第40話 策謀


「サーシャちゃんの具合はどうだい? ノートン君」

 

 ニャン古亭のリビングでサーシャの着替えを用意していたノートンに対し、ララがサーシャの様子を訪ねてきた。様態を崩したサーシャがニャン古亭に担ぎ込まれたという話を聞き、ララさんとニーアがニャン古亭に来てくれていたのだ。


「熱はないみたいだニャ。ただ自室のベッドで苦しそうに眠っているニャ」


「そうかい。看病にも疲れたろう。しばらくはわたしとニーアちゃんの二人で看病するから、少し休むと良い」


 ララの言う通り、ノートンは4時間ほどサーシャの看護につきっきりだった。もう日は暮れ、夜になっている。


「助かりますニャ」


「どうせ戒厳令で、お店は休業だからね。気にしなくていいさ」


「これ、ノートンさんもどうぞ。お店にある料理を詰め合わせただけですけど」


 ニーアがランチボックスをノートンに手渡す。中からはパンと肉の焼けるいい匂いがした。


「ありがとうだニャ。ではオレは少し外に出るので、サーシャの事はよろしく頼むニャ」


「戒厳令がでていますよ?」


「なじみの薬物店に、サーシャの薬草を買いに行くだけだニャ」


 戒厳令下とはいえ、医者と薬局は空いているはずだ。

 ノートンはサーシャをララ達にまかせ、人気のない街路を急いだ。



  結論から言うと、薬物店に目当ての薬草は無かった。

 ノートンが買い付けようとしたのは、ウルル草という強壮作用のある希少な薬草だった。魔力を糧に育つ魔草の一種であり、滅多に入荷しないものであったため、入荷した場合は一つ取っておくように依頼していたのだ。そして戒厳令がでる前にランド亭の客たちが入荷したと話していたのを、ノートンは目ざとくも聞いていたのだ。 


「ウルル草はずっと品切れだぜ、ノートンの旦那」


 中年で髭ずらだが、妙な愛嬌がある店主がウルル草の入荷を否定する。


「馬鹿な? 入荷していると聞いたニャ」


「そんなはずはねえよ。ガセネタでもつかまされたんじゃねーか? らしくねえな」


 店主とは長い付き合いだ。嘘を言っているとはおもえない。


「ガセネタ……」


 ノートンの背筋に冷たい汗が流れる。

 暴動寸前の民衆からの、手際のよい戒厳令。そして事前に流されていた魔草入荷の噂。

 ──もし、すべてが〝彼女〟によって計画されていたものだとしたら──


「ちっ、狙いはサーシャか!」


 ノートンは一目散に薬物店を後にし、サーシャ達の元へ駆け戻った。



 ニャン古亭の中に戻るや否や、ノートンは自身の悪い予感が的中していたことを全身で感じていた。

 見慣れた店内には、大勢の人間が侵入したであろう跡が残っていた。


「サーシャ!」


 慌ててサーシャの部屋に入るが、ベッドにはすでにサーシャの姿はなかった。まだぬくもりの残っているベッドは、連れ去られてからさほど時間がたっていないことを物語っていた。


(……やはり、研究室にも入られていたか、手際のよいことだ)


 続いて地下研究室を確認し、メモリーガンと〝あの娘〟の記憶を封じた記憶結晶が持ち出されていることを確認し、ノートンは小さく嘆息する。

 薬物店に行っている時間は30分もなかった。そのわずかな間に、犯行が行われたこと、目的物以外の物が盗まれたり荒らされた形跡がないことは、犯人が店の襲撃を周到に計画し準備していたことを象徴していた。


(ふう、やられっぱなしだな……)


 完全に主導権を握られ、いいように翻弄されたことによって、ノートンは逆に落ち着きを取り戻していた。


「ララさん! ニーア! いないのか!?」


 ノートンはサーシャを看病していた二人の名を呼ぶ。二人とも、サーシャと一緒に連れ去られてしまったのだろうか。


「ノートンさん! よかった」


 ロッカーのドアが開き、中から血相を変えたニーアが出てくる。襲撃を逃れるため、ロッカーに隠れて身を潜めていたのだろう。


「ニーアか、よかった。いったい何があったニャ?」


「それが、突然、大勢の人が入ってきて、サーシャさんを連れ去ってしまったようです。私はララさんに、奥で隠れておくように言われて、助かったんですけど、怖くて身を潜めていました」


「そうか。大変だったニャ」


「私の事よりも、ララさんはどこにいますか? 私を守るために、連れ去らわれてしまったんでしょうか?」


 おろおろとした表情で、ララの姿を探すニーア。だがララの姿はなく、ノートン達以外には猫が一匹入り込んでいるだけだった。


「心配ないニャ。ララさんはここにいるニャ」


 ノートンは店の椅子の上で鳴いている猫の首元に手をかけ、はめられていた首輪をほどく。

 首輪から解放された猫は、全身から光を放ったかと思うと、見る見るうちに大きくなり、人間の女性に形を変えていった。


「ふう、やっと気づいてもらえたか。女を縛るんじゃなくて魔法具で猫にするなんて、なかなかマニアックな連中だね」


 全裸のララさんはその豊満な胸をおさえながら、軽口を言う。


「ララさん、よかった!」


「おうニーアちゃん。無事だったようだね。でもとりあえず服を着させてくれるかい?」


 ニーアをあやしながら、床に散らばった服を着るララさん。さすがにサーシャと違い、動揺したりはしていないようだ。ノートンは裸のララに背を向けながら、地に落ちた首輪を拾い上げる。


「この〝猫化の首輪〟は、もともと王家に伝わる処罰具の一種だニャ」


 悪戯好きの王家の子女の教育のため、猫にしてしまう罰を与えるために開発された魔法具、それが猫化の首輪だった。


「ふううん……ではやはり、連中は内務省の親衛隊かい?」


「ああ。そして、あえてララさんにこの首輪と使ったニャ」


 わざわざララを拘束せず、魔法具を使ってまで猫化させた理由は見当がつく。

 先日、マートンにもらった首輪で、サーシャが猫になった事があった。〝彼女〟は、そのことを把握しているという意思表示なのだろう。そして必要とあれば王家の人間でさえ懲罰の対象とすることを、この魔法具は暗に示唆していた。


「ノートンさん、こんなものが奥のテーブルの上に置いてありました」


 ニーアが持ってきた、小さなメッセージカード。

 王家の紋章と、それを見守る目のシンボルが描かれた紋様は、そのカードが王国内務省のものであることを示していた。

 そしてそこに書かれていた美しく上品な文字。ノートンが数年ぶりに見る懐かしい筆跡は、間違いなく〝彼女〟が書いたものだった。


──国家のため、サーシャ様には協力していただきます──

                       王国内務次官エリカ・メルボルン

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