第32話 想定外


 ジョスランが言いづらそうに教えてくれる。


「その、閣下。ジネット殿の大胆な告白は民衆の間でかなり評判になってます。詩人の心を揺さぶったらしくて、あちこちで歌にされてますよ」


「へえ、そうなんだ」


「いやいやいや」


 シモンはぎょっとした。


「そうなんだって……。ケアナ公の立場になってみてください。婚姻同盟ならともかく、自ら求婚してきた相手が別の女とよろしくやってたらそりゃ面白くないですよ。しかもその女は、長年自分に仕えていた側近ときた」


 やたらと食い気味だ。


「求婚ったって3年前のことだ。向こうも断ったし、話はそれでおしまいだろ」

「え、いや、2カ月前でしょう」

「いやいやいや。何を言ってる?」

「いやいやいやいや」

「いやいやいやいやいや」


 俺たちは顔の前で手を振り合う。


「閣下、まさか求婚に関する伝統をご存じない?」


 ……伝統?


「そんなことないぞ! そんなことはないけど聞いてやろう。一応な、一応」


「はいはい……。アルヴァラの良家の男は、求婚に際してふたつの贈り物をするべきとされています。蔵を満たすほどの財産と――」


 彼は、鍵束と蔵を満たす財産の話をした。

 いかにもロマンティックな風習だが、深掘りすると200年ぐらい前に王家の一族が始めた底のあっさいものだそうな。


「はあー……。そんな伝統があるんだねえ」


 シモンの手前言わなかったが……。

 それって、財産に物を言わせて寝取りムーブするための方便じゃねーの?


 他人を蹴落とすために、自分が有利になるクソルールを押し付けようとする人間は前世でも山ほどいた。たいていは『○○しないのは恥ずかしい! 〇らしくない! ダサい!』とレッテル貼りするまでがセットだ。


 受け取る側にとって都合のいい主張はとにかく支持されやすい。


「ホロール城の鍵束を与えて、蔵どころか城いっぱいの財産を贈る。俺はてっきり、諦めずに口説いてるものと思ってましたがね」

「えっ」


 な、な、な、なんだってー……!? 

 外側からはそう見えてたの!?


 こちとら働きに報酬で報いる気前のいい主君ムーブのつもりだったんですけど!?


「だけどだけど、向こうは俺のこと嫌ってるし」

「本気で嫌ってたら兵は出さんでしょう」

「で、でも、ユリアーナだぞ? 民を想う熱い心が個人的な嫌悪感を凌駕したとか、そういう可能性はない?」

「だったらジネットを貸したりしないはず。それこそ個人的な用件ですし」

「マジか……」


 それでかー。

 そういうことかー。


 ケアナ城の門前で用件を聞かれた俺はジネットの所在を尋ねた。改めて奮闘への褒美を与えるためだ。するとキレ気味に去就を伝えられ、帰ってと怒られたのだ。


 知らないうちに求婚してました。

 そのうえマジギレさせてました。

 き、気まずーーーーー!


「一番マズい相手の不興を買ってしまった」


「貴族に愛人がいて怒るほうがおかしい。自分は諸国を巡りましたが、どこであろうと常識でしたぞ」


 フェルタンが皿に野菜を盛りつけながらフォローしてくる。


「ケアナ公の機嫌は勘案するべきですが、不当な要求に配慮する必要もないのでは?」


 ありがたい言葉だけど、そうもいかないんだよなあ。ユリアーナにはホロール城の財貨、およそ12億円を与えてしまっている。


 裏切ったら名誉を失う額をって打算だったが。

 これを敵対者への援助に回されたらダルいぞ。


「どうしたもんか」

「閣下は彼女のことをどう思ってるんです?」

「んー、武力の塊、領内の最強戦力、俺が死んだ場合の代わり」

「結婚相手としては?」

「現状では利点が薄いな。それにさ」

「ええ」

「美人は不倫するからなあ……」

「それ、絶対本人に言っちゃダメですよ」


 駄弁っていると、馬蹄の音が響いてきた。

 森を抜けた騎馬兵が駆け寄ってくる。


「止まれ、何者か!」

「ガルドレードからの急使です」

「セグナじゃねえか」

「兄貴! お疲れ様っす!」


 ジョスランの知り合いか。

 衛兵は頭を下げてから背筋を伸ばした。


「閣下、王都から使者が参りました」

「待て。シモン?」


 彼は意図を理解し、マルクを地下牢へ戻らせる。


「どうせまたリブラン家のことだろう。適当にもてなして追い返せ」

「今回はなんとしても話がしたいと」

「待たせとけ。そのうち帰る」


 粛清後、王都からリブラン家に関する問い合わせの使者が複数回やってきた。

 俺は何度もすっとぼけ、最終的にシモンを訪ねるよう勧めた。


 拷問されたマルクの話を聞いた王家は、シモンが恨みを晴らすために攻め滅ぼしたものと納得してくれたが、今度は主君としてあの者を処罰しろーとか言い始めた。


 もちろんスルーしている。


「そ、それが……」

「どうした?」

「お見えになられた方は摂政の妹だと」

「なんだと!?」


 俺は手にした肉を取り落とした。


「シモン様、摂政殿下の妹君ってのは……」

「亡き先王の5女。要するに王女様だ」

「王女! なんだってそんな偉い方が」

「知らん。が、おかしくはない。閣下は有力領主の後継ぎ。それも魔族を討ち取ったお方だからな」


 手の油を拭き、シモンへ詫びる。


「悪いが帰らねばならんようだ」

「またのお越しを。今度はソーセージを用意しておきます」


 彼は指をハサミに見立ててチョキチョキした。

 マルク・リブラン……ご愁傷様……。




 夜を日に継いで馬を走らせる。

 2日で3時間ぐらいしか寝てない。

 眠い。死ぬほど眠い。頭が回らない。


 摂政を務める第2王女のマリエールは、同母妹の第5王女を溺愛しているとか。今の力関係だと、機嫌を損ねて讒訴されたら指先パッチンでぶち殺されかねない。


 摂政は、現アルヴァラ王国で最大の実力者だからな。

 ガルドレードへ帰還すると、すぐに父のアトリエへ案内された。


 アトリエ?

 広間や客間ではなく?


 疑問に思いつつ足を踏み入れる。

 アトリエ内は相変わらず忙しそうだ。

 ただし、今日はプロフェッショナルで真剣な空気に不釣り合いな光景も見られた。


「この色とこの色を混ぜ合わせると」

「すごい! 美しくなった!」

「同じ葉っぱでも光の具合で見え方が違うのです。この緑に薄黄色を重ねて、ほら」

「まるで魔法みたいね。エルもできるようになりたいわ! 教えなさい!」


 芸術家たちが客人を接待している。


 桃色の髪に青い瞳の少女。

 蠱惑的だが神々しい抜群のプロポーション。

 表情や態度に屈託がなく、よくいえば純真、悪くいえば自分の存在を一度たりとも疑ったことがない者に特有の魅力を無限に放っている。


 人に好意と親切心を抱かせるカリスマがある。

 ……クソうざいほどに。


 アトリエには豪奢な絵画が並んでいるが、エプロンと顔を絵具で汚す彼女こそが、最も美しい1枚の絵と化していた。


 一雁高空、絶世の美少女。

 アルヴァラ王国の第5王女。

 エルマリア・ド・プレオラージュ様だろう。


 名乗りを聞かなくても態度でわかる。

 父上を召使いのように使っているからな。


「アルノー。そのコップはどこで買ったの?」

「これですか? 息子が修復したものですが」

「すごいすごい! この世にひとつだけなんだ!」

「異国の技術で、金継ぎとか言うそうです」

「すてきね。これは王都へ持って帰ろうっと。お姉様に自慢するの」


 常に許されながら生きてきたのだろう。

 他人の家にずかずか入り込んできておいて一切の遠慮がない。


 俺は、太陽のような笑顔に不快感を覚えた。


「おほん! 父上、ただいま戻りました」

「おお、戻ってきたか」

「そちらのご令嬢は?」

「王都からお越しのエルマリア殿下だ。姫様をお待たせしたことを謝罪しなさい」

「しなさい!」


 う、うぜぇええええ。


「拝謁が叶い光栄でございます、王女殿下。私はヴェルデン家のエストと申します。貴重な時間を奪ってしまい申し訳ありません。どうかご容赦を」


 思わず頬がひくついた。

 エルマリアはふふんっとふんぞり返る。


「ええ~、どうしよっかな~?」

「私からも、息子の無礼をお詫びいたします」

「いいわ、エルは心が広いから許してあげる。面白い歌も聞けたことだし」

「お、面白い歌……?」

「ジネット、だっけ? あの女騎士とのなれそめを教えなさい!」

「帰れッッッ!!!!!!!」


 あああ……心の声が表に出てしまった。


「失礼。ごく個人的な問題には立ち入らないでいただきたい」


 頼む、取り繕えててくれー!

 あ、ダメですか。そうですか。

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