番外編 旧都跡より見付かった文書より(後編)
それからしばらく経った頃でした。研究所に同僚が駆け込んできました。彼女も王城で共に育った仲間です。
「大変よ。アウルス様が戻っていらしたの!」
「なんですって!」
部屋の空気が一気に緊迫したものに変わりました。
アウルス様は序列二位、しかも常に王の座を狙っていて、何かにつけてリュクス様に戦いを挑む方です。その能力は身体を極限まで強化でき、さらには魔法攻撃がほとんど無効、というものでした。
魔法攻撃が無効、とはいえリュクス様の規格外の魔法については例外でございました。挑むたびに返り討ちに会っていたのですが、ここ数年は姿をお見かけ致しませんでした。
誰もがもう諦めたのだろうと思っていました。ところが、久しぶりに現れたアウルス様は別人のようになっていました。体は一回り以上も大きくなり、あちこち大きな傷跡がおありでした。
聞けば、方々のダンジョンに潜り、強者を見付けては戦いを挑んで修行をしていたとのことです。
再びリュクス様に絡むのではないかという周囲の心配をよそに、アウルス様は特に何の行動も起こしませんでした。
ただアウルス様は以前よりアムラ様に好意を示して
しばらくは平穏な日々が続いておりました。
「ねえ、ナナリ。陛下はどちらなの?急ぎご相談したいことがあるのだけど」
ある日、研究所の仲間が尋ねてきました。
「え、執務室にいらっしゃらないの…というか、なぜわたしに聞くのよ」
「いや、ナナリなら陛下の居場所知ってるんじゃないかなーって」
確かにナナリはリュクス様の居場所がわかります。なぜならば、リュクス様直伝の探知魔法を教えていただいたからです。同僚もそれを当てにして来たのでしょう。
「しょうがないなぁ、ちょっと待って、今探るから…」
探知する範囲を徐々に広げて、王陛下の気配を探します。
「…見付けたわ」
陛下の鋭いまでの銀色の魔力と、他にも…これはアウルス様と…もう一人…。
「ナナリ、悪いんだけどお呼びしてきてくれない?他にも報告書が溜まっちゃって…」
「…わかった」
リュクス様は郊外にいらっしゃるようでした。今は使われていない闘技場があるあたりでしょうか。
「もしかしてアウルス様がまたリュクス様に挑んでいるのかしらね?懲りないお方よねぇ」
友人の言葉に軽く相槌を打ちながら、ナナリは嫌な予感がしていました。
すぐに転移魔法を発動させます。闘技場の入り口付近に着くと、やはり中からお二人が戦う気配がします。
そっと入り込み様子を覗います。
「…はっ、無駄だ!魔法攻撃は効かねえって言ってんだろ」
そう言ってアウルス様がリュクス様に斬りかかるところでした。
しかし、リュクス様はひらりと上空へと浮かび攻撃をかわします…普通、人って飛べませんよね。おそらく飛んでいるわけではないのでしょう、風と重力をいじり、他にもいくつか魔法を展開しているようです。
「クソ、ちょこまかと…!」
リュクス様がおもむろに腰の短剣を抜きました。刀身に炎を纏わせて飛ばします。これは騎士たちが使う技ですね。リュクス様は何でもできるのです。
「効かねえ…!」
アウルス様が
もう一度、リュクス様が剣を振ります。アウルス様は余裕の表情で技を受け止めようとしますが、アウルス様の太腿に切り傷が出来ました、同時に鼓膜につんざくような小さな痛みが走りました。
「バカな!?」
アウルス様が信じられない、というように目を見開きました。そしてもう一振り…また厚い胸板に新たな傷が生じました…何が起こっているのでしょうか。
「ふむ。衝撃波は効くのだな…」
「しょ、衝撃波だと?」
「うむ、騎士どもが魔法を刀に乗せるだろう。その要領で衝撃波を飛ばせぬかと思ったのだ。空気を圧縮して音速を越えさせねばならぬから、少々面倒かと思いきや意外にうまくいくものだな…」
リュクス様は今日も平常運転です。剣を眺めながら、ご満悦の様子です。
対してアウルス様は怒りに顔を紅く染めて、わなわなと震えていました。
「…チクショウ、バカにしやがって!これを見ろ!」
闘技場から素早く観客席に移動したアウルス様は、一人の女性を連れてきました。
「…何の茶番だ…」
リュクス様は表情も変えずに冷たい声で言い放ちました。
「やかましい!お前もこの女も死ねばいい!」
「アムラがそんな拘束を解けぬはずがあるまい。お前たちは何がしたいのだ」
それはそうでしょう。アムラ様の能力は腐食ですから、簡単な拘束はなどいつでも解けるはずです。
「もう!少しは心配してよ、リュクス」
観念したのか、アムラ様が
「…悪趣味な
リュクス様が眉間にしわを寄せます。アムラ様は悪びれることもなく、かわいらしい笑顔でリュクス様の腕に自分の腕を絡ませました。
「だって、あなたがちっとも構ってくれないんだもん」
ナナリは安堵いたしました。昔から高位者たちは時折こんな過激な戯れをなさるのです。切りのいい所で声をかけようとナナリは物陰から出て行きました。
しかしその時です。アウルス様が握っていた短剣をアムラ様に突き立てました…いえ、こちらからはそう見えましたが、実際にわき腹を刺されたのは、アムラ様を庇ったリュクス様でした。
「いやぁぁー!リュクス!何で…っ、アウルス、お前!」
アムラ様が恐怖と怒りに慄いて、アウルス様を睨みました。
「…俺はお前が大嫌いだ、リュクス。ガキの時からずっとな」
そう言ってアウルス様は剣を握る手を、リュクス様の腹にさらに強く押し付けました。リュクス様のお顔が苦痛に歪みます。
「その顔だ、てめぇのそんな顔が見たかったのさ。昔なじみだから殺さねえとでも思ってやがったのか?甘えなあ」
鬼気迫る笑みを浮かべたまま、アウルス様は相手の体から刃物を抜き取りました。耐え切れず、リュクス様は床へと膝をつきました。
「リュクス様!」
ナナリは堪らずに走り出ました。
「…なるほど、そっちの小娘を
へっ、と笑ってアウルス様はこちらに手を伸ばしてきました。が、数歩踏み出した時には、アウルス様の逞しい体は硬い床へ激突していました。
「ぐっ…リュ、リュクス、てめぇ…」
アウルス様は四つん這いになったままリュクス様の方を振り返ろうとしますが、見えない力に押さえ付けられているようで動くことが出来ません。そのうち、石の床が音を立ててめり込み、アウルス様は泡を吹いて意識を失いました。
「リュクス!どうして…!」
「アムラ…お前が死ねば、キュルスが、泣く…」
そう
ナナリはあまりの出来事にすぐに動くことができませんでしたが、我に返って治療のできる人を呼んでこなければと思いました。
しかし光魔法を使う者はここ数十年現れていません。次に治療魔法が得意な人といえば…。
「キュルス様を…!」
「そうよ!キュルスを呼べば…でも、どこにいるの?」
キュルス様の今日のご予定は…どこに行くと仰っていただろうか…ナナリは気ばかりが焦り、考えがまとまりません。
「ナナリ」
リュクス様がナナリの名を呼びました。
「落ち着け。落ち着いてキュルスの居場所を探れ…」
地面に座り込むアムラ様にもたれるようにして、リュクス様はナナリを見ました。痛みと出血のせいでしょうか、白皙のお顔にはじわりと汗がにじみ、血の色を失いつつありました。
けれど、いつも不出来な弟子に課題を与える時のような、挑発と期待の入り混じった銀色の瞳を見て、ナナリの心は凪いでいきました。
ナナリは何度も転移魔法を繰り出せるほどの魔力持ちではありません。おそらくキュルス様の所まで飛んだら、再びこちらに戻ってくることはできないでしょう。
魔力を出来るだけ細く遠くまで伸ばして、キュルス様の気配を探します。
やがて闘技場とはほとんど反対側のはずれに、真っ白な、光溢れるような魔力を見付けました。
その様子を見ていたリュクス様はわずかに目を細めました。ナナリは頷いてその視線に応えると、残りの魔力をぶつけるようにして転移魔法陣を展開しました。
「キュルス様!」
「ナナリ!?どうしたんだい、そんな青い顔をして…」
キュルス様は郊外の農場で家畜の伝染病について調べておいででした。這う這うの体でキュルス様のもとへ行ったナナリは、大まかに闘技場で起こったことを話しました。
黙って聞いていたキュルス様でしたが、「わかった」と言って、ナナリの腕を掴みました。
「では行こうか」
キュルス様が転移魔法を行使なさいました。
自分の役目はここまでだと思っていたナナリは、図らずも再び現場に戻って来ることとなったのです。
けれど、闘技場に辿り着いたキュルス様とナナリの見たものは…横たわるリュクス様に
アムラ様がリュクス様を揺する度に、流れ出た血潮がぴちゃぴちゃと水音を立てます。
「アムラ!」
キュルス様に呼ばれて顔を上げたアムラ様は、さらに泣き顔を歪めました。
「キュルス…リュクスが起きないの…口を利いてくれないの…」
「アムラ…リュクスはもう…」
傍らに膝をついてリュクス様に触れたキュルス様は、首を横に振りました。キュルス様のルビーのような瞳からも、はらはらと涙がこぼれ落ちます。
「う、嘘よ!お願い、キュルス、リュクスを助けてよ!」
「できない…僕にもできないんだよ」
あまりにも現実感がなくて、ナナリはお
アムラ様の仕業でしょうか…すでに羽虫も引き寄せられているようです。その動きをぼんやりと目で追っていたナナリは、お二人の会話に引き戻されました。
「…キュルス、あなたにならできるでしょう?」
「…何ということを!そんなことはできない。やってはいけないんだ!」
「お願いよ、キュルス!あなただってリュクスがいてくれないと困るでしょう?リュクスだってわたしたちと一緒にいたいはずよ!」
「いや、だめだ!」
「お願い、お願いよ。何でもいうこと聞くから…」
「だめだ…だめなんだ」
キュルス様は揺れておいでのようです。アムラ様にもそれはわかっているのでしょう。
「後生だから…わたし、リュクスのいない世界でなんて、生きていかれない…」
血に濡れる床に蹲って涙を流すアムラ様は、本当にこのまま儚くなってしまうのではないかというくらい取り乱しておいででした。
そんな姿がキュルス様に決断させたのでしょうか。キュルス様はアムラ様から手を放しふらりと立ち上がると、リュクス様の傍に膝を付きました。そして、その胸に右手を置きました。
直視できないほどの白く眩い光がお二人を包みます。ナナリは手をかざし目を瞑りました。
本当はお止めするべきなのは、ナナリにもわかっておりました。
ネメッサ様のような死屍使いの眷属は、主人の意思で土に還すことができます。あるいは主人がその生を終えれば、共に忘却の川を渡ることになります。実際、多くの死屍使いは自分のパートナーと一緒に埋葬されることを望むそうです。
対してキュルス様の魔法は、新たな「生」を「対象」に与えます。自己再生力を備え、老化することもない。ほとんど永久機関となるのです…それは果たして「生きている」と言えるのでしょうか。
この先、主人を失ってもリュクス様は…「リュクス様であった者」は独りで在り続けなければならないのです。
けれども、ナナリは止めませんでした。
ナナリは願ってしまったのです。あの微笑みとも言えないほどの表情で、乏しいながらも労いや評価が混じった銀の瞳で、もう一度自分を見て欲しい。そんな儚い希望を、浅ましい欲望を抱いてしまったのです。
リュクス様は少しお顔の色を取り戻し、ゆっくりと目を開きました。
「あなたが私の
すべてを失った銀色の瞳にキュルス様が映ります。
「…そうだよ、これからもよろしくね」
泣きそうな笑顔でキュルス様が仰いました。
~*~*~*~
この事件の後、キュルス様が王に、アムラ様が王妃となられました。周囲からも反対の声は上がりませんでした。
序列高位の方々にも異存はないようでした。
「…そいつを従えた奴に勝てる気はしねーよ」
ジーベル様は眉を下げてそう仰いました。
「けど、そいつが俺らのことを思い出すことはもう二度とないんだろうな…」
高位者の皆様は、他人には計り知れないほどの深い絆を築いていらしたのでしょう。これ以降は、以前のような気楽で騒がしく、けれどもどこか穏やかな時間が彼らの間に戻って来ることはありませんでした。
ただ一つ、不幸中の幸いとも言えることがございました。
魔道王国の王が代替わりをし、序列二位が命を落とした、その知らせは世界の情勢を動かしました。
隣国が戦を仕掛けてきたのです。隣国も魔道を礎とする国家でした。
魔法がぶつかり合う戦いは、両国の国土や兵力に多大な損害を与えました。もし序列一位と二位とを失くした状態であったなら、我が国とて勝利を収めることはできなかったかもしれません。
しかしこちらには依然として「銀の魔道王」がいらっしゃいました。敵国にとっては予想外のことだったに違いありません。
ワイバーンの革鎧で武装した六体の「赤騎士」とリュクス様の一隊は、戦場では無双でございました。
ジーベル様も巨大な魔獣を何頭も引き連れ、敵を
彼らの活躍もあり、魔道王国は勝利を収めることができました。
それ以来、この国は平和を享受しております。
そのおかげで、キュルス様の眷属となったリュクス様は相変わらず魔法研究三昧でございました…再び竜が腕試しに来て、再びリュクス様に敗北して、またもや「竜の血」を要求された、ということもありました。
高位の方々にも様々な変化がおありでした。ジーベル様は「まだ見ぬ魔物を探しに行く」と言ってあちこちのダンジョンを渡り歩いておいででした。時折戻っていらしては、ひょっこりと顔をお見せになりました。お年を召してからは、動物たちと田舎暮らしをなさっていました。
ネメッサ様は…彼女は変わらず外にはお出でになりませんね。ただ、あの戦以来、女性騎士の眷属が増えました。今は仲良く三人で引きこもっておいでです。
アムラ様は王妃となられて数年後にお亡くなりになりました。晩年のしばらくは夢と現実の
キュルス様はそれでもご冷静でした。きっと覚悟はなされていたのでしょう。その後はリュクス様と「竜の湖」に建てたお城にお住まいでした。
ナナリはというと、以前と全く代わり映えのない暮らしをしておりました。
毎日研究所へ行き、実験とデータ集め、そしてしばしば訪れるリュクス様の研究の助手をします。
「お主の魔法は役に立つな」
ある日、ナナリは思わぬ言葉をいただきました。
「…なぜ泣くのだ」
「す、すみません、以前も同じ言葉をかけていただいたので…」
「そうなのか?」
リュクス様は、透き通るような銀の瞳でこちらを見て、首を傾げました。
居合わせたキュルス様が笑います。
「リュクス、忘れないでおくれ。君はこれからも、間違いなく君であり続けるってことを」
~*~*~*~
キュルス様の死後、湖の城はリュクス様と共に水底に沈みました。
キュルス様のご退位と崩御の後には二人の王が立たれましたが、いずれの御代も平和でございました。この国の繁栄はキュルス様の治世に基礎を置くと言ってもいいでしょう。その証左に民らは何十年の時が過ぎてもキュルス王を称えることをやめません。キュルス様のお話は街の幼子ですら知っているのです。
けれどもそれ以外のことはどうでしょうか。世の記録と言うものは常に正統性にのみ軸を置くものです。他の方々のことはおとぎ話としてすら伝わらないかもしれません。
私に残された時間はもうそれほど多くはありません。私は十分長く生きました。その間に私自身が見聞きしたことを書き留めておこうと思ったのです。
あの強く、魅力ある方たちが生きた証を、私の記憶が色褪せてしまう前に少しなりとも残したい、そう願って筆を取ったのです。
どうかこの
そして、いつの日かあの方の心に安息の訪れんことを。
春の日の花と輝く 五天ルーシー @lucy3mai
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