第38話 良い神官と悪い貴族


 この教会は全体的にボロくてガタガタだが、書物だけは豊富に取り揃えてあった。

 司祭たちと運び出した本を漁る。


「ニコラ様! これではないでしょうか?」

「どれどれ……狂笑の実について、ですか」

「いにしえの司祭が記したという逸話です」


 ニコラは古びた写本の内容を読み上げる。


「小麦はまさに神の与えた黄金だが、その恵みを妬んだ悪魔から呪いをかけられることもある。瘴気に毒された穂に黒く禍々しい角が生え、これを口にした者は七日七晩笑い続ける。手足が黒ずみ、全身に醜いこぶを噴き出しながら、やがては死に至る。これを狂笑の実という……! なんと!」


 ほう。

 どこかの誰かが、麦角菌に関する内容を書き残していたらしい。


「この呪いを解くためには、煉獄の火で瘴気を打ち払い、聖水によって大地を清めねばならない。しかし子羊が悪魔に惑わされたとき、我ら祈る者たちは大いなる試練に直面するであろう……この情報をどこで?」


「父は芸術に造詣が深く、各地から題材となりそうな書物を取り寄せている。そのうちのどれかで読んだ記憶があってな。悪魔の爪という話だったが」


「この司祭のような方が他にもいたのですね」


 俺は写本へ頭を下げる。後世の誰かが同じ苦しみから救われるようにと、なるべく詳細に記録を残した筆者の誠実さに敬意を払いたいからだ。


 聖職者たちは長大息した。


「話はわかりました。それならそうと、皆へ教えれば良いではありませんか」

「俺のあだ名を知っているだろう」

「うっ。それは」


「ケアナの白鷲が言うならともかく、エスト・ヴェルデンの言葉ではな。また害虫卿が悪事の言い訳をしていると邪推されて終わりだろう」


「だとしても。食糧を焼くなど乱暴すぎます。彼らにどうやって生きていけと?」

「配給を考えている」

「……ほう」


 考えなしの暴挙でないとわかり、ニコラは話を聞く姿勢になった。


「どの道、秋をしのいでも冬は越せない状況だった。その理由は、まあ、重々承知しているが。俺はヴェルデン家の資金を使って民の食料を買い集め、配給で春まで持ちこたえる準備を進めていたのだ」


「その話、神に誓えますかな?」


「もちろんだ。そのために2000人の血を流し、魔族さえ殺してきたのだぞ」


 聖職者たちはうなっている。

 神への奉仕の究極系、魔族殺しは効果抜群だ。


「食料は我らがどうにかする」

「どうにかなりますか?」

「先日討ち取ってきた竜の素材を売るつもりだ」

「まことに!」

「領民のためにそこまで……」


「守護聖人に祈れば治るという話も聞くが、病人が一度に押し寄せたらいかに彼らとて手が回らないだろう。地上に生きる人間も、怠けずにできる備えを進めねば」


「怠惰の罪を贖われるのですな!」


 うげぇ。

 聖職者たちの目がキラキラし始めた。

 ちょっとやりすぎたか?


 先ほどは宗教を弁護したが、各種の宗教勢力ってのはいい顔をする相手から無限に金をタカろうとする習性もある。距離感には注意しないと。


「今はこちらを信じて手を貸してほしい」

「俗世には誓いを破って逃げる者もおります」

「何だと!」

「貴様、閣下を侮辱する気か!?」


 護衛を制し、剣を引き抜く。

 聖職者たちがビビりながら言った。


「こ、ここは神聖なる祈りの場。神の御前ですぞ」


 司祭の目と鼻の先、長椅子に剣を突き立てる。

 彼はまったく動じていない。素晴らしい胆力だ。


「いずれ取りに戻る。戻らなければ――」


 己の首を掴む。


「騎士を呼び、この剣で我が首を斬り落とせ」


 顎で聖像を示す。神が証人という意味だ。

 ニコラ司祭は微かに笑みを浮かべた。




 先ほどの村へ戻る。

 いかにも一触即発な空気だ。


「司祭様!」

「ニコラ様! 話はどうなりました!?」


 農民が駆け寄ってくる。

 ニコラは申し訳なさそうに目を逸らした。


「……すまない。皆の命を守るには、畑を諦めるしかない」

「そんな!」

「そういうことだ。わかったらとっとと失せろ、下民風情が」


 勝ち誇る俺と絶望する農民たち。

 ニコラはこちらを振り向き、キッと睨んだ。


「約束は守っていただけるのでしょうな?」

「もちろんだとも。例の条件を飲むならば」

「くっ、なんということを……!」


 いかにも悪そうな裏取引を匂わせる。


「さあ、もうひとつの条件を果たしてもらおうか?」

「約束を。皆を助けるともう一度誓っていただきたい!」

「とっととやれ。こちらは計画通りにことを進めても構わんのだぞぉ?」

「言葉を覆したら、神罰が下りますぞ」

「だろうな」


 俺は剣を突きつけ、聖職者たちにたいまつを持たせる。ニコラたちは震えながら神へ謝り、ゆっくりと麦畑へ火を放った。


「こんな穢れた畑はすべて燃やせ! ククク、アハハ、ハーッハッハッハー!」


 シモンを参考に高笑いなどしてみる。


「ああ、畑が!」

「日の出から日暮れまで懸命に耕した畑が!」

「すまない、皆。本当にすまない……!」

「司祭様が謝ることなんかねえよ!」

「神よ! どうか無力な私を今すぐに罰してください!」

「神に頼まずとも、俺に頼めば話は早いぞ?」

「こんの野郎!」

「害虫め……!」


 憎悪と殺意が一斉に向けられる。

 にもかかわらず、農民たちはヴァレリーに脅されると何もできずにうつむく。


 うむうむ。順調だな。


 俺はニコラにある作戦を提案した。

 いわゆる良い警官と悪い警官だ。


 どっちみち畑は焼かねばならないが、貴族も教会も積極的だとメンタルをやられた村人たちがヤケを起こして蜂起する可能性がある。


 中世西洋においても、民衆蜂起がロシア革命ばりにモヒカン化した例は存在した。例えばジャックリーの乱だ。発狂した民衆は貴族、騎士、郷士を殺し、女を凌辱し、子供は丸焼きにするなどやりたい放題やったという。


 そこまで過激ではなくとも、シュテディンガーの反乱、ドイツ農民戦争、ワット・タイラーの乱、民衆十字軍の暴徒化などなど、革命ラッシュより前から危険な騒乱はいくつも存在する。


 だから心理的な人質を取ることにした。


 人間、自分に責任が降りかかれば安易な選択に走りがちだが、決定権が他人にあると様子見を始める。いかにも虐げられている司祭たちが皆を抑える役に回ることで、俺らのために一肌脱いでくれたあの人が言うなら……と時間を稼がせる狙いだ。


 民に憎まれるのは悪手だが。

 リカバリー可能な範囲と判断した。


 感情は慰撫できても、一度解き放たれた狂気の鎮静化は困難を極める。


 俺は庶民たちの理不尽なほどの話の通じなさ、視野の狭さと忍耐の欠如を甘く考えていない。孤独を感じたら秒でヒスを起こして暴れ始める生き物だ。


 ママのように寄り添ってヨシヨシしてくれるやつがいないと危ない。だからニコラ司祭、お前がママになるんだよ!


 民衆には、土地を召し上げたい貴族が村人の始末を図り、必死になって止めた司祭へ腹いせに嫌がらせをした、とでも思っていてもらおう。


「まだ残っているぞ」


 食糧保管庫の麦も燃やさせる。

 俺は這いつくばって嘆くニコラに言った。


「ふん。とっとと立て。助命の条件はこの村だけではない」

「神よ、なぜこのような試練を……」


 連行される彼らを見送る村人は泣いている。いやあ、ひしひしと感じちゃうよね。培ってきた信用の違いってやつを。


 衛兵たちもドン引きする中、背を守るヴァレリーがつぶやいた。


「ご安心を、閣下。たとえ世界が敵になっても私がここにおります」


 彼女が横にいなくて良かった。

 思わず頭をナデナデして、茶番を台無しにしそうだから。


 このしょうもない寸劇を繰り返し、近在の麦畑をことごとく焼いていく。直轄地にある麦畑の7割を焼き払うには10日以上もかかった。


 いやあ、7割かあ。

 マジで7割かあ。

 でも、やらなきゃやらないで奇病が発生して人心が不安定になるしなあ。


 内心で頭を抱えつつカーヴィリエ教会にお邪魔する。


「この金を平民たちへ流せ。当座の食料を買うように仕向けるんだ。出所は……嘲笑うために投げつけられたとでも言っておけ」

「我々ばかりが持ち上げられるのは」


 君、わりとノリノリじゃなかった?


「耐えろ。俺は悪罵にも軽蔑にも慣れている。なんたってヴェルデンの害虫卿だ」

「閣下はそれでよろしいのですか」

「大事なのは民が死なないという結果。どう思われるかなど些細なことさ」


 そりゃもう、命の危機に比べたらね。

 迷信深いこの時代のこと。

 手を打たないと神の怒りとか噂されかねない。


「ではな。数日後にまた会おう」


 長椅子に刺さった長剣を小突き、ガルドレードへ帰還した。

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