第35話 魔獣殺し


 召喚された幻獣の正体に、ニーアは気づいたようだ。その場に呼び出されたのは、彼女のコバンに封じられた幻獣。先日、サーシャの〝負債の女王〟(クイーン・オブ・ザ・デビット)に封印された幻獣だった。


『シャアアァアアア嗚呼ァア亜阿亜阿アアア!!』


 この世のモノとは思えないような不気味な咆哮をあげる幻獣。

 それは二度とありえないはずだった自身の現界。それを許した愚かなる人間を嘲笑うかのような、誇らしげなものだった。

 直後、ルーシアの胸元で輝いていた緑の宝石が音もなく砕け散る。


「気を付けてください。この幻獣、私のチャームが効きません!」


「さすがは幻獣、一筋縄ではいかねえってことか」


 チャームの魔法石を砕かれたことで、敵の動きが読めなくなってしまった。だが想定内だったのか、ミュラもノートンも無言で頷くだけで微動だにしない。

 敵である人間たちを一通り見渡し、幻獣はサーシャを睨みつけた。先の戦いで銀狼を召喚したサーシャの記憶から、彼女が最大の脅威であると判断したのだろう。


「ひっ……」


 厳重の岩をも射貫くような視線にさらされ、サーシャの全身を恐怖心が駆け巡る。


『ニャ嗚呼アア亜AAA亜アアアア!!』


 咆哮と共に、幻獣の猫の目が怪しく光った。

 瞳から放たれる光線。触れたものを金に変えてしまう、防御不可能の攻撃だ。

 だがサーシャを狙った光線は、目の前に現れた巨大な銀色の壁によって阻まれる。ノートンの手元から放たれたそれは、銀色の水のような物体だった。


「あれはポロン先生の〝麗血の水銀(ブラッディ・マーキュリー)〟!?」


 水銀を操る能力は、ポロン先生こと美魔女ヴィラのもの。ノートンは大量の水銀を用いて、巨大な盾を作り、光線の障壁としたのだ。

 光線を受けた水銀の壁は見る見るうちに黄金色に変わり、金の壁となる。そして黄金の壁は、幻獣の光線からサーシャを完全に守った。


『がはは、やっぱアンタと仕事するのは、楽しいな。派手でいい!!』


 水銀を放出するノートンの手のひらに握られているマントから響き渡る下卑た声。それはカレンの魔法具の声だった。


「アタシのレッドマント……あれを使って、大量の水銀を召喚したのね」


 伯爵事件の時の水と同じ。ノートンは大量の水銀を自在に召喚するため、カレンからレッドマントを借り受けていたのだ。


「反撃だニャ」


 光線が弱まったと同時に、ノートンは反攻に出る。

 突如手元のマントから、銀色の巨大な獅子が飛び出し、幻獣に襲い掛かったのだ。


「あれも、水銀操作能力? 綺麗……」


 サーシャが思わず感嘆の声をあげる。水銀を操作するのは魔法の初歩とされ、簡単 な操作ならサーシャも可能だった。

 しかし魔法の達人であるノートンが創造した銀色に輝く水銀の獅子は、勇壮なだけでなく美しさと気品さえ備えていた。同じ魔法でも、術者が異なればこれほど違うものだろうか。

 マントを手に水銀の獅子を使役するノートンと、抗う幻獣。その姿は優雅で、命がけの戦闘でさえなければ、最高のサーカスショーの様だった。

 猫の幻獣と水銀の獅子はお互いを切り裂こうと睨みあった末、幻獣はついに獅子の喉首を鋭い爪で捕捉し──

 恐るべき一撃で、獅子の首を断ち切った。

 獅子は幻獣に屈した、と思われた瞬間、水銀の獅子は溶けるように姿を変え、巨大な鎖となって幻獣の姿を捕らえた。


「ナイスだノートン!」


 動きが止まった隙を、ミュラが見逃すはずがなかった。

 必殺の魔剣を携え、動けぬ幻獣の首を斬り落とすべく襲い掛かる。


『ギャア嗚呼あAAA嗚呼アア!!』


 だが幻獣は身の毛もよだつほど不気味な絶叫をあげると、自身の足元に巨大な黄金の柱を作成して飛翔し、空中で全身に巻き付く鎖を強引に引きちぎった。

 地響きを響かせながら着地すると、今度はルーシアめがけて突進する。


「ルーシア、伏せろ!」


 幻獣の前に立ちふさがるミュラ。

 響く轟音。ミュラは魔剣を盾に、幻獣の衝突を真正面から受け止めたのだ。


「ミュラさん!」


 響き渡る激突音と巻き上がる粉塵に、サーシャは叫び声をあげる。

 粉塵が晴れると、血を流しながら仁王立ちしているミュラの姿。握っていたはずの魔剣は無い。どうやら衝突の最中、吹き飛ばされてしまったようだ。


『てい!』


 粉塵で幻獣の動きが止まっている隙をついて、ノートンが幻獣めがけて疾駆する。高速で繰り出される技は、幻獣の左目を狙った右手平突き。

 だが恐るべき動体視力を有する幻獣は、姿勢をほとんど変えないまま左前脚だけでノートンの頭部を薙ぎ払う。

 千切れ、宙を舞うノートンの首。


「きゃあぁ、マスター!?」


 確実にノートンの仕留めたであろう一撃に、サーシャは悲鳴をあげた。

 だが頭部を切り裂かれたノートンの姿は、煙となり霧散する。


『残念、僕でした』


 その場に出現し、そのまま退避行動をとるマートン。ノートンは、マートンが模した幻影だったのだ。

 幻獣の注意が大きく左側に向いた絶好の隙をついて、反対右手より高速で忍び寄る影。


「これでチェックメイトだニャ」


 ノートンの手に握られているのは、竜殺しの魔剣グラム。ミュラ一行が数年にわたってサーカスの観客から集めたという、魔獣殺しの希望。それを集約し、錬成した虚構魔法の結晶。

 光り輝く剣先は、吸い込まれるように幻獣の柔らかい右喉元を切り裂き、一刀の元に切り捨てた。


『ギャア嗚呼ァアアアアアア!!』


 噴き出す血液と共におぞましい悲鳴をあげながら、倒れこむ幻獣。

 魔力が壊れた噴水のように噴き出し、身体を覆う禍々しいオーラは霧散していく。


「──すごい、本当に倒しちゃった」


 サーシャは驚きのあまり、身動き一つできなかった。

 幻獣は倒すことはできない。

 人々が信じているそんな事実こそ、幻想に過ぎなかったのだ。


「マスター、剣が……」


 ノートンの右手に握られていた魔剣グラムが、音もなく四散する。


「これは元々は人々の願いを魔力として集めた虚構魔法。オリジナルではない虚構の魔剣で、斬れぬはずの幻想種を斬ったんだ。目的を果たし魔力を使い切ってしまえば、世界から消滅するのは仕方ないニャ」 


「ごふ!!」


 今までこらえていたダメージが来たのか、その場で血を吐き片膝をつくミュラ。


「お兄ちゃん!!」


 思わず駆け寄るルーシア。


「お、お兄ちゃん?」


 今までのルーシアからは考えられない言葉に、サーシャは驚く。


「……こほん。大丈夫ですか、兄様?」


 少しだけ頬を赤らめ、ばつの悪そうに咳払いをしながら、ミュラを介抱するルーシア。


「まかせろ、〝お兄ちゃん〟は無敵だ」


 白い歯を見せ、親指でガッツポーズをとるミュラ。


「血が出てるニャ」


 ノートンとルーシアはミュラの止血をする。応急処置が終わると、ルーシアは照れくさそうに視線を伏せ、


「……無敵の兄様、キモイです」


 そう小さくつぶやいた。


「あれ、私の耳が!!」


 声はステージの外のニーアのモノ。

 ニーアの猫耳が光ったかと思うと、光の粒になって消えたのだった。


「コバンの呪いの幻獣が消えたわけだからニャ、ニーアの呪も消えたわけだニャ。これでニーアは自由だニャ」


「すごい……信じられません。お尻のシッポも消えています」


 予期せぬ呪いからの解放に、ニーアの表情は明るいものとなる。


「シッポ? ニーアさんシッポもあったの?」


「はい。恥ずかしいので、他の人には黙っていたんですけど」


 サーシャの指摘に、ニーアが頬を赤めながら答える。


「ありがとうございます、ノートンさん、ミュラさん達も! 私のためにこんなに手を尽くしてくださって」


「ニーアのためだけというわけではないニャ。サーシャが持つ幻想種の中で、コバンの幻獣が一番弱かったのが最大の理由だニャ」


「にしても、ルーシアの加護無しに魔剣をふるうとは、相変わらずデタラメじみた魔力量だな、ノートン」


 ルーシアの治癒魔法で傷が治ったミュラも、感心した様子だ。


「まあニャ。それよりも、サーカスの天幕を痛めてしまってすまないニャ。お詫び

に、この金塊を引き取ってほしいニャ」


 金塊に変化した水銀は、幻獣が消滅しても金塊の形を留めていた。


「おう、全部くれるのか? ありがたいぜ」


「代わりに、サーカス団の規模を今の3倍にしてほしいニャ」


「3倍か、相変わらず無茶をいうな。その規模だと、大陸でも最大の規模になるな」


「スタッフも新しく雇わないとダメですね」


「僕はピエロとか欲しいニャ」


 ノートンの申し出を、ミュラ達は快諾する。


「話しているところ悪いんだけどノートン、アンタはレッドマントの貧乏の呪いの影響はないの?」


 カレンの懸念はサーシャにも理解できた。レッドマントの貧乏の呪いがノートンに降りかかっていないか、心配しているのだ。


「そういえば、最近商談が一つ、破談になってしまったくらいかニャ」


 右手であごを触りながら、さも小さな事のように答えるノートン。


「そ、それだけ!?」


『もともと金持っているヤツには、オイラの呪いはあんまりきかね~んだわ。貧乏なヤツから根こそぎ取るみたいな~』


「──っ!?」


 レッドマントの言葉に、カレンは余程ショックを受けたのか、岩のように動かなくなる。


「……辛くなるから、今の言葉は聞かなかったことにするわ」


 カレンはうつむいたまま「アタシは絶対に金持ちになってやるわ。うふふ」と不気味に一人つぶやいていた。


「みなさん、幻獣を消滅させたお祝いをしましょう。ご馳走を用意しているので、食べて行ってください」


 早くも着替え、魔法で汗を消したルーシアが、天幕の中に料理を並べる。


「そうだニャ、ここでよばれるかニャ」


「おなかすきましたね、マスター。お昼まだだったし」


「あたし先生にパイを持ってきてたんだったよ。お店において来ちゃったから、取ってくるね」


「それはいいですね、暖炉は奥にあります。温めなおして食べましょう」


 いそいそ用意し、昼食会を始める。

 それは穏やかな午後のひと時だった。

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