第2話 ランド亭の女主人ララ
「マスター、ここって、ランド亭ですよね?」
ノートンが二人を連れて来たのは王都の表通りにあるランド亭、いわゆる料理屋だった。
「そういえばおなかすきましたねえ。お夕食まだですし、いい匂いですね」
サーシャの言う通り、ランド亭からは肉やパイの焼ける匂いがする。もう夜も遅いが、お店は営業している様だ。
この店は、カウンター右が下級貴族の客席、左が市民の客席と決まっている。だが別に、右側の席の格式が高く、左が低いというわけでも、もちろん料理の値段が違うわけでもない。
両者の違いは、思想の違い。つまりはイデオロギーの違いによるものだった。
始祖王ロランの再来とされる、強大な魔力を持つとされる王太子レオニード。
英邁なる王太子と市民達を直結し、その力をもって王国を新生しようというのが市民派。
あくまで現体制を維持したうえで、王太子を中心に王国を再建しようというのが王党派。
市民派は店のカウンターより左側、王党派は右側に集まっていた。別に規則で決まっているわけではないが、そうなるのが常だった。
「相変わらず剣呑としてますね……これさえなければ、毎日でも来たいお店なのに」
サーシャがため息をつく。
彼女の言う通り、店の空気は殺気立っている。何しろ王都における、市民派と王党派の対立の、最前線なのだから。
「どっちも王太子に依存しすぎだニャ」
ノートンは興味なさげに、冷たく言い放つ。
外国人のニーアさえも、王太子にすがってやってきたのだから、国民が依存するのもやむを得ないのかもしれないが、いくら何でも王太子に頼りすぎだとノートンは溜息をつく。いつになったらこの人気は落ち着くのだろう。
「おう、あんたらは、どっちに座るつもりだい?」
30歳くらいの体格のよい男が尋ねてくる。身なりからして、市民派の若手のリーダーの一人だろう。
──お前は市民派と王党派の、どっちだ?──
と、暗に問いかけているのだ。
周囲の視線も、ノートン達に集まる。
「どっちでもないニャ」
中立の宣言。
ノートン達三人は左右の座席ではなく、中央カウンターの前の席に座る。
「おいおい、この店で中立は認められねえぜ! 見たところ平民のアンタは、当然市民派なんだろう?」
「猫に身分も思想も、関係ないニャ」
強引に踏み絵を迫る男に、あくまで中立を貫くノートン。
──ざわ、ざわ──
「ま、マスター……」
左右から、鋭い視線が集まっているのを感じ、サーシャとニーアは狼狽の色を隠せないようだが、ノートンは猫顔のポーカーフェイスを貫く。
「猫人だろうがなんだろうが、中立は認められねえんだよ!」
男がノートンの肩を、強く鷲掴みにする。
中立は許さない。選択を迫る緊迫した空気が流れる。
「さわったニャ……」
「なに!?」
ノートンは猫のように目を細めながら(といっても元々猫顔だが)、男に向かってニヤリとほほ笑む。
「オレには、猫化の呪いかかっている。触れたら、猫人になるニャ」
「なんだと!? そんなことあるわけが──」
直後、ニーアを見た男の顔が「ひい!!」とひきつる。
「?」
不思議そうに顔をかがめるニーア。
だが男の視線は、フードからわずかに覗く彼女の猫耳に注がれていた。
「気づいた様だニャ。彼女はオレに触れて、猫人になりつつあるニャ。ちなみにそっちの娘には、しっぽがあるニャ」
「え!! ウソ!?」
サーシャが変な声をあげながら、キャロットスカートの上からお尻を両手で覆ってシッポの有無を確認する。
「まだ間に合うニャ。早く帰って風呂で全身を清めないと、オレ達みたいな猫人になるニャ!」
脅かすような声色で、ノートンは不気味にほほ笑む。
「くっつ──お、覚えてろよ!!」
ノートンの言葉を信じたのだろう。男はそう叫ぶと脱兎のごとく店を後にした。
「ひゅー。ハッタリだけで追っ払うなんて、やるねえ。一応、彼は市民派のリーダーの一人なんだけど」
「誰だって自分の身は可愛いものだニャ」
カウンターの下から、女がひょっこりと顔を出す。
彼女の名前はララ。
見た目はサーシャより少し年上の二十台半にみえる。女性としてはやや高身長で、綺麗なウェーブのかかったオレンジ色の長い髪をシュシュでまとめた美女。簡素なドレスにコルセットとエプロンといったいでたちだが、豊満な胸とくびれたウエストが、衣服の上から大人の色気をかもしだしている。性格は明るく面倒見の良い姉御肌。
彼女こそ、このランド亭の女主人だった。
面倒ごとを避けて隠れていた、とは思えない。ノートンがどう対応するか、カウンターに隠れて楽しんでいたのだろう
「ニーア、利用して悪かったニャ」
「いえ、私は気にしてません」
男を追っ払うためとはいえ、彼女の猫耳を利用したことを謝罪する。
「私にもあやまってくださいマスター。私、しっぽなんか生えてません!」
お尻を触って尻尾の有無を確認したサーシャが抗議するが、ノートンは無視し、ララと話を続ける。
「しかし、店を思想対立の議論の場にするなんて、迷惑な話だニャ」
ランド亭は王都の中心地である中央広場のすぐそばに位置している。立地の良さと、庶民にでも手が届く価格で美味しい料理を提供することもあって、ランド亭は貧富や身分を問わず人気であった。しかしその結果、市民派と王党派派の対立の最前線になっていた。
「にぎやかで、わたしは好きだけどね。それに、わたしの愛のある料理が、対立を解決するかもしれないしね」
ララは明るく答える。
相変わらず楽天的で、底抜けにたくましい人だ。
「それに、悪いことばかりじゃないさ。身分を問わずにいい情報も集まるし、逆もまた可能だろ?」
ララが小さくウィンクする。
さすがはララ、勘が鋭い。すでにノートンの意図を察したのかもしれない。
そう、ノートンの目的はそこにあった。
「実は、仕事を二つばかり頼みたいニャ」
ノートンは声をひそめながら、ララに話す。
「一つ目は、ある噂を流してもらいたい。
ニーア、お宝をララさんに見せるニャ」
「は、はい。これです」
ニーアが鞄の中から、ララにだけ見えるようにコバンを見せる。
「ほう〝コバン〟……持つものに富をもたらす代わりに、代償を求めるという、東洋の魔法具だね」
「その通りだニャ。この〝コバン〟は、怪盗ドレットノートが盗む価値がある秘宝である、という噂を、酒場で流してほしいニャ」
「ふむ」
ララが興味深そうに眼を細める。
ニーアのコバンが伝説級の秘宝であるという噂が広まれば、ドレットノートの後継者を自称する怪盗達は、彼女のコバンを次の目標に定めるだろう。
「その娘の猫耳、呪い付きだね。東洋の呪いは解くのは難しい。
……なるほど、解くことができない呪いのお宝を、怪盗達に盗ませるということか」
「ただ盗ませるんじゃないニャ。呪いごと盗ませる必要があるニャ」
「ふむ、それは確かにドレットノート級の〝仕事〟だ」
実に面白い、そんな表情でララはうなずく。
「もう一つ、頼みがあるニャ。」
「何だい?」
「それは、怪盗ドレットノートの予告状を偽造してもらいたいニャ」
「ほう……」
ララは、より深く目を細める。
「予告状まで出ちゃったら、怪盗達も無視はできないね」
かつて怪盗ドレットノートが盗みを働くとき、盗む対象に予告状を出したという。
ドレットノートの後継者を自称する怪盗達にとって、予告状は無視できない意味を持つ。その予告状を誰が出したのか、本物なのか偽物なのかは、この際、関係ない。
「四六時中、怪盗に狙われるのも面倒ニャ。予告状には日時もつけておいてほしいニャ」。
「意図的にドレットノートレースを起こして怪盗達に盗ませる。盗む日時は予告状で指定する、なるほど、それは面白いアイデアだ。引き受けよう」
ララさんは白い歯を見せながら気持ちよさそうに笑い、快く依頼を引き受けてくれた。
「ただし、条件が二つある。一つはノートン君に対してだ。私の魔法具の一部を買い取ってほしい」
「魔法具の買取りかニャ」
予想外の条件が来た。だが悪い話ではない。ララが持っている魔法具なのだから、きっと一級品だろう。アイテム商として、損の出るような代物とは思えない。
「わかったニャ。高めで引き取るニャ。もう一つの条件は、何かニャ?」
「それは君に対してだ。猫娘くん」
ララはニーアを指さす。
「わ、私ですか?」
「フム。元々君の依頼なのだろう? なら支払いを君に直接求める」
「はい。なんでしょうか?」
「それはね……」(ヒソヒソ)
怪訝そうな顔をするニーアに、ララはそっと耳打ちをする。
二人にだけ聞こえる内緒話。
残念だが、どんな無理難題をふっかけているのか、ノートンにはわからない。
「はい。そういうことでしたら」
ニーアが了解する。
どうやら、受け入れられない様な条件ではなかったようだ。
「じゃあ決行は一週間後、予告状は三日前に用意する。期待してて待っていてくれ」
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