第36話 猫の会話
「ふう、今日はお客さんはあまり来ないな~」
サーカスでニーアの呪いを完全に解除した翌日、サーシャはワン古亭のカウンターで頬づえをつきながら、ぼんやりと外を眺めていた。
「にしても、マスターに友達がいるなんて……」
『そりゃあ、お友達くらいいるでしょうに』
カウンターの上に置いていたイエローストーンの声が響く。
「まあ、そうなんだけどね……」
サーカスのミュラやルーシアといった、ノートンの過去を知っている人たちの存在と出会えた事は、サーシャにとっては新鮮な衝撃だったのだ。
「マスターもマートンみたいに実は妖精で、人間になる途中だったりして?」
『さあ……本人に直接聞いてみてはいかがですか?』
「う~ん、マスターは昔の話になると、言葉を濁しちゃうしからな~。ひょっとしたら、記憶を失う前の私と知り合いだったりして」
『そういえばあの記憶を奪うメモリーガンは、どうしたんですか?』
「ヴィラから奪ったあれは、マスターが持って行っちゃったよ。地下の研究室で、調べているみたい」
ノートンは地下の研究室にこもり、調べ物をしていることが多い。今はメモリーガンについて調査している様だった。そしてエドガーが出て行って以来、サーシャは地下室の立ち入りを再び禁止されていた。
『ノートン様は何をお考えなんでしょうかね?』
「猫人の気持なんかわからないよ~」
嘆くサーシャの前に、人の気配がした。
誰か客人が入ってきたのだろうか。
「こんにちは、サーシャ」
あわてて顔をあげると、そこには小柄な猫人の少年がいた。サーカス団のマートンだ。
「マートン、いらっしゃい。何か買いに来たの?」
「いいや、時間が空いたので、様子を見に来ただけだニャ」
「そっか~、お茶でも飲んでいく?」
「猫舌だから、ぬるめのお水がいいニャ」
そうリクエストするマートンの要望どおり、コップにお水をそそいで手渡すサーシャ。
「……ところでさ、マートンはマスターの事、詳しいの?」
「う~ん、そこそこ知っているとは思うけど、あんまり話せることはないニャ」
聞きたいことがあるならノートンに直接聞けばいい、マートンはそう言っている様だった。
「そうなんだけどね、聞きづらくて」
「そうだニャ……では、これをあげるニャ」
マートンが懐から取り出し、カウンターの上にのせたのは、赤い首輪だった。ルーシアがつけていたモノとは違う、鈴のついた猫のための首輪だった。
「猫の首輪? これも魔法具かな?」
「そうだニャ。これを付けると、猫の言葉がわかるようになるニャ」
「猫の言葉!? それはすごいね!」
「サーシャが知らない情報を、野良猫たちは知っているかもしれないニャ。これをつけて、このあたりの野良猫に聞いてみてはどうだろうかニャ?」
「猫とお話か。へ~、それは面白そう」
「じゃあオイラはこれで失礼するニャ。ノートンによろしくニャ」
自由時間が終わったのか、マートンはそそくさとお店を後にしてしまった。
「この首輪、置いて行っちゃったけど、どうしよう? 怖い呪いとか、かかってないよね?」
悪戯好きのマートンがくれた魔法具だ。どんな呪いがあるか、少し不安だった。
『見た感じ、呪いはかかっていないみたいですね』
「イエローちゃん、わかるの?!」
『まあ同じ魔法具ですから、なんとなくわかります』
「そうか……それなら、少し試してみようかな」
少し考えた末、不安よりノートンの事を知りたいという思いがまさった。
サーシャは恐る恐る猫の首輪を、ゆっくりと自分の首にはめる。
「う? 何この感じ……」
視界がぐにゃりとゆがんだかと思うと、サーシャの視界に映るものがすべてが変わった。何もかも大きくなったのだ。今まで目の下に映っていたカウンターを、遥か上に見上げるようになっていた。それだけでなく、今まで着ていた服まで巨大化したため、下着も含めてすべて脱げてしまった。
「世界が大きくなった?」
『違いますよ。サーシャさんが小さくなったのです。より正確に言うと、猫になってしまいました』
「ね、猫!?」
サーシャは慌ててカウンターの上に飛び乗り、壁に設置されていた鏡をのぞく。不思議なことに、体はウソのように軽い。そして力強い脚力で跳躍し、体の数倍はあったカウンターの上に簡単に乗ることができた。
「ニャンと!? ホントだ猫だ!!」
鏡に映っていたのは、一匹の猫だった。美しい銀色の毛色に覆われ、鈴をつけた赤い首輪をした一匹のメスの猫。
『猫と会話できる、というか猫になる魔法具なんですね~これはびっくり』
イエローストーンも、あまりの事に驚いている様だった。
「確かに猫になってしまえば、外の野良猫たちの話も分かるはず……」
店の前で日向ごっこをしている猫は5匹。
サーシャは少し考えた上で、店の中から猫たちの話に聞き耳を立ててみた。
『にゃあにゃあにゃあ』(あ~、ノートン様、いつ見ても素敵)
『みーみーみー』(そうよねそうよね!!)
『ニャニャニャア』(なんとイケメンなんでしょう)
『みーみーみー』(そうよねそうよね!!)
『にゃあ、みゃあん』(背も高くて素敵、お召し物もいいものだし)
『みーみーみー』(そうよねそうよね!!)
『ニャアニャアニャアア』(あ~、ノートン様、アタシ、次の発情期までにはノート
ン様と結婚したい)
『みーみーみー』(そうよねそうよね!!)
『ニャアニャアニャミイ』(せめてアタシを飼い猫にしてほしい。アタシを飼って
~)
『みーみーみー』(そうよねそうよね!!)
「…………」
サーシャが聴いた猫たちの会話の内容は、期待していた内容と、少し異なっていた。
どうやらノートンは、猫達の中ではかなり人気らしい。
(というか、あの猫達、全部メスなんだ)
店の近くに、やたら野良猫がいるのはそのためだったのか。
『ニャアニャアミー』(というか、誰かノートン様にアタックしてみなよ)
『にゃあにゃあ』(でもノートン様は同じ猫人がお好きなんでしょう?)
(そ、そうなの?)
やっぱりノートンの恋愛対象は同じ猫人なのだろうか。
『みゃあニャアミー』(でも猫人なんて王都にはめったにいないし、人間や猫にもワンチャンあるかも)
(ワンチャン……というか猫と人間は同レベルの扱いなの?)
『ミーミーニャア』(どーでもいいけどウチら猫なのに〝ワンチャン〟って、なんか変だね)
『にゃあにゃあ』(そうだね、笑えるね)
『みーみーみー』(そうよねそうよね!!)
(そこ笑うとこなの!?)
サーシャには猫達のギャグは今イチわからなかった。
『にゃあにゃあにゃああん』(つーかノートン様は、あのサーシャって娘とつがいなんじゃないの?)
(!? 私の話。しかも〝つがい〟、って夫婦ってこと!?)
『ニャアニャアニャア』(ないない。あのコ、とろそーだし)
『にゃあにゃあ』(そうそう、あんなのがノートン様の奥方とか、ありえない)
『みーみーみーみゃあ』(そうよねそうよね!! とろそーよね)
(ガーン、猫に〝とろい〟って言われた)
『ニャアニャアにゃあ』(せいぜい〝ペット〟よね)
『みーみーみー』(そうよねそうよね!!)
(ガーン、猫に〝ペット〟扱いされた!)
『にゃあにゃあみー』(ああ、ノートン様、あんなコすてて、私達を飼って!)
『みーみーみー』(そうよねそうよね!!)
(…………)
サーシャは猫たちの会話に、聞き耳を立てるのをやめた。
大した情報は得られない上に、なんだか腹が立ってきたからだ。
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