第15話 閑話:ジョスラン


「それじゃあ兄貴、俺たちは先に詰所へ戻ります」

「おう。ゆっくり休めよ」


 ジョスランは部下たちと別れ、巡回ルートを外れた。


 街を巡回する外番の日は、仕事終わりに特定の施設や小路へ立ち寄る。それが彼の十数年来の習慣であり、密かな楽しみでもあった。


 すでに夕陽も残光を残すのみ。広がり始めた宵闇を見上げつつ、豪華な地区を離れ、あまり高級とは呼べない居酒屋の中へと足を進める。


「邪魔するぜ」

「おや、ジョスラン。いらっしゃい」 

「いつものを」

「あいよ。いつもの席で待ってな」


 店主が窓際の空いた席を示し、ジョスランは我がもの顔でそこへ座った。この窓から、帰路を急ぐ人々の姿を眺めるのが彼のお気に入りだ。


 ほとんど指定席と化しているが、外から見える場所へ衛兵が居座ることに文句のある客などいない。都市の夜間はあまり安全とは言えないからだ。


「衛兵さん、調子はどうだい?」


 常連客が気安く声をかけてくる。


「よくわからん」

「なんだいそりゃ」

「いいのか、悪いのか、判断できかねるのさ」

「まー、あんなことがあったばかりだからなあ」


 別の常連客たちが横から会話に加わった。


「まったく驚いたよ」

「広場でいきなり処刑が始まって、そのまま戦争へ突入だもんな」

「この先どうなっちまうのかねえ?」

「まったく恐ろしいこって」


 他の客も混ざってああだこうだと噂している。

 客のひとりが窓際に近づいてきた。


「ジョスランさん、あんたも戦に加わったんだろ? どうだった、害虫様は」

「おい! 馬鹿野郎!」

「おっと、すまねえ。エスト様はいったいどうなされたってんだ?」


 ジョスランは顎ひげをこすった。


「それがわかったら苦労はいらんさ。理不尽な怒り方をしなくなったし、部下にもやたらと気前がいい。相変わらず怖いお人だが、まるで別人みたいだ」

「直接お話したいのかい?」

「ああ」


 すべての客が彼の近くへ集まってくる。


「今までの態度が本当に演技だったのかを試そうと思ってよ。お偉方のために作られた料理を、兵士や城勤めの平民たちに振る舞ってやってくれと頼んでみた」

「なんだって!?」


 誰かが声を裏返らせた。

 貴族にそんな提案をすれば、不敬と受け止められて縛り首にされかねない。


「そ、それで……?」

「快諾してくださった。10年に一度食べられるかどうかってごちそうを食って、信じられないぐらい美味いワインをたらふく飲ませてもらったよ」


 客たちは顔を見合わせた。


「あのエスト様が」

「ジョスランさんを疑うわけじゃないが……」

「信じられないよな。気持ちはわかる」

「本当に変わられたのかねぇ」

「ま、高貴なる方々の事情なんて考えてもしょうがねえや。大事なのは俺たちの得になるのか、なんねえのかだろ」


 大柄の強そうな男が口ひげについた酒泡を拭いながら言った。


「確かに」

「ガストンが消えたのは悪くないぞ」

「ボルダンの野郎もな」

「これで娘たちの誘拐が減るといいけど」

「威張り腐った手下どもに何度金をせびられたことか」

「それはエスト様も……」

「しーっ!」

「ほら、危ない話はおしまい。席に戻った戻った」


 客の群れをかき分けた店主が、ジョスランの前にジョッキを置く。


「政治がどうであれ、俺たちにできるのは明日も精一杯働くことだけさ。ジョスランも、皆のことをしっかり守ってくれよな」


 ジョスランは苦笑し、まずいエールを喉に流し込んだ。




 ふらつきながら夜の小路を歩く。


 居酒屋を後にしたジョスランは、住宅街の階段を上り、路地を横切って小さな広場へやってきた。落下防止壁に沿って設置されたベンチに腰掛け、ため息をつく。


 最近、酒を飲んでから動くとすぐに息切れしてしまう。

 ……歳の影響を感じずにはいられない。


「うーい、お前ら。今日もおいちゃんがきてやったぞ~」


 足を組みながらつぶやくと、木陰や家の影から数匹の猫が集まってきた。店主から買った干し肉を千切り、一匹ずつに与えていく。


「こらこら。喧嘩すると怖いぞぉ。おいちゃんはなあ、この街を守る衛兵さんなんだからなぁ~」


 猫の頭を撫で、ベンチへ横向きに寝転がる。

 彼は夢うつつのまま物思いにふけった。




 子供の頃は騎士になりたかった。


 世のため人のため、勇気を示して悪を打ち砕く……そんな格好いい騎士に。いつも詩人に物語をせがみ、近所の子供と木の棒で打ち合いをしていたものだ。


 若者時代には騎士に取り立てられる夢を見て、アルヴァラ各地を放浪した。


 やがて、憧れだけでは夢が叶わないことを知る。


 身分の差とは、知識と環境の差でもある。騎士の家系に生まれた子供は7歳ごろから修行を始め、小姓として他の貴族や騎士に仕えて経験を積む。


 平民の子のごっこ遊びでは何もかもが足りない。

 どこへ行っても恥をかき、埋められない経験の差に打ちのめされた。


 20代の半ばで故郷に帰ってきたジョスラン。しばらくは腐っていたが、騎士でなくとも人々のために働けると考え、ガルドレード市の衛兵になった。理想と現実の折り合いをつけないまま。


 それがさらなる悲運を招く。


 当時の……いや、もっと昔からガルドレードは澱んだ街で、一部の有力者たちが結託してやりたい放題やっていた。


 放浪し、物事がわかる年齢になってから帰ってきた青年には耐え難い事実だった。可能な限りの抵抗を試み、ガストンやボルダンらと繋がっている上役にたてついた結果、彼は組織内で徹底的に冷遇されてしまった。


 やがて青年は気力の失せた大人になり、不正と腐敗だらけの現実に屈していく。


 悪事へ積極的に加担せずとも、目を逸らし、何事もないかのように振る舞う術を身に着けてしまったのだ。


 人々は彼を責めなかった。

 仕方ないよ。あんたはよくやった。

 誰だってそうする。普通のことだ。

 弱さは決して罪ではない、と。


 その慰めは、彼のコンプレックスを刺激した。


 悪に打ち勝つ、強くて特別な存在になれる……そんな未来を思い描いた在りし日の少年が、普通の弱いおっさんを指差して心の中で泣き叫ぶ。


 このままでいいのかという思いを抱えつつ、されど行動に出る勇気は持てず。もう長いこと、葛藤の中で心をすり減らしてきた。


 そんなある日。

 負け続けるはずだったいつもの朝。

 大事件が起こった。


 彼を二日酔いから叩き起こしたのは、街全体に轟く角笛の音。


 十数年来の心痛の種は、たったの十日あまりで物理的に消滅した。



 ジョスランは寝転びながら尻をかいた。

 民家から漏れる明かりをぼんやりと見つめる。


「捨てる勇気、か」


 リブラン城で見た老騎士の死に様を思い出す。

 そして、広場で叫んだエストの姿を思い出す。


『鳴かないからといって鳴けないわけではない』

『飛ばないからといって飛べないわけではない』


 あの言葉は……己はこんな人間だったのかと悩み、心がイメージする自分像を体現できずにいた彼の心に深く突き刺さった。


 もしも、過去の自分を捨てる勇気を持てば。

 なりたかった自分、なるはずだった自分……。


 ――本当の自分に変われるのだろうか?


 ゆっくりと体を起こし、両手を膝に乗せる。


「おいちゃん、もうちょっとだけ頑張ってみるからよぉ。お前らも負けんなよぉ!」


 四十路の平凡なおっさんは何かを決意し、猫たちに別れを告げて立ち上がった。

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