第30話 美の道

 ポロン先生は自らをヴィラと認め、髪留めを解き、眼鏡を捨てる。

 腰まである艶やかな髪が解放され、ゆったりと宙を舞う。


「……綺麗」


 シャルの口から、思わずため息の様な声が漏れる。

 誰もが見とれるほど美しい、美の化身の様な女が、そこにいた。

 陶器のように美しい肌に、宝石のように輝く自信に満ちた瞳。均整の取れた小さな顔。着ていたスーツは消え去り、地面から湧き出た水の様な銀色のドレスが、豊かで魅惑的な曲線美をもつヴィラの肉体を包む。

 世界さえも彼女を祝福し、彼女の周囲だけ光り輝いているかのようだった。

 事実、彼女の体からは濃厚な魔力が吹き荒れ、部屋の中はまるで嵐の様。


「ペラペラと推理を語ってくれて、ありがとう。貴方たち二人の記憶を消した後、推理に至った証拠は処分しておくわ。これですべて、元通りになる」


 ヴィラはノートンのメモリーガンを奪い、二人の記憶を消し、すべてをなかったことにするつもりだ。


「どうしよう、ノートン先生」


「シャル、そこを動くなニャ」


 ノートンは右手にアゾット魔石剣を構え、ヴィラの前に立ちふさがる。


「私に抗うつもり? 愚かな。天にとどくと謡われた魔術師の力を知りなさい」


 ヴィラの、美しくもおぞましい声が響く。


「天にとどくだと? 美の道に逸れた落伍者が、いっぱしの事をいうものだニャ」


 シャルを守る様に目の前に立つノートン。

 その岩のように引き締まった精悍な背中は、伝説の魔術師の嵐の様な魔力を前にしても、ひるむ様子は微塵もみられなかった。


「ていっ!」


 一瞬の対峙の後に、先に動いたのはノートンだった。

 両者の間合いは10歩以上。その間隙を、わずか数歩で詰め寄る。

 達人の足さばきに猫人の俊脚を合わせたその姿は、まさに突風の様だった。直前で跳躍し、壁を蹴って、斜め左上方からヴィラを狙う。さらに繰り出される魔石剣の速度が上乗せされる。

 それはシャルが見たこともない剣技の極、まさに針の穴を穿つ一撃だった。


「こざかしい」


 だが剣の達人でも防ぐことは至難であろう一撃を、ヴィラは圧倒的な魔力をもってねじ伏せた。

 ヴィラの体を覆っていた白銀色のドレスが変化し、巨大な壁となって立ちふさがったのだ。点の刺突は、面の壁に防がれ、甲高い音と共にはじき返される。

 そして報復とばかりに白銀色の壁は形を変え、無数の巨大な針となってノートンを襲う。


「あれは、水銀!?」


 シャルにも理解できた。

 変幻自在に形を変えるあの物体の正体は水銀。金属でありながら液体の性質を持つ水銀は、魔法の基礎にして、学園の生徒なら誰もが一度も扱う物質だった。


「──〝麗血の水銀(ブラッディ・マーキュリー)〟──」


 稀代の魔女ヴィラはその水銀を、強大な魔力によって変幻自在に変化する強力な魔法具に変えていたのだ。


「ちっ!」


 事実、初撃に失敗したノートンは襲い来る無数の巨大な水銀の針に追われ、後ずさりする。


「ぬう!」


 ノートンは教室の金属製の机を盾として、水銀の針を受け止める。

 甲高い金属音と共に、机がバラバラに打ち砕かれ、粉塵となって舞い上がる


(ノートン先生が、いない!?)


 だが粉塵がはれると同時に、シャルはそこにはノートンの姿がないことに気づいた。

 ノートンは塵を隠れ蓑に、天井に跳んでいたのだ。

 猫人の俊足を活かした、息をつく間もない天井からの奇襲。


「ニャ!?」


 だが驚きの声をあげたのは、ノートンの方だった。

 天井を蹴り、再び刺突を放とうとしたノートンの前に突如現れたのは、無数のホウキ達。

 ヴィラによって後方で待機していたホウキの群れは、飛び上がったノートンめがけて襲い掛かる。

 シャルと同じ物体操作能力。だが威力はまるで異なる。放たれたホウキは一つ一つがまるで流星の様。ノートンは身をひるがえして天井を蹴り、ホウキの群れを紙一重でかわす。

 かわされたホウキが次々と壁にぶつかり、けたたましい音と共に大穴を空ける。

 この戦いにおける制空権を失ったノートンは、天井からの侵攻を諦めたのか、元居た地面に舞い戻る。

 だがヴィラの猛攻は、これでは終わらない。

 再び地面に舞い戻ったノートンを待ち構えていたのは、無数の植物のツタだった。


「あれは、Bクラスの!?」


 シャルには見覚えがあった。あの植物を操作する能力は、Bクラスの生徒の魔獣のもの。


「ちっ」


 ノートンは足元のツタをかわしながら、舌打ちする。

 上だけでなく、足元さえ警戒しなければならない。ノートンが唯一勝っていた機動力は、完全に削がれてしまった形だ。

 ヴィラはとどめとばかりに、強大な魔力を右腕に結集させる。

 飽くなき美への貪欲さ。それが実体化した吐き気がするほど濃密な魔力。

 ヴィラは次の一撃で勝敗を決するつもりなのだろう。


「ふん!」


 ノートンは、最後の手段とばかりに、魔石剣をヴィラに向けて投げつける。

 かするだけで大ダメージを与える女性特攻の魔石剣の投擲。だが予期されていたその攻撃は、水銀の盾によって弾かれる。


「終わりよ」


 ヴィラの右手から放たれた水銀は巨大な腕の形となり、ノートンの体を鷲掴みにした。


「ノートン先生!?」


 勝敗は決した。ノートンの肉体は拘束され、もはや動き回ることはできない。

 そしてヴィラに対する切り札である魔石剣も、ヴィラが操る植物のツタによって確保されていた。

 三種類もの魔法を操作して、なお余る圧倒的な魔力量。

 それを有するヴィラの完勝だった。


「ふふふ、捕まえたわ。おとなしく、メモリーガンを渡しなさい。記憶を消すだけ

で、殺しはしないわ」


 唯一の脅威であって魔石剣を奪い取ったヴィラは余裕の表情で、高らかに勝利を宣言する。だが、


「──捕まえたのは、こちらの方だニャ」


 水銀の巨大な拳の中に囚われながらも、ノートンは不敵な笑みを見せる。


『はぁ~い♡』


 ノートンの手のひらに握られていた黄色い宝石の、脳天気な声が響く。

 その輝きに気づいたヴィラの瞳に、初めて戦慄の色が走る。


「まさか、〝雷黄石〟(イエローストーン)!?」


『いえーす!! 正解者には、雷撃のプレゼントをさしあげます』


 その瞬間、イエローストーンが雷光を発する。

 同時に水銀の腕に稲光が走り、先にいたヴィラを高圧電流が襲う。

 勝敗は完全に逆転した。時間にして一秒に満たないものだったが、電流はヴィラの肉体を打ちのめしていた。

 ノートンを捕らえていた腕はただの水銀の塊に戻り、天井に展開していたホウキは地に落ちる。それはヴィラことポロン先生の魔力が尽きたという事を示していた。


「……ノートン先生、すごい」


 圧倒的な戦力差を覆したノートンの戦いぶりに対し、シャルは声もでない。

 上手い。そう上手いのだ。

 達人の域にある剣技と、猫人の身体能力、そして多彩な魔法具。それら手駒を最大限に使いこなす戦術は、幾度とない死線を潜り抜けてきた歴戦の軍人ものだった。

 故に、美を極める事にのみ人生をささげてきた魔女が敗れるのは、当然の結果だったのだろう。


「馬鹿な……〝雷黄石〟(イエローストーン)は、若い女性しか使えないはず」


 電流に焼かれ、その場に膝をついたヴィラが、苦々しそうにつぶやく。

 イエローストーンは、思春期の少女の羞恥心をエネルギー源とする魔法具のはずだ。ノートンが使用したのは、彼女にとっても予想外だったのだろう。


「それは、十分な魔力を持たない初心者の場合の話だニャ。高位の魔術師は、体内に

込められた魔力だけでも、かなりの魔法を行使することができる。貴方やオレのようにニャ」


「その魔力……隠していたのね」


 ポロン先生の驚愕に、少し遅れてシャルも気づいた。

 ノートンの身体からほとばしる濃密な魔力。

 それは天にとどくと謡われた美魔女ヴィラに比肩しうる強大なもの。もしこの魔力をもって正面から戦っていれば、こんな古びた校舎は壊滅していただろう。

 ノートンは校舎を破壊せずにヴィラを捕らえるために、あえてこのような回りくどい方法を取ったのか。


「──貴方、何者?」


「ただの猫人だニャ」


 ノートンは目を細めながら、微笑む。どうやら答える気はないらしい。


「……そう。で、貴方の目的は何? 私に聞きたいことは?」 


 観念したのか、ヴィラはやや自虐的に尋ねる。饒舌のリップをノートンが持っている以上、黙秘は不可能だと理解しているようだ。


「オレの目的は、最初からこのメモリーガンだニャ。これは元は口封じのできない王

族の機密保持のために作られた魔法具だニャ。その昔ドレットノートに盗まれた際は、王宮はちょっとした騒ぎになったものだニャ」


 魔石剣を手に、ノートンは尋問を続ける。


「オレが知りたいのは、貴女がこの銃を、どうやって手に入れたかだニャ」


 ノートンの口調は物静かなものだったが、シャルが初めて聞くゾッとする凄みを含んだ声だった。偽証は許さない。そんな決意が込められていた。


「優秀な鑑定士のあなたならわかると思うけど、それはレプリカよ。本物はドレット

ノートに盗まれて行方不明のまま。さらに言うと、重要なのは銃弾の方。記憶を奪う魔法石ジェットを加工した弾が本体みたいなものよ」


「それは知っている。だがレプリカとはいえ、容易に手に入るものじゃない。どこから入手したニャ?」


「……王国内務省よ。学園での私の研究を黙認する代わりに、研究成果の提供が、向こうが出した条件」


「責任者は誰だニャ?」


「エリカ・メルボルン内務次官よ」


「──そうか」 


 いつも通りの、目を細めた猫顔。ただシャルの目には、ノートンはひどく衝撃を受け、悲痛な思いを噛み殺している様に感じられた。


「他に聞きたいことはないの?」


「ない。あえて言えば、なぜそこまで〝美〟にこだわるニャ?」


 ノートンの質問によほど驚いたのか、ヴィラは瞳を大きく見開きながら


「この世で最も愚かな質問ね。若さと美しさこそ、女の世界の全て。美しければ、世界は優しく接してくれる。男の、しかも猫人の貴方にはわからないでしょうけど……」


 魔力量は術者の精神力に比例するという。美へのあくなき欲望こそ、ヴィラの強大な魔力の源泉なのだろう。


「わかった。貴女の事を〝美の道に逸れた落伍者〟といったが、撤回するニャ。あくなき美の追究心、それこそが貴女の魔力の源だニャ」

 

 シャルにとっては予想外なノートンの言葉。それは美魔女とよばれ蔑まれてきた彼女の生き方を肯定するものだった。


「……そう。でももう私は終わりよ。少なくとも教師としての私はね」


 自嘲気味に答えるヴィラの下に、シャルが思わず口を開く。


「そんなことないよ、ポロン先生は、いい先生だったよ」


「まだ若い貴女には理解できないわ。私が本当は67歳で、元は不美人であることを知れば、みんな態度が変わり、私を軽蔑するようになるわ。メモリーガンを失った今、機密の保持は不可能。ここに居場所なんてないわ」


「それは、どうかニャ?

 ──サーシャ、入ってきていいぞ」


「はい、マスター」


 ドアの向こうからしたのは、サーシャの声だった。

 そしてサーシャに連れられて教室側から入ってきたのはAクラスの女子生徒達。ノートンの指示で、寮にいた女子生徒達を集めていたのか。


「みんな、聞いていたの。……これで私も終わりね。私の事を、さらし者にすればいいわ」


 先頭に立っていた女子生徒が、意を決した表情で、口を開く。


「先生の正体が、伝説の美魔女ヴィラって、本当ですか?」


「……本当よ」 


「先生の本当の年齢は、67歳なんですか?」


「ええ、あなたたちにとっては、おばあさんよね」


 ヴィラの自虐的な言葉に、生徒達は息をのみ、顔を見合わせた後──


「すっごおおおい!!」


「きゃああああ、先生すごく綺麗!」


 生徒達は一斉に歓声をあげた。


「私のお祖母さんよりも年上なんて、すごい! 若い! かわいい!」


「私、ヴィラのお化粧品の大ファンなんです!」


「わたしはポロン先生が本当はすごい美人だって、思ってたよ!」


「どんな魔法なんですか、教えてください!」


 ヴィラを取り囲んで、目を輝かせながら黄色い声をあげる生徒達。

 生徒達の予想外の反応に、ヴィラは面食らった顔をしている。


「貴方たち、怒らないの? 私は機密保持のために記憶を奪っていたのよ? みんなを美容魔法具の実験台にしたり、髪を勝手に集めて若返りの灰を作ったり、好き勝手にしていたのよ?」


「そんなの、どうでもいいよ!」


「……ど、どうでも、いいの?」 


 思わぬ言葉に、目を丸くするヴィラ。


「そうそう、記憶とかいいの、卒業できれば」


「先生は補習してくれたり、がんばってくれたしね」


「ポロン先生の美容グッズ大好きだったなあ!」


「まさか美魔女ヴィラの魔法具のサンプルをタダで使えてたなんて、びっくりよね」


「学校に通うと綺麗になるって噂は、本当だったんだね」


「抜けた髪の毛とか、好きに使ってって感じだよね。髪が役に立つなら、むしろ学校で髪切りたいくらい」


「じゃあアタシが切ってあげる。美容師志望だし。後輩のコたちの髪も切って集めよう」


「それいいね。髪がたくさん集まれば、ウチらもこの灰をつかえるわけだし」


「キャー、夢みたい!」


 テンションがますます上がっていく生徒達。


「で、でも、私の秘密が守られない限り、私は学校にはいられないわ」


「それはウチらが秘密を守れば、いいってことでしょ?」


 ヴィラの言葉に、キョトンとした表情で生徒達は答える。


「そ、そうだけど」


「守る守る、絶対守る!」


「みんなこの秘密は、絶対よ。B組や他の先生にも言っちゃだめ!」


「もちろん! 女の約束よ」


「あ~ん、卒業したくない!」


「卒業しても〝先生を囲む会〟をつくろうよ」


「さんせー」


 和気あいあいとした活気ある生徒達。それはシャルが知るいつものA組の教室そのものだった。


「どうだニャ? 君の生徒は、いい子ばかり。もうメモリーガンは必要なくなったろう? 一人では登れぬ山も、仲間となら登れることはある。美の道も、そうかもニャ」


 ノートンの問に対し、ヴィラは初めてわずかに頬を緩ませた。


「……そうね、教師も悪くないわね」

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