段。

 甘えれば癖になる。安易な道には代償がともなう。


 目先のために貯金を切り崩す者は、有事の際にすべてを失うのだ。


「閣下、失礼いたします」

「入れ」


 セヴランとジョスランが執務室へ現れる。


「さっそくだがセヴラン。状況はどうだ?」

「都市ギルドの立て直しは順調です。竜素材の売り手はなかなか……」

「見つからんか」

「行商時代のツテを当たってはいるのですが」

「あー。商人たちは俺を避けるだろうな」


 以前にヴェルデンの有力商人を処刑している。

 関われば自分たちも首が飛ぶかもしれないと思われているのだろう。


「そちらは手立てを考えてみる。さて、行商人だったお前に聞きたい。平民は1ヶ月でどれぐらいの食費を使っている?」


「一般的な肉体労働者の年給が480から560クーラ近く。月割りで40から46クーラ。食費はおおよそ30クーラほどでしょうか」


「30かあ」


「全員が満額とはいきませんがね」


 そうだろうとも。実際の内訳はお察しだ。


 血の繋がった家族は良いものを食べ、下僕や雑用係はいつもお腹を空かせている。扱いの悲惨さは児童文学に出てくる煙突掃除の少年並みだろう。


 世界名作劇場のようなギスギス悲しみストーリーも山のようにあるはず。


「ヴェルデン領民20万強のうち、8万近くの飢餓民が出ると想定しよう。と、なれば半年でかかる食費は――」

「……お待ちください」

「なんだ」

「飢えた領民すべてを伯爵家で養うおつもりですか?」

「そのつもりでいる。春までの間だけだが」


 セヴランは閉口した。

 と、思ったら早口でまくしたててくる。


「食費を半額に抑えても、8万人もの人間を6ヶ月間養うには720万クーラもかかります!」

「余裕を持って750万は用意したいな」

「当家の収入、丸々4年分ですよ!? 財政が破綻します!」

「そうならないよう、こうして手立てを考えようとしている」

「何ゆえにそこまでなさるのです!」


 彼は唖然としながらつぶやいた。

 まあ、36億3750万だもんね。


 俺は鼻から息を吐きだし、両指を組んで顎を乗せる。


「セヴランはさ、行商中に運んでる品の価値が落ちると判明したらどうする?」

「損失を出す前に手を打ちます」

「命がかかってるもんな?」


 仏頂面で片眉を上げるセブラン。

 やはりイケメン。どんな仕草も絵になりよる。


「なるほど。税収は政務の命綱。民が飢え死にすれば上がってくる税も恒久的に減少する。そうなる前に、目先の損失を出してでも手を打つべきとお考えなのですね」

「うむ、そういうことだ」

「長期的な視点に立てば、正しい計算なのはわかります」


 全然! 違います!

 命って、もっとシンプルな意味なんだけど。

 まあ、納得してくれるなら良しとしよう。


「俺にゃ難しい話はわかりませんが、冬の間は動かない人が増えますし、食いもんの減りは緩やかになるかもしれませんね」

「しかし、750万ですか……」


 イケメンが悩ましげに計算を始める。


 ちなみにヴェルデン家の年間収入は195万8760クーラぐらい、食費は30万9280クーラほど。純粋な食費というより祝宴の費用込みでの額だ。騎士たちや馬の糧食は消費が桁違いなので単純な比較はできないが。


 我々がいかに贅沢しているかがわかる。

 いかにぼったくられていたのかも。


 原価もわからぬままに謎の珍味をホイホイ買わされ、その差額がガストン一味へキックバックされていたのだろう。有力商人ともども殺して正解だったな。


 さて、この前提を踏まえたうえで。

 俺がやるべきことはただひとつ。


 ――馬は肥やして、自分は痩せるほど働け。


 関東下野の武士、佐野秀綱公の言葉である。

 この場合の馬とは戦への備えのみならず、財産の意味合いもあるだろう。


 俺の財産とは何か? 不本意ながらも家臣と民だ。財産というより債券で、こいつらが痩せると命が危うくなる。暴発しない程度にコントロールせねばならない。


 意識を目の前の問題に戻そう。


「困難だがやるしかない」

「どうするのです? 普通のやり方で用意できる額ではありません」

「皆で農地を開くとかは……絶対に足りないですよねえ」


 ジョスランはセヴランの眼光に気圧されて語気を弱めた。


「奥の手を使う」

「奥の手?」

「金というのはあるところにはあるってことさ。王都行きの準備を進めておけ」

「かしこまりました」

「俺は何人かに話をつけてくる」


 休む間もなく外出し、次の目的地へ。

 この用事ばかりは外からの指示で済ますわけにはいかない。




 俺はシモネス教会城を訪問した。

 湖畔の木陰はひんやりしていて涼しい。


「麦畑を焼かせろ、ときましたか」

「残念ながら、ここも悪魔の爪にやられている。食べれば死者が続出するぞ」

「閣下が言うならそうなんでしょうかね」

「補償はする。被害が出る前にやらせてくれ」

「わかりました。焼くのは自分でやりますよ」

「いいのか?」


 シモンは釣竿を引っ張り上げた。


「大丈夫。うちには魚と山菜がありますから」


 そういう意味じゃないんだが……。


 剛毅なシモンに感謝を述べ、お次はケアナ城へ向かう。ついでに道中の村を調べさせたところ、やはり麦角菌にやられていた。


「ようこそお越しに。私はユリアーナ卿の留守を預かるアメリーと申します。お帰りはあちらへどうぞ」

「あー……ユリアーナ、やっぱり怒ってる?」

「主君の心は主君にお尋ねください」


 歓迎していない声で言い放ったのは黒髪の女騎士。冷たげな美人で、シニヨンとかカールアップというのだろうか、後ろ髪を高い位置でまとめている。


 彼女はボルダン殺しに付き従ったひとりだ。

 嫌悪感が全身を覆っている。こわい。


「おのれ」


 反発するヴァレリーを手で押さえ、なるべく親しげに話しかける。


「王女の世話は大変だったろう。何か労いを」

「閣下の貴重なお時間を奪うわけにはまいりません。本日は何用でしょう?」

「…………えーっとですね、麦畑を焼かせてもらえないかな~って」

「は?」


 威圧感!

 笑顔プリーズ! 笑顔は大事!

 もっと和やかにお話しよ?


「意味がわかりません。妙な口実を用意してもジネットには会えませんよ。いませんから」


 彼女は唾を吐き捨てた。

 副音声や想像ではなく、マジで吐き捨てた。


「閣下に対してなんたる無礼! さっさと命令に従われよ!」

「私の主君ではない! ケアナ公を侮辱した相手に敬意を払うとでも!?」


 ふたりの女騎士は一触即発。

 今にも剣を抜きそうだ。


 俺はチョークスリーパーじみた体勢でヴァレリーを止めた。


「待て待て、家臣同士での争いは許さん」

「で、ですが!」

「彼女の怒りは正当だ。あれは俺が悪い」


 アメリーの前に立つ。


「む、なんですか」

「貴公の主君に恥をかかせてしまった無礼をお詫びする」


 腰を曲げて謝る。

 彼女はわかりやすく慌てた。


「……それはケアナ公へ直接お伝えください。ほら、頭をお上げに。貴族が陪臣に謝罪するなど、アルヴァラ全土から笑われますよ」

「悪いことは悪い。そこに身分は関係ない」

「困ります、閣下。やめてください。やめて。お赦しを! もー、ええい!」


 頭を下げたままでいると、彼女は勢いよく片膝を突いて頭を垂れた。

 気まずくなるのでこちらはすぐに頭を上げる。


「じゃあ本題に入ろう」

「へ? ちょっと! ……ぐぎぎ、やりましたね?」


 なんだかさらに怒ってしまったような。


 アメリーとはギスった空気が流れたものの、ニコラ司祭が事態を説明するとようやく矛を収めてくれた。


「狂笑の実。そのような話が」

「神に誓って事実でございます」

「厳しい判断だが、麦畑は燃やさねばならん」

「そういうことですか。事情が事情ですのでケアナ公の判断を仰ぎます」

「それでは遅い。疫病を起こした後で責任を取れるのか?」

「……わかりました。ただし私も立ち会います」


 というやり取りの後、村々の麦を焼き払う。


 意外なことにケアナ城周辺地域の者たちは俺に好意的だった。ユリアーナに莫大な財貨を与えたのが知らぬところで効果を発揮していたようだ。


 彼らはユリアーナとその側近たるアメリーを信頼しており、事情を話せば焼却作業は比較的楽に進んだ。裏切られたら俺を殺す、とアメリーが宣誓したのも大きいが。


 いやあ、感じるね。

 信用の違いってやつを。

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