第39話 希望の星


 ノートン達が人々を追って王宮広場に達したころ、群衆たちの緊張はクライマックスに達していた。200メートル四方はある広場は群衆で埋め尽くされている。これほどの民衆が王宮広場に集まるなど、レオニード王子の立太子式以来かもしれない。


「政府は何をしている!」


「反乱軍はどうなっているの?」


「フェンリルの情報を出せ!」


「せめて子供たちだけでも安全な王城に入れて!」


「宰相はどこで何をしている?!」


「王国は民を守れ!」


 民衆たちは思い思いの声を、王宮に向かって浴びせる。熱のこもったそれは次第に罵声に近いものへと変わっていく。


「何もしないなら、せめて反乱軍と戦う武器をよこせ!」


 ついには武器を要求しだす民衆まで現れた。

 ノートンの目には、王宮を守っていた兵士達にも、動揺の色が見て取れた。彼らも王国政府の対応に不安を覚えている様だ。だが民衆に武器を渡せば、暴徒となって反乱を起こす可能性もある。


「……マスター、大丈夫でしょうか?」


「問題ない。エリカなら、上手くやるニャ」


 不安げな表情のサーシャを、ノートンは微笑み安堵させる。

 ノートンには確信があった。民衆も、伯爵の残党の反乱も、いざとなれば何とでもなる。王政府には、その力は十分に残されているはずだった。


(問題は、フェンリルだニャ)


 気がかりなのは、目撃されたという神獣フェンリルの情報だけだった。こればかりはノートンが手を打つしかない。だがその前に、王政府が民衆に対してどういう対策をとるかを、知っておく必要があった。


「静粛に、政府より発表があります」


 王宮のテラスを護衛していた兵士が、民衆に向けて言葉を発する。だが彼の言葉では熱狂状態の民衆をなだめることはできず、民衆達は暴発寸前だった。

 しかし次の瞬間、民衆達は水をうったように静まり返った。 


「──王国内務次官の私が皆さんに事態を説明いたします」


 テラスに立ったのは、制服を着込んだ緑の黒髪の美しい女性、エリカ内務次官だった。

 唐突に訪れた厳粛なる空気。民衆達は皆、固唾をのんで、彼女の言葉に耳を傾けていた。


「まず、デルタ伯爵の元部下であるデロス元将軍の反乱についてですが、いくつかの村が制圧されたことは事実です」


 凛としたよく通る声で、説明を続けるエリカ内務次官。

 民衆達はもちろん護衛の兵士達さえも、彼女の一言一句を聞き逃さまいと、全霊でその言葉に耳を傾けているようだ。

 彼女が持つ、人々からの圧倒的な信頼と権威。

 それは彼女が宰相の娘に生まれたからではない。この5年間、彼女が公平無私に業務に取り組んできたことを、民衆の誰もが知っているからだろう。


「しかしすでに正規軍の各部隊が鎮圧のための作戦行動を実施中であり、軍本部の報告では、一ケ月以内に鎮圧は可能とのことです」


 エリカの言葉に、民衆の何人かが安堵の吐息をつく。彼女が言うからには問題はないと感じたのだろう。

 それでも反乱軍にはゴーレムがいるという報告もある。それに対応できるのだろうかと、民衆の何割かは疑問を持ち続けているようだ。


「ただ反乱軍に4体のゴーレムが確認されたとの報告があったため、王都からも増援を派遣することを決定いたしました」


 まるで民衆達の思考を読んでいたかのように、エリカ内務次官は言葉を続ける。


「開門!」


 警備の兵士が王宮の城門を開くとともに、重厚な足音と共に、人間の数倍はある巨大な鎧を着込んだ兵士たちが行進してきた。数にして100体以上、兵士たちは声一つ上げず、無機質な動きで王宮の前に整列する。


「ゴ、ゴーレムか!?」


 民衆の一人が声をあげる。

 巨大な鎧の奥に見えるのは、機械仕掛けの巨人の姿だった。


「ゴーレムだ、政府もゴーレムを持っていたんだ!」


「何体いるんだ!」


「100、それ以上だ!」


「すごい!」


 多数のゴーレムに圧倒されていた民衆達が驚きと共に、歓喜の声をあげる。これなら、たっと4体のゴーレムしか持たない反乱軍は恐るるに足らない。民衆のそんな思いが広場中に瞬く間に広がっていくのを、ノートンは感じた。


「……マスター、あれはデルタ伯爵のゴーレムを回収したものでしょうか?」


 サーシャは小声でノートンに、ゴーレムの由来について尋ねる。


「いや、伯爵のゴーレムとは構造が違う。……なるほど、伯爵は初めから泳がされていたのかニャ」


 真相を察し、猫人の目を細めるノートン。

 王政府も密かにゴーレムを開発し保有していたのだ。それも伯爵の数倍の規模で。そしてそれを知らない伯爵が反乱を起こした場合、伯爵を国内の不穏因子もろとも一掃する手はずだったのだろう。つまりノートンは余計なことをしてしまったということになる。


「──したがって、民衆に武器を提供し、従軍を求める必要はないと判断しております」


 エリカの冷静な声が響く。

 彼女は明確に民衆への武器提供を拒否したのだ。しかし、ゴーレム群の圧倒的な迫力を前に、誰も異論を唱える者はいなかった。

 ノートンが予期した通り、反乱についての民衆の動揺は収まった。人心掌握にかけてのエリカの手腕は、ノートンの予想の上をいく優れたものだった。


(だがフェンリルの問題が残っている。これはどうやって解決するつもりだ?)


「もう一つ、より懸念される問題があります。王都を含む王国の各地で降雪を確認した〝赤い雪〟と、アララギ山に積雪している〝青い雪〟についてです」


 エリカが公に認めた〝雪〟の存在。民衆達は再び静まり返り、彼女の言葉を固唾をのんで見守る。


「記録によれば、これは中興王の時代に確認された、〝神獣フェンリル〟によるものであるとされています。実際、リイアン地区において、巨大な銀狼の姿が目撃されたとの証言があり、現在、調査中ですが、神獣の出現の前触れである可能性が濃厚です」


 エリカがフェンリルの存在を認めたことにより、民衆の表情が恐怖で再び引きつる。だが冷静なエリカの表情の前に、誰も声をあげたりはせず、ただひたすら、彼女の次の言葉に傾注していた。


「しかし600年続く王家の血統は、この問題を解決できる可能性をもたらしてくれました」


 そう言うとエリカはテラスの側に退き、テラスの扉に向けて頭を下げ、恭しく敬礼する。側の兵士たちも、全員が彼女に倣って扉に対し敬礼する。

 同時に、テラスの扉が厳かに開かれる。

 しっかりとした足取りで、テラス中央に現れた人物。


「おおっ──」


 誰もが予想だにしなかったその姿に、民衆達全員が息をのんだ。

 王家の嫡子のみが着ることを許される純白の正装に身を包み、装飾を施された宝剣ファルシオンを携える、長身の男性。まだ若いが強い意志を秘めた力強い瞳は、民衆の視線を全身に浴びてなお、揺るがない確固たるものだ。居合わせるだけで周囲の空気を引き締めるような天性の峻厳さと、そして何よりも日の光に輝く彼の透き通るような銀髪は、彼がローラント王家の正当な血統を引くものであることを示していた。


「レオニード王太子殿下!!」


 その姿を見た人々が、次々と驚きの声をあげる。

 彼こそはローラント王国王位継承第一位、レオニード王太子だった。幼き頃より始祖王の再来と称された英邁にして、天にとどいたと噂される魔法の天才であり、〝奇跡の王太子〟として人々の期待を一身に集める、まさに王国の希望の星だった。


「何というお元気そうな姿」


「病気は快復されたのか?」


「そうに違いない。5年前の、17歳の時のお姿と全く変わらないのだから」


「さすが王太子様。不老の魔法をもお持ちに違いない」


 民衆達が次々と歓喜のこもった声をあげる。病床に伏せっていたという王太子は血色もよく、とても元気そうに見えた。それどころか、5年前の姿とほとんど変わらなかったのだ。


「親愛なる臣民諸君、余の声を聴け!」


 若いが雷鳴のように鋭い声が、広場全体に響く。同時に広場全体が、水を打ったような静寂に包まれる。


「先ほど内務次官が申した通り、王国各地で観測された〝赤い雪〟と〝青い雪〟は、〝神獣フェンリル〟の出現の前兆であると、伝承には記されている。

 だが案ずることはない。王家には始祖王ロランの秘技である天位魔法が伝承されている。かつて中興王がフェンリルを封じたように、余が始祖王の秘技を用い、フェンリルを封印しよう」


「おおおおおおおお!!」


 王太子の力強い言葉に、人々は歓喜の声をあげる。始祖王ロランの天位魔法、それは人々を安堵させるに十分な言葉だった。


「フェンリル封印まで、余は王都に住む臣民たちに、外出の制限を命じる」


「現時刻より王国政府より発表があるまで、住民の皆様は特別の許可がある場合を除いて、外出を控えてください。万が一、〝銀の雪〟が降った場合、触れただけで致死に至るという伝承があります」


 王太子の命令を、エリカ事務官がより詳細な言葉で補足する。


「王太子殿下、万歳!」


「「王太子殿下、万歳!!」」


 誰かがそう叫ぶや否や、民衆達からは歓喜と共に万歳の声が沸き起こる。彼らは王太子の命を、快く受け入れたのだ。


「大したものだニャ。民衆の歓喜の上で、事実上の戒厳令をしくとはニャ」


 そんな歓声の最中、ノートンは冷ややかな表情で王太子と事務官のいるテラスを眺めながら嘆息した。

 いつの時代も、人々の行動を制限する戒厳令を敷くのは難しい。それを民衆の歓喜の上で、成し遂げたのだ。おそらくこれもエリカが御膳立てしたものだろうが、見事なものだった。


「──あれが、レオニード王太子……殿下!?」


「サーシャ、どうしたニャ?」


 隣のサーシャの様子がおかしいことに気づき、ノートンは思わず声をかける。

 サーシャの瞳孔は限界まで見開かれたまま硬直しており、その視線はテラス上の王太子にクギ付けとなっている。

 無数の汗が、額から雨のように滴り落ちていた。そして彼女の白い肌は見たことがないほど真っ青になり、色を失っていた。その生気のない姿は、まるで人形の様だ。


「……あ、頭が痛いです。マスター」


「わかった。いったん、家に帰ろう」


 頭痛を訴えるサーシャを介抱しながら、ノートンは急ぎニャン古亭へと向かった。


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