第18話 乙女の記憶を奪う怪盗
× ×
「……はあ」
サーシャはランド亭のカウンターで、ほほに肘をつきながら、ため息をついた。時刻は夕暮れ、予定より仕事が早く終わったため、サーシャはランド亭でノートンを待っていた。
伯爵事件からさらに数日がたち、ほとぼりが冷めたと判断したエドガーはニャン古亭の地下工房から出て行った。噂では名前を変えて錬金術業を再開したらしい。
『どうしたんですかご主人、ため息ついちゃ幸せが逃げちゃいますよ』
指先から女の声がする。
伯爵から奪ったイエローストーンの声だ。
カレンはイエローストーンの使用を拒否したため、結局サーシャが引き受けることになったのだ。
イエローストーンはなぜかサーシャを気に入ったらしく、彼女をすんなり主人と認めた。サーシャも最初はちょっと抵抗があったが、電撃魔法を使わないなら破廉恥な思いはしなくていいし、万が一の時の護身用にもなるとノートンに言われ、そばに置くことにしたのだ。
イエローストーンからサーシャに対するセクハラ発言や暴言は全くなく、むしろいろいろと世話をやいてくれているように思えた。
「私はマスターの事、何も知らなかったんだな~と」
サーシャのため息の理由、それはノートンとの関係だった。
伯爵事件が起こるまで、サーシャはノートンの地下室の奥についても、密かに怪盗として暗躍していたであろうことも、まるで知らなかった。
レッドマントが口悪く指摘したように、サーシャはノートンに関しては無知も同然だった。
『そもそもお二人はどういう関係なんですの?』
「私、過去の記憶がないんです……」
思いがけないサーシャの言葉に、隣で給仕の仕事をしていたニーアが「えっ!」と驚いた顔をする。
「記憶がなって、本当ですか?」
「うん。マスターが言うには、半年ほど前にニャン古亭の前に木箱に入れて捨てられていたみたい」
「猫みたいですね」『猫みたいですね』
ニーアとイエローストーンの声がハモる。
ニャン古亭の二階のベッドで、サーシャを介護してくれた猫人の背中。それが彼女の最初の記憶だった。
『じゃあサーシャさんという名前も、本名じゃないんですか?』
「本当の名前も覚えてなくて、マスターがつけてくれた名前なんです」
予想以上にショッキングな内容に、ニーアは。言葉もない様だ。ローストーンは空気を読んだのか、『とても素敵な名前だと思いますよ』と褒めてくれた。
「それから住み込みで働いているんです。まあお給料もいいし、制服は可愛いし、ご飯もおいしいので不満はないんですけどね」
少し気まずい雰囲気になりそうだったので、サーシャはあえて明るい声で微笑む。
「あのすごい銀狼の魔法書は、元から持っていたんですか?」
「うん。マスターはアイテムの専門家だから、色々と使い方を教えてくれたんだ」
それからはどうしようもない呪いに限って、呪いを魔獣に変えて銀狼に喰わせるという事を行っていたのだ。
「あ、マスター、おかえりなさい」
そこに用事を済ませたノートンがやってきたので、サーシャは笑顔で出迎える。
「ただいま、ってここは家じゃないニャ」
『ノートン様、ぶっちゃけ質問があるんですけど?』
さっそくとばかりにイエローストーンがノートンに尋ねる。
『サーシャ様は、ノートン様にとって何なんでしょう?』
「い、イエローちゃん、なんてことを!?」
『ご主人は黙ってて! こういうことは直接確認するのが早いんです!』
「う~ん」
突然の事にノートンは猫の目を細め、しばし考えた後、
「ペットだニャ」
「!?」
『まあ!』
「うわああああん、猫人にペット扱いされた!!」
「冗談だニャ。それはそうと、サーシャにプレゼントがあるニャ」
「プレゼントですか?」
ノートンはそういうと、ジャケットの懐から何かを取り出した。
なんだか強引に話題をそらされた気もするが、プレゼントという単語に、サーシャは思わずくいついてしまう。
「これだニャ」
ノートンは、カウンターの上に二対のナイフを置いた。それらは上質な革製の鞘に納められており、プレゼントにみえなくもない。
「これも魔法具ですか?」
「ああ、化け猫の事件の時に折れたレイピアを研ぎなおしてもらったニャ。修復は無理だったので、研ぎなおして二対のナイフにしてもらったニャ。護身用に、一本持っておくとよいニャ」
「これって、確か呪いは斬れても人は斬れないんですよね?」
「そうだニャ、呪いを切ることができる解呪の力の代償として、人間は切れない呪いを持っているニャ」
「やったぁ、綺麗なナイフですね、何て名前です?」
「もとは〝呪い殺しのレイピア〟だから、今は〝呪い殺しのナイフ〟かニャ」
「〝呪い殺しのナイフ〟って、効果そのまんまの名前ですね」
「刀剣の魔法具は、そういうものが多いニャ。きちんとした名前があっても、誤用を避けるために効果名で呼ぶことが多いニャ」
「へ~、にしても綺麗なナイフ。マスターとおそろいだ〜」
サーシャはその美しい刀身に見入ってしまう。
『……はあ、ナイフ一本でちょろいですね、ご主人は』
イエローストーンが何やらため息をついた気がするが、サーシャは気にしないことにする。
「やっぱりここにいたわね、ノートン」
ドアの方から声がするので振り向くと、そこにはカレンがいた。
「また来たのかニャ」
『カレン嬢ちゃんを傷物にした罰だぜ、一生つきまとってやるぜ、がははは』
「変な言い方しないで! ご飯を食べに来ただけよ」
カレンはプンと少し怒った様子で、サーシャと反対側にあたる、ノートンの右横の席に腰掛ける。
伯爵事件の折に、美魔女のダイエットドロップの副作用についてノートンが説明しなかったことについて、まだ少し怒っている様だった。美魔女のダイエットドロップの副作用は、一粒につき0.2キロ体重が増える。そのことをカレンが知ったのは自宅に帰還した翌日、体重計に乗った瞬間だったとの事だ。
激怒したカレンに対し、ノートンは食事を餌に懐柔を図ったそうだ。
「1キロくらいすぐに痩せるだろうニャ」
「乙女の1キロは大きいの! ねえサーシャ?」
「そうだね。というか、どうしてマスターは太らないんですか?」
「猫人は痩せやすいからニャ、もう痩せたニャ」
猫は基本的に太らない。その体質を受け継いでいるため、猫人は太ってもすぐに痩せるらしかった。
「本当に都合のいい体質ね!」
「わかったわかった、オレがおごるから勘弁ニャ」
「……ありがと」
少ししおらしく、感謝の言葉を述べるカレン。
こんな感じで夕食時に現れては、ノートンにたかるのが常態化していた。まあサーシャが思うに、ノートンはカレンの食事事情を気にしている様だったので、事あるごとにご馳走している気がする。
「ニーアさん、この西芋のスープと黒羊の香料焼きとチーズサラダ、あとガットを頂戴!」
「しかし、ダイエット中なのによく食べるニャ。前は、サラダしか頼まなかったのに」
「ふふふ、いいものを手に入れたからね」
そういうと、カレンは腕にはめているブレスレットを嬉しそうにノートン達に見せつけてきた。どうやら何らかの魔法具みたいだ。
「これはダイエットの効果がある魔法具よ。〝マホジョ〟の友達にもらったの」
「なるほど、魔法科女子学園で流行っている魔法具か……」
魔法科女子学園は、王都唯一の私立の女子学園であり、厳格なお嬢様学校として知られる名門だった。なお〝マホジョ〟は、魔法科女子学園の略称である。
「よくそんなものを手に入れたニャ」
「えへへ、持つべきものは友達ね。でも本当に効果があるかノートンにみてもらいたかったの」
「なるほど、ちょっと見せてみるニャ」
ノートンはカレンの手を取り、猫の目を細めて凝視する。
「なるほど、わずかだが運動能力をアップする効果があるニャ。だが本命は呪いの方だニャ」
「の、呪いもあるんですか?」
呪いという言葉に、サーシャは割って入るかのようにのぞき込んだ。
「ああ、エネルギー消費量が少しアップする呪いだ。本来はマイナスの効果である呪
いを、ダイエット用に利用する。なかなか面白い発想だニャ」
「ちゃんと効果はあるのね。よかった、ありがと」
嬉しそうにほほ笑むカレン。ダイエット効果が実際にあると聞いて、安心した様だった。
「マホジョの知り合いがいるなんて、カレンちゃんって顔が広いんだね」
「まあね。うちは父さんが没落する前はそれなりに名家だったから、友達がいるのよ。だからいろいろと美容グッズをもらえたりするの」
スープを美味しそうにすするカレン。
「それはそうと、その友達から相談を受けたんだけどね、ノートンは怪盗を捕獲する依頼って受けたりするの?」
「怪盗の捕獲、か……その怪盗が持っている魔法具によるニャ」
ニャン古亭では基本的にアイテムの売り買いしかしない。しかしサーシャもカレンの事件までは知らなかったが、ノートンは必要とあれば、怪盗として興味のあるアイテムを盗み出している様だった。そのため必要とあれば、怪盗の捕獲し、その魔法具を奪うこともあるのだろう。
ちなみに捕らえた怪盗から魔法具を没収することには、王国では一般的に黙認されていた。
「なんでも、学園に泥棒が入っているみたいなの」
「それはただの変態じゃないのかニャ?」
「う~ん、そうかも。でも盗まれるが特殊で、みんな困っているみたい」
「特殊なものって、何ですか?」
イスやトイレットペーパーでも盗むのだろうか? 変態の考えることはサーシャにはよくわからなかった。
「そもそも学生じゃ、ウチの報酬は払えないニャ」
「それはマホジョで流行っている美容の魔法具で払うって言ってたよ。このミサンガも効果あるっぽいし、価値はあると思うんだけど」
「う~ん」
ノートンは思わず唸る。あまり気乗りしないようだ。
「美容関係の魔法具ですか……」
サーシャは個人的にはどんな美容関係の魔法具なのか興味があった。とはいえ美魔女ヴィラの魔法具と違い、学生が開発したものだ。それほど効果があるとは思えない。加えて言うと、サーシャが思うノートンの研究対象とはあまり関係がなさそうだった。
「マホジョの美容魔法具、それ、興味あるわ!!」
突然、大声で会話に入ってきたのは、店主のララさんだった。大きな瞳を輝かせているその表情は、いかにも興味津々といった感じだ。
「しかしララさん、マホジョとはいえ学生が開発したモノだニャ」
「わかってないねえ。マホジョは可愛い子ばかりと評判の学園だよ。そこで流行っている美容グッズは、一般には出回らないレアものなのさ」
「美容系の魔法具は既にたくさん持っているだろうに」
「初めから全てをもって生まれた君には、女の努力がわからないよ。ノートン君のオーダーをネギの串焼きに変更ね!」
「う、ネギは苦手だニャ……しかし、そんなに興味があるのかニャ?」
「マホジョはある意味王宮よりも閉鎖的な空間だからね。大概の美容グッズは手に入るけど、あそこのだけは手に入らない。ああ、マホジョの10代女子のエキスが欲しい!」
「……変質者みたいなこと言わないでほしいニャ」
あくなき美への欲求。犯人はララさんではとサーシャは思ったが、怖いので口に出すのはやめておく事にする。
「それで、怪盗が盗むものが特殊と言っていたが、何を盗むんだニャ?」
「それがね、ものじゃなくて、〝記憶〟みたいなの」
その言葉に、スプーンを持っていたノートンの手がピタッと手が止まった。
「記憶を盗む怪盗ですか?」
予想外の回答にサーシャが驚いてしまう。
「ええ、被害者はみんな一週間ほど記憶がないみたいなの。残っているのは、記憶を失う直前に誰かに会っていたという漠然とした思いだけ」
「マスター、記憶を盗むなんて、できるんですか?」
「……そうだニャ。そういう魔法具があれば可能だ。かつてドレットノートは特殊な魔法具を用いて記憶さえ盗んだという話があるニャ」
「女子学生の記憶を盗む……って変態じゃないですか! 乙女の記憶を盗むなんて、物を盗むより嫌です! いや物を盗むのもダメですけど!」
「その友達も記憶を奪われたみたいなんだけどね、学園内では結構な騒ぎになっているみたい」
「わかった。引き受けるニャ」
「えっ、引き受けるんですか? マスター」
先程まで渋っていたノートンがあっさりと快諾したため、サーシャはびっくりする。
「ただし、学校側からの正式な依頼がいるニャ。報酬は、怪盗を捕らえればその魔法具をもらうという条件でいい。学生の美容グッズはいらないニャ」
「わかったわ。友達に話して、学校から正式に依頼してもらえるように話してみる」
「大丈夫かニャ?」
「その友達はマホジョの理事長の孫だから、大丈夫だと思うよ」
「理事長の孫かニャ。それなら学校側を動かすことも可能だろうニャ」
「じゃあカレンちゃん、報酬の、学生たちの美容グッズの方を横流ししてよ。30日分の夕食でどうだい?」
悪戯っぽく微笑むララに、カレンは大きく目を輝かせる。
「ええ、もちろん! あなたとは仲良くなれそう!」
そして満身の笑みで微笑んだ。
あっちはあっちで商談が成立したらしい。
「次のお仕事は探偵か、ウチのお店はますます何のお店かわからなくなっちゃいますね、マスター」
「……」
サーシャがかけた言葉には答えず、ノートンは目を細めながら静かに沈黙していた。珍しく深刻な表情をしているように、サーシャには思えた。
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