第37話 記憶


『どうですかサーシャさん、猫達から何か有益な情報は得られました?』


「……別に、何も話してなかったよ」


 イエローストーンの言葉も、適当に流す。結局、猫の会話内容が分かったところで、なんでもなかった。

 もうこんな首輪は外して、元の姿に戻ろうか。と思ったが、サーシャは別の事を思いついた。


(この体なら、通気口からマスターの研究室に入れるかも) 


 ニャン古亭の地下に広がっている地下空間。その最奥にあるノートンの研究室に、サーシャは入ることはできなかった。でも今の猫の大きさなら通気口から入ることができるはずだ。ひょっとしたら研究室に、ノートンの過去がわかるヒントがあるかもしれない。さらには、失われたサーシャ自身の過去に関するものがあるかもしれない。

 そんなことを考えると、その気持ちを抑えることができなくなっていた。


「イエローちゃん、ここでお店番をお願いできるかな?」


『オフコース、オッケイですサーシャさん。でも早く戻ってきてくださいね』


 サーシャの意図を察したのか、イエローストーンは快諾してくれる。

 猫の姿のサーシャは地下室の扉の側の通気口へと向かう。案の定、通気口はかなり小型だったが、猫の姿なら入ることができそうだ。


(失礼します、マスター)


 意を決すると、通気口の中を進む。ノートンの研究室は一番右奥のはずだ。猫の体は小さくて柔軟で、そして夜目が効くため、難なくノートンの研究室に入り込むことができた。


(ここがマスターの研究室)


 石造りの重厚な一室が、ノートンの研究室だった。


(マスターは……いた!)


 ノートンは部屋の隅の椅子に腰掛け、静かに眠っているようだ。

 机に伏せって寝入っているノートンの横顔は、なぜかとても可愛らしく感じられて、サーシャは机の上に飛び乗って間近でのぞき込む。


「みゃー」


 猫の本能だろうか、思わずノートンの顔にほおずりしてしまう。ノートンの頬の毛は柔軟で温かく、とても気持ちがいい。親猫に甘える子猫は、こんな気持ちなのだろうか。


(いけない、こんなことしている場合じゃない)


 本来の目的を忘れそうになったサーシャは、慌てて周囲を見渡す。

 そしてふと机の上に置かれていたものに目をやると、サーシャの視線はそのまま釘付けになってしまった。。


(これって、メモリーガン!?)


 机の上に置いてあったのは、ヴィラから奪ったメモリーガンだ。それ自体は、何もおかしくはない。


(どうして、メモリーガンが二つもあるの?)


 問題はそれが二つあることだった。ヴィラが使っていたと思しき簡素で新しい銃と違い、重厚な装飾が施された年代物の銃。様式も年式も違えど、その構造は瓜二つであることは、サーシャにはすぐわかった。


(これが、本物のメモリーガン。なぜマスターが持っているの!?)


 サーシャがノートンから聞いたところによると、記憶を奪うメモリーガンは、特級の魔法具として王家が密かに保持していたものだという。処刑できない王族を、血を流さずに抹殺するための、記憶を奪う銃。かつて怪盗ドレットノートが盗み出しそのまま行方知れずになった、伝説の秘宝だった。


(マスターがこれを持っていて、私には記憶がない……これって……)


 頭の中で静かに、だが着実に、決して知ってはいけないピースが組み合っていく。


(これは!?)


 さらに机の上に置かれていたものに気づき、サーシャは凍り付いた。

 シャルが言うには、メモリーガンで撃たれた記憶は結晶化し、ビー玉の様なものになるという。

 目の前の上質な布の上に置かれているものは、明らかにメモリーガンで作り出されたと思われる記憶の結晶体だった。

 大きさはシャルの言っていたビー玉サイズではなく、ずっと大きい水晶玉くらいの大きさがある。それは奪われた記憶の多さを表していた。


(……これ、まさか、私の……)


 絶対的な確信。それは離れ離れになった自身の肉体の一部を目の前にしているかのような、その記憶の結晶は自分のモノであるという本能の声だった。


(この結晶を受け入れれば、私の記憶は戻るに違いない)


 まるで強い磁石に吸い寄せられるように、サーシャは記憶の結晶に触れようとする。


(うっ!?)


 だが目の前で伏せ寝しているノートンの姿を見ると、サーシャの身体はピクリと動かなくなってしまった。

 どんな理由があるにせよ、ノートンがサーシャに甘くあたたかい場所を提供してくれていたことは、サーシャが一番よく知っていたからだ。

 サーシャの瞳の側を、汗がしたたり落ちる。

 確信があった。目の前の記憶を取り戻せば、これまでのノートンとの関係の全てが崩れ去ると。それは今の生活の消滅を意味していた。

 頭の中で、真実を知りたいという思いと、知っては今の生活を失うであろうという思いがせめぎ合う。

 時間にして30分はたったであろうか、それとも1分に満たなかったのであろうか、サーシャは呼吸すら忘れ、その場で立ち尽くしてしまっていた。


(……頭が、痛い)」


 酷い頭痛を感じた。まるで多くの情報によってショートしたサーシャの脳が悲鳴をあげているかのようだ。


(とにかく、ここを離れなければ……) 


 頭痛に耐えながらも、必死でそれだけを考える。とりあえずここから離れるべきだ。だがサーシャは金縛りにあったかのように、記憶の結晶から目が離せず、一歩も動けなかった。


「う……ん……」


 眠りから覚めつつあるノートンの声。

 その声を聞くと、サーシャの全身を電流の様な刺激が走り回り、ウソのように金縛りが解けた。


(行かなきゃ!)


 サーシャはこれ幸いにと、一目散に通気口から逃げ出してしまった。



『おかえりなさいませ、サーシャさん』

 

 お店に戻ったサーシャを、カウンターの上のイエローストーンが出迎えてくれる。

 ひどい顔色をしているはずのサーシャに対し、何も言わないのはイエローストーンの心遣いだろう。


「……とりあえず元の姿にもどろう」


 研究室で見た物、迫られた判断。それらはいったん保留にしよう。今は頭が痛くて考えられそうにない。少なくとももう少し整理された頭で、ゆっくり考えるべきだ。

 そう決意すると、頭痛が随分と軽くなった。


「あれ、首輪が取れない」


 だが元の姿に戻ろうと首輪を取ろうとした矢先、サーシャはそれが不可能であることを知る。

 猫の前足では、どうやっても首輪をほどくことができないのだ。


「イエローちゃん、手伝って!」


『あたくしには、何もできないですねぇ』


 サーシャはイエローストーンに助けを求めるが、宝石である彼女には手助けをすることができない。


「あれ、サーシャはどこに行ったニャ?」


 眠りから覚め、地下からカウンターにやってきたノートンは周囲を見渡し、サーシャがいないことに気づいたようだ。

 いつもと何一つ変わらぬノートンの雰囲気から察するに、先ほどのサーシャの侵入には気づいていない様だ。


「にゃあにゃあにゃあ」(マスター、助けて!) 


「猫? どっから入り込んだニャ?」


 ホッとしたサーシャはノートンに助けを求めるが、ノートンには猫であるサーシャの声はわからないらしい。


『ノートン様、あの猫ちゃんの正体がサーシャさんですよ。マートン様にいただいた魔法具の首輪で、猫になってしまったんですが、猫の姿だと首輪を外せないそうです』


 状況を見かねたイエローストーンがノートンに口添えする。


「またマートンのイタズラか」


 ノートンはため息をつきながら、サーシャの首輪を外す。


「ひい~、やっ と戻れた~」


 まばゆい光を放ちながら、サーシャは猫から人間の姿に戻る。


「猫になってどうするつもりだったんだニャ?」


「え、え~と……野良猫たちとお話してみたかったんです」


 サーシャはとっさに言い訳する。幸いなことに、猫の姿で研究室に忍び込んだことには、気づいていないようだ。


「猫と話しても、大した情報は得られないだろうニャ」


「まあそうですけどね。あの子たち、全員メスでしたよ」


「そうなのかニャ?」


「マスターは猫ちゃんにモテモテでした」 


 プイとノートンから目をそらすサーシャ。とにかく今はノートンと顔をあわせたくはなかった。

 そんなサーシャに対し、ノートンは何を思ったかジャケットを脱いでサーシャの背後に回り、それをサーシャの肩に優しく羽織らせてくれた。


「それはそうとサーシャ、早く服を着た方がいいニャ。そのままだと風邪をひくニャ」


「えっ!?」


 ノートンに指摘され、サーシャは自身の身体を見る。

 小動物の様に華奢な肢体に透き通るような健康的な肌は、見慣れた自身のもの。

 服は猫化したときにはだけ落ちてしまった。そして、そのまま人間の姿に戻ったのだから、

 ──当然、素っ裸だった。


「きゃああああああああ、マスターのエッチ!!」


 サーシャは服を手に叫び声をあげながら、カウンターから脱兎のごとく、店の奥に逃げて行った。

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