第32話 ノートンの隠し子


「はあ……結婚かあ」


 サーシャはワン古亭のカウンターで頬杖をつきながら、ため息をついた。土曜日の正午前だが、客は誰もおらず、がらんとしていた。


『サーシャさん、またため息をついてますね~』


 カウンターの上に置いていたイエローストーンが、話しかけてくる。


「だって〜」


 同世代のシャルの〝貴族の娘は卒業したらすぐ結婚〟という言葉が、サーシャの脳裏に響いていたのだ。


『貴族の娘さんは、仕方ないですよ。貴族の恩恵と引き換えに、義務も背負ってますからね』


「う~ん、そうだけど……」


 シャルの〝だから残された学生生活を目いっぱい楽しむ〟という言葉もまた、サーシャの心に重くのしかかっていた。記憶を失って半年になるが、自分は今の時間を大切にできているのだろうか。


「ちーす、サーシャお疲れ様」


 そんなことを考えていると、当のシャルがお店にやってきた。制服を着ているのは、学校あがりだからだろうか。


「こんにちは」


「お疲れ様です」


 よく見ると、カレンとニーアも一緒だ。王都で知り合いが少ないニーアのために、先日カレンとシャルを紹介したが、仲良くなったようだった。


「サーシャ、みんなで食べるもの持ってきたよ。一緒にランチしようよ」


 シャルの手元の小包から焼けたパンと香草のいい匂いがする。食欲をそそる、香ばしい匂いだった。


「うん、いいね」


「ノートン先生は?」


「マスターはどこかに行っちゃいましたよ」


「そっかー、先生も一緒にご飯食べたかったのにな~」


 残念そうに頬を膨らませるシャル。


「サーシャは先生がどこに行ったか、知らないの?」


「ううん、マスターはいつもどこかに行っちゃうから……」


 ノートンはたびたびニャン古亭を閉めて、どこかに行っているようだが、サーシャはどこで何をしているのか把握していなかった。


「そっか。今日の夕方にノートンに会う約束だったんだけど、やっぱりちょっと早かったか」


「カレンさんはマスターと、なんの約束をしていたんですか?」


「アタシのレッドマントをノートンに貸してるのよ。今日返してもらう約束だったんだけどね」


 どうりで静かだと思ったが、レッドマントがいなかったのか。


「早くしないと、ノートンに貧乏の呪が降りかかっちゃうでしょ」


「あ~、それはちょっと嫌かな。でもマスターは、レッドマントをどうするんだろ?」


 ノートンがレッドマントを使って何をするのか、サーシャには想像もつかなかった。


「そっか、先生はいないのか。このアップルパイとか、マホジョの女子の間では美味しい評判なんだけどな、先生と食べたかったな〜」


「でも、アタシ達の味覚と合わないんじゃないかな? ノートンって男だし、年上だし、そもそも猫人だし」


「年上……あの、サーシャさん、そもそもノートンさんって何歳なんでしょうか?」


「……私に聞かれても、知らないです」


 ニーアの質問にも、サーシャは答えることができない。


「え~と、じ、じゃあノートンさんは独身なんでしょうか?」


 少し遠慮がちにニーアが尋ねてくる。


「あ、それあたしも気になる! 先生、まさか結婚してないよね?」


「……わかんないです」


 お店の二階で一緒に住んでいるサーシャが知る限り、ノートンには女性の影はない。もっとも、それもこの半年ばかりの情報なので、絶対とは言い切れなかった。

 結局のところ、サーシャはノートンの事は何も知らないのだ。年齢も、結婚しているのかどうかさえ知らなかった。


「ノートンを待ってても仕方ないわ。みんなで食べましょう。

 ──あれ、お客さん??」


 カレンの視線の先、お店の入り口のあたりに小さな人影があった。

 背丈はサーシャ達より小さな、8歳くらいの子供。だが首から上が異なっていた。

 顔全体を覆う茶色と白色の毛と、巨大な耳、どんぐり色のつぶらな瞳に、大きな鼻と、そこから横に飛び出た三対のヒゲ、肉食獣を思わせる鋭い牙。

 その顔立ちは、サーシャがよく知る、猫人のものだった。


「ここはノートンのお店であってますかニャ?」


 猫人の少年が、そう口を開いた。


「あ、あってますけど……マスターは外出中です」


 予想外の事態に、たどたどしく答えるサーシャ。


「そっか、入れ違いになっちゃったかもだニャ、どうするかニャ」


 サーシャの言葉に、考え込む猫人の少年。

 その間に三人が、サーシャの耳元でささやく。


(ねえサーシャ、この子、ひょっとして先生の親戚じゃない? 猫人だし)


(どうだろう。わかんないなあ)


(先生の隠し子だったりして?)


(ええ! そんなはずが)


(だって猫人なんて、王都にもめったにいないよ。ニーア、確認してよ)


(なんで私が?)


(同じ猫人だし、お願い!)


(私は猫人というわけでは……でもわかりました。聞いてみます)


 シャルに頼まれ、今度はニーアが微笑みを作りながら(ややぎこちないが)、猫人の少年に語り掛ける。


「ええと、坊やはノートンさんとどういう関係ですか?」


 そんなニーアの顔を、猫人の少年は興味深そうに見つめた後、


「僕の名前はマートン。ノートンは僕のパパだニャ」


「パパ!?」


 衝撃の言葉に、ニーアは笑顔のままで固まる。


「ひえええ! やっぱマスターの隠し子だ!」


「ノートンにこんな大きな子供がいたなんて!」


 サーシャは、カレンと共に驚きの声をあげる。


「う~ん、子供だけなら、あたしはギリ大丈夫、だけど……」


 笑顔のまま固まってしまったニーアに代わり、今度はシャルが前に出る。


「え~と、君の〝お母さん〟は、いたりするのかな?」


 必死で余裕の笑みをつくりながら話すシャル。その顔を、マートンは面白そうに見つめた後、


「ママは……あ、あそこにいるニャ」


 店の外を指さした。

 サーシャ達はカウンターから身を乗り出し、その先を凝視する。


「ね、猫?」


「メス猫みたいですね」


 店の外にいたのは一匹の野良猫。

 猫人ではなく、正真正銘、本物の猫だった。


「ま、まさかあの猫が母親ってこと!?」


 あまりの事に、声が震えるサーシャ。


「ということは、あの方が、ノートンさんの奥さん!?」


「先生、あの猫と子供を作っちゃったってこと!?」


「それって、人としてどうなの? ノートンは猫人だけども」


 メス猫の姿に、真っ青になる四人。

 そんなことを知ってか知らずか、メス猫はゆっくりとお店の方に近づいてきた。


「来ちゃいや─! 助けてマスター!」


「おのれ、この泥棒猫! よくもあたしの先生を!」


「落ち着いてシャル。どっちかというとあの猫が正妻よ!」


「がーん、あたしが泥棒猫だった!」


「猫と猫人って、子供を作れるんですね……」


 パニック状態になるサーシャ達。そしてマートンは口元を抑えながら、サーシャ達の姿を心底面白そうな表情で眺めていた。

 店の前にいた母猫はサーシャ達の声に驚いたのか、「ニャ」っと立ち去ってしまう。


「お母さま、待ってください! どちらに行かれるんですか?!」


 ニーアの言葉も届かず、どこかへ行ってしまう母猫。


「……というわけで、僕はこれで失礼するニャ」


 満足そうに微笑みながらそう言い残すと、マートンは店を後にする。


「あ〜今年一番、びっくりしたわ」


「もう嫌、変な汗いっぱいかいてるし~」


 と、その場に座り込み嘆くカレンとシャル。

 楽しいランチの時間は消え去り、サーシャ達は消耗しきってしまった。

 ショックのあまり、その後姿をポカンと眺めていたサーシャに、ニーアが耳打ちする。


「あの子の後を、追いかけましょう、サーシャさん」


「えっ?」


「あの猫人がウソをついてる可能性もあるし、この目で確かめないと」


「確かに。先生が半年も子供に会ってないなんて変だし、あの子、あたし達の反応を見て笑ってたしね」


「そうね。もう楽しくランチ、って状況じゃないし、アタシも付き合うわ」


 ニーアの提案に、シャルとカレンも同意する。

 三人の意見に賛成したサーシャは、大急ぎで店じまいをし、マートンの後をつけることにした。

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