父の祝辞

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第1話 父の祝辞

 中学二年生の時に、母が借金を残したまま家を出て行った。その詳細な理由については、大人の事情ということで、中学生だった私は誰からも教えてもらえなかった。

 この時、家には父の他に四歳上に姉、二歳下の妹、七歳下の末っ子の妹がいた。四人の子供たち、特に小学一年生の末の妹はまだ母親に甘えたい盛りだったのに……。

 それから、家族五人の生活が始まった。家事は姉と二歳下の妹が担当してくれて、私は末の妹の面倒をみる役目を担った。

 これまでも父の給料では家族が生活をするのにぎりぎりだったが、母が残した借金をこの給料の中から返済に回さざるを得なかった。当然、生活は困窮した。毎食のおかずは一品しかなかった。もやしとちくわの炒め物がご馳走だと感じられるような、そんな質素な生活を余儀なくされていた。

 そんなある日、学校から帰宅すると末の妹がしきりに左足を気にしていた。その様子に気づいて理由を訊くと、「足がかゆい」と左足のふくろはぎ辺りを掻きむしっている。

「どうしたの、これ?」

「給食を食べたあと家に帰ってきたら、こんなになってしまったの」

 ふくろはぎは赤く腫れ上がっていた。

 すぐに病院につれて行きたいと考えたが、お金がなかった。赤く腫れた患部を冷たい水で濡らしたタオルで冷やして、父が帰って来るのを待った。

 夕方に帰宅した父に事情を話した。これで妹を病院に連れて行ってやることができると思った。健康保険証もすでに準備していた。けれど、意に反して父は私の申し入れに対して、まるで聞こえなかったかのように、何も答えなかった。

「ねえ、父さん、聞こえている? 病院に連れて行きたいんだけど」

「……」

 けれど、私の必死の訴えに対しても、父はずっと背中を向けたまま無言を通した。

「父さん?」

 怒りを込めた声を投げつけたあと、私は父の正面に回った。そして、言葉を失った。父が声を殺して泣いていたからだ。

 私は、見てはいけないものを見てしまったことにひどく動揺をしてしまい、逃げるように家を出て、一番仲の良かった同級生の家に行き、恥を忍んで事情を話して千円を借りた。これを持って妹を病院に連れて行った。幸い、注射を打ってもらうと妹のふくろはぎの腫れは嘘のように消えた。

 子供が病気の時に、病院に行かせたくない親がどこにいるだろう。父が声を殺して泣いていたのは、病院に行かせてやりたくてもそれができない不甲斐なさに、父は自分自身を嘆いていたからだ。本当に家にはお金がなかったのだ。

 このことがあって以来、私は経済的なことだけでなく父に負担をかけないように生きてきた。中学二年生の子供が親に負担をかけないで生きていくことなどできるわけがないと言われると思うが、母が家を出て行ったあとの父の変わり様を目の当たりにしていたら、これ以上父に負担をかけることは罪だと思うしかなかった。

 私の知るかぎり父は賑やかなことが好きな人だった。そして、社交性に富み世話好きでお人好しの一面も持っていた。だから、いつも何か問題が起きるたびに近所の人たちが父のところに相談に来ていたし、困っている人のところに自ら出向くことも多々あった。近所の大勢の人から信頼されていたし慕われてもいた。そんなの父のことが子供心に自慢だった。

 毎年秋に行われる近所の神社の祭りでは、行事や催しものを父が一手に仕切っていた。近所の人たちが挙(こぞ)って出場するのど自慢大会の司会は毎年父の役目だった。ユーモアたっぷりに場を仕切っていく名司会振りに、「司会はあの人以外にはいないねえ」と、誰からもそう評されていた。

 けれど、母が借金を残して家を出たあと、父はほとんど家から出なくなった。秋の祭りだけでなく、仕事の行き帰り以外は休日でも極力外出をしなくなったのだ。それは、母が残した借金のほとんどが近所の人たちから借りたものだったからだ。

「近所の人たちに会わす顔がない」

 ことあるごとに父はそう口にしていた。

 父にも内緒にしていた借金が膨らみすぎて、もう隠し通せる額ではなくなった時に、母は借金のことを初めて父に話し、その二日後に家族を残して一人で家を出た。母が家を出た日、父は会社を休んで、母がお金を借りた家を一軒ずつ、「迷惑をおかけして申し訳ありません。お借りしたお金は必ずお返ししますので」と、頭を下げて回った。

 この日以降、いつも周りに人が集まり、祭りでは全てを仕切っていた父の輝きが、一枚、また一枚と薄皮を剥がすように失われて行った。

 それは、残された子供たちも一緒だった。「母親が借金を作って子供を置いて出て行った」ということを、近所で知らない者はいなかった。腰の曲がった年寄りから、末の妹の小学一年生の同級生に至るまでも。

 外に出て近所を歩いている時、人が立ち話をしている姿を見つけると、自分たちのことを噂しているのではないかと疑心暗鬼にとらわれた。だから、学校の行き帰り時も、どうしても出かけなければならない時にも、ひと目を避けて遠回りをしていた。

 いつしか、兄弟だけで家の中ですごすことが多くなった。外出をしなければならない時は、兄妹一緒に行動をした。

 母が家を出てから半年が経って、私は中学三年生になった。本来なら高校受験に向けた大事な一年になるはずだ。だけど、家の経済状態から高校受験はとうに諦めていた。また、父からも高校進学の話は一度も出たことはなかった。だから、自分の方から父に切り出した。

「中学を出たら就職をしたいと思っている」

「申し訳ない……」

 父は絞り出すような声でひと言だけ言った。

 父さんが謝ることはないよ。だって、父さんだって沢山のことを諦めてきたじゃないか。小さくなった父の背中にそう声をかけたかったけど、言ってしまえば涙が出そうで言葉にすることはできなかった。

「その代わり、妹たちは上の学校に行かせてやって欲しい」

 私の出した交換条件に、父は弱々しく頷き返しただけだった。

 結論から先に言うと、私は高校に入学をし、無事に卒業した。就職は、同じ学校の中でも毎年成績優秀な者だけが推薦をしてもらえる、東証一部上場企業の現地工場の研究開発部に合格をした。

 高校に入学することができたのは、当然自らの希望ではなかった。私は中学卒業後に就職するつもりでいたので、担任教師との進路面談でも、「就職する」ことをはっきりと明言していた。ただ、勉強は嫌いではなかったので、就職して家の経済状態が落ち着いたら、定時制の高校で学びたいとは思っていたので、そのことも話した。

 あれは、三年生の二学期の終業式の日だった。学校は午前中で終わり、成績表を受け取ったあと家路を急いだ。今日は末の妹も同じく終業式で早く帰宅するので、同じ中学に通う上の妹と一緒に、姉を含めた四人分の昼食を作る約束をしていたからだった。

 自宅から丘の頂上に建つ中学校までは片道二キロの距離だった。行きは上りで逆に帰りは下りだった。ただ、母が家を出て行ってからは、誰にも会わないように遠回りで通学していたので、下り坂の続く帰り道でも三十分はかかった。

 その二学期の終業式の日の夜、夕食を終えたあと二階の部屋で、末の妹の冬休みの宿題を見てやっていたら、「ごめんくださ」と人が訪ねて来た。この時、最初に頭に浮かんだのは、

「母さんの新しい借金が見つかったのではないか?」ということだった。だから、すぐに聞き耳を立ててしまった。

 でも、すぐにそうではないことに気づいた。なぜならその声には聞き覚えがあったからだ。クラス担任の大森先生だった。

「どうして、大森先生が?」

 すぐに一階に下りた。部屋に入ると父と対峙するように大森先生と木曽教頭先生が座っていた。

「お二人ともどうしたのですか?」

 二人がこんな夜遅くに訪ねて来た理由が、私には全く分からなかった。

「今日は、どうしてもお父さんとお話をさせていただきたくてね。夜だったら、ご在宅かなと考えてお邪魔させていただいたんだ」

 大森先生ではなく木曽教頭先生が私の顔を見ながら説明してくれたあと、父の方に向き直った。

「私にお話というのは。まさかうちの息子が学校で何か問題を起こしたということではないですよね?」

「いえ、息子さんはそんな心配とは全く無縁の真面目な生徒ですのでご安心ください」

 大森先生が聞き慣れた穏やかな声でそう言ってくれた。

「ではどんな話で来られたのでしょうか?」

「実は、息子さんの高校受験のことで参りました」

「それなら、受験はしないで中学を卒業したら就職することに決めています。これは、息子自身が決めたことですから、親としても息子の意志を尊重したいと考えています」

「そのことは、先日の進路相談の時に、息子さん本人から聞いています」

 大森先生は私の方をチラッと見た。

「それなら、息子の高校受験について話すことはないのではないですか?」

 普段の父からは聞いたこともないような攻撃的な言い方をした。

「お父さんは、息子さんが本心から中卒で就職をしたいと言っていると、受け取られているのですか?」

「本心も何も、実際に息子から言い出したことですから」

「今日、息子さんに渡した成績表をお父さんはご覧になられましたか?」

 大森先生が父に訊いた。

「いえ、仏壇の引き出しに入れてくれているのは知っていますが、まだ目は通していません」

「コウイチ君、成績表をお父さんに見せてあげてください」

「えっ?」

 私は躊躇った。

「いいから、持ってきなさい」

 父に言われて、仏壇の引き出しから成績表を取り出して父に手渡した。父はすぐに開いて中を確認した。

「各教科のこの成績をご覧になっても、息子さんが本心から中卒で就職をしたいと思っているとお考えですか?」

「……」

 父は何も答えず俯いたままだった。その姿を見ているのが辛くなって、私は立場もわきまえないで口を挟んでしまった。

「父のことを責めるようなことはしないでください。高校には進学しないで就職することを決めたのは、僕の本心です。勉強はいくつになってもできますが、うちでは今、僕が働かないとだめなんです。ですから、父を追い込むようなことは止めてください」

 私は分かっていた。本当は父だって私を高校に行かせてやりたいと思っていることくらい。以前末の妹を病院に連れて行こうとした時のことを私は思い出していた。具合の悪い我が子を病院に連れて行きたいと思わない親がどこにいるだろう。けれど、父はそれができなかった。お金がなかったからだ。だから、今回は絶対に父の口から言わせてはいけないのだ。

「中学を卒業したら、就職をして欲しい」と……。

「お父さん、こんな優秀な成績をとっているのに、本当に息子さんに高校進学を諦めさせていいのですか? 息子さんの将来がかかっているのですよ。公立高校、一校だけでも構いませんので、息子さんに高校を受験させてあげてください」

 大森先生は体ごと前に突き出すと、唾を飛ばしながらそう言ってくれた。

「先生、申し訳ありませんが、今日は帰っていただけませんか」

 先生たちの気持ちは嬉しかったが、この時の私の状況からは有難迷惑でしかなかった。頼んでもいないのにという気持ちの方が強かった。

 先生たちも私の気持ちを汲んでくれて、大人しく帰ってくれた。先生たちが居なくなった二人きりの部屋の中でも、父は俯き続けていた。居たたまれない重い沈黙が部屋を寒天のように固めていた。

「ごめんね、父さんに嫌な思いをさせてしまって。僕がもっと上手に先生に説明をしておけばよかったんだ」

「成績上がっているな」

 いつの間に再び成績表を開いていた父が、ポツリと言葉をこぼすように言った。

「えっ?」

「一学期よりも主要五教科の成績が全て上がっていた。勉強頑張ったんだな」

「そんなの偶然、まぐれに決まっているよ」

「……」

 わざとふざけたように話す私の言葉など耳に入っていないように、父は無言のまま成績表をずっと見つめ続けていた。

「本当に先生が言ったこと、全然気にしなくてもいいからね」

 念押しをして、私は自分の部屋に引き上げた。

 翌日の朝はさすがに父との間に気まずい空気感はあったけど、それも寒い朝に吐く息の白さのように、すぐに跡形もなく消え去っていった。

 と私だけが勝手に思っていた。

 三学期が始まり、高校受験に向けた緊張感が教室にも色濃く漂い始めた。すでに、受験が始まった私立高校もあった。公立高校の願書の提出期限は一月中だったが、私には全く無関係なことだったので気にもかけていなかった。

 就職先については、地元にドックがある大手造船会社の訓練生として働くことに決めていた。すぐに現場に出るのではなく、入社して二年間は実習の形で学びながら技術も取得できるシステムになっていた。当然、毎月の給料も出る。

 学校から帰ると、すぐに夕刊の配達に出た。これは母が家を出た直後から始めたことだった。報酬は朝刊配達の方が断然多かったが、朝は末の妹の世話などでかなり忙しいので、夕刊だけに絞ったのだ。ただ、家には自転車がなかったので、夕刊は走って配達をした。報酬は全額を父に渡していた。

 その日も、夕刊配達から帰り、父の帰宅を待って夕食を食べた。いつもと何一つ変わらない一日がもうすぐ終わろうとしていた。ただ、夕刊を配りながら見上げた空に浮かんだ月が、大きくてきれいだったことは覚えていた。

 末の妹の宿題を見終わって、自室に戻って自らの宿題に手をつけ始めた時、階下の父から下りて来るように言われた。

「何か、用事?」

「ちょっと、ここに座りなさい」

 父は卓袱台の対面を指さした。言われたとおり父の正面に座った。

「これを、明日大森先生のところに持って行きなさい」

 父は二つ折りにした紙を卓袱台の上に置いた。裏から透けて見えるほどに薄い紙だった。だから、それが高校受験のための願書だということはすぐに分かった。

「えっ、どうして?」

 手に取って開くと、見覚えのある父の字で必要事項が全て記入されていた。

「明日が締め切りだから、まだ間に合うだろう」

「いいの。本当に僕、高校に行っていいの?」

 私は真っすぐに父の目を見ながら訊いた。

「普通科ではなくて、工業高校の化学工学科だけどな。お前、小学生の時から理科が得意だっただろう。この前、見た成績表でも理科がずば抜けて優秀だったからな。父さんが勝手に決めた。工業高校なら就職する時にも有利だし、父さんも頑張るからお前も合格できるように頑張ってみろ」

「ありがとう。本当にありがとう。僕、高校に入学したら、もっとアルバイトを増やすから。授業料は自分で稼ぐから」

「その前に、合格しないと高校には行けないからな。頑張れよ」

「うん」

 翌日、職員室に行き、大森先生に受験の願書を提出した。驚くかな? とちょっと期待をしていたのだが、先生は「やっと持って来たな」と、あっさりとそう言っただけだった。

 職員室を出ようとする私に大森先生が、まるで種明かしをするように言った。

「一昨日の昼休みにお父さんから学校に電話があって、夜、仕事の帰りにお父さんが学校まで願書を取りにいらしたんだよ。『息子には高校だけは行かせてやりたいと思う』と言っていた。よかったな。今の成績なら合格は間違いないと思うけど、どこに落とし穴が隠れているか分からないから、油断しないで最善を尽くせよ。お父さんのためにもな」

 声には出さないで大きく頷き返して、私は職員室を出た。

 公立の工業高校には無事に合格をした。合格発表を見に行ったその足で、ホテルのレストランのウエイターのアルバイトを決めてきた。午後五時から十時までの五時間。昭和四十七年。時給は二百五十円だった。

 高校の授業が終わるのが午後三時十五分で、急いで自宅に帰り末の妹の勉強をみた。自宅からバイト先のホテルまではバスだと十分程度で到着できるので、家を四時四十分に出れば間に合った。ホテルに到着するとウエイターの制服に着替えて、レストランに立った。

 午後十時二十分頃に帰宅すると入浴を済ませてから、学校の課題をやり始めた。入学して初めて知ったのだが、工業高校には、一年生は週に四時限、二、三年は週に六時限、実習という授業があった。化学工学科は、毎週化学実験をやり、そのデーターをレポートとして提出をしなければならなかったのだ。この提出が滞ってしまうと進級することが難しくなり、実際に、レポートを提出することができなくて、留年、退学に追い込まれた生徒は数多くいた。

 だから、実習の授業があった日は、どんなに遅くなろうとその日のうちに必ずレポートを仕上げて、翌日提出していた。

 父がさらなる苦労を背負うことで通わせてもらっている私の高校生活において、留年とか退学は当然論外のことだった。逆に就職を有利にするために、好成績を収めることと品行方正な学校生活を送ることが何より重要だ。そう自分に言い聞かせながら高校生活を送った。

 その甲斐あって、高校三年間、成績はずっとトップを維持することができ、東京に本社のある化学系の一部上場企業の現地工場の技術職として採用が決まった。就職試験を受けたのは約百名で、技術職として合格をしたのはたったの三名の狭き門だった。

 就職試験合格を報告した時、父は心から喜んでくれた。父の満面の笑みを久しぶりに見たような気がして、私は胸が熱くなった。母が残した借金はまだ返済し切れてはいなかったが、私の合格は家の未来に明かりを灯すきっかけになったのは確かだった。

 就職して八年目。仕事にも余裕ができ、仕事帰りにスポーツジムに通うことにした。ここで、のちに妻となるT子と知り合った。何気なく話している時に自宅が近いことが分かり、スポーツジムからの帰りに私が車で彼女を送って行くようになってから、親しさが急激に増した。交際が始まって一年が経った頃に、彼女に正直に家族のことを話した。母が借金を残して家を出たことが、この先、結婚という話に進んだ時に必ず障害になると考えたからだ。

 話を聞き終えた彼女はこう言ってくれた。

「借金を無責任に放置するのではなく、こつこつと真面目に返し終えたことの責任感はすごいと思う。こうきちんとした家庭で育ったから、今のコウイチさんがここに居るんだと思う」

 彼女のこの言葉があと押しとなって、二人は結婚に向けて具体的に動き出した。最初に行ったのは、彼女の両親への挨拶だった。

 挨拶に行く当日、市内で一番高級な店で買ったメロンを土産に夕方彼女の家を訪ね、応接間でご両親に挨拶をした。

「T子さんと結婚を前提にお付き合いをさせてください」

 緊張をして、ただただ直球だけを投げる不器用な挨拶になってしまったが、彼女のことを大切に思う気持ちは届いているはずだとご両親の顔を見たら、そこには厳しい表情だけがあった。お母さんが重そうに口を開いた。

「娘から聞いているあなたの真面目な性格も、勤めている会社も、そして、肝心な娘を大切に思ってくれる気持ちも、あなた本人に対しては全く問題がないの。娘もあなたと結婚したいと望んでいるし、このまま二人の交際を認めてやりたいと思うのが親心だけど、だからこそ、娘には幸せな結婚をして欲しいと願うのも紛れもない親心なの。……申し訳ないけど、あなたのお家のこと調べさせてもらいました」

「そうですか」

 覚悟していたことだ。だから、彼女に正直に話をしたのだ。お母さんが話を続けた。

「あなたのお家、ずい分前にお母さんが家を出ていますよね?」

「はい。僕が中学二年の時に家を出ました」

「でも、離婚はされていないのよね?」

「はい」

「この事実を娘に確認したら、娘はあなたから聞いて全て知っていました。それでも、結婚を前提でお付き合いがしたいと言っています。……でもね、親としては娘の希望を、はいそうですかと承諾することができないの。だって、そうでしょう。母親が、自分のお腹を痛めた子供を四人も残して家を出て行くなんて考えられないことですよ。お父さんとお母さんの間に余ほどのことがない限り、母親は子供を手放すようなことはしません。それほどまでして、お母さんはお父さんと離れたかったということですよね。こんなこと面と向かって言うのはとても失礼なことだということは十分に分かっているけど、敢えて言わせてもらいます。そんな、お父さんの血があなたの中にも流れているの。そんなあなたと、大事な娘を結婚させるわけにはいきません」

「お母さん、そんなひどいこと」

 彼女は泣き出してしまった。

「今日を限りに交際を止めてください。今後娘と会うことも許しません」

「ご両親のお気持ちはよく分かりました。今日は、これで帰ります。本日はお忙しい中、お時間をいただきまして感謝しています」

 私は席を立つと深々と頭を下げて応接間から出た。

「待って!」

 追いかけて来ようとする彼女の声が聞こえたが、それを遮るように母親によって応接間のドアが中から閉められた。

 自宅まで歩いて帰る間中、涙が止まらなかった。母が作った借金を返済するために、父がどれだけ自分を律し苦労と努力を積み重ねてきたかを、私は十年間以上目の当たりにしてきたので、たとえ娘可愛さのために言わせた言葉であったとしても、父のことを悪く言われたことが悔しくて、悲しくてたまらなかったのだ。それは、彼女の母親から出た言葉ということだけでなく、世間が父のことを未だに間違ってそう捉えているという現実が悔しくてたまらなかったのだ。借金を返し切っても決して拭えないことがあるのだ。

「ただいま」

 私の帰宅を待っていたのだろう。二階から姉と妹たちが父の部屋に下りて来た。家族全員が彼女の両親に挨拶に行くことを知っていた。父の部屋に入った。

「ご両親への挨拶は無事に終わったのか?」

 質問したのは父だが、聞き耳は家族全員が立てていた。

「挨拶は無事に済ませたよ。お二人とも優しそうな人たちだった」

「それで、ご両親の返事はどうだったの? 交際を認めてくれるって?」

 興味津々の目をして姉が訊いてきた。

「今日は挨拶だけだから、そんな急な展開なんかないよ」

「なんだ、結婚を申し込みに行ったわけではなかったんだ」

 姉の言葉に妹たちも明らかな落胆の表情を浮かべていた。

 さっき彼女の家でお母さんから言われたことを、そのまま包み隠さず話せるわけがない。

話せば、むやみに父を傷つけてしまうだけだ。

「幸せになれよ」

 父はやっと聞き取れるくらいの小さな声で、わたしにエールを送ってくれた。これが、何より心に痛かった。

 彼女の両親に交際を大反対されたあとも、二人は交際を続けた。彼女はスポーツジムを辞めなかったし、ジムを終えたあとは変わらず彼女の自宅の近くまで車で送って行った。さすがに休日に会うことは難しくなったが、その分ジムから自宅までの移動時間が貴重なデートになった。

 こうした状況が半年間続いた。この間も二人の気持ちは微塵も変わらなかったので、もう一度彼女の両親に交際の許しをもらうために訪問することにした。

 彼女と相談して日曜日の昼間に訪ねることにした。昼食も終わっている午後二時にした。土産に隣町のデパートで有名店のクッキーの詰め合わせを買った。

 緊張をしながら彼女の家に向かった。この角を曲がったらあと三百メートルで彼女の家に着く。そう思うと緊張感が増してきたので一度大きく深呼吸をした。そして、角を曲がった。

「えっ、どうしたの?」

 走って来る彼女の姿が目に飛び込んできた。小さかったその姿が大きくなるにしたがって、泣き腫らした目の痛々しさが鮮明になってきた。

「ごめん。訪ねて来ても会わないから、家には来ないで欲しいって。『会うだけ会って欲しい』と何度もお願いしたけど、けんもほろろに拒否された。ごめん。本当にごめんなさい」

 私の前まで来ると、彼女は泣き腫らした目から涙をこぼし始めた。その涙を見るのが辛かった。泣き腫らした姿を見るのが悲しかった。

 そのまま二人で喫茶店に入ったが、そのあともしばらくの間彼女は泣き続けた。

「このまま二人が変わらない気持ちを持ち続けていれば、きっとご両親も分かってくれるよ」

 彼女も大きく頷いて、やっと涙が止まった。

 けれど、その後結婚の話は暗礁に乗り上げた。まず、二人が唯一会えることができていたスポーツジムを、両親の強い意向で辞めさせられたのだ。これで、容易に会うことができなくなった。当時は携帯電話などなく、固定電話が一般的だったので電話をかけることもできなかった。

 会社を終えて、彼女が帰りの電車に乗るまでのたった二十分くらいの時間を利用して、平日は毎日のように会った。きっと、この間には両親から沢山の見合いの話もされたのだろうが、そのことについて彼女から聞かされたことはなかった。こんな日々がさらに半年くらい続いた。

 その日は市が主催する、一年で一番盛大な催しである花火大会の日だった。なんとか口実をつけて二人で出かけるつもりでいた。待ち合わせの場所に行くのに家を出ようとした時、自宅の電話が鳴った。出ると彼女からだった。

「もしもし」と言いながら、今日の花火大会行きが両親にばれてしまったのだなと直感した。

「両親が、今日これから家に来て欲しいって」

 両親の言いつけを無視して交際を続けていることを咎められることは、容易に想像がついた。でも、行くしかない。

「分った。これからそちらに向かうよ」

 彼女の家に向かいながら、足はまるで雲の上を歩いているように頼りなかった。とうとう交際がストップしてしまうのか。頭に浮かんでくるのは悪いことばかりだった。

 彼女の家に到着した。約一年前に訪ねた時の嫌な記憶が蘇る。インターフォンを押す。彼女が玄関に迎えに来てくれた。

「入って」

「失礼します」

 奥にいるだろう彼女の両親にも聞こえるように大きな声で言った。自分自身を鼓舞する意味も込めて。

 前回と同じく応接間に通された。いよいよ一年前の光景が苦い薬を飲んだ時のように蘇ってきた。

「失礼いたします」

 両親に向かって一礼をした。向かいの席を勧められて着席をした。

「今日、二人で花火を観にいくことになっているんですよね?」

 お母さんがいきなり剛速球を投げてきた。

「はい。僕が言い出したことなので、T子さんが悪いわけではありません」

「責めているわけではないのよ。勘違いしないでね」

 鈍感な私でも気づいた。前回と違ってお母さんの声が優しい。

「はい」

 そう答えるしかなかった。

「実は、主人とも色々と話をして二人の交際を認めようと思っているの」

「ありがとうございます」

 彼女の方を見たら、笑顔がこぼれていた。

「何度見合いを勧めても断り続けるし、この一年間気持ちが変わらないみたいだしね。それなら、好きな人と結婚させる方が、幸せになれるんじゃないかと思ってね」

「ありがとうございます。大変嬉しいです」

「最初にこの家に来た時から、もう一年が経つのだから、交際云々(うんぬん)ではなく、結婚に向けて二人でよく相談をして具体的に進めてください」

 暗礁に乗り上げたままだった二人の結婚は、彼女の頑張りでこの日実現をすることになった。このあと二人で出かけた花火大会は、二人の門出を祝うように色とりどりの大輪の花火が夜空を彩っていた。

 それから、結婚に向けた準備を急ピッチで進めて行った。というのも、この日から十日後に東京の研究所への異動の辞令が出たからだ。

 とにかく急がなければならないのは、結婚の日取りと式場の確保だった。これは、会社の先輩の骨折りで翌年の一月に予約が取れた。次に、一か月後には研究所に異動しなければならないので、それまでに結納を済ませる必要があり、この準備のためにも走り回った。

 ばたばたと落ち着かない日々を送ったが、結納は東京に異動する四日前の土曜日が友引だったので、この日に取り交わすことに決まった。

 当日、父と母親代わりの叔母と一緒に彼女の家に行き、床の間に結納一式を飾った。互いの父親が挨拶をし、婚約指輪を彼女の左の薬指にはめて、無事に結納を交わし終えた。

 彼女の家でお祝いの席を準備してくれていて、緊張もほぐれたところで祝杯を挙げた。宴席が進んで行く中、なんの前触れもなく突然父が使っていた座布団をはずし、改まった姿勢で彼女の両親に頭を下げた。いったい何をしようとしているのか分からなくて、私は咄嗟に父のこの行動を止めようとした。彼女の両親が父のことを良く思っていないことが頭の中にこびりついていたからだ。今日の結納に漕ぎつけるまでにどれだけ苦労をしたか、父は分かっていないのだから。

「父さん、今日はめでたい席だから。そんな堅苦しいことは止めておこう」

 頭を下げ続ける背中に手を当てて、私は顔を上げるように父を促した。

「お父さん、お顔をお上げになってください」

 彼女のお父さんも突然のことに驚きを隠せないようだった。

 お父さんの言葉を受けて父はやっと顔を上げた。その顔を見た瞬間、私は、心臓を素手で鷲掴みされたような衝撃的な痛みを感じた。

 父が泣いていたのだ。沢山の皺に縁どられた目から、止めどなく涙がこぼれ落ちていた。

「……」

 私は言葉を失ってしまった。母が残した借金を払い続けた苦労連続の日々にも、愚痴一つ言わず、絶対に弱音を吐かなった父の涙を見るのは、妹を病院に連れていくお金を捻出できなかった時に見て以来だった。でも父の涙の理由が分からなかった。息子の婚約を喜んでくれてのうれし涙なのか、それとも、隠してはいたが、両親のことが理由で結婚話が暗礁に乗り上げていたことを知っての、彼女の両親に対する憤りの涙なのか。

「お父さん、どうなさったのですか?」

 不安そうな顔をして彼女のお父さんが訊いた。当然の成り行きだ。

 父は彼女の両親の顔を一人ずつゆっくり見たあと、その視線を彼女に向けた。そして、一度小さく頷いたあと口を開いた。

「この度は、お二人が大切にお育てになったこんな素敵な娘さんと、うちの息子との結婚をお許しいただきましてありがとうございます。親が不甲斐ないばかりに息子には子供のころから苦労ばかりを強いてきました。欲しいモノもまともに買ってやることができず、中学の頃から夕刊配達のアルバイトを始め、そのバイトでもらった給料も全部家に入れてくれていました。それでも、愚痴一つこぼさず、横道に外れることもなく真っすぐに育ってくれました。それは、親としては情けないことですが、親の背中を見て育ち、オヤジのようにはなりたくないという反面的な目標があったからだと思います。

 この結婚にしても親らしいことは何もしてやれないばかりか、逆に親がしたことで息子の足を引っ張ってしまうことになり、申し訳なくて息子には会わす顔もないほどです。でも、こんな父親でも、息子は私をこんなめでたい結納の席に同席させてくれました。結婚に関する費用もすべて自分が貯めた貯金で賄うから、『父さんはお金のことは心配しなくてもいいから、結婚式と披露宴に出席して欲しい』と言ってくれました。周りの人たちが聞いたら、情けない親だと感じていると思いますが、私は、息子のことを立派だと思います。

 親はダメな人間ですが、息子はそんな親には全く似たところのない優秀な人間です。大事に育ててこられた娘さんのことも絶対に幸せにすると思います。

 今後、私たちが息子に迷惑をかけることは絶対にありませんので、それだけはご安心をください。息子のことだけはどうか可愛がってやってください。厚かましいお願いになりましたが、宜しくお頼みいたします」

 ここまで一気に喋ると、父は再び畳に額を擦りつけるように頭を下げた。

 私は、ここまで父に言わせてしまったことが申し訳なくて、自分で自分の頬を思い切り殴りたいくらいだった。結婚話が遅々として進まない理由については、父はきちんと把握していた。そのことで父はきっと自分を責め続けていたことだろう。それを想像するだけで胸が張り裂けそうになった。

「お父さん、何を仰っておられるんですか。お父さんの背中を見てきたからこそ、こんなに真面目で頼もしい息子さんに育ったのではないですか。最初は私たちにも誤解があって、息子さんにも沢山の嫌な思いをさせたと思いますが、今は息子さんのことを信頼して娘を嫁に出すことに決めたのですから、これから、家族として仲良くお付き合いをお願いします」

 彼女のお父さんが父の前に移動をして、深々と頭を下げてくれた。

 無事に結納を交わし、祝杯の席も滞りなく終えて、自宅までの道のりを、父と叔母と私の三人でゆっくりとした足取りで歩いた。

 前を行く父を見ながら、こんなにも小さくなってしまったのかと、痩せてしまってだぶついた礼服の背中に、私は母が家を出てからの時の流れを重ねていた。

 結納が無事に終わり、来月には単身で上京をする。翌年一月には結婚と同時に会社の社宅に住むように段取りをしていたが、それなら、転勤と同時に社宅に住めば良いという会社の配慮で、転勤と同時に2DKの社宅に入れることになった。

 引っ越しの荷造りと並行して、結婚式、新婚旅行の準備を進めていきながら、私の頭の中に結納の席での父の発言がこびり付いたままでいた。それはふいにリアルに情景を蘇らせた。

 引っ越しの荷物を運送会社が自宅に取りに来る日、約束の時間は午前十一時だったが、すでに十時には準備が整っていた。社宅に入るとはいえ、家財道具は二人で暮らし始める一か月前くらいに搬入する予定になっていたので、単身者が当面暮らすだけの荷物はそれほど多くはなく、荷物の搬出も二十分足らずで終了した。

 荷物がないガランとした部屋で、所在なくベッドに横になったまま天井を見つめていたら、頭の中にこびり付いていた結納での父の言葉が、この家を明日出て行くという寂しさに溶かされて、少しずつ心の中に沁み込んできた。あの日父が話した一つひとつのセンテンスごとの言葉を、ゆっくりと噛みしめるように思い出してみた。

 そして、私はある重要なことに気づく。それは、彼女との結婚に対して、私自身が卑屈になっていたことだった。けれど、この卑屈さの原因がさらに遡った時期に形成されたことにも気づかされた。

 それは、行き着くところ、母が借金を残して家を出て行った中学二年の時まで遡ることになった。母が借金を残して四人の子供を置いて家を出たことは、町内中知れ渡っていたし、母がお金を借りた先のほとんどが近所で親しくしていた人たちからだったので、それまで家族ぐるみで親しくしていた人たちは、母が家を出たことで、まるで潮が引くみたいに離れて行った。この時期、私は外に出た時に人に会うと、自分たちの悪い噂をしていると疑心暗鬼に陥っていた。

 だから、子供たちは外出を必要最小限に控え、家に閉じ籠るような生活を送っていたのだ。学校への行き帰りも極力人に会わないように、わざと遠回りの道を選んだ。この頃から、私は自己肯定感を低くしていたのだと思う。前を見て、上を見て生きて行くことが、これからの自分にはできないと勝手に決めつけていた。

 こうした自己肯定感の低さを持ち続けたまま、彼女に出会い、そして結婚の話まで進んだ。こんな自分のことを好きになり、将来を一緒に生きようと思ってくれる人がいることに、私は有頂天になり彼女の両親に結婚を前提とした交際を許してもらえるようお願いに行った。

 ここで一気に現実の厳しさを突きつけられた。十五年近く経っているのに、母が借金を作って子供四人を置いて家を出たという事実が、借金を完全に返済した今になっても、背後霊のように自分に付きまとっていることに愕然とした。一度犯してしまった過ちは、どんなに修復をしても、もう絶対に元に戻すことはできない。黒い汚れが着いてしまった白壁は、いくら白い塗料で塗りつぶしても、下の黒さが知らぬ間に浮き出てきてしまうのだ。

 だから、私は彼女と結婚をするために、彼女のお母さんから父のことを悪く言われた時にも、何も言い返すことができなかったのだ。借金を返すために父がどれだけ苦労をし、どれだけ多くのことを我慢してきたかを知っているのに、父のことを悪く言われただけでなく、それが理由で交際を認めないと言われたのに、私はこの発言に対して憤りを露わにするどころか、それをすんなり受け入れてしまったのだ。

 その上で、まるで腫物に触るように、低姿勢で彼女との交際を続けていたのだ。両親に交際を反対され続けても頑張り続けてくれた彼女のおかげで、交際が認められ無事に結納まで交わすことができた。この結納の席で父が言ってくれた、「結婚に関する費用もすべて自分が貯めた貯金で賄うから、『父さんはお金のことは心配しなくてもいいから、結婚式と披露宴に出席して欲しい』と言ってくれました。周りの人たちが聞いたら、情けない親だと感じていると思いますが、私は、息子のことを立派だと思います」の言葉で、私ははっと気づくことになった。もっと自己肯定感を上げても良いのだと。もう卑屈になることなどないのだと父が言ってくれていることに。

 父は、母が近所の多くの人たちから総額としては多額のお金を借りていたことを知った時、この事実をどのように受け止めたのだろうか。あの時私はまだ中学二年生だったから、母が借金を残して子供を残したまま家を出て行ったことの、母が家を出たという事実の表面だけをなぞって、それを真実の全てだと思っていた。

 けれど、成人をし、結婚まで考える歳になった今なら、母が出て行った本当の理由について深いとこまで理解することができる。

 母のことを父が逃がしたのだ。このまま近所の人たちの非難を浴び続けることになれば、早い時点で母が精神的に追い込まれてしまうことが分かっていたから、父は自らが非難の矢面に立つことで、母を救ったのだ。

 借金先の家一軒、一軒に頭を下げて回りながら、この時、父は何をモチベーションにして自分を奮い立たせていたのだろうか? この状況の中、父の自己肯定感はどれだけのレベルを示していたのだろうか?

 結納の席でのあの言葉は、彼女の両親に当てたものだと思い込んでいたが、実は私への祝辞ではなかったのか。自己肯定感が低くなっている息子に向かって、「お前は自分の力を誇っていいんだ。胸を張って生きていけばいいんだ」とエールを送ってくれていたのだ。

 けれど、次の日東京に出発するまで、私は父にそのことを確認することができないまま、現在に至っている。父は私が四十五歳の時、七十七歳で亡くなったので、今では確認する術は完全に断たれてしまった。

 父の祝辞のおかげで、その後の私は自己肯定感を高く維持することができた。東京の研究所で十年間技術を勉強したのち、三十九歳の時に営業として大阪支社に転勤になった。工業高校を卒業し現地採用で工場勤務を始めた私が、四十九歳で大阪支社の営業部長に昇進し、五十六歳で東京本社の営業部長にまで昇進することができた。

 六十歳で定年を迎えると、グループ会社の商社に転籍となり、ここの代表取締役社長を任命されて四年間務めた。社長退任後は常勤顧問で一年間勤務したあと、六十五歳で無事に定年退職を迎えることができた。

 定年退職して、今、穏やかな時の流れの中に身を置いてみて、あの結納の席での父の祝辞がその後の私を支え続けてくれたことを改めて強く感じている。

 すでに父が亡くなって二十一年が経つが、ずっと思っていたことを今だから言える。

「私は父さんの背中を見て育ってきました。だから自分の息子にも、きちんと背中を見せてきたのです。ありがとうございます。生きている時には言えなかった感謝の言葉を、天国に届くように大声で父さんに伝えたい」と。


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