第41話 内務次官エリカ・メルボルン

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 サーシャが目を開けた時、最初に見えたのは見知らぬ天井だった。

 自室の天井とは違う、豪華な作りの高い天井。ベッドも高級なものらしく、ここはどこかのお屋敷のようだったが、ここがどこなのかサーシャには見当もつかなかった。


(マスターがホテルに運んできてくれたのかな?)


 公園で気分が悪くなったサーシャを、ノートンが運んできてくれたのかと考えたが、ホテルの一室にしては奇妙だった。よく整理され無駄なものはない部屋だったが、生活感は残っている。ベッドサイドの棚にある猫のぬいぐるみからして、部屋の主は女性のようだった。


(これは、薬の匂い……?)


 広場で感じた頭痛はおさまってた。鼻をつく奇妙な匂いは、薬草のものだろう。誰かが薬草を処方してくれたに違いなかった。


(あれ、服が違う? こんな服、もってないけど)


 サーシャが着ているのは、丁寧な刺繍が幾重にも施された純白のシルクのワンピースだった。いやその精巧なデザインはワンピースというか、ほとんどお姫様が着るようなドレスだった。


(マスターが着せてくれたのかな??)


 状況を把握するため、サーシャはキョロキョロと周囲を見渡し、机の上に飾られているものに気づいた。


(……これって!?)


 机の上に飾られている写真。そこに映っている者達に、サーシャは思わず息をのむ。

 白い歯を見せて笑っているのは、軍服を着たミュラ。先日会った時よりかは、幾分若い青年のように見える。彼の裾を握って不安げな表情の13歳~14歳くらいの少女は、子供のころのルーシアか。その反対側、帽子に家庭教師風の衣装を着込んだ美しい女性は、ララだった。どういうわけか、ララの外見は全く変わっておらず、彼女だけ時が止まっているかのようだ。

 その横、輝くような明るい笑顔を見せている緑の黒髪の美しい少女。年齢は今のサーシャと同じくらいだろうか。彼女の姿には心あたりがあった。


(エリカ内務次官……)


 年齢は違えど、確かに面影はある。ただ瞳だけが違っていた。その透き通るように輝く瞳は、穢れも失意も知らず、純粋に未来を信じている無垢な少女の瞳のように思えた。


(中心にいるのは、王太子、殿下……?)


 そしてエリカ内務次官の隣、写真の中心にいる銀髪の男性は、先ほど広場で見たレオニード王太子その人だった。ただ頼もしい言葉の裏に、どこか儚さを隠している様にサーシャには感じられた先ほどの姿と違い、写真に写る王太子は力強く、若い自信に満ちているようにみえる。

 サーシャには直感的に理解できた。エリカ内務次官の明るい光は、隣の王太子によるものなのだろうという事が。彼女の姿は、まるで太陽に照らされて美しく輝く月の様だった。


「──痛っ」


 サーシャの頭が、再び痛み出す。

 知っている。エリカと王太子、私はこの二人を知っている。

 自分はこの時代の二人を知っているはずだ。

 混乱する頭と頭痛をこらえながら、サーシャは写真の下にペンで書かれた文字に目をやる。


──『立場は違えど、思いは同じ』──


(この筆跡、どこかで見たような……)


 見覚えのある筆跡。目を凝らして誰のものだろうかとのぞき込んだ時、突然背後からの気配に、サーシャは凍りついた。


「──『立場は違えど、思いは同じ』。今となっては、まるで私を縛る、呪いの言葉です」


 抑揚のないが、凛とした若い女性の声が響く。

 男性官僚の制服にスカートを合わせた髪の長い綺麗な女性。年齢こそ異なるものの、面影からしてそれは写真の少女と同じ人物。ただ長い年月が、彼女から峻厳さと引き換えに、みずみずしい明るさと無垢さを根こそぎ奪い取っていた。

 その美しい悲しさを秘めた瞳は、まるで太陽を失った月の様だと、サーシャには思えた。


「……エリカ、内務次官?」


「はい。お久しぶりです。サーシャ」


 サーシャに対し、エリカは透き通るように優しく微笑した。それは穏やかな、肉親に向けるような笑みだった。

 硬直したままのサーシャをそのままに、エリカは丁寧な手つきで机の上の写真をもとの位置に戻す。


「……仲間と一緒なら、この人と一緒なら、どんな未来も怖くない。どんな困難な道でも喜んで歩んでいける。この時は、そんな甘く浅はかなことを考えていました」


 声には力がなく、自嘲気味な響きを含んでいた。


「でも、呪われているのは、貴女も同じなのです。サーシャ」


 そんな言葉を口にしながら、エリカはサーシャの髪をそっとなでる。


「さ、触らないでください!」


 突発的にエリカの手を振りほどくサーシャ。髪を触られるのが嫌だったからではない。

 エリカが背負っている、逃れられない運命。

 それと同じものを、サーシャにも押し付けられる気がして、その恐ろしさから直感的に拒否したのだ。


「……こ、来ないでください!」


 こみ上げる恐怖心からか、サーシャはとっさに懐に忍ばせていたナイフを手に、エリカを威嚇する。

〝呪い殺しのナイフ〟、人は斬れない制約の引き換えに、呪いを斬る魔力を持つナイフ。ノートンからプレゼントされたものだった。

 だがエリカは、なんの躊躇もなく、自身に向けられたナイフの刃をつかみ取る。まるでこのナイフが人を斬れないことを知っているよう。そして優しくゆったりとした、しかし一切の迷いのない動きで、ナイフをサーシャの耳元にそっと触れさせた。


──パキン──


 サーシャの耳につけていたピアスが、小さな音を立てて砕け散る。

 ピアスはノートンに会ってすぐにプレゼントされた、サーシャの宝物の一つだった。


「〝見守りのピアス〟。対になる地図を用いることにより、所有者の場所と状態がわかるピアス。外すことはできないが、魔法の効果により汚れることはない。そしてその〝呪い〟が、〝あの方〟にはとても都合が良かった」


 ピアスが砕けると同時に、サーシャの茶色寄りの金髪が銀色に変化する。サーシャのお気に入りだった先端が軽くカールした髪も、絹のようにまっすぐなストレートヘアーと形を変える。

 エリカにうながされるままに鏡を覗き込んだサーシャは、自身の姿に息をのんだ。

 輝くような銀色の髪、それは間違いなく王家の血統の証。

 鏡に写っているのは、若き王家の姫君の姿、そのものだった。


「魔法科女子学園で流行している髪の色が変わるシュシュ、それが貴女に効かなかっ

たのは、すでに〝見守りのピアス〟の呪いによって髪の色が変わっていたからです」


「い、いや!」


 エリカの言葉は、サーシャの脳裏には届かない。言葉は理解できていても、本能が拒否していた。


「貴女の髪も、記憶も、ある怪盗によって、奪われたものなのです。

 サーシャ、いえローラント王国王位継承第4位、アナスターシャ・ローラント王女殿下」


 エリカによって告げられた真名。その名前は、サーシャという名前よりも、自身の心の奥底にまで響くものだった。


「……いや! もうやめてください!」


 告げられた情報の重さに、サーシャは思わず拒否の声をあげる。


「怪盗によって奪われた貴女の記憶を、お返しします。この銃の事は、ご存じですね?」 


 エリカが懐から取り出した銃、それはノートンの研究室にあったメモリーガンだった。さらに手元にあるのは、記憶を封じ込めた水晶の様な記憶球だった。

 エリカはゆっくりとした手つきで記憶球を、サーシャの後頭部に当てる。

 まるで蛇に魅入られた蛙のように、サーシャは身動き一つできないまま、その運命を受け入れてしまった。

 本来の持ち主に触れた記憶球が、シャボン玉の様に砕ける。

 瞬間、脳裏に無数の絵が流れ込むように、忘れていた記憶のパーツが復元された。

──髭を蓄えた厳格な父と、悲しげな表情の美しい母の姿──

──母親違いではあるが、大好きだった姉の姿──

 はっきりと思い出した。自分の記憶は、奪われていたのだった。おそらくは、ノートンによって。


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