番外編 旧都跡より見付かった文書より(前編)
≪我が親愛なる、尊敬すべき師匠に捧ぐ≫
去る魔道王国歴951年、史上最高の賢王と謳われたキュルス王が身罷られました。
かの偉大なる王の
既に王位を退いて長らく離宮にお住まいでしたので、王とお呼びするのは相応しくはございませんね。しかし王都を離れてもなお、彼の意見を仰ぐ者は後を絶たず、謁見を待つ人の列は途切れることがありませんでした。
キュルス様は最愛の王妃アムラ様を亡くしてからは、
退位されてからも、我々臣民のために広く門戸を開いては下さっていましたが、かの方は孤独でございました。玉座に至るまでに多くの愛する方たちを亡くされたからでしょう。
私はずっと傍で見て参りました。それゆえ、その悲しみを共有することが叶ったのです。もちろん、あのお方の悲しみに比ぶれば私の感じたものなど塵ほどにはなりますまいが…それでも私は少しでもそのお心をいやして差し上げたい、微力ながらお助け申し上げたい、いつもそう思っておりました。
けれど、キュルス様のお力になるのはいつでも一人をおいてはありませんでした。
類まれな魔力と魔法の才を持ち、常に影のように寄り添うあのお方…年を取ることもなく、主人を裏切ることもない。かつては「銀の魔道王」と呼ばれていた方です。
リュクス様はキュルス様の前の王でございました。彼は圧倒的な強さをお持ちでしたので、玉座につくことには選王議会の誰一人として反対する者はおりませんでした。それどころか先王自らが自分の力不足を認め、玉座を譲ったと聞いております。
この国には「序列」というものがございます。力ある子供たちは一所に集められ教育を受けます。その中で一番優れた者が王となるのです。
子供たちは様々な能力を持っています。ある者は魔物を操り、またある者は天候を意のままにし、ある者は死者と意思を通わすことが出来ました。
能力は遺伝に多く依存する、というのが通説です。そのため固有魔法使いの大多数が血のつながりを持っていました。
実際、キュルス様とリュクス様は父親を同じくする兄弟だということでございました。それゆえでしょうか、リュクス様が幼い頃から心を許しているのはキュルス様だけだったように見えました。
またキュルス様も、そんなリュクス様を兄のように、あるいは友人のように支えておいででした。
このお二人には同世代の幼馴染がもう一方いらっしゃいました。アムラ様という大変美しい女性です。彼女の美しさは世に轟き、竜もその美貌を求めてやって来たほどです。もちろん時の王であったリュクス様の返り討ちにあいコテンパンにされましたが。
アムラ様はリュクス様に熱烈な思慕を寄せておりました。リュクス様はもともと女性に、いえ、他人に興味を示さない方でしたので、その思いに応える様子は一向にありませんでした。
リュクス様はどちらかというと学者気質をお持ちでした。特に魔法に関しては造形も深く、その知識においては右に出る者もおりませんでした。公務の傍ら、学者たちと様々な分野を議論、検証し、次々と新しい魔法を生み出していました。
竜に勝利した折には、竜から対価に何が欲しいかと尋ねられ「竜の血」を所望したことは有名です。
「お主の血を寄越せ」
リュクス王はいつもの涼しいお顔でそう言い放ちました。あの時の竜の間の抜けた顔といったら…あの場に居合わせた者の間では長らく語り草となっておりました。
さて、魔法研究所に一人の娘がおりました。名をナナリといいました。茶色い髪に茶色の目、中肉中背といたって平凡な容姿です。序列は十位以下、リュクス様たちよりも六、七才年若でございました。
このナナリは、大変珍しいことでしたが、両親が四元魔法使いでした。四元魔法使いの二親から固有魔法使いが生まれることはたいそう稀だったのです。
ナナリは七歳の時に首都の城へと連れて来られました。丁度、リュクス王が即位なさる頃でした。
彼女の能力はすべての物質を自由に状態変化させること、つまり、物を溶かしたり固めたり、気化させたりできる、というものでした。
この能力を気に入ったのがリュクス様でした。「そなたの能力は実験に役に立つな」そう仰って、ことあるごとに引っ張り出されました。
「このマンドラゴラを液状化することはできるか?」
「…はあ、まあできると思いますけど」
「…うむ、なるほど…細胞壁が…この…粉砕し攪拌すれば…」
プルンプルンとしなうようになった草の根を振りながら、リュクス様はブツブツと呟いてお部屋を歩き回ります。
はた、とまた何かを思い付いて、今度は籠に入れられていたリスをつまんで持ってきました。
「これを固体に出来るか?」
「…ええー?」
「お前っ、そんなムゴイこと、よくできるな!この変態め!」
「…ジーメル様」
割って入ってきたのは序列四位のジーメル様でした。ジーメル様は素早くリュクス様の手からリスを取り上げました。
「…変態とは失礼だな」
「なら、人でなしだ!可哀想だろう…おお、よちよち、怖かったな」
ジーメル様は魔物使いです。魔物使いは動物全般と心を通わすことが出来るのです…ジーメル様の肩にいる大蛇がプルプル震えるリスを舌なめずりしながら見ていますけど、大丈夫でしょうか。
「ナナリ、お前も嫌なら断っていいんだぞ?こいつは人の心の
実はナナリもジーメル様の意見には賛同するところがございました。
先日、リュクス様は序列六位の
『心配するな、死人には変化が無いはずだ。理論上はな』
小瓶を差し出して平然とそう仰いました。それ以来ネメッサ様はこの研究室に近寄ろうとはなさりません。
リュクス様には他人を
そうでなければ、毎日愛情を向けてくるアムラ様のような美女をつれなく袖にするなど、できることではありません…まあ、それにめげないアムラ様も
「リュクス―!お妃にしてよ!」
噂をすればアムラ様がおいでになりました。アムラ様は序列五位、あらゆるものを腐食、荒廃させる能力をお持ちです…ただ、何かとリュクス様に呼び出されるナナリには敵意、というか
「嫌だ」
「何でよ!あなただって王になったんだから、子供を作る義務があるでしょうが」
「どうせ序列で王が決まるのだ。私の血統である必然性はないだろう」
「えー、そんなこと言わないで」
「まあ、リュクスの言うことにも一理あるだろ。最近じゃ、能力者同士で子が出来にくくなってるって言うしさ」
「うっさい、蛇男!」
「ガーン…」
序列高位の方々は仲がいい…というか気の置けない関係を築いておられるようですが…そろそろキュルス様にお出ましいただかないと、収拾がつかなくなってきました。
リュクス様は当然のようにこの騒ぎを収める気はなく、何か書付けを始めました。魔法陣でしょうか…。
「君たち、相変わらずだねえ」
クスクス笑いながらいらしたのは、序列三位のキュルス様です。白いくせ毛に柔和な赤い瞳を持つ、優しげな方です。
「キュルス―、リュクスが今日もひどいのよ」
「はいはい」
キュルス様はそう言いながら、アムラ様の艶やかな金髪を優しく撫で混ぜました。
「…なぜお前たちはここに集まってくるのだ。研究の邪魔になるだろうが」
「だってリュクスに会いたいんだもん!」
「お前が動物を虐めるから見張ってんだよ」
「僕がいないと騒ぎが収まらないだろ?」
(…わたしはリュクス様に呼ばれたからいいのよね?)
ナナリが隅っこで気配を消していると、アムラ様がこちらに水を向けました。
「大体、何でこの女がここにいるのよ?!」
「ひえっ」
「…その娘の魔法は何かと便利なのだ」
「うう、ずるいわ!」
リュクス様にそう言われてしまえば、アムラ様とて納得するしかありません。
ナナリは他の皆とは血縁関係もありませんでしたので、王城に来てから時々意地悪をされることがありました。そんな時は決まってリュクス様がこう言って助けてくれたのです…ご本人には「助けている」つもりはなかったのかもしれませんが。
それだけではありません。家族とは違う魔法を使いこなせず持て余していた時には、リュクス様が力の使い方を教えてくださいました。
リュクス様は不愛想ですが、意外にも教え方はお上手でした…鬼…多少スパルタではございましたが、そのおかげでナナリは今や魔力操作にも長け、リュクス様が作り出した魔法もいくつか会得することが出来ました。
ナナリにとっては、リュクス王は魔法の師匠ともいえる存在で、心から尊敬していました…まあ、少々変わった方ではありましたけどね。
「リュクス様は本当にお妃さまを迎えられないのですか?」
ある時、ナナリは訊ねてみました。特に意味はなかったのですが、やはりリュクス様にも、愛情深い方を伴侶に迎えられ心穏やかな日々を過ごしていただきたい、そう思ったのです。
「うむ?アムラのことか…あれは傍に置くにはちと
「えっ、そうだったのですか…ちっとも気付きませんでした…」
「そなたが、なるか」
「え?」
「私の妃にだ」
「…ええっ!!いや、いやいやいや、わたし、序列低いですよ?」
「そんなもの、王が望めば何の問題にもならん」
「そっ、それは…」
「そなたの魔法は私の研究に欠かせぬゆえな」
「…それってわたしに二十四時間いつでも働かせるつもりですよね?」
「フッ…さあな」
(からかわれた…!)
珍しく機嫌もよさげに去っていく王の後姿を見送りながらナナリは顔が上気するのを感じたのでした。
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