第42話 負債の姫君


「エリカ、お姉ちゃん……」


「はい。貴女は私の、たった一人の妹です」


 そういいながら、エリカは優しくサーシャを抱きしめる。


「同時に、貴女は特別な存在でもあるのです。アナスターシャ王女殿下」


 その言葉に、サーシャは大きく目を見開く。

 サーシャの脳裏に浮かんだのは、12歳の時に明かされた自身の出生の秘密と、兄の存在。


「宰相である父が迎えた新しい妻。若くて美しい私の新たな母。しかしそれは、極秘

裏に国王陛下の血統を残すために設けられたもの。宰相の後妻という地位は、国王の側室であることを隠し、王宮に出入りするための仮の身分にすぎなかったのです」


 サーシャを温かく抱きしめながら、悲しい言葉を続けるエリカ。


「我が家の全ては、王国に捧げたもの。それは私も父も代わらぬ、宰相家の使命。その結果、生まれた王太子の代用品(スペア)が、貴女なのです。アナスターシャ王女殿下」


 〝代用品〟(スペア)、優しい姉から発せられた、その粗忽で残酷な言葉が、サーシャの胸に突き刺さる。

 そうだ、自分は、宰相家の人間であって、彼らの血をひかない人間なのだ。王家の血統を内密に保持するため、作り出された代用品。思い出すのは、かつてそのことを冷たく言い放った父の姿と、悲しげにうつむく母の姿。それでもなお、この姉だけは親身になって、接してくれた。


「魔法科女子学園で学ばれたそうですね。ならば、貴族の責務、についても学ばれたはず。長年、国家の禄をはみ、名誉と利益を得ていた私たち貴族は、国家に奉仕する義務があるのです」


 マホジョで学んだ〝貴族の義務〟という言葉。それがこんな形で返ってくるなど、サーシャは予想だにしていなかった。


「サーシャ、貴女に戻ってきていただいたのには、理由があります。〝神獣フェンリル〟の事です。結論から言いましょう。現在の王国に、あの神獣を倒す力はありません」


 きっぱりと、絶望的な事実をエリカは断言した。

 広場での自信に満ちた宣言と違い、エリカの言葉は弱く、絶望の色を帯びていた。


「10日以内に銀の雪が降り、王国は壊滅的被害を被るでしょう。また反乱軍の規模は小さいものの、隣国フォルス帝国とサザーランド王国が反乱軍の支援を名目に介入の動きを見せております。神獣の復活と、両国の侵攻が始まれば、一か月持たずに王国は滅亡するでしょう」


 淡々とした口調で、絶望的な事実を述べるエリカ。

 この職務に忠実なる内務次官の言葉は、疑いようのない事実の響きを含んでいた。


「……で、でも、王家には始祖王の御技が伝わっていると聞きました」


 エリカの絶望的な言葉に抗い、サーシャは初めて反対の意見を述べる。

 天にとどいたと称されるほどの天才だった始祖王の魔法、それは呪い無しにあらゆる奇跡を体現したという。そしてローラント王家には、始祖王の秘技が伝わっているはずだ。


「始祖王の魔法は、呪いの反動も制約もない、無限にして無償の、完全なる天位魔法であるとされています。しかし〝彼〟の魔法はそんな万能なものではないのです。王家に伝わる天位魔法とは、人心を安堵させ、王家の血統に正当性を与えるための欺瞞にすぎないのです」


「欺瞞……ウソ!?」


 王国民の全員が敬愛する始祖王と、王国の権威をあっさり否定したエリカ。その彼女に対し、サーシャは言葉すらでない。


「彼の魔法は、ある一つの魔法を、奇跡と見まがう領域にまで昇華させただけのもの。故に、彼の魔法にも代償はあります。 その代償を、遥か遠くの子孫に押し付ける技術に長けていただけなのです」


「──まさか、〝隔世魔法!?〟」


 呪を子孫に押し付ける魔法。サーシャには心当たりがあった。コバンの魔獣に使われていた、隔世魔法だった。


「はい。隔世魔法を大規模に発展させた〝大隔世魔法〟と呼ばれるものです。ニーア様のコバンに使用されている呪いの技術と、本質的には同じもの。もっとも規模は、桁違いですが」


 王家が建国以来積み重ねてきた業は、ニーアのものとは桁が違う。エリカの言葉は、そんな自嘲的な響きを含んでいた。

 だがサーシャは別の恐怖を感じていた。エリカはニーアの存在すら知っているのか。王国内務次官とは、いったいどこまで把握しているのだろう。


「知りたいことも、知りたくないことも、知ってしまう。内務次官とはそんな役割です」


 そんなサーシャの内面すら察したのか、エリカは悲しさを含んだ笑みを浮かべながら、


「サーシャ、ここからは貴女がよくご存じの話です」


と言葉を続けた。


「始祖王の編み出した大隔世魔法は、魔獣の呪いを捕縛した〝神の獣〟に喰わせ、呪いごと封じるものなのです」


 〝神の獣〟

 その名を聞き、サーシャの全身に冷たいものが走る。


「神の獣の名は〝フェンリル〟」


「い、いや!!」


 サーシャは再び拒否反応を起こす。そこから先は、聞きたくない。本能が告げていた。直感が警告していた。聞いては全てが崩壊する、と。

 だがエリカは冷徹に、残酷な言葉を続けた。


「神獣を封じた魔法書の名は〝負債の女王(クイーン・オブ・ザ・デビット)〟」


 魔法書に封じられた銀狼、その正体は、やはりフェンリルだったか。

 心のどこかで気づいていたものの、認めたくなかった事実。それを告げられ、サーシャは言葉も出ない。


「そしてこの魔法書を封じるくびきは、すでに限界を超えつつあります」


 そういってエリカは、魔法書〝負債の女王(クイーン・オブ・ザ・デビット)〟を取り出す。寝ている間にサーシャの服から抜き取ったであろう魔法書は、まるで生きているかのように脈打ち、禍々しい光を放っていた。

 そして魔法書に巻き付けられていた鎖は、無数のヒビが入り、朽ち果てつつあった。


「魔獣の呪を喰い集め、限界に達したフェンリルは実体化し、集めた呪いと同等の災いを招きます。規模はコバンの魔獣の100倍以上と推定されます。今、王都で目撃されているのはフェンリルの本体ではなく、封印から漏れ出た影にすぎないのです」


「で、でも、〝奇跡の王太子〟様が、王国にはいらっしゃるはずです」


 そうだ。王国には王太子がいる。サーシャの腹違いの兄にあたる、天にとどいたとされる魔術師。病床に伏せっているとの噂だったが、先ほど広場で健康な姿を人々に見せたはずだ。


「こちらに、来てください」


 だがサーシャの叫びにも似た問いに対しても、エリカは悲しそうな表情を崩さず、サーシャの手を取り、別室へと連れていく。

 王城の中の、すぐ近くの寝室。重厚な装飾が施されたドアを、エリカは静かに開ける。

 エリカの自室よりも大きく、豪奢な部屋。そこに設置されている大きなベッド。


「紹介しましょう。〝奇跡の王太子〟、そんな不幸な虚構を受けた男性です」


 ベッドで寝ている男性。その姿には生気がなく、顔はしわくちゃに痩せこけており、衰弱しきっているようにみえた。銀色の髪は染めたものだろうが、近くで見るといたるところで脱色し、無残な白髪へと変化している。


「……この方が、〝奇跡の王太子〟!?」


 王国広場のテラスで見た姿とはまるで異なる、生気の抜けた老人の様な青年の姿が、そこにあった。


「はい。テラスでは〝美魔女のパック〟を用い、5年前の王太子の姿になっていただいていました」


「どうして、こんなお姿に?」


「彼はとても勇敢な、貴族の青年でした。貴族の責務に従い、王太子の役を買って出てくれたのです。人々が望む〝奇跡の王太子〟という虚構を、一身に受ける非検体として」


「……虚構、魔法!?」


「はい。ミュラ様達が錬成されているのと同じ、人々の思いを集め、奇跡を起こす魔法。それと同一のものです。〝奇跡の王太子〟とは、王家が作り出した大規模な虚構魔法にすぎないのです」


「奇跡の王太子は、虚構……」


「しかし虚構魔法もまた、完全なものではないのです。彼は人々の期待を維持するために、極秘で虚構魔法を用い王国各地で〝奇跡〟を起こしました。その反動によって、世界から抹消されようとしているのです。ミュラ様達が錬成した〝魔剣グラム〟がコバンの魔獣を退治した際に、砕け散った様に」


「魔剣グラムと、同じ──」


 砕け散ったグラムの姿が、サーシャの脳裏に浮かぶ。この青年も、いずれはそうなるのだろうか。


「姫、様……?」


 サーシャの姿に気づいた白髪の青年の唇が、わずかに動く。

 銀髪の姫であるサーシャの姿を見て、王家の正当なる姫であることを確信したのだろう。


「大丈夫です、安静にしてください」


 王女の血がそう言わせたのだろうか。無意識のうちに、サーシャは青年の手を取り、そんな言葉を発していた。


「……こ、これを」


 青年が、傍らに置いていた装飾が施された白い宝剣を、大切そうにサーシャに手渡す。

 王太子の証であるその宝剣を、サーシャは無言で受け取る。

 装飾こそ違えど、この剣にサーシャには見覚えがあった。ノートンが持っていた〝呪い殺しのレイピア〟とそっくりの刀身だったからだ。


「宝剣ファルシオン。呪い斬りの特攻を持つ、王太子の証たる宝剣です。貴女が持っているの〝呪い殺しのナイフ〟は、この宝剣のレプリカが元になっています」


 王女であるサーシャを主と認めたのか、宝剣が小さく光る。その姿に、青年の瞳が緩み、とめど目のない涙が流れだしていた。自ら志願したものとはいえ、重苦からの解放と使命の成就に、目頭を熱くしたのだろう。


「王家の血をひかない者が、奇跡の王太子の虚構を受ければ、反動は大きくなります。しかし正当なる王家の血を引く貴女なら、より少ない反動で虚構魔法を用いることができるのです」


「私が……!?」


「〝王太子〟とは、男子に限りません。ローラント国法の下においては、女子も王太子たりえます。サーシャ、いえアナスターシャ王女殿下、王国を、お救いください」


 深々と頭を下げるエリカ。公正無私な彼女の言葉には、凛然とした説得力があった。


「特権を食んでいる貴族はみな、責務を果たす義務を持っています。騎士である彼も、貴女も、そして私もです」


 あまりの事に戸惑い、言葉の出ないサーシャに対し、エリカは懐から黄金の首輪を取り出す。

 〝隷属の首輪〟。従者の魔力を奪い、主人に対する命令を強要することができる魔法具、ルーシアが嵌めていたものと同じものだ。

 サーシャは心の中で静かに失望する。エリカは美辞麗句を並べながらも、結局のところ、魔法具の力で自分に義務を強要するのか。

 だがサーシャの予想に反し、エリカは自分の長い髪をかき分けながらゆっくりとした仕草で、隷属の首輪を自身のか細い首にはめた。


「フェンリルに蓄積された呪いを浄化するのに、貴女の魔力だけでは足りません。でも、私も一緒なら助かる可能性があります」


 予想外の言葉に、サーシャは目を見開き、エリカの瞳を見つめる。


「貴女が死んだら、従者の私も死にます。貴女だけに、つらい思いはさせません。私は、貴女のお姉ちゃんですから」


 それははかなくも悲しげな、妹に対する微笑みだった。

 隷属の首輪により魔力の通路(パス)がつながったためか、エリカの身体から魔力が流れ込んでくるのを感じる。それはとてもあたたかなものだった。

 そのぬくもりを浴びながら、サーシャは流れ出そうになる涙をこらえつつ、小さく首を縦に振るしかなかった。

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