第14話 閑話:ユリアーナ


「お嬢様、例のものが届きましたよ」

「ついにきましたか!」


 ユリアーナ・ヴェルデンは羽ペンを放り出す。

 執務室から飛び出し、スカートの裾をつまんで螺旋階段を駆け下りた彼女が玄関ホールから城の外へ出ると、そこには大量の武器や防具などが置かれていた。


 すべてピカピカの新品だ。


 ホロール城から財貨をごっそり持ち帰ったユリアーナは、この機に兵の装備や軍馬を質の高いものに一新しようと決断したのだった。近頃は鎧や飼葉の値段が高騰しており、そこそこ大きな買い物である。


「お、おお、おおおー!」


 彼女は子供のように目を輝かせ、手近な兜を拾って頬ずりする。


「よくきましたねぇ……待ちわびましたよ……。そうだ、名前をつけてあげないと! うーん、エルカ。今日からあなたはエルカですよ。よろしくお願いします」

「お嬢様、はしたないですよ」

「嬉しいときは喜ぶものだと教えてくれたのはアメリ―じゃないですか」

「それはそうですけど」


 側近のアメリ―は掌底でこめかみを押した。

 ダンジョンの地下へ同行した女騎士たちの片割れだ。


 ここ数日、ユリアーナは目に見えて朗らかになった。敬愛する主君が余人から隠す表情を自分だけ目撃できるのは至福だが、その原因を考えると素直には喜べない。


「むふふ、エスト殿の贈り物には驚かされましたね」

「ですが、その害虫卿の主催した祝勝会には誰も訪れなかったとか」

「こら」

「失礼いたしました。首狩り卿と言い直します」

「首……なんです、それは」

「あの方をそう呼ぶ者が増えているのですよ。名のある者すら捕虜にせず、身代金も要求しないで首を刎ねる残酷な悪魔だと」


 戦争にも一定のルールやモラルがある。


 教会諸国の戦争だと、貴族や大物はなるべく殺さず捕虜にするのが伝統的なマナー。名もなき平民ならいざ知らず、他領にまで知られる一族をまとめて処刑するのはあまりに非常識な振る舞いだ。


「確かに、とてつもない殺しぶりでした」


「あの方は孤立しております。孤立した人と関われば、こちらまで袋叩きにされますよ。こたびの企てはたまたま上手くいきましたが……」


「今さら旗を翻せと? そんなことすれば周囲から嘲笑を受けます」


「笑われるだけで済むとも言えます。まだ何とでも言い訳が効く段階。今後の距離感については、よくご思案なされたほうがよろしいかと」


「私を思っての忠告は嬉しく思います。けど、この件についての助言は無用」

「お嬢様っ」

「アメリー」


 ユリアーナは兜を小突いたり被ったりする。

 話を聞く気がないという意思表示だ。


「……差し出がましい真似をしました。お許しください」

「怒ってなど。耳に痛い話をしてくれるのは忠臣の証よ」


 彼女はしゅんとした年上幼馴染へ微笑み、高い位置でまとめた黒髪を指で梳く。


「さあ、馬を見に行きましょう!」



 ユリアーナたちは野外の厩舎に着いた。

 ひとしきり馬をモフり倒す。

 気に入った数頭で散歩してから戻ってくると、木柵に腰かけて風に当たる。


(エスト殿……知らないうちに変貌を遂げていたようですね)


 彼女は血の繋がらない従弟を思い浮かべた。




 ユリアーナの祖母は連れ子である。

 曾祖母の再婚に従ってヴェルデン領へやってきたはいいが、戦略的な再婚だったため曾祖父からはあまり可愛がられなかったようだ。


 逆に、祖父はこの美しい義妹を溺愛した。


 曾祖父が没するとすぐさまヴェルデンの家名を名乗らせ、よその貴族ではなく、祖母が恋焦がれていた家臣とめあわせた。そのうえケアナ城まで与えてくれたのだ。


 ユリアーナは庶子で、母親は父の愛人だった。

 難産の後遺症で亡くなったという。


 心痛が極まった父も後を追うように病死してしまい、あまりの恥辱に耐えられなかった父の正妻は食事を断って命を捨てた。


 とても危うい立場に陥ったユリアーナだが、祖父の取り計らいでヴェルデンの家名を名乗れるように。彼は物心つく前に没したが、それでも感謝し、戦場で名を馳せた偉大な祖父に近づけるよう鍛錬へ明け暮れる毎日。


 その甲斐あってダンジョンの強敵を討ち果たし、ケアナの白鷲やら白百合の戦乙女やらと呼ばれるようになった。


 美貌。実力。人気。

 どれも申し分ない彼女だが、名声や賞賛のわりに社交の場では敬遠されている。


 貴族家の一族で、女騎士で、要地の将。

 求婚のハードル自体が高すぎるのだ。


 身分違いの結婚をした祖母の前例もあるが、ユリアーナは城主の立場も兼ねる。

 嫁入りするとケアナ城の統治ができなくなる。


 責務放棄を理由に城を召し上げられる可能性があり、領内でこの損失を埋め合わせるほどの財産を所有する者は少ない。


 では、よその貴族ならどうか。


 評判が悪いヴェルデンの、それも騎士として勇名を轟かせる庶子を妻に選ぶ必要がない。安定した貴族が求める妻は、後継者を産み育てる穏やかな母親なのだ。


 はっきり言えば嫁の貰い手がない。

 かといって、美女と浮名を流したいだけの下郎に引っかかるほど愚かでもない。


 手詰まりだ。



 そんな彼女もたった一度……人生でたった一度だけ求愛を受けたことがある。


 幼い頃はよく交流していた、血の繋がらない従弟からだ。


 エストは年々堕落して粗暴になり、互いに気も合わないため疎遠にしていた。そんな相手だろうと、自分が求婚された、誰かから愛する者の候補として相手にされたという事実には胸が狂った。


 たとえ求婚者が、全方位から軽蔑される厄介者だとしてもだ。


 鼻息を荒くしたユリアーナはエストに決闘を挑んだ。己が欲しくば力で勝ち取って見せよという、彼女が理想とするロマンティックなシチュエーションの体現。


 ただ……彼女は強く、しかも不器用で、初めての経験に興奮しており、手加減というものをまるで知らなかった。


 結果は圧勝。

 エストは這う這うの体で逃亡。


 仕切り直したかったが、民衆が面白おかしい噂を広めてしまう。


 いわく、ユリアーナはエストを心底嫌っており、求婚を逆手にとって叩きのめした……。この噂はあまりにも信憑性が高く、ガルドレードの一族も信じた。


 誤解だ。何か手を打つべきである。

 けれど、迎えにきてほしいという気持ちも捨てきれない。


 やきもちしているうちに、エストが他家の娘と婚約を結んだという知らせが領内を駆け巡り、ユリアーナは2カ月ほど寝込んだ。



 あれから3年。

 彼女はもはや諦めの境地。


 そんなとき、エストがいきなり訪問してきた。彼は命懸けの計画を立て、いの一番に、他の誰でもなく、ユリアーナを頼りにきた。


 性格や行動が別人レベルで変わっているのは重要ではない。むしろ以前に比べて好感が持てる。なんにせよ大切な情報は、エストが自分を避けていないということだ。


 避けていないどころか……。


「ふふっ、えへへ……」


 ユリアーナはポケットから鍵束を取り出した。


「ひょっとして……。きっとそのはず。いいえ、間違いない」

「また見てらっしゃる」

「悪いですか?」

「どうぞご随意に」

「アルヴァラの伝統的な価値観では、良家の男は求婚に際してふたつの贈り物をするべきとされています。蔵を満たすほどの財産と――」

「それを管理する鍵束。もう10回は聞きました」


 この儀式は形骸化しているが、あえて本気さを示すために成し遂げる者もいる。


「何度でも語らせてくださいよ! ジネットは募兵に行ってしまうし、他に聞いてくれる人がいないんです!」

「そりゃ逃げるでしょう。思い込みの激しい主がキツい妄想を垂れ流してたら」

「事実ですー! この鍵束が証拠ですー!」

「はいはい。そうだといいですねー」


 雑な返事へムキになるユリアーナだが、口元はすぐに締まりなく緩む。


『一肌……脱ぐ……? 結婚する?』

『あー、婚約ね。そのうち破棄するから』


 エストは冗談めかして結婚を誘い、他の娘との婚約を破棄する意向を伝えてきた。わざわざ自らの口で伝え、のだ。


 ユリアーナは鍵束を指で鳴らす。

 その脳内では……。


 民や領地は建前に過ぎず、彼がホロール城を攻め落としたのは彼女を手に入れるため、というこじつけストーリーが誕生していた。

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