第9話 負債の女王

 立ち上がった魔獣。吹き荒れる霊圧は今までの比ではなかった。


 〝幻想種〟


 きわめて希少な例ではあるが、呪いを蓄え、時を経た魔獣の中には寿命の拘束から外れ、さらに上の存在に昇華する存在がいる。それは幻想種とも幻獣とも呼ばれ、数千年の時を生きるという。

 そして恐るべきことに、目の前の化け猫は、そのごくまれな例に該当していた。


「ギウ嗚呼ァアアアアアア阿アア嗚呼アアッ!!!!!」


 そしておぞましい声をあげながら、ノートンに対し金色のブレスを放つ。


「ちっ──」


 危機を察したノートンは、傍らのニーアの肩を抱きながら、床に身をひるがえして回避行動をとる。

 ブレスはそのまま部屋の柱に直撃する。


「……あれは、金!?」


 ブレスによって変質した柱を見たサーシャが、驚きの声をあげた。

 なんと部屋の柱が黄金の塊になってしまったのだ。


「さすがは金運を司る幻獣、これは触れたらアウトだニャ」 


 物質を金に変えるという、錬金術師の到達点の一つでもある神秘。それを幻獣は自身の体内に宿し、ブレスとして放出していたのだ。


「た、退避、総員退避!!」


 事態の急変に、レベッカ警備団長はついに退避命令をだす。恐怖にかられた警備員たち総崩れとなり、先を争うようにホテルから退避したため、ノートン達三人だけがその場に取り残された。 


「──呪いの量が多すぎる。これは、想定外だニャ」


「ノートンさん、これはいったい!?」


 まさかの事態に、ニーアも顔を真っ青にしている。


「あの魔法具を手に入れたのは、君の父親ではなく、もっと前の先祖の、おそらく君の家の初代が手に入れたものだろうニャ」


「お父様の物じゃ、ない?」


「〝隔世魔法〟。本来は術者が受けるべき呪いを、はるか未来の子孫に先送りする禁じられた手法。蓄積された呪いは君の父親だけのものではなく、君の先祖代々で蓄積されたものだ。でなければ、幻獣に進化するなど、ありえないニャ」


 そしてノートンは、幻獣と化した化け猫を睨みつけながら「東洋にも同じ術があるとは、いけ好かない話だ」と吐き捨てるようにつぶやく。


「ノートンさん、このままでは、どうなりますか?」


「おそらく王都の一角は壊滅するだろうニャ」


 ノートンの冷徹な言葉に、ニーアの顔から生気が完全に消える。

 どれほどの人命が失われるのだろうか。自らがもたらした惨事に、その小さな胸を震わせているのだろう。


「……ノートンさん、あの呪いを、コバンに戻してください」


 そして小さく、暗い決意を秘めた声で、つぶやくように訴えた。


「コバンに戻せば、君はいずれ猫になってしまうニャ」


「呪いは私が引き受けます。もともと、私が受けるべき呪いです」


「あれは君の借金じゃない。先祖の責務を、呪いを、君が負う必要などないんだ」


 ノートンはニーアをとめる。

 コバンの呪いをニーアに戻せば、彼女に未来はないからだ。


「……それでも、私は、私の家に生まれた責任があります。猫になったって、生きてはいけます。ひょっとしたらノートンさんみたいな、猫人で止まるかもしれません」


 ノートンに心配かけまいと精一杯に笑う、ニーアの笑顔が痛々しかった。


「……マスター、私が引き受けます」


 気まずい沈黙を破り、名乗りをあげるサーシャ。

 それはいつもみせる甘えた表情とは違う、凛々しくも毅然としたものだった。


「いいのかニャ?」


「はい」


 ノートンの確認の言葉にも、決意をもって頷く。


「──ふう」


 ノートンは嘆息し、僅かに考え込んだ後、おもむろに口を開いた。


「ニーア、君の奇跡も呪いも、我々が買い取ろう」


「大丈夫ですよ、ニーアさん。何の心配もいりません」


 サーシャはニーアを安心させようと、微笑む。その笑顔は、月明かりに光る新雪のように純粋で気高さを感じさせるものだった。

 そしてサーシャは道具袋から古びた本を取り出す。

 紙ではなく、動物の皮で作られた古びた本。本がずっと貴重なものだった時代の丁寧な装飾が施され、さらに封の為の鎖まで巻き付けられている。コバンとは比較にならない、途方もないほど年を重ねた古業物(アンティーク)。その中でも魔法書と呼ばれる古代の魔法具だった。

 サーシャが空のページを開くと同時に、本から禍々しく濃厚な魔力が吹き荒れる。


「血の盟約により命ず、召喚により来たれ、神の銀狼」


──〝負債の女王(クイーン・オブ・ザ・デビット)〟──


  サーシャが高らかに宣言すると同時に、その場に小山の様に巨大な狼が出現する。

 美しく勇壮で、そして高貴さも備えた白銀色の狼。

 またもや幻想種、それもただの幻想種ではない。威厳すら感じられるその銀狼は、まるで神話で語られる神々の獣。

 幻想種の頂点に立つ存在〝神獣〟だった。

 ただその首にはめられた鎖の首輪だけが、この高貴なる狼が、使い魔の一種であることを示していた。


「ノートンさん、こ、これは?」


「サーシャの魔法具に宿る魔獣の一種。君の呪いの魔獣と、まあ同じようなものだニャ」


「こ、これも同じ、呪いの魔獣?」


 ノートンの言葉にも、ニーアはとても信じられないといった表情で目を見開いたまま、硬直してしまう。


「我、血の盟約に従い、銀狼に命ず。あの獣を喰らいなさい」


 サーシャが宣言するや否や、銀狼は巨大な口をあけ、咆哮をあげる。

 雷のようなその咆哮に威圧されたのか、化け猫は身じろぎ一つできず、そのままあっさり銀狼に一飲みにされてしまった。


「すごい……」


 ニーアを長年にわたって苦しめてきた先祖からの呪い。それを顕現させた存在である化け猫を、瞬く間に喰らってしまった銀狼。その姿に彼女は声も出ない。

 役割を終えた銀狼は、その姿を消す。直後、サーシャが開いていた空白のページに、まるで刻印されたかのように、猫の姿が刻まれた。


「これで、君の奇跡も呪いも、我々が引き取った。ニーア、君は自由だニャ」


 ノートンの言葉とほぼ同時に、コバンが真っ二つに割れた。それはニーアが呪いから解放されたことを意味していた。


「あ、ありがとうございます。でも私の呪いはどうなってしまったのでしょうか?」


「サーシャが引き受けた。彼女の魔法書の能力は、呪いを魔獣ごと奪ってしまうものだからニャ」


「じゃあ呪いはいずれサーシャさんに降りかかるのでは?!」


「君の言う通りだニャ。だが、それが降りかかるのは今ではない。それに、サーシャはそんな呪いをたくさん抱えてるから、今更ひとつ増えても問題ないニャ」


 故の〝負債の女王(クイーン・オブ・ザ・デビット)〟

 神々の時代の銀狼を使役し、呪いごと魔獣を喰らう禁断の魔法書。

 サーシャの魔法書に刻み込まれた魔獣は、10や20では無い。魔法書の各ページにそれぞれに、魔獣が封印されているのだ。


「問題なくはありません! また借金が増えちゃったわけだし~。あとその〝負債の女王〟ってネーミング、やめてください」


「どうしてだニャ? かっこいいニャ」


「ええ~、可愛くないですよ。せめてクイーンじゃなくてプリンセスとか……」


「負債の方はいいのかニャ……」


 封印を終え、安心したのかサーシャが軽口をたたく。

 まるで何もかもが解決したような穏やかな空気に、ニーアは拍子抜けした顔をしていたが、意を決したように再び口を開いた。


「あの、要は問題を未来に先送りしただけということですよね?」


 根本的には何の解決にもなっていない。

 ただ問題をサーシャが引き取り、未来に先送りしただけなのだ。


「そう、〝先送り〟。賢明で狡猾、そして無責任な、先人たちの知恵さ。今はオレたちもその知恵を拝借するニャ」


 目を細めて微笑むノートン。

 ニーアは思い詰めた表情のまま、そのまま黙り込んでしまった。 

 だがノートンには、ニーアが喉元にとどめたまま発することができない疑問が、手に取るように理解できた。

 〝積み重なり膨れ上がった負債の山は、いったい、どの世代の誰が支払うのか?〟

ということを──

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