第33話 ワガママ王女


 エルマリアの宝石のような瞳にじんわりと涙が浮かぶ。


「えっ? えっ?」


 生まれて初めて怒鳴られたのだろうか。

 衝撃を受け止めきれないって顔だ。


 この娘が泣いたら、経緯など関係なしに相手が100%悪者になるのだろう。

 初対面の相手に偏見丸出しで悪いけど、こういうタイプはマジで嫌いだわー。


 父上が驚きすぎて口をパクパクさせていた。

 俺は彼を手で制し、深呼吸をする。


「取り乱しました。ご容赦を」

「え、う、かえ、帰れ……?」


 あー、やっちまった。

 寝不足は本当によくない。

 ストレスを抑える理性が働かなかった。

 立て直さなければ。


「とりあえず、広間へ移りましょう」


 エルマリアはこの世の終わりみたいに立ち尽くしている。彼女の配下たちに視線を送ると、ふいっと逸らされた。


 ……まあ、今のは俺が悪い。


 父上がこちらへ近寄り、耳に手を添えて声を落とす。


「殿下の母方はルンペット家だ。粗相があったら、またフォルクラージュが何か言ってくるんじゃないか? なぜなら両家は――」

「婚姻関係ですからね」

「わかっているなら……」

「対処します」


 領民も評判もどこ吹く風の父上だが、仲が悪い相手からの中傷には敏感らしい。


 苦々しくも皆を一瞥すると、喉を詰まらせる王女の手を引き、アトリエの外へ連れていく。なめらかな指先が細かくプルプル震えている。


 しばらく歩くと、彼女は唐突に立ち止まった。


「殿下?」

「う、ううう、うわああーーーん!」


 うげぇ。とうとう泣き出しよった。

 時間差で何が起きたのか理解したみたいだ。


「なんで! なんでえ!? エル、なんか悪いことした!? わあああーー!」

「落ち着いて、どうかお赦しを」

「やだああああ! やだああああ! バカバカバカーーー!」


 王女は喉奥を見せてギャン泣きしている。

 俺はおろおろしながら付き人たちを見た。


 おい、お前らの主君だろ。なんとかしろよ!


 全員が目を伏せてしまった。


「おねえざまああー! お゛ね゛え゛さ゛ま゛ああああああ!」


 ヤバい、摂政に密告される!

 なんとかしないと!

 俺はなるべく優しく彼女の背中をさすった。


「すみません。姫様を怖がらせたり邪険に扱うつもりはなかったのです」 

「でも、えも、えもおおおお!」

「最近あれこれと大変な状況が重なりまして。そのうえ今日は1時間しか寝ておりません。自分でも何を言って、何をしているのかわからないんです」

「寝てないの……?」

「ええ。ここにクマがあるでしょう?」

「ほんとだ」


 主にお前のせいだけどな。


「ただただ疲れていただけなんです。それで心にもない言葉を」

「じゃあ、怒ってない?」

「もちろん。姫様を怒るなど」

「ほんとにほんと?」

「ほんとにほんとです」

「エルのこと、好き?」

「え……!? その……」


 答えに詰まる。

 付き人たちを見ると、必死に首を縦に振っている。


「う、う、うわああああ! お返事してくれないぃいいい! やっぱりエルのこと嫌いなんだあああああ!」


 あああああ! クソったれ!


「違います、違いますよ姫様」

「うそつきぃいいい!」

「あまりに好きすぎて言葉が出なかっただけです」

「うぇっ? そうなの?」


 落ち着かせようと頭を撫でる。


「エルのこと、好きすぎるの?」

「それはもう! 大好きですよ~~~」

「どれぐらい好き? いっぱい好き?」

「山よりも高く、海よりも深いぐらい好きです」

「抱っこ」

「ん?」

「ウソじゃないなら抱っこして。お父様みたいに」

「んんん~、そうですねえ~」


 チラっと視線をズラす。

 付き人たちから副音声が聞こえてきた。

 早くやらないと殺すぞ、と。


 内心でため息をつき、おもむろにエルマリアを抱き寄せる。

 彼女は一瞬だけぽかんとした。

 が、すぐに満点の笑顔が弾ける。


「えへへぇ……」


 大粒の涙を拭って頭をナデナデしていると、彼女もこちらを抱きしめ返してきた。


「エルもぎゅーってしてあげる! えっと、あなたは……」

「エストです」

「そう、エスト! エストはエルが大好きだものね!」


 胸元で顔をぐりぐりされる。

 周りを見れば、付き人たちが気の毒そうな、生贄を憐れむような眼をしていた。


 んんんー?

 俺、なんかやっちゃいました?




 王女の鼻をずぴーっとかませ、握られた手をぶらんぶらん揺らされながら広間へ向かう。


 それにしてもこの娘。

 14歳にしては、ちょっと幼すぎないか?


 王家の教育を受けてここまでTPOを考えられないってのはさすがに……。


 王家の第2王子は継承権不適格……現代社会でいうところの精神分裂状態だと聞いているが、ひょっとしてこの娘も少しのだろうか?


 いや、思い直せ。

 そういう考え方は増長だ。


 仮にそうだとしても、真に健常者たるは向こうのほうなのかも。


 王女を椅子に座らせて首を垂れる。


「改めまして。我らがヴェルデン領へようこそお越しくださいました」

「苦しゅうないわ。光栄に思いなさい!」


 あれ、ちょっとだけ精神年齢が戻ってる?

 またか? また情緒行方不明者なのか?


「して、こたびはいかなるご用向きでしょう」

「魔族を見にきたの!」

「魔族」

「エストがやっつけたんでしょう? 皆が噂してるわ!」

「レディに披露するものではないかと」

「あー! エスト、ウソついてるんでしょ! ほんとは魔族なんていないんだ!」

「仕方ないですね。首を持ってこい」


 ジョスランが台座と首桶を運んでくる。

 魔族の首が取り出されると、付き人たちも小さく驚いた。


 切り取ってから1カ月。いまだに腐る気配すら見せない。


「わあ! これが魔族なの?」

「ええ。どうです?」

「思ったよりもキレイなお顔」


 確かに美形ではある。

 彼女は生首をぺたぺたと触りながらつぶやいた。


「お姉様に持って帰ったら喜ぶかなあ?」


 は?

 いやいやいや。


「殿下、それは――」

「ステファニーはどう思う?」

「ひっ」


 名前を呼ばれた侍女が青ざめる。


「お赦しください! お赦しを!」

「なんで謝るの? いいから早く答えてよ」

「そ、その、勝手に持ち帰るのはヴェルデン家からの不興を買うかと……」

「エルはお姉様のことを聞いてるの! もういいよ。お前、いらない」


 エルマリアが頬を膨らませると、侍女は床に額をこすりつけ、涙を流しながら赦しを乞うた。

 その光景はどことなく異常。

 ドン引きでちょっと目が冴えてきた。


 見ているだけでもウザいので助け船を出す。


「殿下、マリエール様はどのようなお方なのですか?」

「え!? 聞きたい!?」

「ぜひ」

「ん-とね、お姉様はね、強くて、優しくて、すごくって、いっつもエルのことを大事にしてくれるんだ~! よくお茶を淹れてくれるし、日替わりでお花を新しいのに取り換えてくれるの!」

「風雅な方なのですね」

「ふーが?」

「上品で優れた素晴らしい女性という意味です」

「そう! そう! お姉様はふーがなの!」


 膝を曲げて目線を合わせ、頭を撫でる。


「で、あれば、このような野蛮なお土産は喜ばないかもしれません」

「そっかー。エルもこっちのほうが好きー」


 侍女に持たせたコップを手に取るエルマリア。

 おや、一瞬だが侍女の顔が凍りついたぞ。


「もう1個作ってよ」

「かまいませんが、予備ですか?」

「んーん、お姉様の分!」

「ふむ」

「……ダメなの?」


 見上げてくる彼女の瞳は明るい。

 明るいが、危険な明るさだ。


 川遊びの子供がトンボの翅をもぎ、オタマジャクシを水道の蛇口に当ててバラバラに引きちぎるような……無邪気で純粋な気配に満ちている。


 腕をさすりながら周りをうかがう。


 やはり侍女たちの反応がおかしい。

 芸術家たちがデレデレで、デッサンまで描いていたのとは対照的だ。


 そういえばこいつら、アトリエにいたときからまったく主君に近寄らないな。封建関係とはいえ、ここは他家の本拠地だぞ?


「いえいえ。マリエール様の分であれば、殿下がご自分で作ってみては? 妹君が手作りした贈り物、とても喜ばれるのではないかと」

「エルが作るの……?」

「やり方を教えます。一緒に作ってみましょう」

「うん! やる!」


 材料を持ってこさせ、ふたりでコップを破壊する。形が気に入らないとかで20個も壊されてしまった。

 俺は金継ぎもどきを乾かすタイミングで尋ねた。 


「ところで殿下」

「エルでいいよ」

「ではエルマリア様」

「エル」

「……エル様。今日いらしたのは魔族の首を見るためだけですか? 摂政殿下は何か言っておられませんでしたか?」

「あ!」


 彼女は侍女に封蝋された手紙を運ばせた。

 蝋に捺印された紋章は間違いなく王家のもの。


「あのね、お姉さまがね、エストにこれを渡しなさいって」

「手紙? うわぁ……」


 思わずかすれた声が出てしまう。

 手紙が数枚入っており、1枚目には短くでかでかとこう書かれていた。


『ヴェルデン家の者に王立ユディオール学園への入学を許可する』

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